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ポドリーのグリエ 旬野菜のエテュペ添え(4)


「シリィ、客を連れてきたぞ」

「どうも……ソーウェルさん?」


 ふらりとマクシミリアンが昼下がりの厨房にやってくる。

 やってくること自体は珍しくないが、後ろにしたがっているのイシュルカや護衛たちではないことに、栞は目を軽く見開く。


「お久しぶりでございます」

「はい。どうしたんですか?急にお休みになりました?」


 いつもはふわふわの白髪を撫でつけてコック帽をかぶり、まっ白い厨房服で王宮の厨房の隅々にまで目を光らせている男は、穏やかな様子で頭を下げた。


「ええ、まあ。やっと休みがとれたというところでしょうか」


 にこやかに答えるその様子を彼の弟子達が見たら、きっと自分の目がおかしくなったと思うことだろう。栞も、王宮の厨房で会うときと、ここの厨房で会うときではまったく別人に見えるくらいだ。


「あ、ソーウェルさんだ。今回もしばらくいるんですか?」

「ええ。しばらく、というか……ヴィーダのご許可さえいただければ、こちらのレストランにご厄介になりたいと思っております」

「俺、こないだ教わった切り方、うまくできるようになったぜ」

「どの切り方ですか?」

「あのうすーく切って、蝶作るやつ。その蝶を飛ばすこともできた」

「おお、それはすごい。以前、夜会でそういった趣向を採用したこともございますよ。風系統の術を使う者が必要でしたが」

「おししょーがイベントとしてはいいけど、飛ばすのはレストランの料理にはちょっと向かないって言うからさ」

「それはそうですね。あれは食べる為でなく、見せるためのものですから」


 以前から、たびたびこのレストランに手伝いに来ているので、ディナンやリアとも馴染んでいる。

 この二人は、王宮の厨房にいるソーウェルを見ても、きっとわからないだろう。

 本人たっての希望もあり、ソーウェルの王宮での役職については教えていないのだ。


「……ソーウェルさん、あちらの仕事、大丈夫なんですか?」

「はい。……だいぶ時間がかかってしまいましたが、無事、始末をつけることができまして……」

「始末?」


 栞は軽く首を傾げた。何か微妙にニュアンスがおかしいような気がした。

 リアやディナンは知らないものの、目の前の男……ダーウェ=ソーウェルは、王宮の総料理長だ。

 この年齢になっても料理に対する情熱はさめやらず、異世界の料理の知識を少しでも取り入れようと栞に教えを乞うほど。

 こちらに来たばかりのころはいろいろあったものの、今ではすっかりよい関係を築いており、お互いの料理に対する姿勢に尊敬の念を抱いている。マクシミリアンに連れられて栞が手伝いに行くことも多く、互いに相談にのりあい、それぞれの職場で、よりよいものを提供するために頑張ってきた。


「あちらの仕事をバルキスにゆずってきましてな」


 バルキス=ワランは、王宮の料理長の一人で、ソーウェルの愛弟子だ。


「それって、もしかして、あちらでの仕事をお辞めになったということですか」

「はい。……老後は、のんびりできる保養地ですごしたいと前々から思っていたのですよ。そこをマクシミリアン殿下に誘われまして」

「それって、もしかして……」

「はい。ヴィーダさえよろしければ、ここのレストランで使っていただけませんか?」


 以前から何度も冗談めかして、ここのレストランで使ってくれと言われてきたが、どうやらソーウェルは本気だったらしい。


「えっと……確かにアル・ファダルはリゾート地ですけど、このレストランではのんびりは無理ですよ?どう考えても」

「ええ。わかっております。のんびりできる保養地で過ごしたいだけで、のんびりしたいわけではありませんから」


 ニヤッと笑うその表情は、年経た人間特有のしたたかさが透ける。


「私としては願ってもないことですが……」


 ちらりとマクシミリアンを見れば、マクシミリアンは、良いではないか、と口を添える。


「老後をくらすのに最適な風光明媚な地だが、ソーウェルにのんびりと怠惰に暮らすようにというのはボケろといっているようなものだろう。人手も足りないのだから、存分にコキ使ってやるが良い」

「いやいやいや、それはちょっと……でも、本当に良いんですか?」


 オーサが朝だけ入るようになり、最近の忙しさは加速度を増している。


「はい。だいぶ前から、マクシミリアン殿下にはお願いしていたのですよ。やっと、夢がかないました」

「だいぶ前?」

「そうです。ただ私の後任がなかなか決まらなかったこともありまして……」

「王宮の厨房の組織もいろいろと改革したのだ。……食材の仕入れや何かを巡る不正もあってな。まあ、このあたりは我らの恥になることもあるから詳しくは言えないが」

「どうか、お弟子の端に加えてください、ヴィーダ・シリィ」


 真剣なその表情に、栞は困惑する。


「いやいやいや、弟子だなんてそんな。私が教わる事だっていっぱいあるじゃないですか」


 こちらの料理を知らない栞にいろいろ教えてくれたのはソーウェルだ。

 手取り足取りというわけではないけれど、彼を師の一人と言っても間違いではないはずだ。


「肩書きや名前などどうでもよいではないか。シリィがソーウェルを弟子にできぬ、というのなら、ソーウェルがシリィの後見ということにすればよい」

「後見、ですか?」

「シリィがあちらの人間だから省略されているが、本来、王宮関連の役職に就く時には、後見をたてるのだ。その人間が何かしでかしたら、後見が責任をとるということだな。例えば、リアやディナンの場合は、そなたの弟子だからそなたが後見ということになっている」

「そうだったんですか」

「そうだ。……シリィ、ソーウェルをただ隠居させるのは惜しいのだ。そして、ソーウェル自身もそなたの元で学びたいことがいっぱいあるという。そなたとて学ぶこともあるだろう」

「勿論です」

「互いの利害が一致しているのだ。名目は適当にでっちあげておくから、うまくやってくれ」

「いや、でも、いいんですか?ソーウェルさん。ご存知の通り、うちにいると、王宮の総料理長まで勤めた人間に芋の皮剥かせたりすることになるんですけど……」

「かまいませんとも。いえ、むしろ願ったりかなったりです!」


 ソーウェルは心からそう思っているのだろう。

 幾分、頬を紅潮させ、照れくさそうな笑みを浮かべて言う。


「恥ずかしながら、ここの厨房で働いていると昔を思い出しましてね。もはや覚えることなどなしなどと奢っていた過去の自分の首を絞めたくなります」


 ヴィーダに出会わなければ、私は今もあのままだったかもしれません、とソーウェルは苦笑する。


「……わかりました。では、夕食のときだけ参加していただくということでどうでしょう?朝は、今、オーサがいますし、いずれここで朝を作ることはなくなりますから」

「ああ、それがいいだろう」


 マクシミリアンも同意を示す。厨房の責任者は栞だが、このホテルの最高責任者はマクシミリアンだ、


「では、遠慮なくコキ使わせていただきますね。体調が悪くなったらすぐに申し出てください。何といってもここの素材は迷宮のものばかりなので」


 料理人は純粋に体力勝負なところがあるが、ここの場合は魔力のことも関係してくるので体調にはことさら気を遣わなければならない。


「わかりました。……どうぞ、よろしくお願いします、ヴィーダ・シリィ」

「こちらこそ」


 こういう時の栞の決断は早いほうだ。

 互いのことをある程度知っていることもあるが、とりあえずやってみてから考える、ということでもある。


「いつから参加できますか?」

「もちろん、今日から大丈夫ですよ」

「では、とりあえず昼食を一緒にいただきましょうか……その時に今夜のメニューを説明しますね」

「はい」


 何といってもソーウェルの技術は卓越している。

 包丁技もだが、味付けの細かなニュアンスや塩の使い方がうまい。


「ソーウェルさん、うちで働くの?」

「はい」

「やった。今度、鳳凰の飾り切り、教えてよ」

「ええ。その代わり、ディナンは、私にあのオレンジソースの秘密を教えてください」

「秘密なんてないって。火に入れるタイミングがポイントなだけ」

「ほう。火に入れるタイミングですか」

「でも、あれは俺よりリアのがうまくつくるよ。この間、お客様にも出していいっておししょーに言われたんだから」

「それはすごい」

「火の制御はディナンには負けませんから」


 話が決まるまで口を挟まないでいた双子が、嬉しそうにしている。


「本当はもっと若いのが良かったんだけどな」


 マクシミリアンがボヤく。


「え、そうなんですか?」


 さっきの口調だと、マクシミリアンも大賛成のような感じがしていたのだが、どうやらそれは違うらしい。


「ああ。確かに技術では他の追随を許さないし、しょっちゅう来てたから馴染むのも早いだろう。双子ともうまくやっていけるのも確かだ」


 横目で見たリアとディナンとソーウェルの様子は仲の良い祖父と孫達といった雰囲気がある。


「けど、もうイイ年だからな。せっかく技術を覚えても、そのうちぽっくりいきそうだ。そうしたら、せっかくシリィから学ばせても無駄になるじゃないか」

「……殿下、言葉が過ぎます」

「事実だ。……だいたい、あいつは私が生まれたときから王宮の総料理長なんだからな。シリィも遠慮することはない。いろいろ殊勝なことを言っていたが、ようは、あいつ自身の欲なんだ。……ある種、極めた人間が新しい未知の味を、未知の技術を知った。それを知りたいと、更に自分の料理を磨くことを望んでいる。他にも候補はいた。いたが、ソーウェルが退けた。自分が知りたいのだと」


 王宮の総料理長を差し置いて、希望できる人間はいない、とマクシミリアンは憮然とした表情で言う。


「でも、私もですが、リアやディナンもこちらの体系だったお料理を学ぶことが出来ます。ギブ・アンド・テイクでお互いの為になります」

「そうかもしれないが……」

「リアとディナンにこちらの正統な料理を学んでもらいたいんです。まあ、料理に正統も何もありませんけど」

「おいしければ、それがすべてだろう」

「はい。……でも、伝統の味、というのはありますから。『新しい』というのは、『伝統』の中から生まれます。私が作っているものも、結局は多くの先人達の伝統を引き継いでいるんですから」

「多くの先人達、か……」


 ふと気になったマクシミリアンは、何気なく問う。


「シリィは、なぜ料理人を志したのだ?」

「それは……食べさせたい人がいたからです」


 栞が、どこか照れたような様子で言った。


「お父上か?」

「いえ。……初恋の人です」


 思い出してくすっと笑う。


「初恋の人とは?」

「父の友人じゃないかと思うのですが……私がすごく幼かった頃、何度か遊んでいただいた人です。もう顔も覚えていないんですけど……すごく背が高くて、がっしりとした人だったように思います」

「なんだ。そんな幼い頃なのか」


 マクシミリアンはなぜか安堵した。

 何に安堵したのかよくわからなかった。


「はい。たぶん、外国の人だったと思うんですが……甘いものが好きな人でしたね」

「ほう」

「たぶん、食いしん坊に弱いんだと思います、私」

「そうか……」


 何を思い出したのか、マクシミリアンは柔らかな笑みを漏らす。


「ええ。殿下は何かなりたいものはなかったのですか?」

「……そうだな。私は普通の王子になりたかったよ」

「普通の王子様ですか?」

「ああ、そうだ。だが、普通の王子というのはな、うちの一番上のバカのような……あるいは、絵本の中にいるような頭の足りない王子のことをさすのだとわかってから諦めた」

「……いつも思うことですけど、殿下達は、王太子殿下に点が辛すぎます」


 何しろ、マクシミリアンとその兄弟達が自分の長兄を呼ぶ場合、彼らは『あのバカ』とか『バカ兄上』と呼ぶのである。

 確かに、呼ばれても仕方がないところもあるのだが、王太子をそう呼ぶことは許されるのだろうか?と栞はいつも謎に思う。


「いいんだよ、あれはあれで。……バカにしかできないことも世の中にはたくさんあるのだ」

「それで褒めてます?」

「まあ、一応」


 彼らの兄弟仲がどういうものなのか、兄弟というもののいない栞にはまったく理解ができなかった。


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