ポドリーのグリエ 旬野菜のエテュペ添え(13)
朝のボックスを作り終え、片づけを済ませたら少し長めの昼休みだ。
ここの仕事は、夜が遅く、朝が早い。その分、昼の休憩時間は長い。
寮として使っているコテージにもどって仮眠をとってもいいし……むしろ栞としてはそれを勧めている……街に足を延ばして買い物に行っても構わない。なのに、働き者のリアとディナンは、休憩時間も自主的に下拵えをしたり、練習をしていたりすることが多い。
ソーウェルは仮眠をとっていることが多いが、今日はこのあたりの旬の素材を見に行くといって、リアと市場に出かけた。
外に行く用事には率先して参加するディナンは珍しく留守番だ。
(……さて)
栞は、先ほどディナンが荷台を使って運んできてくれたポドリーと向きあった。
目の前にあるのは、全長がだいたい一メートルくらい。大迷宮で一番良くとれる種類のポドリーの幼体で、特に傷らしい傷はない。
幼体は成体よりも味わいがやや淡いが、柔らかくて食べやすい。メインの食材にするなら絶対的に成体だが、何かの中の一つの素材にするのならば幼体のほうが使いやすい。
栞は持ってきて、としか言わなかったのに、気をきかせたディナンがちゃんと解凍用のシンクに突っ込んでおいてくれたので、今は作業にほどよい状態になっている。
(……こういうところが、この子たちのすごいところだよね)
ディナンもリアも、最低限やらねばならないことを理解していて、何も言われずとも実行することができる。
もし、この時に料理によってやらねばならない下拵えが違うのなら、ちゃんと先回りしてそのうちのどれにするのか聞いてくるだろう。
「おししょー、何、作んの?」
ポドリーを取りに行ってもらったせいで薄々と何かを察していたらしいディナンは、ずっと栞の方をちらちらと伺っていたが、意を決したように問うてくる。
たぶん、そのせいで今日は残ったのだろう。
「んー……バケットサンド」
「え? こういうのもサンドにできるの?」
きょとん、と目が丸くなる。
「何でも挟めばサンドイッチだからね。正直、ポドリーはあんまり向かないと思うけど……」
栞は素直に答えた。
(……見た目かたつむりだけど、ポドリーって食感とか味とか鮑なんだよね)
アワビをつかったサンドイッチというのを栞は今まで見たことがないし、食べたこともない。
「なのに、バケットサンド?」
素材にふさわしい料理法を選ぶこと、と口癖のように言っている方針と矛盾しているのだが、こればかりは仕方がない。
「うん。今回は、材料がポドリーであることと、サンドイッチであることが大事だからね」
これから栞が作るのは、ただのバケットサンドだけど、同時にオーサへのメッセージを兼ねている。
「ホットのバケットサンドだったら、結構イケるんじゃないかなとは予想してる」
「ふーん。……あ、下拵えなら、俺がやるよ。……オーサのなんだろ? それ。俺にも手伝わせて」
「ええ。……休憩時間なくなっちゃうけど、いいの?」
「いいよ。……ついでに俺のも……ううん、みんなのランチ分も作ってくれる?」
「もちろん。……あ、でも、私たちの分はソーウェルさんとリアが帰ってきてからね」
栞の答えに、ディナンはやったねと晴れやかな表情を見せる。
「りょーかーい。あったかいのなら、保温容器がいるね」
「そうだね」
栞がフライパンを用意している間に、ディナンは手早く魔石をはずして最大の魔法抵抗を削いでしまった。手慣れているだけでなく、仕事はとても丁寧だ。
(……一にも二にも慣れなんだよね)
周囲ができる人間ばかりで自分だけができなかった、というのはオーサにとって不幸だったかもしれない。
でも逆を返せば、誰もがお手本を見せられるし、手伝うこともできる。全員が先生になれるのは、幸運なことだ。
(それで、失敗が許されている最初のうちにどんどん失敗してできるようになればいい)
栞はできなくても叱責したことはない。
誰もが最初はできないのが当たり前だし、栞だって最初から何でもできたわけではないからだ。
日常生活を見た感じ、オーサはとても要領が良いし、これまで失敗らしい失敗をしたことがなかったのかもしれない。
しかも、今回はいずれ責任者になることがあらかじめ決められているポジションに大抜擢されて、アル・ファダルに来ている。
(栄転、みたいなものなのかな)
それなりの自負を持っただろうし、年齢の近いリアやディナンがやっていることだから、自分も当然できるものだと思っていたのだろう。
(オーサは自分が失敗するなんて思っていなかったんだよね……たぶん)
それが失敗した。
それもごまかしようのない……言い訳のしようもない完全な失敗だった。
オーサはそれが納得できなかった────失敗した自分を認められなかったのだろう。
(……簡単に言ってしまえば、たぶん、これが最初の挫折ってことなんでしょうね)
甘い顔をするのは簡単だ。うまく気持ちをくすぐって浮上させてやることもできなくはない。
(でも、それじゃあダメなんですよね)
今、オーサに必要なのは、ここで逃げないための勇気────できない自分を受け入れて、そういう己を直視することのできる強さだ。
(……どんなに体調悪いって言っても、今の状態は不貞腐れてのサボリとしか思えないんですよ)
わりとスパルタ、と言われる栞からすると、言語道断なのだ。
だからといって、このまま放置して見捨てるほど冷たくはなれない。
(でも、正直なことを言うと、できないことを認められないっていう心境は私にはわからないんですよね)
周囲が大人ばかりの中で育った栞は、自分だけができないことばかりだったから、オーサの今の状況を推察はできても理解はできない。
だから、自分のできることをする。
(……結局、料理人にできるのは料理だけです)
美味しい料理を食べることで少しでも気が晴れればいいと思うし、それを作れるようになりたいとか、また頑張ろうと思うきっかけくらいになってくれればいい。
「ねえ、おししょー、これの身はどうすんの?」
「身をとって、食べられないところを全部おとしたら薄切りにカットして。えーと……この間切ったタコのカルパッチョくらいのサイズで三十枚くらい」
「はーい」
「あと、それとは別に、大きいダイスサイズにカットして中ボウル一杯分」
だいたい一センチ角のダイスカットに切るように指示をして、栞はフライパンを火にかける。
「どっちもサンドの具になるの?」
「そうだよ。二種類作って食べ比べてみるのも面白いでしょう?」
「そりゃあ、いろいろ食べるのは楽しいけど……おししょーは、それ、何作ってるの?」
「まずはベシャメルソース。……材料覚えてる?」
「えーと……ミルクと小麦粉とバター、ミルクはクリーム使うこともあるし、あと肉系のブイヨン使う場合もある」
「正解です。……今日はミルクで作るよ。チーズいっぱい使うからベースはあっさりめにしてバランスをとるの」
簡単に言ってしまえば、ベシャメルソースはまずは小麦粉とバターを炒めてベースとなるルーを作り、それをブイヨンで溶いてミルクで整えて濾す。ミルクではなくてクリームでもいいが、手順としてはとても単純だ。
「で、こっちのフライパンでは、玉ねぎを粗みじんにしたものを丁寧に炒めて、そこにこっちのソースを加えて一緒に煮込みます。それからボウル一杯分のポドリーを投入。……あ、チーズもたっぷりいれるよ。ちなみに、ベシャメルソースにチーズを加えるとモルネーソースって名前になります」
「へえー」
「味のポイントはチーズとバターの組み合わせ……今回作っているこの組み合わせはかなり味が濃厚なレシピになるね」
「ミルクであっさりじゃないの?」
「チーズとバターが濃厚だから、ベースはあっさりにしたの。全体的にはやっぱり濃厚だね。……バケットにこのポドリー入りソースを挟んでチーズをかけて焼こうかな、と思ったけれど、今回は更にここからひと手間かけようと思います」
「はい」
ディナンが真面目な表情で栞の言葉を聞いている。一言、一言……栞の語るすべてを聞き逃すまいとでもいうような姿勢はとても好感が持てる。
「今回は、これをさらにコロッケにします」
「ころっけ」
「そう。……ポドリーのクリームコロッケサンドにします。シャキッとした千切りのキャベツを添えて……味付けは辛子をきかせたマヨネーズと甘酸っぱいソースで」
「……あのさ、コロッケって前に作ってくれた芋のあれじゃないの?」
「あれもコロッケ。でも、これからつくるのもコロッケで間違いないよ。……あ、ディナン、このボウル冷やしてくれる?」
「はーい」
ディナンの手の中で、ボウルの中のソースはあっという間にとろみを増し、やや固さを帯びたペースト状になった。
「あ、それくらいでいいよ。これくらいの固さにならないと、柔らかすぎて形を作れないの。……こういうレンゲ状の木匙ですくって作れば大きさが揃います。……その洗ったフライパンは水滴を拭き取ったら、そのまままた使うから。あと、ディナン、これ、粉つけるところまでは私がやるから、卵液をしっかりつけてからそっちのパン粉を丁寧につけて。……これ、ちゃんとやらないと揚げ油の中で破裂するからね」
「了解。もう一種類はどうするの?」
「そちらはバターでほどよく焼いて、仕上げに塩胡椒。新鮮なレタスを添えるシンプル版ね。こっちは焼き始めたらすぐだから後でね」
「はーい」
揚げ物の衣をつける時は複数の手があるととても効率が良い。
ディナンと二人、流れ作業のようにコロッケを作ってゆく。
こういう単純作業も、栞は嫌いではない。
「……なあ、おししょー」
ディナンが迷いながら口を開いた。
「なに?」
「……オーサはクビになる?」
「このままだったらね」
「……俺が教えてやってもいい?」
少しだけ躊躇いながら、ディナンが問う。
「何を?」
「このままだとクビになるって」
「別に教えても構わないけど……」
果たして素直に聞くだろうか? と栞は考える。
「……別にそんなにすげえ仲良しってわけじゃないけど、でもさ、せっかくおししょーの下で教えてもらえるのに、もったいないからさ」
ディナンがさらりと褒めてくれるのをちょっと嬉しく思いながら、栞は言った。
「じゃあ、このポドリーのバケットサンドができたら届けに行ってくれる? それで伝えてほしいの」
「何て?」
「ポドリーの下拵えはまだまだあるわよって。……ディナンの二回目の挑戦はポドリーのグリルだからたくさん必要だからって」
「うん。わかった」
『二回目の挑戦』の言葉に、ディナンは瞳を軽く見開き、そしてしっかりとうなづいた。




