ロデ豆のシチュー ディルギット風(9)
甘い、というのは、そのまま、うれしいとか、楽しいとか、幸せという気持ちに結びつく。口にすると自然と笑顔になるのがお菓子の最大の効果ではなかろうか。
「はじめての味ですぅ」
甘く煮た豆と餅……この組み合わせは至福の組み合わせなのでは、とメリィには思える。
甘ったるすぎず、でも口の中に豆の優しい甘みが広がる。
フィルダニアで甘味が発達したのは、メリィの記憶によれば今のメリィの身体になってからのことだから、たぶん50年くらい前のことだ。
その頃、流行していたのは水飴だ。
異世界人の行商人のおじいさんが売りに来ていた。彼が厚手の硝子の壷から小さな木ベラにすくってくれたあの薄茶色の水飴は、陽に透かすと綺麗な金色に見えた。
でも、黄金よりもずっと貴重なものだとあの頃のメリィは思っていたのだ。
(優しい味だ)
そして、豆を包むこのもちもちとした歯触り……この食感はクセになりそうだと思う。メリィの知っている餅とは違うけれど、これはアリだ。
(このモチモチな感じが素晴らしい)
なおも、豆の味を楽しんでいると、舌の奥のほうでほんの少しの塩みがさし、柔らかな甘さの中にちょっとクセのある蜂蜜の甘さが広がる。蜂蜜の味は懐かしいという。
まろい苦味のある豆茶を飲みながらだと、その甘みがいっそう引き立つ気がする。
「おいしいね」
メリィのつくるものにはいつも文句をつけるナシェも満面の笑みを浮かべている。
私には文句を言うくせに!と思ってちょっと腹がたつものの、口の中のものを咀嚼することに忙しいせいで怒りが長続きしなくて、メリィは二個目に手を伸ばす。
「二人とも、お茶のおかわりは?」
「すいません、おねがいします」
「いただきますぅ」
メリィとほぼ時を同じくして二個目に手を伸ばしたナシェは思う。
やはりディルギットは偉大だ。
こんなおいしいお菓子のレシピを残してくれるなんてすごい。と。
だが、もちろん、ただおいしいだけではないのである。
「んー、やっぱり効果ありますね。魔力増強。これ、増加じゃないですよ。増強です」
「何が違うんですか?」
同じものを栞も食べているが、正直、栞にはよくわからない。
これは、栞の魔力量が常人に比べると底なしだからなのだとマクシミリアンは言う。もちろん、栞は話半分で聞いているが。
「底上げです。魔力増加は上乗せですけど、増強は底をあげて上乗せです」
「底上げ……」
言葉の意味はわかるのだが、それが何を示しているかがよくわからない。
ふと、頭の片隅で何かが閃く。
「ヴィーダ、どうされました?」
「いま、何か思いついた気がしたんだけど……」
明確に形になる前にそれは消え去ってしまった。
ぼんやりと頭の片隅にのこる感覚だけが、その形にならなかった何かを刺激する。
「何か、あれって思ったのに……」
「何がですか?」
「んー……」
思い出せそうで思い出せないというのは、何かすごくもやもやする。
(何だっけ……)
「ただいまもどりましたー」
再び形になりそうだったその瞬間に、ローレンの声が響く。
「あ、ありがとうございます。レンドル卿は大丈夫でした?」
「ええ。一応、ホテルの医務室においてきました。あと、厨房に寄ったら、ディナンが下拵えはもう終わってるんでゆっくりどうぞってことでしたよ」
「あ、ほんと。良かった」
「帰りはちゃんとお送りしますので」
ローレンはヴィルラードに代わる護衛を呼ぶことも考えたのだが、自分が転移で送ればいいと思い直した。
どういうわけか、ディルギットの菓子屋は所属している人間の大半が希少種である。その為、建物自体が罠になっているし、今日は彼とナシェとメリィの三人しかいなかったから、足手まといになるような人間もいない。
最悪、自分が全員をつれてホテルに転移すればいいだけだ。
「ありがとう」
まだ、三時をちょっとまわったところだ。この時間に下拵えが終わっているのなら余裕である。
最近のディナンとリアはとても手際が良くなった。そのうち、機会をみつけてお客様用の料理を何か任せてみたい。
「あれ、これは?」
「大福です。このレシピですね」
栞は三枚のレシピのうちの一枚を選り抜いてみせる。
「えええええっ、もう、できたんですか?」
「ええ。できたんですよ」
そのものじゃないですけど、だいたいこういうものです。と、栞はお茶の追加をいれながら、皿を押し出して大福を薦める。
「あ、これ二つは持ち帰りますね。ちょっと殿下に食べてもらいます」
カバンから出したタッパはあちらから持ってきた品だ。
百均商品にもいろいろあるが、この密閉できるタッパはかなり使える、といつも栞は思う。
あちらにいた頃、このタッパの一番大きなもので、栞はいろいろな保存食品を作っていた。
糠漬けに味噌漬け、酒粕漬け、塩麹漬け……こちらに来るのにも一緒に持ってきたそれは、今でも大活躍だ。
他にもいろいろなものを持ち込んでいるが、保存食類には、失敗作続きでおそろしい代物ばかり作っていた時代にとても慰められたものだ。
「……あの、レシピを持ち出すことは……」
「あ、大丈夫です。覚えちゃいましたけど、書面では残しませんから……なぜか、レシピだけは覚えられるんですよね。記憶力そんなよくないんですけど」
しかも、今回は、現物を作っているからより確かだ。注意して覚えておかなければならないのは、それぞれの材料を示す単語くらいだ。
材料は書き記されているそのものの単語があったほうがいい。
(イシュに聞いたら、代用使ったものもそのものが判明するかもしれないし)
そうすれば再現率は更に高くなるだろう。
栞は味と記憶を結びつけて覚えるので、おいしかったり幸せだったりする記憶はまず忘れない。あまりにもまずすぎるとそれはそれで忘れられないものだが、中途半端な味の記憶が一番微妙だ。記憶が混ざってしまうことがあって、一緒に食べていた人間がすり替わってしまっていたりする。
好きこそものの~とよく言うが、栞は典型的なそのタイプだ。
他のところにあまり記憶容量をさいていないせいか、人の顔をおぼえるのが苦手だし、わりと方向音痴の気もある。忘れないのはおいしかった店とその味というていたらくである。
なぜ方向音痴になるかといえば、街を歩いていての栞の目印が飲食店であることが多いからだ。
飲食店というのはわりと入れ替わりが激しいので、いつの間にか違う店になっていたりすると、「あれ、牛丼屋さんの角まがるんだったんだけど、牛丼屋さんはどこ?」になるので、迷子になるのだ。
あちらで、仕事を離れるとわりとうっかりな人扱いをされることが多かったのは、たぶんそのへんに理由がある。
「……これは、どこの国の食べ物なんでしょうね」
じっくりと手に取った大福を観察したローレンが首を傾げる。
彼は、フィルダニアに落ち着くまでの長い間、大陸諸国を放浪していた。
転移魔法を使える彼の放浪地域はかなり広い範囲になる……だが、彼はこの大福という食べ物をはじめて口にする。
「ああ、それは私の……あっ、そっか……」
栞はそこで、思わず声をあげる。
「どうかしましたか?ヴィーダ」
「いや、大福って、日本の……つまり、あちらの食べ物なんです。なんで、ディルギットが知っているんでしょう?」
先ほど、何に違和感を覚えたのかを思い出す。
栞が異世界人であるせいで、こちらの世界の人間が知らないものであっても不思議に思うことなく作って食べているわけなのだが、ディルギット=オニキスという人は、こちらの世界の生まれのはずなのだ。
(そうでなければ、魔法使いにはなれない……)
殿下が異世界人にはまず無理だと言っていたから、その通りなのだろう。 では、なぜでディルギットがあちらの食べ物である大福を知っていたのか?
ディルギットが異世界……つまり日本の生まれでないことはほぼ確定なので、ディルギットの近くには大福そのものか、大福の作り方を知っていた人間がいたというのが一番大きな可能性だろう。
「ディルギットと親交のあった初代ムラサメは異世界人だったと伝えられています」
「そっか。その人がいたか」
(あー、包丁の人がいたっけ)
と、すると、このムラサメから聞いたと考えるのが一番自然なのだが、そこに栞はぼんやりとした矛盾を感じる。
まず第一に、鍛冶を生業としていただろう人が大福のレシピを知っていただろうか?ということ。
(でも、知っていた可能性はかなり低い)
というのは、第二の要因とも関わってくるのだが、このムラサメがいつの時代の人だったかということが問題になる。
記憶が定かではないが、大福というのはその原型が江戸初期あたりにできたお菓子だったはずだ。
時間の流れが、こちらとあちらが一緒なのかはわからない。だが、栞自身のことを考えれば、特別なことをしない限りはおそらく一緒だろう。
だとすれば、建国当時、ディルギットとつきあいのあった初代ムラサメは、栞の生きている時代からだいぶ溯った時代の人ということになる。
それは、江戸時代より更に溯るはずだ。
「でも、ムラサメが知っていたとは思えないんですよ。ムラサメさん、という人はたぶん、私よりもずっと昔の人で、昔の男の人は菓子職人や料理人っていうんでもない限り、大福の……お菓子の作り方を知っているということは、まずないことだと……。そもそも、ムラサメさんは鍛冶職人なんでしょう?」
「ええ」
「だとすれば、たぶん知らなかったと思う」
「では、ヴィーダはどう考えてらっしゃるんです?」
「ディルギットは時の旅人だって言われているんでしょう?だから、建国時よりも未来の時点で接触した人から聞いたんじゃないかな、と思ってる」
「なるほど。確かにこれは直筆だといわれてますけど、いつ、これが書かれたかはわかっていませんからね」
「あれ、でもさっきその書いてある言葉が、その当時でさえ古い言葉だって……」
「ええ。菓子屋の先達がこれを手に入れたのは建国時代以降なのだけはわかっています。少なくともその時代にはもう使ってる人間なんていないほど古い言葉だったんです」
「なるほど。……でも、何かすごいね。あの銅像の人が、実在の人なんだってすごく感じた」
どことなく感嘆するかのようなため息がもれた。
ナシェはその横顔を見ながら、三つ目に手を伸ばす。メリィにいたってはたぶん五個目のはずだ。
それから、ローレンに視線をやってぎょっとした。
「……ろ、ローレン、もしかして、泣いてる?」
「すっごく、おいしいけど、そんな泣かなくても~」
耳をピンとたてたローレンが無言で涙を流しながら、大福をみつめている。うつむいたその頬を涙が伝いおちていく。
「……だって、このレシピだよ。今まで、僕らではまったく歯がたたなかったレシピなんだよ」
「そうなんだけど……なんていうか、ヴィーダがあっさりぱぱーっと作ってるの見たら、驚きで涙とかとんじゃったんだよね」
「うん、うん。私もそう~。それに、食べたらすっごくおいしくて、もう、それだけで幸せ気分だし!」
「二人とも、感動が足りてないよ!」
栞は三人のやりとりに小さく笑みを浮かべる。
「みんなの地方では、お餅はどんな風に食べる?」
「うちのほうでは、棒につきさして焼いて食べたり……あと、スープとかの汁物にいれて食べることが多いな」
「あ、うちの地方ではクシャーダっていう海鮮のシチューにいれてましたよ。辛いんですけどお餅が入るとわりと緩和されたんですよねぇ。ただ、こんな風にモチモチしたよく伸びるお餅じゃなかったけど」
「甘いものとあわせるって発想はなかったな」
「あー、うちのほうは祭りの日にだけ食べられるのが甘い餅だった」
「甘い餅?」
栞はローレンの言葉を聞きとめる。
「ええ。こんな風に手のこんだもんじゃなくて、普通にニャパリだけで餅をついて、で、つきあがるちょっと前に砂糖をいれてまたつく。そうすると甘い餅ができるから。しかもやわらかいままなんですよね。今ほど甘味がある時代じゃなかったから、そりゃあご馳走で……」
その目は過去の記憶を辿るかのように空をさまよう。
「……ローレンさんも長命種なんですか?」
「正確には、長命種になる個体もいる、かな。僕は長命種なほうの個体」
なるほど、口調が昔話っぽくなるわけだ、と栞は一人で納得する。
こちらでは、本当に見た目だけでは年齢がわからない。
外国に行くと日本人は幼く見られるというが、そういうレベルではないのだ。
「ヴィーダのお国ではどんな風に食べるんですか?お餅」
「んー、いろいろあったけど、澄んだシンプルなスープの中に焼いたお餅をいれたり、味噌仕立ての汁の中にいれたり……それから、この大福につかったような餡の……」
突然押し黙ってしまった栞を、ローレンたちは怪訝な表情で見る。
「ヴィーダ?」
「どうかしましたか?」
「え、あ、うん。……ちょっと、思いついたの……どろっとしてればシチューって思うんじゃないかなって……」
「あ、甘いシチュー、わかったんですか?」
「正解かはわからないけど、一応、候補は思いついた。ありがとう。大福つくったおかげだわ」
甘いシチューの手がかりを得た栞はにっこりと笑った。




