ロデ豆のシチュー ディルギット風(7)
「じゃあ、レンドル卿はちゃんとお送りしてきますから」
「お願いします。あと、厨房のリアかディナンに時間までには戻るとお伝えいただけますか」
「わかりました」
転移魔法の使い手は、大変にフットワークが軽い。
彼らにとって距離というのは無意味だからだ。
(プリン殿下もそうだよね)
ここのところ、栞はほぼ毎週のように王宮に連れ出されている。
まあ、あちらでは助手が山ほどいるし、そもそも、自分の厨房ではないのでたいした仕事はしていない。
せいぜい、王宮にいってもプリン中毒な殿下の為にプリンをつくるのと、その日にちょうど来ているお客様の為の何か珍しい一品を作るくらいだ。
最近では王宮の厨房の人員ともコミュニケーションがとれるようになってきて、時々、ちょっとしたお料理教室のようなものを開いたりもしている。
異世界の料理に興味深々なのか、皆が熱心すぎるくらい熱をいれて参加しているのが栞としては何だか気恥ずかしい。
こちらに来たばかりの時には多少の行き違いもあったが、王宮総料理長ともそれなりに良い関係を築けており、いろいろな相談にものっている。
本来の王都とアル・ファダルの距離を考えれば、気軽に相談にのれるようなものではないはずだが、マクシミリアンのフットワークの良さはその距離をものともしないのだ。
どうやら、ローレンもその同類なのだろう。
「はい、ローレン。ドーピングしないと!」
メリィが手渡したのはキラキラと光る魔法薬の壜だ。
この『ディルギットの菓子屋』は魔法薬で有名な店であり、その薬効の確かさはそれを求める探索者達によって保障されている。
「どうも……ねえ、これ、誰が調合したやつ?まさか、メリィじゃないよね」
「安心しろ。僕が調合した売り物だから」
「レシピ、メリィの新アレンジじゃないよね?」
「それも、安心しろ。いつものだ」
「良かった」
そこまで念をおしてからでないと口にできないほど、ローレンは常日頃からメリィの犠牲になっている。なりすぎているとも言う。
そして、そこまで念をおしても、それを口にする為には勇気がいる。
ローレンは、心を決めて、その小さなビンを一気にあおった。
ビンは美しいカッティングの施された硝子製で、きらきらとした光を放っている。
魔法薬はそのものが光を帯びていることが多く、見ているだけで美しい。賞味期限というか、有効期限というものがちゃんとあって、光を失うとその薬効も失われるのだ。
「何よ、失礼ねぇ。新薬の開発には犠牲はつきものでしょ」
「犠牲、言うな!だいたい、再生するんだからメリィが犠牲になれよ!」
「いやーよぉ。いつだって私は今の私が好きなんだもの。再生して別の私になんかなりたくないの!寿命なら仕方ないけど!」
じゃれあいのように見えるかけあいも、さっきの騒ぎの後だとまったく違って見えてくる。
(女だなぁ)
少女のようにしか見えなくとも、メリィは女性特有の思考と理論と感性で生きている。良い悪いではなく、それがメリィなのだろう。
栞にはわからない理論だけれど、メリィのようにあっけらかんとそれを口にし、明るく笑っているのを見ると、言い分を認める認めないは別としてこれはこれで有りなのだと思える。
あちらにいた時だったら嫌いなタイプだと思うのに、メリィの無邪気にすら見える悪びれない振る舞いには悪感情がもてなかった。
「じゃあ、いってきます」
あっさりそういうと、ローレンの姿は光の中にかき消えた。
□□□□□
「さて……せっかくですから、これ、作りましょうか?」
栞は、布に書かれている三枚のうちの一枚のレシピを手に、二人に提案した。
目的だった甘いシチューのレシピはなかったが、他のものにも興味はある。
栞の認識としては『大昔のすごい偉い人が手書きで書いた不思議な効果のある料理のレシピ』である。
昔の料理の再現!何とワクワクする響きであることか!
仕事も趣味も同じ興味と意思の同一線上にある。結局の所、栞にとっては料理人と言うのは天職なのだろう。
(レシピだけじゃわかりにくいところもあるからね)
栞とてプロを名乗るからには、レシピをみればその完成品がどのようなものであるかの想像くらいはつく。だが、文字を追っているだけでは曖昧な部分というのは多い。それは作らないとわからないことだ。
それに、最近、お菓子についてはプリン一辺倒である。バリエーションはいろいろ試しているが、他のモノだって作ってみたいという欲求が常に燻っている。
「え、作れるんですか?」
メリィが驚きの目を向けた。
「ええ。この一枚目のものなら、材料もたぶんこれだろうっていうのがわかるし……ただ、代用の材料が多くなると思うので完全一致じゃないですけれど」
細かいところについては皆さんの研究次第ですね、と栞は告げる。
「それでもすごいです……ヴィーダは、本当に第三期古帝國語が読めるんですね」
溜息交じりにそういったのは、ナシェだ。その声音には心の底からの驚きがにじみ出ている。
「ええ。私、というよりは殿下ですが」
「……第三期古帝國語って言いましたけど、実はそれ、正確には三枚とも全部違う言語なんですよ。一枚目のは、第三期古帝國語の共通語ですし、二枚目は、第三期古帝國語の中でもアーフラ神聖言語に分類されてる言語ですし、最後のものは同じく第三期古帝國語の中のローデルシア古語ですから」
「つまり、第三期古帝國語って複数あるの?」
「ええ。第三期の統一帝國に属する国の言語すべてがそう呼ばれます。共通語がその手に持ってるのですね。さっき聞いたときも問題ないとおっしゃっていましたが……。殿下が、こんなに古い、ディルギットがこれを書いた当時にすら使われていなかった言語をご存知だなんて……しかも、神聖言語に至っては、儀式用雅語ですよ」
「そんなに珍しい言葉なんですか?」
殿下が習得している言語はすべてそのまま母国語である日本語並の気軽さで使える栞には、古文書といってもいいそのレシピを読み解く大変さがわからない。翻訳機能が働かない部分や、言いまわしがよくわからない部分があるがそのへんは予測というか想像で補った。
「はい。……ディルギットは、この三つのレシピをわざわざ当時ですら古い特別な言葉で……しかも別々の言葉で記したのです。このレシピから作られるものの効果は世界のバランスを崩すかもしれないから、と」
(世界のバランスを崩すって、これが?)
レシピを見る限り、栞には眉唾だ。
というか、そもそも、料理に世界のバランスを崩す力などあるのだろうか?
これが品種改良しておそろしいほど短期間に収穫できる小麦とかというのならまだ何となく想像がつくのだが、これはどうみてもお菓子のレシピなのだ。
(魔力や体力の増強効果があったところで、そこまでの脅威ということはないだろうし)
それは、栞がいままで作ってきた料理がそんな危険物扱いされていないことからもわかる。
だが、危険物扱いはされていなくとも、どれだけ特別視されていたかを知ったら、栞は凍りついたかもしれない。
栞は、ホテルの予約がどれほど先まで埋まっているのかを知らない。そして、レストランの予約をとることが、世界最大の大国であるロールシア王国の国王と会うことより困難だといわれていることも知らなかった。
また、フィルダニアから遠く離れた南の聖王国において、栞の作った料理が『神の福音』や『神の恩寵』であると言われ、栞本人を聖女に認定して自国に迎えいれようと言う動きがあることや、何かとフィルダニアに対抗している某帝国において、栞に一切の打診をしていないのにも関わらず、栞を一方的に帝室専属料理人に任命して帝国の為に尽くさせようという動きがあることも勿論知らなかった。
「……ディルギットは、なぜ、そんな危険なレシピを残したんでしょう?」
「好物なので、この世界から無くなってしまうのが惜しい、っておっしゃったそうなんですぅ」
「……………」
栞の眼差しが、細められて半眼になる。
「あ、いや、その……ディルギットは、甘いものがとても好きだったから……でも、一番好きな物は結局作ることができなくていつも哀しそうだったそうなんですよ」
ナシェがあわててフォローなんだかよくわからないようなフォローに入る。
一番好きなお菓子が食べられなくて哀しむ大魔法使い……あの中央広場の銅像の威厳ある渋い老人が背を丸めて悲しそうにしょげている様子を想像したら何だか笑える。それはひどくシュールな光景だろう。
「ヴィーダ、ディルギットの一番好きな物ってちょっと興味ありませんか?」
「まあ、多少は」
「ロワゾートのお姫さまならレシピをご存知かもしれないんですぅ。機会があったら、お伺いしていただけませんか?私たちは怖いので会えませんけどぉ」
「いいですよ」
近々、イシュルカに話をして祖母君にお会いする段取りをくんでもらう予定なのだ。質問がひとつふたつ増えたところで問題はないだろう。
「で、ヴィーダ、この三つのレシピは何ができるんですか?」
「えーと、これが饅頭、いや、大福ですね。これ、代用も含めて材料がほぼ全部わかるので、たぶん作れると思うんです。で、こっちがスイートポテトかモンブランか……ああ、きんとんっていう可能性もありますが、まあ、そのあたりですね。『エスレアド』が何をさすかによって違うんですけど。で、この最後のは、たぶん、ギモーヴ……だと思います。これはちょっと微妙です。不明点が多すぎるので」
手順がわかるので何となく想像がつくのだが、固有名詞がわからないものがちょっと多いのだ。
「だいふくってどんな御菓子なんですか?」
メリィがかわいらしく首を傾げる。他の二つよりも、作れると言われた菓子に興味を持つのは当然の成り行きだ。
「豆を甘く煮たものを餅、あるいは小麦を練った衣で包んだ御菓子ですね。餅ってわかります?」
「ちょっとわかりません」
「えーと、ニャパリのようなもちっとした穀物を蒸して搗いて作るんです」
「あ、もしかして、お米ですか?」
あっさりとメリィが言った。
「え、ええっ、お米あるんですか?」
栞は思わず身を乗り出して迫る。
「あ、はい。異世界の方が持ち込んできた穀物ですよ。ザクラっていう小さな村で作っています。生産量がとっても少ないので村とその周辺ぐらいでしか流通してないんですけど、おもしろい食感ですよね」
「あー、ニャパリとファザで代用してたんですけど……ここで、それ、調達できますか?」
「もちろん、できますよぅ。少量ならうちにありますしぃ。あ、あのですね。ボタモチっていうレシピがあって、それを作る為に探していてみつけたんですよ、お米」
「ああ、なるほど。……って、興奮しちゃっておいて何ですけど、普通に食べるお米と、牡丹餅や大福につかうのは種類がちょっと違うんですね。でも、お米が手に入るのならいろいろすごく楽になります」
(うわー、お米あるなんてすごい嬉しい)
酒米があることは知っていた。
米の酒はだいぶ前に手に入れていたからだ。
だが、残念ながら、その米の酒を作っている村では食べるための米を生産していなかった。
ニャパリとファザをブレンドしたものでもそれなりの満足は得ていたのだが、本物の米があるにこしたことはない。
何だかんだいっても、結局、栞にとっての主食は米なのである。
(リゾットやパエリアっぽいのは、ニャパリやファザの混合物でもまったく文句はなかったんだけど)
本物のお米が手に入るのなら、炊き込みご飯なんかもいいだろうし、カレーライスもぐっとおいしくなるはずだ。
(おにぎりやお寿司!お寿司いいよ、押し寿司に手毬寿司!ああ、お稲荷さんはちょっと無理。っていうか、自分で油揚げ作ればいいのか)
これまで、それほど切実だとは思っていなかったが、自分はどうやらかなり米に飢えていたらしい、と栞は気付いた。
自分で自分の食べたいものを自由に作れる関係でそれほど不足を感じていたつもりはないが、米が手に入るのだと思ったら、途端に食べたいものが次々と思い浮かぶ。
しかし、今はそういう場合ではない。と、栞はかろうじて思いとどまった。
(これ作って、お米譲ってもらおう)
「とりあえず、このレシピつくりますね」
にこやかに愛想よく笑う。
(人間、目的があるとやっぱりやる気が違うよね)
その目的の別名を下心と言う。
「ありがとうございますぅ」
「ただ、危険なものだということですし、ちょっとわからないところもあるので、レシピをメモするのはやめてください。後で殿下の許可をとってちゃんと完成レシピをお渡ししますので」
メリィとナシェは真剣な表情でうなづいた。
彼らにとっては、これは、何代にも守り伝えてきたレシピが解明される糸口である。何しろ、これまではまったくその概要すらわかっていなかったのだ。
「あと、これからの過程についてもすべて、皆さんだけの秘密にしてください」
これがそんな世界のバランスを崩すような食べ物だとは思わないが、一応、注意はしておくべきだと念を押す。
「もちろんですぅ」
「その点は心配しないでください。ディルギットのレシピは元々、門外不出です」
ナシェとメリィは力強く笑った。
彼らにとってディルギットの残したレシピはどれも等しく大切なものである。だが、その基本となるのは、この直筆の三枚のレシピに他ならない。
これは、彼らの偉大な先人たちの血と汗と涙によって守り伝えられてきたものだ。
そして、ナシェはその涙の半分は自分とローレンのものであることを信じて疑わない。
今まさにそれが報いられようとしているのである。
「では、まず、材料揃えましょうか」
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お米の件、ご指摘ありがとうございます。
ずっとお米がないつもりで書いていたので、そこでそういう形で出していたことを忘れていました。
とりいそぎ訂正しましたが、後でまたよく読んで修正したいと思います。
本当にありがとうございました。
髪の恩寵もありがとうございます。
薄毛に悩む人の救世主になる食べ物は作ってないので直しました。
でも、これ作ったら、熱烈に支持されそうですね。
2013.10.22 髪の恩寵小ネタを活動報告にUP 救世主降臨しました。




