ポドリーのグリエ 旬野菜のエテュペ添え(6)
ディアドラスには、食料庫と呼ばれる施設が幾つかあるが、リアが日常的に出入りするのは厨房に近接した一角だ。ここはすでに加工処理済のものが置かれている。
薄暗い倉庫内は、棚や物さえなければちょっとした広間並の広さがあるはずだが、まったくそんな風には見えない。
天井からは、一見何なのかわからないような巨大な干魚や半生の燻製魚などが吊り下げられ、その隣にはさまざまな動物の腿をハムにしたものがキレイに並んで下がっている。そのほとんどが、リアの身長よりも大きい。
外の食糧庫だと倒したばかりの魔生物そのものばかりがならべられていて、食糧庫というよりは魔生物の死骸保管庫みたいになっているのだけれど、加工済のものばかりだとちゃんと食材という感じがするから不思議だった。
もっとも、最近は魔生物を見ても自分の生命を脅かす恐ろしい生物という前に、おいしい食材と思うようになってきている自分がいることにリアは気づいている。
そのたびに、良いか悪いかはともかく、やっぱり自分は料理人の卵なのだなぁとリアは思うのだ。
「おお、これはゾラバ猪の腿!」
「肩もありますよ。先週、処理したんです。腿はハムで、肩はベーコン。脂身はあっちの瓶に」
「ここは肉類が?」
「ええ。熟成中のものはそっち。ここは熟成済。あっちは魚、そっちがトカゲ類、で、このラインの向こうが野菜類があるの」
床はぼんやりと光る線で区切られている。ソーウェルの目にはぼんやりとしか見えないが、魔術師にもなれるというお墨付きをもらっているリアの目にははっきりとした光を放って輝いていていた。
「ああ、それぞれが違う魔法陣で制御された空間の中にあるんですね。素晴らしい。これは王宮と同じシステムですね」
「王宮のものはここのコピーだって、プリン殿下が言ってましたよ」
「プリン殿下?」
「ああ、ごめんなさい。マクシミリアン殿下のことです。プリンがものすごーく好きだから」
本人もご存知ですけど、内緒にしておいてくださいね、とリアはペロッと小さく舌をだす。気をつけているのだが、ついいつもの呼び方が口から出てしまうので注意しなければいけない。
「プリン……ああ、あの黄色くて甘いデザートですよね」
「ええ、そうです。殿下の大好物なんです。毎日作ってますよ、プリン」
リアは軽く肩をすくめる。
「作るのが難しいんですか?」
「難しいって言うか、いや、難しいは難しいですよ。蒸し料理の火の調整ってほんっと気を使うし……でも一番の面倒は材料です。ウチの基本のプリンは、ドガドガ鳥の卵を使うんです」
「……ドガドガ、ですか……」
「そうです。ドガドガです」
もちろんドガドガ鳥に限らないが、卵を奪う敵に対して、その親が手加減をすることなどあるはずがない。その巨体から繰り出される蹴りとつっつきは要注意だ。まともにくらえば、一撃で即死することも珍しくない。
たとえホテルの庭で飼育されていたとしても、ドガドガ鳥の分類は魔生物だ。
飼育されているドガドガ鳥だからといって油断することなかれ、新鮮な卵を手に入れるのはいつだって命がけだ。
「とれたてのものを使うとやっぱり味が違うんです。けど、お師匠様に卵獲りなんかさせられないから私とディナンの担当で……毎日戦ってます。殿下は毎日プリンを召し上がるし。……しかもですよ、ドガドガを増やす計画もあるそうなんです」
「それはそれは……」
ご愁傷様です、と続けそうになったソーウェルをきっと誰も咎められないだろう。
それだけ卵料理が多いし、人気があるということなんですけどね、とリアは小さな溜息をつく。
「まあ、でも、どんな料理だって大変にはかわりないので。……おいしいものを作るためには手間ヒマ惜しんじゃいけないってお師匠様がいつも言ってますし。だから、面倒って思っちゃだめって自分に言い聞かせてるんです」
「良い心がけですね」
「まだまだです」
リアはちょっと照れたような表情で肩をすくめた。
(んー、どうしようかな)
王宮で何度もソーウェルと仕事をしたことのある栞だから、その実力は知っている。
(私が言うのもおこがましいけれど、ソーウェルさんは一流の料理人だ)
こちらの料理は日本ほど発達はしていない。系統立てた技術というのものが存在しないからだ。
それでも、昔からの徒弟制の中でその技術の歴史を継ぎ、その頂点に立っているソーウェルの技量は素晴らしいものだ。
(あのホテルの料理長がソーウェルさんだったら私、絶対にあのホテルやめなかった)
魔力的にはリアやディナンの方が上だ。
けれど、ソーウェルには誰にも負けない豊富な知識と経験と技術がある。
それに彼が体得している王宮の味もまた素晴らしいのだ。
(魔力さえ補ってしまえばソーウェルさんはすぐにメインも任せられる)
でも、それは栞の望みとは違う。
(別に私の仕事を肩代わりする人が欲しいわけではないのよね)
ソーウェルにここの一員になってもらうのは料理をしてもらう人が必要だからではない。
もちろん、メインを任せられるほどの料理人が自分以外にもいてくれたら今以上にできることは多くなるだろう。
(欲しいのはリアとディナンを指導できる人。私が居ないときにここを任せられる人……)
リアとディナンにもかなりの部分の調理を任せることができるようになっているが、通して一品を作ることはまだできない。
けれど、ソーウェルがいれば……。
(できる。要所を押さえてもらえればメニュー次第ではフルコースも可能だ)
迷宮の素材に最初はてこずるかもしれないが、慣れればいけるはずだ。
だから、栞はあっさりと決断した。
「あのですね、ソーウェルさん」
「はい、ヴィーダ」
「今日は、リアと一緒にステーキをお願いしてもいいですか?」
「……ヴィーダ、残念ながら私にはイルベリードラゴンをステーキにするほどの魔力はありません。おそらく、私がリアを補助したとしても、焼きあがる前に魔力切れになるでしょう。前菜かサラダでしたらお引き受けできると思いますが」
「あー、そこは秘密兵器があるので……むしろ、ステーキのほうがいけると思います」
「秘密兵器、ですか?」
ランクが高い……魔力抵抗の大きな素材ほど、調理をするのに大量の魔力を必要とする。だからこそ、それを食べたときは少なからぬ魔力をその身に取り込むことが可能なのだ。
ドラゴンの類は、たとえどんな低位のものであっても、素材としては最高ランクだ。
「そうです。炭火焼ステーキって言いましたよね。……炭が特別製なんです」
「特別製の炭、ですか?」
それはいったいどういうものなのだろう?とソーウェルは首を傾げる。
「私たちがここで調理している迷宮の素材は、どれも多かれ少なかれ魔力をつかって煮炊きをしているわけです。で、一般の人にそれができないのは魔力が少ないからで、その魔力を補ってやる方法はないかと殿下たちといろいろ考えたんですよ」
で、つまるところ魔力火をどうにかできればいいわけで、燃やす魔力を何らかの形で補ってやれば良いわけです。と栞は小さな笑みを浮かべる。
「それで、できたのがこの炭です」
栞が手にしたのは、内に光を帯びた黒い塊だった。大きさとしてはだいたい赤ん坊の拳大くらい。
それは、内に光を帯びた黒い結晶だった。炭だといわれなければ宝石だと思ったかもしれない。よく見ればその中心に帯びた光は炎で、ゆらゆらと燃えて揺らめいている。
「これが、炭?」
「そうです。迷宮の高ランク素材の一つであるプラディア竹を魔力で結晶化するまで圧縮しています。これ、黒いのは付与した術式のせいだということなんですけれど、とても優れものなんです。種火をおこす程度の魔力があればイルベリードラゴンのステーキでも焼けるんですよ」
もちろん、リアの魔力なら問題ありませんし、炎の適性がリアよりも低いディナンでも可能です。と、栞は断言する。
「ただ、リアにもディナンにもまったく経験と技術が足りていません。火をどこまで強くするか、どこで酒をいれるか、焼き加減の微妙な呼吸……そのあたりをソーウェルさんが補ってあげてほしいのです。こういうのは実践しないとわかりませんし……」
「ですが、それでしたら最初はもっと小さなものから」
「練習ならばもう何度もしています。うちの賄いや、ここの従業員の賄いで取り扱ったりとか……ステーキは確かにメインとなる一皿ですけれど、調理としてはシンプルですから」
二人に必要なのは、実践だと思うのです、と栞が言うと、ソーウェルはどうしたものかというような表情で押し黙る。
「これはお客さまに出せないと思ったら、賄いで食べますから。……それに、練習の一皿よりもお客様に出す一皿の方がずっとずっといろいろなことを覚えますから」
「……ヴィーダは随分とスパルタですな」
「基礎知識は充分だと思っています。あとはそれを磨くだけ……それは、私であっても、彼らであっても何も変わりません」
毎日真剣勝負ですよ、と栞は笑う。
「ですが、私にそんな大任がつとまるかどうか」
「王宮でもずっとなさってきたことじゃないですか。……それに、私はこの子たちに、この国の正統を覚えてもらいたいと思うんです」
そういう意味において、ソーウェルほどの人材は他にいない。
「お教えすることはできますが。ここのお客様は皆、ヴィーダの味を食べたいがためにいらしているのです。私には迷宮素材に対する知識が足りなさすぎますし、まだ、ヴィーダの味を覚えておりません」
「そこはリアとディナンが補います。大丈夫です。今日扱う素材にはじめてのものはありません。どれも、これまで繰り返し扱ってきた素材ですし、二人は私の味もよくわかっています」
イルベリードラゴンの肉はどの部位であっても何度も扱ってきている。賄いでなら彼らも何度か調理したことがある。
そして、栞の味は一番近くで覚えてきた。
(できないはずがない)
リアとディナンを見れば、どこか感動したような面持ちで、でも気を引き締めるように小さくうなづいた。
彼らにも彼らなりの自負があるのだろう。
だから栞は、大丈夫だよ、二人ならできるよ、という風に二人の目をみて力強くうなづいた。




