ロデ豆のシチュー ディルギット風(11)
「お師匠、補佐官様のお祖母さまってものすごい美少女なんですね」
「ほんとにね」
「何か、綺麗すぎてこえーけど!」
「年上の方にこういうのは失礼かもしれないけれど、綺麗で可愛いわ」
(そういえば、メリィちゃん達が恐れてたっけ)
「……さて、ここからは時間調整が大事だから。リアはロデ豆ブレンドの豆を炒りはじめておいて。どこで炒りを止めるかは任せるからね」
「はい。大丈夫です。今週、ずっと殿下で練習しましたから!」
「うん。よろしくね。あと、殿下で練習って人聞き悪いから、殿下と練習にしておいてね」
「はーい」
今週、殿下のための豆茶のブレンドはすべてリアが行った。
殿下を満足させることができれば、他の誰が飲んでも大丈夫だという判断だ。
今日作るメニューも何度か試作を繰り返した。特にロデ豆のシチュー……メインのそれについては、こちらの人には甘すぎるのではないかと、いろいろと試行錯誤し、栞にも納得できる味になっている。
基本、栞は自分に味を合わせていない。
この世界とあちらは味覚がとても似ているが、それでもやはり微妙に違うのだ。
こちらの料理はあちらの料理とは違う形で、こちらの世界流にいろいろ発展している。あちらに比べると遅れていると思う部分もあるが、あちらでは考えられないような調理法が確立していたりもする。
例えば、専用の特殊な形状の蓋付鍋の中に素材をいれてかまどの中にいれ、丸一昼夜かけて焼き上げる肉料理『ラグ・ルース』や、氷の炎で焼くと言われている『ローダ・レヴェラ』という料理は、あちらでは決してできないものだ。
独自の進化と洗練……栞が見ても、この二点の料理は大変に素晴らしいものだ。こちらでは、特別な晩餐や宴でしか提供されないこれらの料理は、ある種の到達点に達していると言っていいだろう。
(あちらの人間が食べても、充分美味しいと思う)
栞も大変感心したし、また機会があれば食べたいと思う。
けれど……。
(残念なことに、最高に美味しい!ではないんだよね……)
栞の最高に美味しい!は今のところ、思い出の中の母のつくったものか、父のつくったものか、こちらで自分がつくったものに限られる。自分で作ったものの場合は技術よりも材料が特別であることが多い。
(ものすごく残念なことだけど)
栞が最も美味しいと思う味は、おそらくこちらの世界の人々がおいしいと感じる味とほんの少しズレている。
(本来、これは邪道なんだと思うけど)
もう少し時間があれば、自分の舌をこちらの世界にあわせるところだが、その時間はなかった。
準備期間はそれほど多くなく、3年という限られた時間しかないことがわかっていた。そして、マクシミリアンたちはできるだけ早く明確にわかる結果を欲していたのだ。
だから、栞は、結果を早く出すために、自分の舌を基準にはしなかった。
実のところ、栞の基準はマクシミリアンだった。
栞は、この世界の人が美味と感じる基準を、マクシミリアンが最も美味しいと思う味、あるいは、最も好ましいと思う味においたのだ。
当人に言ったことはないし、たぶん、マクシミリアンも知らないだろうが、マクシミリアンの舌こそが栞の尺度である。
(殿下が、王室のご兄妹達の中で最も味覚が繊細だったし)
王宮にいたころ、毎日のように強請られていたクッキーやケーキ類の、その材料の微妙な違いが舌で判別できたのはマクシミリアンだけだった。
(それに、つながってるし……)
最初の頃はさほどわからなかったものの、それなりに魔力を扱うようになった今、マクシミリアンと栞の間に常にぼんやりとした何かがつながっていることが感じられる。
細い……まるで糸のようなそれは、どれだけ離れていても途切れることはない。
言葉ではっきりと言い表したことはないが、どこにいてもお互いそこにいることがわかる。その存在をいつも意識できる。
考えていることがわかる、というほどではない。ただ、何となく、その細い糸から伝わるものが在る。
例えば、ごはんを食べたときにおいしいと思ったときに、あ、気に入ったんだな、とか、プリンを食べたときに、あ、喜んでる、というような感じが伝わってくるのだ。
嬉しいとか、おいしいとか、幸せとか……暖かで柔らかなその感情が、ごく自然に栞自身に響くのだ。
それは、遠く離れていても何となくわかるもので……。
(殿下は、律儀においしかったということを毎回伝えてくださるけど)
『お客様の正直な感想が、料理人を育てるのです』という栞の言葉を実践してくれているのだが、その言葉よりも何よりも伝わってくるその感情はダイレクトだ。
(だから……)
そのことを嬉しく思う自分の感情もまた、マクシミリアンには伝わっているのだろう。
(でも……)
栞は、恋愛などしているつもりはさらさらなかった。
恋になど堕ちてはいない。
それほど理性をなくした覚えもなければ、マクシミリアンを欲しいと思ったこともない。
この、独占欲を伴わない好意を、栞は何と呼ぶのか知らない。
けれど……。
(私は、料理を作るだけでいい)
このディアドラスの味が誰の味かといえば、それは『栞が作り出すマクシミリアンの味』なのだ。
それ以上の何が必要なのか、と栞は思う。
マクシミリアンは、栞の作った料理を食べる。
食べることに喜びを感じ、幸せな気持ちになってくれる。更に、その料理は彼の生命の糧となるのだ……それだけで、栞は充分に満ち足りる。
その気持ちに、名前をつける必要などなかった。
「おししょー、キナコ、できたぜ」
「ん、ありがとう。次、大福焼きはじめて」
「りょーかい」
おはぎの餡は、どちらもロロン豆を使った。ロデ豆の近似種で、ロデ豆よりも粒が小さいが皮が薄いのでつぶし餡にしてもとろけるような食感がある。
一口サイズのおはぎは、一方がつぶし餡のオーソドックスなもの。もう一方がこし餡を中にいれたきなこのもの。それに、同じくらいのサイズの磯辺焼きを添える。
磯辺焼きの海苔は手作りだ。いろいろな海草を試した結果、トトヤで佃煮を作っている川藻が一番良いことがわかった。板状に乾かすのはそれほど難しくはなかった。こちらでは、あちらのような工業製品的な画一性を求められないので不恰好なそれでも充分だった。トトヤでは、今後、海苔を商品化してくれるという。
ふっくらとした餅に醤油をつけて、もう一度あぶる。
パチリとはぜた炭の音に驚いたディナンが、一瞬動きを止めた。
「なんか、そんなのでちゃんとできるのが不思議だ。火なんて見えてないのに」
「炭火だからね」
いつもと違って、今日の作業は卓上焜炉……あちらで言うところの七輪によく似ている……で炭火で行っている。
当初、炭ではまったく火が通らなかった材料だったが、『迷宮素材は迷宮素材で』が心の中で合言葉になりつつある栞が、迷宮素材から作られた炭を使ったらあっさり解決した。
和菓子をつくる作業は炭火と相性が良く、炭火の方が味が良いような気がする。
(まあ、気のせいといえばそれまでだけど)
「炭だとほとんど制御いらないですから、楽です」
リアにとっての利点はそこだ。炭は熾す時に魔力を必要とするが、その後はほとんど必要がない。これは、この甘いシチューを作る間に初めてわかったことだ。
「俺でもできんもんな」
エルダが、差し出された一口おはぎとできたての磯辺焼きのプレートを持ってゆく。
その後姿は凛として美しく、相変わらず優雅だ。
種は違えど同じ妖精族として何か思うところがあるのか、いつもより若干メイクが濃い目な気がするが、何も言わなかった。藪をつついて蛇をだすような真似はしたくはない。
おはぎに使っている餡は、つぶ餡がはちみつ入りになっていて、こし餡は若干塩がきかせてある。餡が多くなる事はわかりきっていたので、それぞれの餡の味を少しづつ変えてあった。
(まあ、味が違っても餡は餡なのだけれど)
メインのシチューの前に、餡に飽きられてしまうと困るのだ。
添えられているのはヴィソの実を塩漬けにしたもの……こちらの材料でつくったシバ漬けのようなもので、甘くなりすぎたらしょっぱいもので口直しをしてもらう意図がある。
(甘いものとしょっぱいもののバランス)
それが、それぞれの甘さにメリハリをうむはずだ。
「リア、ロデ豆ブレンドどう?」
炭火は時間がかかるが、その分、味わいが深まる。
「あと二十分はかかりますね」
「うん。ちょうど良いと思うよ」
ほとんどのものができあがっているので、タイミングを見計らうだけでいい。
「ヴィーダ、そろそろ最初の皿が終わるわ」
「了解、どう?ディナン」
「ちょうどいいよ」
塩豆大福の豆は、フレール豆をつかった。まん丸の緑色の豆は、体内の毒素を消す働きを持っている。
しかも、この豆は妖精族の大好物なのだという。塩豆大福の試作品を食べたマクシミリアンは、イシュだったらもっと豆を増やせというかもしれないが、バランス的にこのままでいいと笑って言った。
一口大の塩豆大福は、クリーム色の餅の中に艶やかな緑が水玉のように点在し、見た目も何だかかわいい。二個のうち一方を焼いて、そのままのものと味が比べられるようになっている。
「サイズがちょっと小さかったかもしれないわよ」
すぐにお皿が空になったもの、とエルダが笑う。
「物足りないくらいがちょうどいいかな、と。二皿目、お願いします」
「はい」
エルダたちが皿を運ぶ間も、栞は炭火の上にかけた小さめの鍋の中でフェルドの粉を練る手を休めない。
このフェルド餅は、どうしても餅類が多くなりがちな今日のメニューの中で異彩を放つ一品だ。
これは、前からぼんやり考えていたものだったが、今回初めてつくった。名前こそ餅とつくものの、食感はだいぶ違う。
フェルドという蔓草の根をすり下ろしてしぼったものを乾燥させると白い粉になる。これがちょうど葛というか澱粉っぽい性質をもっている。こちらの人々は、それでソースをつくり、肉や野菜に絡めてプルプルとした食感を楽しむのだが、栞はそれを葛粉がわりにお湯で練って餅にしてみた。
葛餅というよりは、わらび餅にちかい食感で、見た目が薄白くプルンプルンしている。
これに蜂蜜ベースの黒蜜っぽいソースをかけていただくのだ。
(わらび餅のフィルダニア風ってところかな)
「お師匠様、ブレンドのほうは炒り終わりました」
「じゃあ、あとは煎れるだけにしておいて」
「おししょー、二皿目も空だってさ」
「了解。こっちもあがりだから、黒蜜だして」
「はーい」
練るのをやめるとそれはすぐにかたまりはじめる。練った具合でそのプルプルの度合いが違ってくるので、結構重労働だ。
プルンプルンな状態のものをスプーンですくってカフェオレボウルよりちょっと小さめのボウルに盛り付け、それにきなこをたっぷりふりかけ、黒蜜を添える。
夏はもちろん冷やしたほうがおいしいと思うが、今は温かいままだ。運んでいる間に冷めてしまうだろうが、口の中でぬくもりを感じるくらいだとちょうど良い。
「エルダ」
「はい」
詳しい説明をしなくともわかってくれるのが、気心をしれている仲間の良いところだ。
エルダは足早に、でも、優雅な空気をまったく損なうことなく運んでゆく。
「リア、フェルド餅のあとにちょっと間を空けるから。その間にお茶の入れ替えするから」
「はい」
「お客様の前でいれてごらんなさい」
「ええっ、そんな」
「殿下の前でいれられるのだから、お客様の前でも大丈夫だよ」
そういわれたリアは不思議そうな顔をし、それから、こくりとうなづいた。
「……そうですよね。プリン殿下って王子様ですもんね」
その言葉には口に出して確認しているような響きがある。
「そうです。殿下が気さくに接してくださるから忘れることがあるかもしれないけれど、殿下はこの国の王子様なんですから」
礼儀を忘れたらだめですよ、との栞の言葉に、リアとディナンは素直にうなづいた。
「何か、雲の上の人って感じがしなくて……失礼なことしないように気をつけます」
「俺も」
「うん。お願いね」
必要以上にかしこまる必要はないが、侮るようなことをさせてはいけない。
栞は、『異世界人』ということとマクシミリアンの『ヴィーダ』という特別な地位を得ることで、こちらでの身分制度の枠組みから一歩離れたようなところにいるが、二人はこの世界の人間なのだ。
(私もこちらの身分制度のこと、もうちょっと勉強しないと……)
今まで引きこもりだった自分を反省し、外に目を向けるようにしてみれば、途端に自分があまりにもこちらの常識に疎く、物をしらなすぎることに溜息が出てしまう。
元々、栞の興味や知識というのは偏りがちだったが、こちらでは更にそれに環をかけて偏っている。
(ほんと、ダメだなぁ)
こちらの国のことや、人のこと、それから、いろいろな食材のことやこちらの料理のこと……知りたいことはたくさんある。知らなければいけないこともたくさんあるだろう。
けれど、つまるところそれは、『おいしいものを、食べさせたい』という一事に集約されるのだ。
「おししょー、どうしたんだよ」
頭の中で何度もお茶の手順を繰り返し、てんぱっているリアを横目に見ながら、ディナンが問う。
「ううん。もっとおいしいものが作れるようになりたいって思ったの」
その栞の言葉にディナンは少しだけ呆れた。
(おししょーは、これ以上、何をどうするつもりなんだろう)
料理人の修行に終わりはないのだと、王宮から手伝いに来た下働きの誰かが言っていた。
あのときはあんまりよくわかっていなかったが、あれは、栞のような人間にこそ相応しい言葉なのかもしれない。
ディナンには、今だって充分すぎるほど栞の料理は素晴らしいものだと思うのに、本人はまったく満足していないらしい。
「フェルド餅も終わったわよ。これ、どんなお菓子なの?ロワゾールのお姫様に大好評だったわ。口の中でプルプルしてとろけるって」
空の器を手にエルダが戻ってきたので、入れ替わりにリアを送り出す。
小さく震えていたので、大丈夫よ、いつものお茶でいいんだからと笑うと、リアも、そうですよね、と自分に言い聞かせるように笑った。
多少ぎこちなかったが、笑えるようなら大丈夫だと栞は思う。
「んー、あまってますから味見します?」
はい、あーん、とスプーンをのばせば、よほど興味があったのだろう、エルダは口を開いてそのスプーンを受け容れる。
「……やだ、何、これ」
エルダの瞳が軽く見開かれる。
「え?失敗した?」
試しに、と栞もスプーンを口に運ぶ。
ぷるん、とした生温かい食感……それは、はかない甘さとともに口の中でとろける。
栞が狙ったとおりの食感である。
とろけ具合も甘さも申し分ない。
「……だいじょーぶじゃないですか。びっくりした」
「どうしよう、すごくこれが食べたいわ。一口じゃ絶対に足りない。ねえ、これ、デセール・メニューにのせるのかしら?」
甘い溜息をついて、エルダが目を潤ませて見上げる。
(あー、エルダ、私にそんな艶っぽい視線を向けられても困るから)
「あー、ちょっとそのあたりは不明だけど……材料はまだあるから、今度つくろうか?」
「じゃあ、次の休み。次の休みにお茶会しましょう。もちろん、準備も片付けも手伝うわ」
「りょーかい。ディナン、これ、リアと一口ずつわけて」
「どーも。……昨日の試食ん時と蜜の分量かえたんだっけ?」
「そう」
卓上焜炉の上に今かかっている鍋はもちろん、メインであるロデ豆のシチューである。
もう一方の焜炉の上にはさっき磯辺焼きにしたのとは違う配合の餅を焼いている。
磯辺焼きの餅よりもこちらの餅のほうが、よくついてあるので滑らかなのと、米の分量が多いのでやや甘みを感じるものになっている。
「最初は甘いシチューなんて、うわって思ったけどさ。それだったら全然イケると思うな」
「あら、ディナンはもう食べたの?」
「エルダ姐さんたちとは違って、俺ら試食も仕事の一部だしね」
「すごい役得よね、それって」
「弟子の特権だから」
「ほんと、特権よねぇ」
イヒヒ、というようにディナンは笑う。
(よく、笑うようになった……)
それに、リアや栞以外の人間とも普通に会話もするし、こんな風に軽口だって叩くようになっている。
ここで働き始めた頃から考えると驚くほどの進歩だ。
辛い目に遭ってきたこの双子はややどころではなく、かなり人間不信の気があり、特にそれなりの年齢の大人には全身で警戒心もあらわに身構えるようなところがあった。栞以外の大人はまったく信じていなかったといってもいい。
それが、今では普通に笑って会話できるのだ。
(今なら、他の人が来てもたぶんやっていける)
栞だけじゃなくディナンも、そして、リアもだ。
栞は自然と笑みを浮かべて、豆をつぶさないようにゆっくりとシチューをかきまぜた。
 




