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ポドリーのグリエ 旬野菜のエテュペ添え(2)

 レストラン・ディアドラスの厨房の朝は早い。

 朝食は簡単なモーニングプレートかサンドイッチボックスのどちらかのみの簡易なものだった。

 できる限りの下拵えは前日の夜に済ませてあったとしても、朝にやらなければいけないことはそれなりに多いものだ。

 朝七時からの提供時間に間に合わせる為に、仕事のスタート時間は五時半と決められている。

 五時半スタートということは、十分前には身支度も手洗いも済ませてスタンバイを済ませていなければいけないということなので、起床は四時台になる。前日の就寝時間は零時を回ることもしばしばで、昼寝の時間がなければ、いくら若いとはいえ、リアもディナンも身体がもたないだろう。


「おはようございます」

「おはようございまーす。ちっ、今日こそ、おししょーより早いと思ったのに!!」


 眠気をかみ殺して挨拶をする。まずは挨拶から、というのは、二人が栞に一番最初に教えられたことだ。


「おはよう。残念でした。……まあ、私も今来たばかりだけどね」


 その日の朝食についてまとめてあるオーダーシートを再度見直しながら、栞は顔をあげた。

 寝癖なのだろう。ディナンの髪がぴょこんと立っているのは気にしないことにする。

 

「今日はボックスだけね」

「何人前?」

「二十二人」


 栞は折りたたまれた紙箱を箱の形に整えながら、作業台の上に並べる。細長いその箱は特注品だ。サンドイッチ用に焼かれているパンのサイズに合わせてある。


「なーんだ。結局、全員分じゃん」


 ディアドラスで朝食を用意するのは、前日の夜、ディナーを食べた者のみの特権なのだ。

 もちろん、朝食を他の店でとることも、部屋によってはつれてきている自分の料理人に作らせることも可能なのだが、せっかくの特権を無駄にするような人間はまずいない。

 プレートもボックスもどちらもルームサービスにしているのは、できるだけ少ない人手で朝食を提供するための苦肉の策だったのだが、おいしい料理を気兼ねなく食べられるとお客様には好評だった。

 こちらではルームサービス自体が珍しいこともあるかもしれないが、正装しなくとも、自室で思い思いに食べられるという自由さもウケた理由の一つだろう。


「当然だよ。むしろ、朝食だけでもいいから増やせないかって言われるくらいなんだから」


 ふふん、とどこか自慢げにリアは胸をはる。

 栞の料理が褒められるのが、リアは大好きだ。そして、そんな料理を作る手伝いを出来ることが嬉しくてならない。

 だから、早起きもまったく苦にならないし、決まった休みがないこともまったく問題にはならなかった。

 そもそも、使用人とはそういうものなのだが、あちらの世界では使用人であっても定期的な休みがあるらしく、栞がいつも済まなそうなのが逆に申し訳ないくらいなのだ。


「でも、普通は朝だって温かいもの食べたいんじゃないかと思うけど」


 懐疑的な表情をしているのは栞本人である。

 魔法陣や魔法具を使ってどれほど保温につとめたとしても、ルームサービスはできたてを提供できる店とは同じようにはいかない。サンドイッチボックスにいたっては、最初から温かいものを提供するという前提には立っていない。

 

「そうなんだけど、別にボックスだったら、昼食でもおやつでもいいし……何よりも持ち運びに便利だろ。うちのお客さんは迷宮に潜る人も多いから、朝は自分達の料理人に作らせて、ボックスはもって行く人が多いんじゃない?」


 ディナンがあっさりと言う。


「そうなの?」

「うん。たぶん、昨日のお客さんはみんな迷宮に潜ってると思うな」

「でも、それだと間に合わないんじゃない?」


 サンドイッチボックスを受け取る七時にはもう迷宮の門は開いているはずだ。

 探索者は門が開くのと同時に潜るのがほとんどだと栞は聞いている。


「それは探索者が本気で狩りをする場合だし……別に効率を考えなければ、半日しか潜らなくたってまったく問題ないから受け取ってからでもいいし……だいたい、ここのお客さんは、それで稼ごうって思ってる人たちじゃないし」

「まあ、そうよね」


 栞だってこのホテルの主たる客層……自分のレストランの顧客が王侯貴族か、それに伝手のある豪商あるいは富豪であることくらいは知っている。

 探索者資格がある者もいるかもしれないが、真正の探索者というわけではないのだろう。


「確かにここのお客さんの大半は迷宮に潜るけどさ、稼ぐためってよりは観光ツアーに近いかな」

「でも、そのわりには、装備とかすごいよね?」


 ホテルの宿泊客で潜る人たちは、きっちり鎧を着込んでいることが多い。危険な迷宮でのもしもの為の備えなのかもしれないが、最初、全身鎧の騎士の集団を見たときは、わが目を疑ったほどだ。

 

「えーと、おししょーが想像してるのってさ、前に見た鎧集団だろ?」

「うん。そう」


 揃いのピカピカの鎧姿の騎士が、整列した姿は壮観だった。

 ただ、本当に役に立つんだろうか?と、つい思ってしまったのはいたし方があるまい。


(殿下達とはまったく違っていたし……)


 栞は迷宮をよく知っているわけではないが、マクシミリアン達が狩りに行くときのいでたちに比べると雲泥の差があった。

 彼らが潜るときは、何というか……確かに武装はしていたが、もっと軽装であったように思える。


(新品ではないからピカピカではなかったけれど、綺麗に手入れはされていたし……)


「正直なこと言うと、あれはコケオドシっつーか、迷宮知らなすぎる人達の装備。新品なんかより使い慣れたもののがいいのにさ……大迷宮ってだけで無駄に力いれた装備揃えちゃうの。初心者にはありがちなんだ」

「うわー、ディ、偉そうなこと言ってる」

「だって、俺は初心者の時でもそんなアヤマチはオカサなかったもんね」


 言い回しがたどたどしく聞こえるのは、ディナンができるだけ丁寧な言葉遣いを心がけているせいだろう。

 元々が身分など皆無の一般庶民の子供なので、気を抜くとつい乱暴な言葉遣いになりがちだ。

 栞はあまり気にしていなかったのだが、誰かに言われたのだろう。最近、努めて丁寧に話すようにしているらしい。


「それは新しい装備揃えるお金がなかったからでしょ」

「そりゃあ、そうなんだけどさ」


 懐事情を知り尽くしている半身からの突っ込みに、ディナンは口をとがらせる。

 確かにお金があれば、ディナンも初めて潜るときにはさまざまな新装備を揃えたことだろう。とはいえ、あんなアホな鎧集団と一緒にされるのは屈辱に思えるのだ。


「大迷宮で全身鎧なんて、バカのすることだから!鎧に軽減化の刻印が刻まれてるとかっていうんなら話は別だけど、それでも動きにくいじゃん。例えば、ドラゴン狙いとかでブレス対策の刻印や魔術陣が刻まれてるとかってのもあるけどさ、大迷宮じゃあ身軽なことが一番重要なんだから」

「なんで?」

「逃げる為に。……ローレンさんとか殿下とかが一緒なら別だよ?けどさ、転移使える魔術師なんて大陸全土で数えられるほどしかいないんだぜ。だったら、いつでも自力で逃げられるようにしておかないと」

「まあ、足はやい魔生物だったら、どんだけ装備を軽くしても無駄なんですけど」


 リアがやや呆れたような顔で肩をすくめる。


「っていうか、大迷宮に潜るのって逃げるの前提なの?」

「かなわないと思ったら即逃げる。逃げ足速いのが一番大事」


 ディナンのよどみない答えにリアもうなづいた。


「ようは、想定外の魔生物と遭遇したときに狩れるか狩れないかっていう判断が大事なんです。で、狩れないと思ったら即座に逃げる。……私とディナンは、特に逃げを選ぶ傾向高いです」


 リアとディナンは、探索者資格を持ってはいても自分たち本職ではないという自覚がある。

 だから、決して無理はしないし、最初から自分達では対処できないかもしれないと思えるようなところには行かない。

 それだけ気をつけていても、大迷宮の中では絶対の安全はない。……たとえレベル1か2の魔生物しか出てこないような場所であったとしても、数が増えれば危険なのだし、そこが生息域でなかったとしてもレベルの高い魔生物が出現することもある。


「本職の人には臆病すぎるって言われるかもしれないけど、俺もリアも探索者じゃなくて料理人見習いだしさ。逃げるが勝ちだって思ってるから」


 ディナンの言葉に、栞は二人に笑みかける。


「そうしてちょうだい。私としては、あまり危ないことして欲しくないから」


 潜ること自体は反対しないが、危険にその身をさらしてほしくないと思う。たぶん、そう思うのは栞のわがままなのだろうけど。


「でも、やっぱ自分がとってきたもののほうがいいのかなぁとか思ったりするんです……ラルダ茸とか、自分が獲ってきたもののほうが断然おいしかったような気がして。殿下達は、そういう細かなものはとってきてくれないし、うちのレストランと契約している探索屋さんもそのへんは弱いじゃないですか」

「確かにリアがとってきてくれたもののほうがおいしいけど」


 最近、休みになるとラルダ茸を狩るツアーに参加しているリアである。ツアー費用が無料になることと、狩ってきたラルダ茸をレストラン用に買い取ってもらえるようになったことでちょっとしたお小遣い稼ぎにもなっている。

 一日一食すら口にできなくて飢えていた頃、そこらに生えていた茸で飢えをしのいではおなかをこわしていたので、リアは茸料理が大嫌いだった。飢えるということがなくなっても、何だかカビくさい気がして好きではなかった。

 でも、今では好物の一つだ。

 栞が、いろいろな茸をバターで炒めて塩を振っただけの炒め物をはじめて食べさせてくれた時、その美味しさに思わず涙がこぼれた。あの味をリアは一生忘れないし、きっと二度と茸が嫌いだなんて口にしないだろう。


「あと、最近、偽物が出回ってるんだってさ」

「偽物?何の?」

「だから、迷宮の魔生物の」


 栞は軽く首を傾げる。


「なんで、偽装できるの?」


 栞にしてみれば、迷宮素材は一目瞭然だ。

 そもそも魔生物は魔法抵抗があるのだから、誰だってわかるのではないだろうか?


「細かく切り分ければ魔法抵抗減るし……昔から多いんだよ。特にレア度の高い魔生物の偽装。例えば、魔生物で肉にすると見た目の似ている赤トカゲの肉をイルベリードラゴンの肉として売ったりさ。赤トカゲはドラゴンに比べればずっと狩りやすいから」


 今のディナンにとっても間違えようがないのだが、間違える人間が居るということも理解できる。

 特にこの二つの肉の見た目は大変よく似ている。


「いや、だって味違うじゃない。まったく」

「でも、普通の人は食べたことないだろうし……お金があってもたべられない食材なんですよ、イルベリードラゴンって」

「そうなの?」


 未だに倉庫には在庫がたっぷりある状態なので、そう言われても栞には実感が薄い。


「そうです。だから、偽装とか珍しくないんだって、ライドさんが言ってましたよ。王都ではドラゴン肉の詐欺なんざ、珍しくないって……ただ、今回はやり口がすごいうまいんですって」

「そうなんだ……でも、うちのレストランではそういうの無理だと思うよ」


 そもそも、ディアドラスの仕入れ品に偽物を混ぜる勇気のある人間がいるとは思えない。何しろ、ディアドラスは国営企業なのだ。しかも責任者が、近隣諸国で魔導王子と呼ばれているほど魔術に長けたマクシミリアなのである。

 マクシミリアンを誤魔化すことはイコールそのまま犯罪ということになる。


「仕入れ担当が殿下やイシュルカさんだもんね」


 補佐官たるイシュルカもまた、妖精族の魔術師だ。どちらも、偽物を見分ける目は確かだし、かなり厳しい。


「そういうこと」


 あの二人のチェックを逃れる偽物などあるはずがなかった。





「おっはよーございまーす。今日のパン届けにきましたー」

「おはよう、オーサ」

「おはようございます、ヴィーダ。これ、うちのじいさんからっす。今日のもうまく焼けました」


 オーサは、新しくできたベーカリーの担当者だ。

 王宮の料理人の見習いだったというオーサは、今回のベーカリーの従業員の募集に自分から応募。王宮料理長のテストをパスし、見事、合格したことでこのホテルの従業員の一員となった。

 二十歳になったばかりで、年齢が近いせいか、すぐにディナンやリアとも仲良くなり、まだ一月たたないというのに、すっかり馴染んでいる。


「ありがとう」


 ドンと作業台の上に大きな籠が置かれる。

 漂う香ばしい香りの元は、籠の中のサンドイッチ用のパンだった。

 元々はパンも厨房で焼いていたのだが、最近の忙しさからパンは外注しようということになり、ベーカリーができたのだ。

 もちろん、このレストランのためだけではない。

 マクシミリアンは、ホテルの組織改革の一環として、ホテル内に新たにベーカリーを作り、そこで、一括してホテル内のレストランやカフェ、従業員食堂で必要とされるパンのすべてを焼かせることにしたのだ。

 いずれは、ホテルの宿泊客相手にベーカリーで焼いたパンを販売する計画もあり、栞はそれにかなり関わってもいた。


「いい匂い」


 焼きたてのパンを無造作に二つに割り、そのままかじりつく。

 皮が香ばしくて、中はもっちりふわふわしている。


「うん。おいしい」


 小麦の味がしっかりしていて、ほんのり甘みがある。噛みしめるごとに、その素朴な味わいが口の中に広がる。

 毎朝、味見をするのだが、そのたびにおいしいと思う。


 朝のサンドイッチ用のパンは、あちらでいうコッペパンより少し大きなくらい。このサイズは、ディアドラスの特注だ。


「今日の具は何ですか?」


 勝手口とも言うべき、庭側の出入り口に立ったオーサは興味しんしんで厨房をのぞきこんでいる。

 夕食ほどの戦争状態ではないとはいえ、お客様の食事を作っているときに部外者を出入りさせることはない。見学を許しているのは、オーサが部外者ではないからだ。


「パリパリにしたチェシェールとワルバ山羊のチーズと焼きたてのクリグ、あとホロホロ鶏の燻製ハムね。マヨネーズにちょっぴりからしをいれたものと、醤油ベースの玉ねぎたっぷりドレッシング仕立て」 

「わー、うまそう!」

「おいしいパンのおかげだよ。ありがとう」

「とんでもないです」


 ぶんぶんと、オーサは顔の前で手を振った。

 元々、オーサは王都で三代続くパン屋の息子である。パンを焼くだけの仕事が嫌で、伝手を辿って王宮料理人の見習いの職を得たのだが、ここに来て再びパン焼きの仕事をすることになるとは思ってもいなかった。

 だが、レストラン・ディアドラスに関わることができるというのは、あまりにも魅力的すぎたのだ。そう。あれほど嫌だと思ったパン焼き職人でもいいと思うくらいに。


「おししょー、どういう手順にする?」


 おしゃべりしながらもちゃんと材料はサンドイッチサイズに切りそろえてある。

 チェシェールはホテル御用達農園からの納品で、チーズもハムも自家製だ。クリグだけは出入りの肉屋から買ったものだが、ちゃんと味は確認している。


「ディナンはバター塗って。たっぷりね。で、私が、燻製ハムとチーズの間にチェシェールとソース挟む、最後にリアが焼きながらクリグを挟むってことで」

「了解」

「はい」


 リアとディナンは表情をひきしめた。いつだって、調理をするときは真剣勝負だ。


「……あのー、ヴィーダって、虫嫌いなんですよね?」


 オーサが、控えめだが不審げな声音で問いかける。栞は、王宮の厨房によく出入りしていたのでオーサもそれなりのことは知っている。

 特に、虫嫌いと言うのは有名な話だった。


「うん。そうだけど?」

「なのに……んぐっ」

「あーっ、オーサ、悪いけど、質問は後でな」


 ディナンがその口を塞ぎ、リアがにっこりと笑う。こういうところの息の合い方はさすが双子だった。


「大丈夫。ちゃーんと私達が答えてあげるから」


 オーサはこくこくとうなづいた。

 そこで更に問いかけるほど、オーサは空気が読めない人間ではなかったし、何よりも、双子の目つきがあまりにも恐ろしかったのだ。




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