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ポドリーのグリエ 旬野菜のエテュペ添え(9)


「ヴィーダ、これ、教えていただいたクリームソースです。味を見ていただけますか」


 オーサが差し出したのは、マヨネーズだ。こちらでは、この形状のものはすべてクリームソースと総称されている。


「はい」


 栞は、いつもポケットにいれている小さなスプーンをつかって、ガラス瓶の中のマヨネーズを掬った。

 にぶい輝きを放つそのスプーンは、マクシミリアンからプレゼントされたものだ。毒を含めた異物に反応するという特別製で、このレストランで使われているカトラリーの原型になったという特別な品だという。

 時々、青白い光を放って綺麗なので栞は結構気に入っている。

 殿下のくれるわけのわからない贈り物の中では比較的実用できる珍しい品だった。


「あ、それって……」

「殿下からのプレゼント」


 貴族階級では、レストランに自分のカトラリーをもってきて使うことは珍しくない。

 このディアドラスでも、自分のカトラリーを持ち込む人間はそれなりにいる。

 ディアドラスにも毒に反応する食器やカトラリーの用意はあるが、自分たちで用意したものでなければ信用しきれないという人種もいるのだとマクシミリアンは言っていた。

 でも、栞がマイ・スプーンとしてそれを持ち歩いているのは、貴重な品だと聞いたからだ。こんな小さなスプーン、そのへんにおいておいたら、すぐになくす自信がある。


(こういうソース類とかなんて、分析できたらすごく便利だよね)


「少し酢が足りない。あと、綺麗に混ざってないね。見た目ではわかりにくいけど、口に入れるとムラがわかるよ」


 料理よりもソース類の方が、分量が明確になれば作りやすい。

 手順がそれほど難しくないからだ。


「はい」


 オーサの表情は真剣だ。

 ディナンやリアと違い、オーサはブーランジェとしてレストランから独立することが求められている。

 当面、パン以外の材料をすべてレストランから卸すにせよ、いずれはすべてベーカリーで賄う、というのが目標なのだ。

 ディアンとリアに比べれば総合的な技術は劣るが、一点特化型……パンを作る職人として考えた時、オーサの技量はなかなかのものだ。

 バケットサンドのバケットを焼くという技術に限定して言えば、いつ独立したってやっていける。


「酢を加えなくても、すっぱい柑橘絞ってもいいかもしれない」

「柑橘、ですか?」

「ここの果樹園にあるものだと、青レモンとか、赤カボス……それから、ちょっと難しいけど、ユズ、とか」

 フレッシュな柑橘の香りが加わると味が引き立つ。ただし、加えすぎはだめだ。

(少し足りないくらいがちょうどいいんだよね)


 オーサは真剣に栞の言葉を聞いている。まるで脳みそに刻み込むかのよう真剣さだ。

 本当だったら、メモをとれといいたいところだけれど、作業中の厨房に調理に関係のないモノを持ち込むことは、原則禁止にしている。

 リアもディナンも厨房では必死で覚えて、後でちゃんと記録をとるのだという。

 二人に聞いたのか。オーサもどうやらそのつもりらしい。


 オーサは、元々、王宮の料理人で、ソーウェルも目をかけていたという。

 真面目だし、仕事に取り組む姿勢も良い。


(強いて言うなら必死さがないけれど)


 良くも悪くも、リアやディナンの持つどこか悲壮な覚悟のようなものはオーサにはない。

 そのせいか、栞の感覚とすれば、弟子というよりは預かりものという感じだった。

 先輩として指導にあたっているが、リアやディナンに対するほど責任は感じていない。


(リアとディナンは、私が思いっきり巻き込んだっていう認識があるからな)


 期間限定の雇われ料理長だとわかっていたくせに、思わず手をさしのべてしまった。

 だから栞には、二人が独り立ちできるようになるように全力を尽くす義務があると思っている。


(あと一年とちょっと……)


 どれだけのことを教えられるかわからないが、道筋だけつけてあげられればあの二人なら大丈夫だと思っている。

 オーサに関しても、おそらく期間の内にブーランジェとして独立させることができるだろう。 


(この子たちが私の味を覚えて、それでそれをまた誰かに教えてくれたら、嬉しいかもしれない)


 栞の私見になるが、結局、味というのはそういう風にして、人と人の間でしか継いでゆけないと思うのだ。


(だから、どのレシピも別に秘蔵しているつもりはないんだけど)


 ただ、雇われている以上、マクシミリアン……ひいてはこのフィルダニアという国の方針に従う。


(結局のところ、私は満足のいく一皿がつくれればいいだけだから)


 栞の作るものにとんでもない価値をつけたのはマクシミリアンだ。

 本音を言ってしまえば、魔力増加の効果がどうとか、疲労回復の効果がどうとか、そのあたりは栞にはさほど重要ではない。 


(お客様がおいしい、と笑顔になってくれるものをものを作れればそれでいい)


 大切なのは、お客様にその時の栞が差し出せる最高の皿を出せているか、だ。

 周囲がどれだけ騒ごうとも、栞がそこを忘れなければ大丈夫だろう。




「私も味をみさせていただいてよろしいですか?」

「あ、はい。どうぞ、料理長」


 ソーウェルに声をかけられて、オーサは反射的にうなづいて、その壜をさしだした。


「もう料理長ではないよ。……随分とまろやかなソースだね」

「はい。これが朝のバケットサンドの味を決める一番重要な基本のソースです」

「……加熱しないで魔力をこめるというのは少し難しいかもしれないね」

「そうなんです」


 オーサがこくこくとうなづく。


「そうなんですか?」


 殿下に言わせれば、『魔力常時放出状態』な栞は、どんな風に魔力をこめているかなんて考えるまでもなく常に魔力を注いで調理しているので、どうやるかと問われてもまったくわからない。


「はい。……ヴィーダ、このソース、リアとディナンはもう作れるのですか?」

「ええ。今、このホテルで使う分を使っているのは二人ですから」

「どうやって覚えたんですか?あの二人は」

「今のオーサみたいに何度も何度も作って……少しづつできるようになってましたよ。オーサも、二人に聞いてみるといいかもしれません」

「あ、いえ、もう聞いたんです……」

「どう言ってましたか?」

「……何度も何度も作ればそのうちできるようになるって……できるまで頑張れって」

 わずかに悔しげな表情を見せる。


(何が悔しいのかしら?)


「リアには、包丁に魔力をのせるように、泡だて器に魔力をのせる、と言われたんですが……よくわからなくて」


(もしかして、それが意地悪言われているって思っているのかしら?)


 リアのその助言はすごく適格だと栞は思う。

 栞がどう言っていいかわからないことをわかりやすく説明してくれていると思うのだ。


(あ、そっか……)


 ふと、気づいた。

 オーサはここで朝食を作る補助に入るようになったものの、朝食だから加工品や下拵え済みのものしか取り扱っていないのだ。


「……オーサ、しばらく夕食の下拵えにも入ろうか」

「え?」

「毎朝、夕のパン焼きがあるから大変だと思うけれど、リアのその助言がよくわからない、というのは、たぶん、生の素材を取り扱ったことがないからだと思うの」


 現に、ソーウェルは得心した顔でうなづいている。


「ソーウェルさん、分量、そこの黒板に書き出すので、つくってみていただけます?」

「はい、ヴィーダ」

「今のでわかりました?」

「ええ」


 ソーウェルはにっこりと笑って続けた。


「王宮料理人は迷宮素材を取り扱うことが、それなりに多いですので……もちろん、ここと比べたら、多いとか少ないとか言うのもはずかしい量ですが」


 分量と簡単な手順を口頭で説明すれば、ソーウェルはすぐにそれを実践してみせた。


「どうぞ、ヴィーダ」


 差し出されたボウルの中のソースをスプーンですくうと、わずかに青白く光った。

 これは魔力に触れたときの反応だ。


「ああ……できていますね」


 ぺろりとそれをなめて、うなづく。


「合格ですか?」

「はい。このまま使っても問題ありません」


 味に違いはある。けれど、誤差の範囲だ。

 さすがの技術力だった。

 ソーウェルほどの経験と技術があれば、レシピとコツがわかればここまで作ることができるのだ。


「オーサは、魔力をこめる、の意味がわからないのでしょう?それができるようになれば、いろいろなものが自分で作れるようになるから。とりあえずは、生の素材を下拵えするところからやってみよう。……ハムやベーコン切ってるだけでは、リアの言った意味はわからないから」

「……でも、うちのベーカリーでは生は扱うことはないですよね?」

「え、じゃあ、ハムやベーコンは誰が作るの?」


 今使っているバハル猪のハムやベーコンは、この厨房で作ったものだ。


「え?オレ、ですか?」

「オーサができない、というのならここで作ったものを供給することになると思うけれど、殿下からはいずれベーカリーは完全独立させると聞いているから」


 オーサの顔に浮かんだ表情の意味をはかりかねて、栞は首を傾げる。

 それがオーサにはできないというのなら、たぶん、プリン殿下はオーサ以外のそれができる人間を責任者に据えるだろう。

 ふと視線をやれば、ソーウェルが険しい表情をしていた。


「もっどりましたー……あ、お師匠、おはようござます」


 微妙な空気を知ってから知らずか、ディナンがやってくる。


「おはよう。リアは?」

「倉庫に新しいハムとりに行った。オレはプリンの卵とってきたから」

「ありがとう」


 いつもの殿下のプリンの為の卵である。背中の背嚢と両手の袋。合計五個。

 それが、毎朝、その日の殿下のプリンのために使用される規定量だ。


「ディナン、今日からオーサも夕食の下拵えに入るから」

「え、そうなの?」

「ええ。野菜類よりも、肉や魚の下拵えをできるようにしてあげて。……独立したら、ハムもベーコンもスモークサーモンも自分で作るんだし」

「そっか。……ベーカリーは生扱わなくていいのかと思ってた。……あ、お師匠、火、使ってるけどいい?」

「ええ」


 言葉を交わしながらも、ディナンはいつもどおり卵を割り、プリンの下拵えをはじめる。

 栞が言わずとも、二人は必要と思われる自分たちができる作業を常に先回りをして率先して行う。


(だから、安心して下拵えを任せられるのだけれど)


 二人とオーサは違うということをこんなところでも思い知る。

 指示されなければできない、というのなら、ちゃんと指示を出せばいいだけなのだが、事はそんな単純なことでもない。それに、一から十まで指示されなければできない、というのは困るのだ。


(いや、余計なことをされるよりはマシなのかもしれないけど)


 けれど、イチイチそんなこと言われなくても、子供じゃないんだからわかってる、というような表情をされるのも栞としては面白くない。

 何よりももやっとするのは、オーサが自分で自分の仕事の範囲を決めているようなフシがあることだ。


(だから、夕食の下拵えも手伝うように言われて不満を覚える)


 そう。あの時に浮かんだ表情は、『面倒くさい』だ。

 あるいは、『なんでオレがそんなことをやらなきゃいけないんだ』だ。


(仕事を選ぶのは自分じゃないんですよ)


 新人にそんな権利があるわけがない。

 弁えろ、と言うことは簡単だが、それではたぶんオーサには理解できないだろう。


(さて、どんな風にわからせようか……)


 下は下で悩みは尽きないのかもしれないが、上司は上司としての苦労があるなぁ、と栞はこっそりと小さな溜息をついた。


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