ロデ豆のシチュー ディルギット風(6)
(隠れ家みたい)
広めの部屋の中心には大きなテーブルが置かれていて、その上には紙の束が乱雑に散らばっていた。
(思ったより明るいし)
「ああ……レンドル卿、ヴィーダ、いらっしゃい」
「お久しぶりです~」
「殿下からお話は伺ってます、どうぞ」
高窓からとりこんだ光に照らし出された室内には、三人の人物がいた。
銀を帯びた水色の……みたことのないような色の髪をした少年と、やはりあちらではありえないような淡いピンクの髪をした女性、それから、金の巻き毛からぴょこんとのぞく耳が特徴的な獣人の青年の三人だ。
着ている服のデザインは三人ともまったく違っていたが、すべて同じような光沢のある萌黄色の布で仕立てられている。
(魔法師だ……)
三人とも、その手首には白金の輪がきらめく。これは上級魔法師である象徴だ。魔法の基点としても使える魔法具の一種である。
「いらっしゃいませ」
「お待ちしておりました」
「ようこそ、ディルギットの菓子屋へ」
迎え入れられたそこは、部屋の真ん中にぐるりと五つの焜炉を円形に設置し、その周囲にドーナツ状に作業台を設置しているという不思議な部屋だった。
おそらくはどれも薬や……あるいは、料理の素材だろう。一方の壁沿いには棚や薬箪笥が隙間なく設置されており、更にその傍らには所狭しと長持ちや籠が積み上げられている。
もう一方の棚にはやはり同じように隙間なくさまざまな色をした大小さまざまな硝子壜が並べられ、更にもう一方の戸棚には同じようにぎっしりと本や紙の束や羊皮紙などがつまっている。ところどころ抽斗からはみ出していて、もはや収納力の限界であることは確かだった。
唯一空いているこの扉のある壁には、所狭しといろいろなメモがはりつけられていたり、壁そのものに文字が刻まれている。
店と同じように雑多に見えるが、何となく規則性があるようにも思える。物はあふれていたが、掃除はされているようで、汚れているという感じはしなかった。
「どうも、お邪魔します」
栞は周囲を興味深く見回し、軽く会釈をした。
「わー、本当にヴィーダにいらしていただけるなんて、うれしいですぅ~」
「……どうも」
淡いピンクの髪の少女が、ぴょんぴょんとその場でうれしそうに飛び上がる。
「メリィ、はしゃがない。はしゃがない」
どうどうと宥めながら、苦笑気味な笑みを栞に向けるのはローレンだった。
「ヴィーダ、お久しぶりです」
金茶の髪の中からのぞく耳がピクピクとしている。
(結構、歓迎されてるかも)
狼の獣人であるローレンを犬と一緒にするのは大変申し訳ないが、上機嫌らしい耳の動きに、栞は何だかうれしくなる。
「ローレンさん、こちらはローレンさんの所属しているお店だったんですね」
初めての場所で見知った顔に会うというのは安心する。
「はい。実は、ただの転移魔法師じゃあないんですよ」
獣人は魔法と相性があまりよくないといわれるのにも関わらず、ローレンは魔法師である。まあ、より正確に言うならば、魔法師でもある。それも、大陸中で二十人もいないといわれている転移魔法の使い手だ。
その為、アル・ファダルの領事府と個人的に契約しており、よくホテルにも出入りしている。
本来であればどこの国であっても、転移魔法の使い手、であるというだけで王宮魔法師も夢ではない。
だが、それは人間の魔法師であればこそだ。
大陸諸国家において、獣人は差別されていることが多い種族である。ローレンもこのフィルダニアにたどり着くまで、どれだけの苦難を味わったかしれない。
フィルダニアのように、種族や民族で差別されない国は稀なのだ。
「ベテランの探索者だってことは知っています。いつも、ディナンとリアに気を配ってくださってありがとうございます。この間は、二人を樹海につれて行ってくださったそうで」
「いえいえ。ついでだったので声をかけただけです。それよりも、私の分までお弁当ありがとうございました。とてもおいしかったです」
「お口にあって良かった。今日は、皆さんにもお時間をとっていただいてすいません」
これ、お土産です、と栞は肩にかけていたバッグから綺麗にラッピングした大き目の包みを取り出す。
このバッグは、栞のオーダーでこちらで作ってもらったものだ。
どこに行くにも手ぶらでは行かれないのが、日本人女性だ。
栞の場合、荷物は少ないほうだが、それでもやはりバッグなしで出歩くのは何となく心もとない。どういうわけか、こちらであちらのバッグを使うのはとても目立つことだった。こちらでも普通にあるデザインのものだったとしても、目に付くという。
そんな理由で新調したこのバッグは、まだら羊という俗称で呼ばれるラーダイル羊のなめし革を使ったもので、名前通りのまだらの模様がアクセントになっている。まだらはすべて違うから、ひとつとして同じデザインになることはないのだと職人は説明してくれた。
オーソドックスなデザインのマチのある柔らかな皮製で、普通に肩掛で使える。一見したところA4を入れたらしまらないくらいの、このラッピングした包みをいれたらいっぱいになるはずだが、殿下による実験的な各種細工……それは決してオーダーしていない……を施した挙句、タンス一個分は楽勝で入るという無駄な収納力を獲得した。海外旅行もこれ一つでOKという恐るべきバッグである。
「うわぁ、いいにおいがしますぅ」
「焼き菓子なんです。先日、ローレンさんとうちの子達が樹海で拾ってきた木の実とか使っているんです。たいしたことないんですけど、疲労回復と精神干渉防御があるようです」
「ええっ、すごい」
「何使ってるんです?」
「精神干渉防御なんて、一番消えやすい効果ですよね!!」
三人ともに身を乗り出す。メリィと呼ばれた少女にいたっては、栞に抱きつきかねない様子だ。
さすが、代々、レシピの研究をしているというだけあって食いつきっぷりがすごい。
「あー、おまえら、ローレンはいいとして、自己紹介したら?そんで、まずはヴィーダの用事から」
ヴィルラードの表情は生温い。きっと、彼らはいつもこんな調子なのだろう。
「あー、そうですね。すいません。ヴィーダ」
はっと我に返ったローレンが恥ずかしそうに笑う。
「えーと、この子はメリィヴィアーナ、鳳凰族の血をひく炎の魔法師です。それで、こちらがうちの店長のナシェリアル。ナシェは、白蛇族ですね」
「はじめまして、前島栞です。ディアドラスの料理長です」
「ご丁寧にありがとうございますぅ。メリィって呼んでくださいね」
「はじめまして。僕は異世界の人に会うのは初めてだよ。よろしく」
手を差し出されたので握手をする。
メリィの手は暖かく、ナシェの手はひんやりと冷たい。
「……どうかしました?」
離した手を不思議そうに見ている二人に尋ねる。
「いや、噂通りだと思って」
「ほんとにすごいですぅ。握手しただけでもうガーンってきましたぁ。雷にうたれたみたいですぅ」
栞は軽く首を傾げる。
「まあ、いいや。先にヴィーダの御用とやらをお伺いするよ。こちらもヴィーダにお伺いしたいことはいっぱいあるんだ」
ナシェは、目をきらきらと輝かせた。少年のように見えるが、おそらくは見た目通りではないだろう。
それは、メリィもだ。
態度がどれほど幼いように見えたとしても、この二人からは何かこう長命な種族に特有のマイペースな空気が感じられる。
「えーとですね。こちらで管理している『ディルギットのレシピ』のことでお聞きしたいんです」
「うちのレシピ?」
「はい。その中に甘いシチューのレシピがないかと思いまして」
栞の問いに三人が目を丸くする。
「甘い」
「シチュー」
「ですか?」
「はい」
三人の表情を見比べながら、栞はこくりとうなづいた。
□□□□□
「ロワゾートの姫かぁ」
「エリュシュリネア様ですね。私、お会いしたことありますぅ。とてもお綺麗な方ですよ。怖いけど」
栞が簡単にいきさつを説明すると、メリィもナシェも事情はすぐに飲み込めたらしい。
彼らにとっては、イシュルカの祖母であるロワゾート種族の姫君は有名人なんだそうだ。数少ない純血のそれも姫と呼ばれるほどの高位の身である。ディルギットと直接面識のある人間は、もはや、この方だけらしい。
「え、怖いんですか?」
え、食いつくのそこ?とヴィルラードは心の中で突っ込みをいれたが、もちろん、誰もそんなつっこみに気づくはずがない。
「怖いんですよぅ。基本、妖精族っていうのは怖いんですぅ。何千年も前のことを昨日のことのように覚えているんですよ。妖精族なんかに恨まれた日には、七回生まれ変わっても復讐されますよぅ」
生まれ変わる、という例えは、鳳凰族の種族的特性に大いに関係しているだろう。
文字通り、鳳凰族は生まれ変わるのだ。完璧とはいえないものの、前世の記憶をもって再生するという。
ひょこん、と一房だけとびでた短い髪がアンテナのように揺れる。
淡いピンクというありえない色の髪は、近くで見ると光を帯びているような光沢をもっている。
「あの人たち、記憶力がすごいいいんですぅ。私たちも長命ではあるんですけど、生まれ変わったら前のことってあんまり覚えてないから、いろいろグダグダ言われても困るんですよねぇ」
「いや、メリィは覚えてなさすぎだから」
「だって、いいじゃないですか。生まれ変わったら新しい人生ですよぅ」
「うん。それ、君のストーカーになってしまった前のダンナにちゃんと納得させなさいね」
甘ったるい話し方をするメリィだが、どうやらなかなか波乱万丈な人生を生きているらしいことが、彼らの会話から垣間見える。
(突っ込みどころ満載だけど)
メリィの見た目は、十三、四歳の色の白い美少女だ。鳳凰族は赤銅色の肌と燃えるような赤毛が特徴だと聞いていたが、ハーフなのかもしれない。よく似合っているが、珍しい色合いをしている。
「まあ、それはさておき、うちのレシピには残念ながらシチューがないんですよぅ。なかったよねぇ?ナシェ」
「うん。シチューに間違えられそうなものもない。……それこそロワゾートの方がいろいろあるんじゃないの。あそこは、ほんとにディルギットとつながりが深かったんだから」
「いえ、イシュがレシピはないって言っていて……それでこちらにお伺いしたんです」
そう簡単には見つからないか、と苦笑はしたものの、がっかりはしなかった。
ヴィルラードには申し訳ないが、仕入れの出入り業者ではない探索屋に来たというだけで栞的には大満足である。
「……うちのレシピは、屋号と一緒でお菓子に偏ってるからなぁ」
「甘いんだぜ?何かねえの?」
手がかりくらいあるだろ、とヴィルラードが眉をひそめる。手ぶらで戻るというのはちょっと残念すぎる。
「そうだけど……ちょっと思いつかないんだよね。……それより、ヴィーダ、よければこれ、見てくれませんか」
ナシェがもってきたのは古い布を丸めた束だ。
「これは?」
「えーと、うちにある一番古い類のレシピで……その中の、ディルギットの直筆と伝えられてるものなんです。直筆のレシピはこの三枚だけで」
「へえ……」
言われるままに栞はそれを手に取った。
色褪せて淡いクリーム色になったその布は、大切に大切に保管されてきたのだろう。皺ひとつ寄っていない。
「読めます?第三期古帝國語なんですけど」
「あ、それは問題なく」
相変わらず殿下の言語機能はどうなっているのか、何だか難しい古言語でも問題がない。正直に言うならば、普通に読めるので、どの言語も一緒で区別がついていない。
(これって殿下がいなかったら、私、どうなるんだろう)
思わず、マクシミリアンなしでは生きていけないのでは?と危惧してしまう。字面としては何となく色っぽいのだが、まったくその気はない。
「……あ、ヴィルラードさん、お茶どうぞ」
気がつかなくてごめんなさい、とメリィはかわいらしくいう。
「お、悪ぃ」
「甘いの何杯いれます?」
「んー、じゃあ、二杯で」
「はい。どうぞ。感想聞かせてくださいねぇ。それ、ディルギット好みの豆茶のブレンドなんですぅ」
その口調と同じくらい甘く微笑った。ヴィルラードは、微笑ましげに笑みを返す。
ロリコンではないヴィルラードとしては、メリィの年齢がとっくに成人していたとしてもこの外見では決して恋愛対象にはならない。なので、小さな子が頑張っていてかわいらしいな程度の気持ちである。
次の瞬間、ぶふぉうという奇妙な音と共に、ヴィルラードの身体が大きく揺れた。
「え、レンドル卿?」
突然の出来事に、栞は目を見張る。
その栞の目の前で、ヴィルラードは、バッタン、と大きな音をたてて顔面から床に落ちた。
「えええええっ、メリィ、何飲ませたの!」
「何ってディルギットの好きなブレンド豆茶にアルドナ・リリィの蜂蜜いれただけだよ。昨日採集したばかりの取れたてだよ。季節の旬のものは栄養いいって言うから、滋養効果を狙ったの」
(それは、旬の農作物だと思うよ、メリィちゃん)
栞はひきつりながら、床に倒れたヴィルラードの頭をひざに乗せ、瞳孔を確認する。
(生きてる)
とりあえず、まずはそれだけで一安心である。
「狙うなよ!」
「だから、そこでオリジナルブレンドやめようよ!せっかく豆茶は再現できたんだからさぁ」
「アルドナ・リリィの蜂蜜の効果は気付けだから!スプーン何杯いれた?!」
男二人が血相を変えて詰め寄っていた。
詰め寄られている少女のほうは、不思議そうに二人を見ている。
「えーと二杯。だって、本人にちゃんと聞いたよぅ」
「まさか、こんなもんいれられるとは思ってないよ!」
(気付けかもしれないけど、もう一度この蜂蜜使ったらまずいだろうなぁ)
確認したところ、ヴィルラードは呼吸も脈も正常である。
だとすれば、このまま自然に目覚めるのを待つほうがいいだろう。
「自分で飲んでからにしなよ、こういうのは!」
「ええ、だって、豆茶に蜂蜜だよぅ?ちょっと、おいしいかわからないしぃ」
「お客さんを実験台にすんな!」
「お客様なのはヴィーダだよぅ。護衛の人はおまけだもの」
「そうだけどさぁ」
大騒ぎである。
(とりあえず、ここでは飲み物にも食べ物にも気をつけよう)
栞は、しっかりと自分に言い聞かせた。