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ロデ豆のシチュー ディルギット風(8)

 作業台の上に、集められた材料と道具が並べられている。

 さすがに自分の厨房ほどの道具はないものの、材料は頼んだものはほぼ揃っている。


「さて、では作りますね。まずは、お餅から」


 レシピにはミョルとだけ書かれているのは、餅のことだ。餅といっても、あちらの餅と同じとはとても言えない。が、違うとまでは言わない……それは、こちらにあちらと同じような糯米がないせいだろう。

 簡単に言うと、こちらのミョルはニャパリとファザという穀物をブレンドして蒸したものを搗いてつくる。

 ミョルとは古語で『神の供物』を意味するのだという。その名の通り、神殿へお布施することが多い食品だ。一般家庭では保存食や非常食として常備されていることが多い。ディアドラスの厨房の食料庫にも保存されている。

 だが、餅と一口に言っても、地域によってさまざまな種類がある。

 グラッドラーの餅は緑色をしているというが、このあたりの餅は黄色っぽい。ニャパリの分量が多いからだ。

 栞は餅を作るのに、使い慣れているニャパリとファザに久しぶりに手に入れた米とドルンというほんのり赤い小さな穀物を加えることにした。

 餅としか書かれていないことから、配合については完全に栞の好みである。


(ディルギット自身が料理をする人じゃないっていうのがこのレシピでよくわかる)


 量を正確に書いていないものが多すぎる。たぶん彼は、正確な量を知らなかった……あるいは覚えていなかったのだ。

 レシピがあってなぜ作れないのかと疑問に思っていたが、これは古言語の解読以前に、レシピに問題がある。書いていないことが多いのだ。


(そもそも、この餅としか書いていないところからしてアウトだ。餅にもいろいろあるんだから、どうやってそんな材料で餅を作ったかから書くべき)


 その丹精で整った文字は、殿下やイシュルカの書くものと良く似ている。文字を書くことに慣れた人の筆跡なのだ。書いている文字に迷いがないのだ。宰相だったのだからと考えるのが当然かもしれないが、もしかしたら、ディルギットにはどこかで文官として勤めていた経験があるのかもしれない。


「なぜ、ドルンを?」

「餅は餅としか書いていないので、その材料についてはこちらの想像で補うしかないわけだけど、一番大きな理由はドルンを使うともちもちした感じが増加するからです」


 平たく言えば、栞の知る餅に食感を近づけるためだ。見た目はほんのり淡いオレンジっぽい色になるけれどそれは許容範囲だ。

 これが目に鮮やかな青だとか、蛍光緑だとかになるのだったら必死で回避するが、これなら食品の色としてそれほど不自然ではない。

 そして、餡を作るための豆はグラシーボ……今でいうロデ豆を使うのだとレシピには書かれている。


(ロデ豆か……)


 ロデ豆の色は濃い緑をしている。熟した実ほど色が濃い。だが、これは熱を加えるとグレーがかった紫色へと変化を遂げる。その後は煮詰めれば煮詰めるほど紫色が濃くなる。黒になってしまうとまるで腐ったような味になってしまうので、煮すぎてはいけない。


「本当だったらロデ豆は一晩水に漬けるところだけれど、今回は時間の関係もあるのでちょっと時短してつくりますね」


 鍋にあけたロデ豆の上に水をかけ、浮いてきたものをすくって取り除き、蓋を落として火にかける。


「メリィ、この火を維持してください。沸騰したら中火くらい……豆が軽く踊る程度で維持。十分たったら一度ザルにあげて、鍋に戻して、もう一度お水をいれてまた中火でお願いします」

「はい」


 その間にも、米とニャパリをファザとドルンを混ぜたものを鍋二つとザルを使った簡易の蒸し器で蒸している。


「そんな量はないので、今日はボウルとすりこぎでつきます」


 大き目の銅のボウルに米とニャパリとファザを小さめのボウルに水をいれて準備しておく。


「それと、このリゴレットというのは砂糖のことだと思うんですけど、ここには何の砂糖がありますか?」

「あ、リゴレットっていうのは、プラーファという樹木から作った砂糖なんですよぅ」


 さすがにレシピ研究をしているだけあってメリィもナシェも詳しい。

 殿下の知識にない単語やうまく翻訳できない単語はそのまま伝わるため、固有名詞がわかっても何をさすのかよくわからないものもあるのだ。


「へえ……それ、ありますか?」

「もちろんです!」


 リゴレットは、一見したところザラメのようにも見えたが、ほのかに白い光を帯びている。


「ああ、これですか」

「はい。ディアドラスにもありますよね?」

「ええ。リゴレットっていう名前を知らなかったので……結晶砂糖って呼んでます。うちの厨房では」

「今はそう呼ぶことが多いですよね」

「せっかくなので、それを使いましょう。あと仕上げに蜂蜜を……これはノーヴァの蜂蜜だそうですけれど、わかります?」

「あ、あります。ノーヴァの蜂蜜というのは、ノーヴァ地方、今のフィルダニアのノーヴェン地方の高山でしか咲かない白い花の蜂蜜のことを言います。滋養効果がすごい高いんですよ。ただ、竜族にとっては禁止素材なんですよ」

「なぜです?」

「幻覚を見るそうなんです」

「へえ。他の種族は何でもないの?」

「ええ。近似種族である龍族や、あるいは竜人でも何でもないそうなんですけど」


 そんな話をしながら蒸しあがった穀類をボウルにうつし、すりこぎでぺったんぺったんとつきはじめる。


「代わりますよ、ヴィーダ。これ、ついていればいいんですよね?」

「はい。粒がなくなるようにお願いします。途中、中と外ちゃんと混ぜて、外側だけしかついてないっていう状態にならないように気をつけてください」

「はい」


 一度煮こぼした鍋の中で再び豆が踊っている。

 水が少なくなると差し水をして、また煮る。それを何度か繰り返すことで豆がふっくらしてくるのだ。

 今回は時間がないので道具をつかって、ちょっとズルをする。


「何も刻んでいない温石ありますか?」

「もちろん探索屋ですもん。ありますよぅ」

「じゃあ、それを、そうですね……10個くらいお願いします」


 温石は、魔力をこめることで温かくなる即席カイロのような鉱石だ。こめる魔力によって発する熱量が変わるので、販売店では刻む陣をいろいろ工夫している。数回使うと割れてしまうが比較的安価に手にはいるので、冬には必須の魔道具である。

 栞はこれを使って下茹での調理時間の短縮をする。煮込みにつかうには味の点で短縮しないものにかなわないのだが、下拵えだと割り切れば大活躍だ。

 栞は温石に魔力を強めにこめると、次々と豆を煮ている鍋に落として行く。

 

「味がちょっと落ちるんですけど、茹で時間を短縮するのには良いんですよ」

「……一般的な魔力量だと焜炉のこの火を維持して、さらに無刻の温石十個とかは無理ですよぅ。私とかナシェとかローレンは種族的に魔力量あるし、ドーピングもなれてるからいいですけど」

「あ、そうなんだ?いや、その場合はおとなしく弱火で一時間くらいなんでそちらを選んでもらえれば」

「魔力火で一時間はキツイですよ、ヴィーダ」

「一人できつかったら、途中で交代してもらえばいいんですよ」


 餅の様子を横目で確認しながら、三回差し水をし、豆が割れそうにふくらんだ直前に全部温石をとりだす。

 そして、ザラメに良く似たリゴレットを少しづつ加えて溶かし、水分を煮とばすのだ。

 とりあえず、今回は大まかにどんなものかがわかればいいので細かいところにはこだわらない。


「お塩、あります?ラグゾースの塩、だそうですけど」

「ありますー。ラグゾースの塩っていうのは、大迷宮のファラーズ海の海水を煮詰めて作った塩なんですぅ。昔はラグゾース海って言ったんですって」

「え、大迷宮には海まであるの?」

「はい。……ただ、トトヤの精鋭の人たちくらいしか、あのへんのことはご存じないと思いますよー」


 ランダムの転移陣でしか行かれないかなりの危険地域なので、と言いながら、メリィは真剣に鍋を見つめている。もちろん、手はちゃんと豆が焦げないようにかき回している。


「豆の粒をつぶさないようにお願いします。……砂糖が入っているので焦がさないように要注意で」

「はい」


 煮詰めながら、水分をとばしてゆく。

 そこに塩をぱらりと一振り。

 塩は少々の指定なので、推測される味のバランスを崩さない量を見極めるのが大事だ。

 蜂蜜は仕上げにいれるように指定されている。

 蜂蜜をいれると餡の見た目が艶やかになるのだが、大福なので餡の見た目にこだわる必要はない。味のバランスを考えると、リゴレットも塩も少なめなくらいでちょうどいいはずだ。

 まあ、塩が多かったら、塩大福と言ってごまかすという手もあるがそれは最後の手段である。


「ヴィーダ、こっちはだいたいできましたけど」

「はーい。……ああ、これくらいでいいです。これ、このまま保持できます?固まらないように」


 前もって砂糖を加えておくという手もあるのだが、甘さ控えめで素材本来の自然なおいしさを味わってもらうのが栞のモットーだ。


「あ、大丈夫ですよ」


 ナシェは、近くの戸棚からなにやら一枚の紙をとりだし、そこに描かれていた魔法陣に魔力をのせる。

 すると、紙に描かれていた陣は柔らかな光を放った。


「この上にその皿をのせておくと、ちょっとの間だけですけど、時間を止めたままにしておけます」

「便利ですねぇ」

「ええ、まあ、いろいろ研究してるのでこういう小技を作るのは得意になったんですが、何につかうかさっぱりなんですよね」


 役に立たないものが大多数なのだとナシェは笑う。


「ヴィーダ、そろそろ水分なくなってきましたよぅ」

「あ、はい」


 だいぶ黒に近い紫色だ。そこに味を確認しながら、仕上げの蜂蜜を垂らしてゆく。


(んー、これくらいでいいか)


 火をとめる。

 ロデ豆は小豆より少し大きめの豆だ。

 ふっくら炊き上がった豆は、最後に蜂蜜を加えたことでぼんやりとした甘さがはっきりとする。そうすると、わずかにくわえた塩がその甘さをきっちりひきたてるのだ。

 もちろん、蜂蜜の加えすぎは甘さをグダグダにするから要注意である。


「これ、少し冷ましますね。その間にこっちのお餅をこれくらいの大きさに丸めて、まな板の上にならべておいてください。わりと急ぎです」


 見本を見せてから、その餅の量に見合う量の餡をバットの上に落としてゆく。


「さめたら丸めてください」

「あ、わたしがやりますぅ。熱くても平気なので!」


 メリィはバットに置かれた餡をきれいに丸めた。確かにその白い手はあつがっているようには見えない。

 鳳凰族であるから、火に傷つけられることがないのだろう。

 

「全部終わったら包みます。こんな風に」


 まな板の上の餅を手で潰し、その上に丸めた餡をのせて包んでゆく。栞には少し熱いが、飴細工を思えばたいしたことではない。

 つまむように最後を処理し、うまく丸めて形を整えればできあがりだ。

 こんなことをするのは久しぶりだったが、幼い頃、何度もやったことのある作業は手がちゃんと覚えていたらしく、なかなか綺麗に包むことができた。

 粉をふるったバットの上にできあがった大福を並べて行く。

 メリィとナシェの目がキラキラと輝いていた。どことなくうっとりとしているように見える。


「これ、もう食べられるんですか?」

「食べられますよ」


 和菓子職人から見ればまだまだだろうが、形もなかなかうまく整っている。

 ナシェとメリィがつくったものはやや不恰好ではあるものの、一応、餡がすべてお餅の中に入っているから最初に作ったものとしては合格点だ。


「濃い豆茶と合うんですよ」

「あ、じゃあ、私がお茶いれますぅ」

「あっ、いや、私がいれます。これに合うブレンドでいれますから」


 即座に宣言した。

 さっきのヴィルラードを見ていて、メリィのいれた茶を平気で飲める人間はよほどの大物かバカだけだ。


(ごめん。私には飲めないから!)


 何というか……たった一口で意識を喪失する茶、というのはいったいどういう味なのだろうか。

 怖いものみたさ、というか、その味に対する好奇心みたいなものもあるが、それよりも、そんな刺激物、もとい劇物を口にして舌がバカになったら困るのだ。

 この舌こそが栞の最大の商売道具なのだから。


「ありがとうございます、ヴィーダ」


 ナシェの言葉に万感の思いがこめられていると思うのは、栞の気のせいだろうか。


 小さなホウロウ鍋で豆茶用の豆と茶葉を乾煎りする。

 炒る時間を通常の倍近くにしたものを八割とフレッシュな香りを重視してほんのわずかしか炒っていないものを二割 ───── これは、殿下の最も好きな濃い目のブレンドだ。

 これにガンガンに沸騰したお湯を注いで二分くらい。

 疲れているときはこれに蜂蜜を小さじ半分ほどいれるといい。


「うわぁ、煮出しているわけではないのに、綺麗な色が出るんですねぇ」


 色は綺麗な琥珀色だ。深炒りしているので幾分、色味が濃い。

 

「深炒りしているからです。で、これにラガスの葉をいれると、色が緑になって、さわやかな後味になるんです。で、わずかですけど疲労回復効果有になります」

「へえ……それ、うちで販売してもかまいませんか?」


 ラガスの葉は珍しいものではない。

 豆茶にラガスのブレンドで微量とはいえそんな効果があらわれるというのなら、きっと探索者なら喜んで買うだろう。


「ブレンドしたものを、ですか?それとも、いれた後のお茶を?」

「ブレンドしたものを、の方ですね」


 探索者の荷物は少しでも軽いことが望ましい。すでにいれたお茶よりも確かにブレンドした茶葉の方が需要があるだろう。


「それはやめたほうがいいですよ。殿下が、魔力火でお湯をわかさないと反応が出ないみたいだって言っていましたから」

「なるほど……つまり、ヴィーダの料理というのも、ヴィーダが料理する、というところにさまざまな効果の源があるんですね?」

「私個人に限る、というのではないと思います。現に、うちの子達が作るものにもちゃんと効果はのってきますし、ドドフラだってほんとに少量ですけどちゃんと効果のってますよね」


 今や、アル・ファダル名物となったドドフラと呼ばれる軽食の屋台はさまざまな場所にある。

 もちろん調理しているのは一般人で、料理人とも呼べぬ者が多い。

 だが、ドドフラにはちゃんとごく微量の体力回復効果があるのだ。

 ドドフラを食べると元気になるんだ、と子供が言うのもあながち間違いではない。


「あれはフランチェスカの残存魔力だと思うんです」

「ええ。私もそうだと思います。フランチェスカは死ぬと魔法抵抗がすごく減るんですけど、減っただけでなくならないんですね。だから、一般人が調理できるくらい細切れにしてもその効果が残っているのだと」

「一般に流通している魔生物は基本、効果なくなってますもんね」

「でも、フランチェスカのような素材は少ないですけどゼロではないですし……あのですね、異世界人が作る料理の効果が高いのは、私たちの持つ魔力と迷宮素材というのがとても相性が良いからなんです。それと、私たちは普通の生活を送っているようでも、実は魔力を使って生活しているらしいんです。それが、私たちが調理したものが普通以上の効果を持つ理由になっているみたいですよ」

「魔力を使って生活している?」

「私のところの厨房は、魔力火対応なこともあって、わたしが火をつけるとそれは全部魔力火なんです。魔力火という意識をすることもなく『すべて』ですね。それで、ただのお水を沸かしただけでも、わたしがそれをすると魔力回復薬になるようなんですよ」


 回復量は一定しないそうですけど。と、栞はごく当たり前のように淡々と話す。

 ナシェとメリィは絶句した。

 二人は希少種族の出である。

 鳳凰族も白蛇族も長命であるがゆえに個体数が圧倒的に少ない。しかも、他種族との混血が難しい。人間とは混血が可能だが、それは可能というだけで、子供が生まれることが保障されているわけではない。

 どちらの種も元々、子は生まれにくいのだ。

 なので、当然、年々、種族は衰退傾向にあり、一部、人間至上主義の国家においては稀種奴隷として珍重されているという。

 その自分たちよりも、目の前のこの女性は稀種レアなのではないだろうか。


「……………ヴィーダ、それ、どれだけの人が知っています?」

「殿下とかイシュルカとか……ホテルの厨房と関わる人はだいたい知っているはずですね。この間、いろいろ皆で実験したので……」

「ヴィーダ、それ、もう誰かに話したら駄目ですぅ。そうしないと、ヴィーダはさらわれてしまいますぅ」

「聞いています。最近、異世界人ってすごく狙われるそうですね」


 いや、それは異世界人だからではなく、ヴィーダだからだ。と、ナシェは心の中で即座に返す。

 ただでさえ、料理革命の中心人物……いや、それをおこした当人である。狙われるのは当たり前だ。

 口に出さなかったのは、やっと自分から外に出るようになった栞を怯えさせまいとぼかして告げたのであろうマクシミリアンたちの苦労を無にしないためだ。


「え、ええ。それに、ヴィーダは殿下のヴィーダでもありますし」

「プリン殿下、敵が多いそうですね」

「……ええ。いや、敵っていうんですかね……」


 ナシェが首を傾げる。


「敵って言うのは対等だから敵なんですよぅ。殿下の場合、たぶん、踏み台とか、いいカモとか、飛んで火に入る夏の虫とか思ってますぅ」


(うわぁ、殿下って……)


 薄々、予想はついていたし、噂にも聞いていたが、どうやら大魔王確定らしい。


「それに、ヴィーダのお料理はいろいろなところで話題なんですぅ」


 料理を食べるだけで魔力が回復したり、増加したりするのだ、話題にならないほうがおかしいとメリィは思う。

 しかも、メリィが聞いた話によれば、人によってはそれほど多くはないものの魔力増加がそのまま定着することもあるという。


「それを食べたいって思うあまり、ヴィーダを誘拐しようって考えてもおかしくないですぅ」

「……こっちの人ってどれだけ食に情熱もやしてるんですか?!いや、誘拐は犯罪だし!私だってわりと食べることにうるさいですよ。だからこそ、こんな仕事についてるわけですけど……そりゃあ、食べることは大事ですよ。でも、だからって誘拐?」

「単に食べるというだけじゃないんです。こちらは何といっても魔力がとても重要視されているので……それが増えるというのはお金でどうにかなることなら、どれだけ費やしても惜しくないと思う人がでてきてもおかしくないんですよ。……それに、ヴィーダは他国に仕える気はありませんよね?」

「あるわけないじゃないですか」


 そもそもここに来たのは、半分騙されてきたようなものだ。何しろ、就業地が異世界だなんて一言も教えられていなかったのだから。

 幸いにも栞はこの環境が気に入ったし、契約したのは誠実に対してくれる国家であり、人であったので、結果オーライといったところだろう。


(……信じている)


 フィルダニアと言う国を。この国の人々を。何よりも、彼女に誓約してくれた殿下を。

 だから、今更、多少賃金がよくなったり、地位を保証するだの何だの言われたところで他国になど行くはずがない。


(信じられてもいる)


 鈍い栞であっても、自分がフィルダニアという国から特別扱いをされているということくらいはわかっている。そうでなければ、国宝級の包丁なんて預けないだろうし、護衛なんかつけてくれるはずがない。


(それに、初めての弟子だっている……友人だってできた……何よりもディアドラスは、私のレストランだ)


 ここで見つけたものは数多く、そして、かけがえのないものが多い。

 

「ヴィーダが拒否されたとしても、力づくでも言うことを聞かせようって人もいるんです。帝国なんかだと自分たちの申し出を断るなんて気が狂ってるんじゃないか、とか上から目線でいってきますし、断ってるのに、気の迷いで断ってるに違いない下賎の輩の蒙をひらいてやるのだとか言って強硬手段に出てきます。まあ、ヴィーダには護衛がいますから大丈夫だと思いますけど」


 外出するのには護衛必須だとうるさいくらいいわれる理由が改めてわかったような気がする。


「……バカなんですか?」

「ええ。バカなんです。ただし、権力を持ったバカですね」

「……たぶん、大丈夫ですよ。私は殿下のヴィーダですもん。殿下が助けてくれます」

「それは勿論です」


 ナシェとメリィは当然だというように深くうなづく。

 こういう時、『ヴィーダ』という地位がこちらでは特別なものなのだとつくづく思い知らされる。


「そろそろお茶にしましょうか」

 

 栞は、ちょうど蒸れたお茶のポットを手にし、二人に笑いかけた。


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