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ロデ豆のシチュー ディルギット風(12)

 調理中かぶっていた帽子をとり、簡単に身支度を整えて、栞はイシュルカとエリュシュリネアのテーブルに足を運んだ。


「失礼します」


 二人の目の前には、木製のボウルに注がれたロデ豆のシチューが置かれている。

 どちらも、半分くらいのところまでで手が止まっている。

 その理由は一目見れば明らかだ。


(あらら……)

 

 エリュシュリネアが、泣いていた。

 その透き通るような白い肌を、涙が次から次へと伝い、落ちる。

 ただそれだけで、まるで一幅の絵画のような光景がそこに現れる。

 イシュルカは困ったように祖母を見、それから困惑した眼差しを栞に向けた。


(私に助けを求められてもなぁ……)


「リネアさん、もしかして、はずれていましたか?」

「いいえ……いいえ……これですわ。間違いありません」


 エリュシュリネアはふるふると首を横に振る。

 はらはらと頬をこぼれる涙は、まるで何かの宝石のようだ。


「ディルギットが作ったものと同じ……いいえ、ずっとおいしいです。おかしいですね、記憶の中の味は美化されるはずなのに」


 無理やりに笑みを浮かべて見せるその様子はひどく健気だ。ほっそりとした線の細い彼女がそういう表情をするとあまりにも似合いすぎて、自分が何をしたわけでもないのにいたたまれない気になる。


(まあ、本職ではないとはいえ、それなりの技術は駆使していますし……)


 栞は、あちらにいる時に和菓子系統の菓子類をプロとして提供したことがない。

 だがそれでも、餅つきはほぼ毎年の習慣であったし、その時に大福を作るのも習慣であり、はたまたこの、こちらでいうところの『甘いシチュー』は冬の定番おやつだった。父の一郎は、これを「脳には糖分が必要なんだ」といって、寒い日は朝食代わりに食べるのを好み、よく頼まれて作っていた。


 栞のつくったこの味は、父方の祖母から母へ、母から栞へと伝わった前島家の味である。

 満足がいくものが作れるようになったのは中学を卒業するくらいだったか……ある意味、栞の十八番といってもいい。

 母亡き後、この記憶の中の味を再現するためにだいぶ工夫を重ねたのだ。


(考えてみれば、やってることが今とかわらない……)


 三つ子の魂百まで、とはよく言ったものだ。栞に限って言えば、その通りとしか言いようがない。


「でも、リネアさんがもう一度食べたいのは、ディルギットの作ったその味なのでは?」

「……あまりにも昔過ぎて、よく覚えていませんの。ただ、甘くて美味しくて……でも、この今いただいているほうがおいしいって思ってしまいますの。きっと、本物だからなのでしょうね」


 その眼差しが一瞬だけふわりと遠くを見る。思い出を追うその眼差しは、どこか切なさがにじむ。


「……たぶん、料理には本物も偽物もない、と思います」

「え?」

「ディルギットがつくったものも、リネアさんがそれを思い出して何度も作ったものも、どれも等しく本物なのだと、私は思います」

「ヴィーダ……だれから、それを?」

「私が……」


 イシュルカが困ったような表情で告げる。


「お祖母さまが、何度かそれを再現しようとしていたことをお伝えしました」

「恥ずかしい……」

「そんなことないです。何度もチャレンジしていたことをお聞きしていたから、引き受けたので」

「なぜ?」

「そんなにも探しているものをたべさせてあげたいと思ったんです」


 はずれる可能性もあったわけですから、賭けだったんですけれど、と栞は笑う。


「……ディルギットがつくった甘いシチューよりも、このシチューをリネアさんがおいしいと思ってくれたのだったら、それは、これがリネアさんの為に作ったからだと思います」

「私の?」

「はい。私はふだんはマクシミリアン殿下に召し上がっていただくことを頭においてお料理しているのですが、今回は妖精族の方の味覚にあうことを頭において作りました。……リネアさんが甘味をとても好むこと。でも、甘すぎるものはそれほど好きではないこと。果物よりも蜂蜜を好むこと」


 だからこそ砂糖を控えめにつかい、蜂蜜も併用した。

 こういっては何だが、この世界では、年代があがるほど蜂蜜を好きな人が多くなる。

 今のように砂糖を一般の人々が使えるようになったのはここ三十年くらいのことだということなので、それも道理だ。


「……ディルギットが、もしここにいたら、きっと本気で悔しがることでしょう……自分も食べたかったと」


 賞賛の言葉に、栞は頭を下げる。

 

「ありがとうございます」

「いいえ……いいえ、こちらこそ、ありがとうございます。甘い豆のシチューという言葉だけで、本物を作っていただけるなんて思ってもみませんでした」

「あちらでは冬の定番の食べ物なんです。シチューというと、食事の一品というイメージがあるので最初はわからなかったんですけど」

「あちらでは、違いますの?」

「あちらでは、おやつですね。人によっては軽食にする人もいるかもしれませんが」


 エリュシュリネアはそっと目元を拭い、小さく笑う。


「どうして、わかりました?」

「先日、ディルギットの菓子屋でレシピをみせてもらったので……それが大きなヒントになりました」

「ディルギットの菓子屋……ああ、ラーダのつくったお店ですね」

「ご存知なのですか?」

「はい。ラーディルダス……私の弟がそのお店の最初の店長でした」

「まあ……」


(すごい偶然というか……縁があるというか……)


「ラーダは、ディルギットについて回って従者のようなことをしておりましたの。だから、あそこにディルギットの直筆のレシピがあるのです。あそこにあるディルギットのレシピはすべて、ロワゾートに伝わっていたものです。全部ごらんになられました?」


 エリュシュリネアは消え入りそうにはかなげな笑みを浮かべて栞に問う。


「いえ……まだ、全部は見ていませんが、直筆のものは三枚とも。いくつかはパラパラと」


 レシピとは言うものの、その大半が聞き書きである。そして、素材名はすべて並べられていても、その分量についてはあまり正確ではない。

 料理人じゃないからだ、とあの時、栞は思ったものの、そうではない可能性にも今は気付いている。


「何か、気付かれたことはございませんでしたか?」

「菓子屋というだけあって、甘いものばかりだな、くらいしか……そういえば、私の世界の料理の割合が多いように思いました」

「ええ……その通りなのです」


 そこでエリュシュリネアは、いたずらめいた表情で声をひそめた。


「ディルギットのレシピとは言っておりますけれど、あのレシピを作ったのはディルギットではなく、ディルギットがずっと想っていた方なのです」

「へえ……」

「その方は、異世界から来た方だったそうです。料理がとてもお上手だったとか……。ディルギットはその方の言葉をそのまま覚えていて、それを皆に話して下さったのですわ」

「なるほど。それで納得できました」

「何をです?」

「彼はこちらの世界の人のはずなのに、あちらの世界のもののレシピが多いことを不思議に思っていたのです」


 どうやら、教えたのはムラサメではなかったらしい。


「実は、ディルギットが『門』を作り出したのは、その方に再会する為なのです」

「はい?」


 つい、語尾が上がる。

 何かこう、とんでもないことを聞いた気がする。


「ヴィーダと同じように、ディルギットもその方と誓約されておりました。……ディルギットは、己の誓約者に再び会うために、王宮のあの門を作ったのです」

「…………すごいですね」


 他に言う言葉がなかった。


 『ヴィーダ』とは、誓約者であるという。

 栞はそれを、栞の絶対の保護をマクシミリアンが誓約してくれているのだと理解している。

 そしてそれはたぶん、栞が怪我をしたときにマクシミリアンがそれをそのまま引き受けるような、そういう繋がりであるのだ。試してみようとも思わないし、試すようなことがあっても困るが。


(たぶん、互いの魔力とが、生命力というかそういうものが共有じゃないんだけど、それに近いというか……)


 だからこそ、栞はこのホテルで行かれぬ場所はなく、その気になればマクシミリアンのいる場所に直接転移できる。

 厨房への荷物の搬入もそうだ。栞の許可で可能なのは、栞がマクシミリアンの代理になることができるからだ。


(狙われているって言われたけれど、たぶん、そのことも理由にあるはず。絆があるというか……)


 常につながりつづける細い糸のようなそれ。

 時として心を伝えるような、その感覚。

 それは、ある意味、親友とか恋人とかというよりも、ずっと濃密なものだと栞は思う。


(家族というのともちょっと違うんだけど……でも、それに近いような気もするんだけど、もっと何かこう違う親密さがあって)


 だが、それが世界を越えるほどの想いであるかといえば、大変疑問である。

 己の誓約者と再び会う為にあちらとこちらを繋ぐ研究をし、あんな門まで作ってしまうのだから、ディルギットのその想いというのは生半可な物ではないのだろう。

 わからない人間ならば、そこで世界をまたにかけた恋だとロマンティックに思うのかもしれないが、誓約者というのは別に恋人ではない。

 それは自分とマクシミリアンを見てもわかることだ。


(まあ、そうなりやすいのはわかる)


 誰かが、常に心にかけていてくれるということ。

 それを自分が信じ、頼りにしていること。

 それが、こんなにも心を支えてくれることなのだと栞ははじめて知った。

 この未知の世界でそんな心遣いをされたのならば、異性同士であれば恋愛感情の一つや二つわくに違いない。


「私は、ディルギットが大好きでした……でも、彼の心は常に誓約者の上にあって……どんなに、時と空間とに隔てられようとも、誓約者だけなのだとフラれました」

「随分と熱烈ですね」

「ええ……ディルギットは、容赦のない人でした。年が若いとか、女だとか、そういうことではまったく斟酌してくれなかった。一刀両断でした」


 それでこそ、あの、中央広場の銅像の老人の在りようだと栞は思う。


「遠いところから来たとおっしゃっていました……それこそ、自分がどこにいるのかわからなくなるくらい遠くから来たと。でも、必ず帰るのだと……己の誓約者のいるところに戻るのだとおっしゃいました。……ディルギットは、誓約者と会うために、何度もあちらの世界に足を運んでいるのですよ」

「………ええっ?それって可能なんですか?」

「ディルギットには、可能だったようです」


(行き来が自由自在ってすごすぎる)


 さすが伝説の大魔導師である。


「とはいえ、こちらの人間はあちらでは大変なリスクを負います。いかにディルギットといえど、思うままにはいかなかったと思います」

「……そうでしょうね」


 こちらの世界とあちらの世界は違う形で進化をとげている。

 そして、ディルギットがどの時代にあちらの世界に滞在していたかわからないが、今に近づけば近づくほど差異は大きかったに違いない。






「……ヴィーダは、この国をどう、思いますか?」


 ぼんやりと伝説の老魔導師に思いを馳せていたら、不意に問われた。


「良い国だと思います」


 それについては、即答できる。

 

「あちらのヴィーダのお国よりも?」

「それは難しい問いなのですけれど、こちらの国にはこちらの国の、あちらにはあちらの良いところがあって、一概に比べられるようなものではありませんから……」


 エリュシュリネアは、少しだけ考えて口を開く。


「では、質問を変えますわ。いま、こちらとあちらのどちらかを選べと言われたら、どちらを選びます?」

「………わかりません。……私は、もう両親も亡く、身内もいないに等しいので、あちらにこだわる理由はそれほどないのです。むしろ、こちらの世界の方が、今は大切にしたいものが多いくらいで……でも、今のままでこちらを選んだら後悔するだろうって思うんです」


 うまくは言えなかったが、かなう限りの正直な気持ちで栞は告げる。

 エリュシュリネアにはちゃんと伝えたかった。誤魔化したり、曖昧にはしたくなかった。

 そのまっすぐな眼差しをまっすぐ見返せる自分でありたかった。


「それは、なぜですか?」

「正直に申し上げると、私はこちらの世界をあまりにも知らなすぎるので……このまま留まった時に、皆にとてつもない迷惑をかけるような気がする、ということと、あちらの世界でやり残したことがあるような気がするんです」

「やり残したこと?」

「私はこちらで、あちらでは考えられないような成功をおさめました。できる限りのことをしてはいますけど、実力以上の過大な評価をいただいているような気がするというか……」

「そんなことはありませんわ。私は、それほどたくさんのお料理をいただいたわけではありませんけれど、今日いただいたものだけで充分わかります。ヴィーダが特別な方なのだと」


(それは過大評価だと思います)


「でも、何か足りない気がしているんです。……かといって、あちらにもどって再度勉強するというつもりがあるわけでもなくて……けじめがついていない、というか、ふんぎりがつかないでいるというか……たぶん、私はあちらから逃げてきたんですよ」

「逃げてきた?」

「……はい。いろいろなことがあって、それでもう飽和状態だったんです。で、環境を変えたかった。それでこちらに来たんです」


 こちらに来て、私はいろいろなことに恵まれました、と栞は小さな笑みを浮かべる。


「この国の人は皆優しかった。人間関係に傷ついていた私にも、もう一度、新しい関係を築くことができるのだと……ちゃんと教えてくれました。良い雇い主兼庇護者にも恵まれました。とてもよく出来た弟子もいれば、良い友人にも恵まれました。それに、こんな素敵なレストランがあります」


 毎日が楽しくて、きらきらしています、と栞が笑うと、エリュシュリネアもつられたように笑みをみせる。

 エリュシュリネアは泣き顔も可愛かったが、やはり、笑い顔のほうがずっと良い。


「……私は、あちらでお客様を見ていなかったんじゃないかって思うんですよ。こちらほど真剣にお客様に向き合って料理をしていなかったんじゃないかって……だから、もう一度、あちらで料理を作って、あちらの人に食べてもらいたいと思うのです。……レストランじゃなくてもいい、屋台とかそういうのでもいいので」

「では、一度はあちらに帰らなければならないのですね」

「はい。……もし、お申し出があって、契約が継続になったとしても、一度は戻らないと」


(契約満了で終わる可能性もあるんですけどね)


 今の感触だと、契約継続もあるのではないかと思うが、ちょっとそのあたりはよくわからない。

 この国の方針が新しい発想や技術を手に入れるために常に入れ替えをしていくつもりかもしれないからだ。


「そうですか」

「はい」


 栞はこくりとうなづく。


(殿下の口ぶりだと、こちらに招待する人には制約があるらしいから)


 無条件で何人でも連れてこれるというわけではないらしいし、無条件で何でも持ち込めるというわけでもないらしい。


(一度、今後のことについて話してみよう)


 どういうわけか、その話題についてはお互いに避けているようなところがある。


「……あのですね、ヴィーダ」

「はい」


 はずかしげな様子で、エリュシュリネアがおずおずと口にする。


「その、もう一度、シチューのおかわりをいただけませんか?その……温かいうちにちゃんとたべたいと思うのですけれど」


 頬を染めたその表情に栞はにっこりと笑って言った。


「よろこんで」


 

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