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ロデ豆のシチュー ディルギット風(5)

(……何だろう)


 一歩、店に足を踏み入れた瞬間、胸を衝いたのは例えようもない懐かしさだった。


(ああ、そうか……)


 昼なおも薄暗い店内に甘い香りがただよっている。

 ミルクが甘くこげる匂い……それは、栞の幼い頃の記憶を自動的に脳内再生する鍵だ。

 それは、母がつくってくれたはちみつ入りホットミルク。

 栞にとっての数少ない母の記憶の一つだ。

 胸におしよせてくる言葉にできない感情の波は、やさしくて、甘くて、うっかりすると何だか涙がこぼれそうになる。


「……この奥だ。レシピを見せてもらう話は通っているから」

「ここ、別にお菓子屋さんとかじゃないですよね?」


 名前は『菓子屋』だが、ごく一般的な迷宮探索屋のはずだ。

 探索屋がどういうものかはぼんやりとだが栞も知っている。少なくとも、こんな甘い匂いがするような場所ではないだろう。


「もちろん違う」

「なんでミルクの匂いが?」

「ここの人間は研究熱心だからな。自分達が所有しているレシピの研究に余念がない。菓子屋という通り、甘いもののレシピが多いんだ」

「それは期待できますね」

「甘い匂いがしていることが多いから菓子屋なんていう屋号になった」


 栞はちょっと足をとめる。雑多に思える店内は、確かに雑多ではあるものの整頓されている。見知らぬものも多く、何だかちょっとだけワクワクする。


「……ディルギットのレシピだって言いますけど、そもそも、そのレシピってどんなものなんですか?」

「レシピはレシピだろう?材料や料理の手順をわかりやすく解説したものではないのか?」

「まあ、そうなんですけど、何か、皆がディルギットのレシピと口にするたびに特別な……それだけじゃない意味があるような含みをもたせている気がするので」


 料理のレシピであることは聞いていたが、普通のレシピとは思えなかった。

 漠然とだが、何となく薬っぽいものに偏ってるのではないかと勝手に思っていたのだ。


(特殊効果のある薬膳とか、滋養強壮系のスープとか……)


 漢方の薬膳とかそういうレベルではなくもっと即効性があるようなそういうイメージである。


「……何となくですけど、魔法薬になるようなスープとかそういうものだと思ってました。前にリアが、魔法薬買うなら、ディルギットの菓子屋が一番だと言っていたのを覚えていたのでそういう連想が働いただけなんですけど」

「確かに魔法薬関連に力をいれている店ではあるな。でも、別に魔法薬の専門店というわけではない一般的な探索屋だ。ただ、レシピの研究をしている過程で魔法薬関係に強くなったらしい」

「やっぱり」


 レシピを研究していて魔法薬の知識が増加するというのだから、栞の予想通り、ディルギットのレシピはただのレシピではないらしい。


「料理のレシピであることは間違いない。が、特殊効果のある料理のレシピなんだそうだ」


 ヴィルラードの答えに、栞はなるほど、というようにうなづいた。


「つまり、私の料理レシピと一緒ということですよね」

「……そう言われるとそうだな」


 言われてみれば確かにその通りだ。

 栞の料理は、魔法薬以上の効果がある代物である。そのレシピともなればディルギットの残したレシピと同等の価値がある。

 いや、現実にその物をつくれるという時点でそれ以上の価値があるだろう。


「で。どんな効果があるレシピがあるんですか?」


 栞が作る料理にはいろいろな効果が付随するが、何がどの効果を生むかということはあまりよくわかっていない。

 同じものをつくれば同じ効果が現れるが、材料を一品置き換えただけでそれは別の効果になることもあれば、その効果の度合いが違ったりもする。

 レシピの管理は栞とマクシミリアンで行っていて、その分析からいくつかの法則はみつけられたが、研究はまだまだ進んでいない。

 今のところは、マクシミリアンと栞の間で共通認識とされている仮説があるにすぎないので、ディルギットのレシピについても調べれば何かわかることがあるかもしれない。


「ヴィーダの料理と同じでいろいろあるらしい。聞いた話だが、魔力増強や疲労回復をはじめ、状態異常回復やら……まあ、その通りの効果がでるものを作れたことはないんだがな」

「どういう意味ですか?」

「何が足りないのかよくわからないんだが、レシピどおりにつくってもその効果が出ない。まあ、レシピ通りといっても揃えられない材料もあるし、手順がその通りにできないことも多いらしいんだがな」

「揃えられない材料?」

「ああ。このあたりではみかけなくなってしまった生き物もいるし、何をさしているのかわからない材料も多いから」

「どういうことですか?」

「……当時とは名称が違う物がかなりある。あー、ヴィーダは殿下とつながってるから言語に困らないだろ。だから、わからないかもしれないが、当時とは公用語が違ってるから名称も違う物が多い」


 栞は軽く首を傾げる。

(殿下とつながってるっていうのは誓約を交わしているからってことなんだろうけど、そうすると何で言語に不自由ないんだろう?)


 この世界の人々の常識があまりわかっていない栞にはヴィルラードのあまりにも当然であるといわんばかりのその理屈がよくわからなかったが、とりあえず、機会があったら聞けばいいかと後回しにする。

 疑問には思うが、どうしても知りたいという切実な欲求があるわけではない。


「ディルギットは建国当時のフィルダニアの初代宰相だ。つまり、当時はこのあたりはまだ旧支配勢力である帝国語が主要な言語だった。レシピはその当時の言語で書かれている」

「……よくわかりません」

「あー、同系統の言語だけど、固有名詞が違うものが多い。で、その固有名詞が何を指しているのかわからないことがある」

「ああ、納得です」

「ドガドガ鳥なんかは、あの当時だとサヴァータ鳥と言っていたらしい」

「どういう変遷を辿ってドガドガ鳥になったのかが謎です」

「そのへんは、イシュとか殿下が詳しい。あいつら、頭の出来がおかしいから」

「そんなこと言ってると、また仕事増えますよ」

「あー、暴露しないでくれよ」

「私はしませんけど、殿下、地獄耳じゃないですか」

「あ~……」


 ヴィルラードはがしがしと頭をかく。

 壁に耳有り、障子に目有りというが、マクシミリアンはそれを地でいくようなところがある。


「で、話、戻しますけど」

「うん」

「当時とれた材料がとれなくなったものもあるでしょうけど、でも、そこまで再現が難しいものですか?」


 レシピがあるのにまったく再現できないというのが栞には純粋に疑問だった。

 解読できない部分や材料が欠けていてもそれらしいものはできるものだ。


「分量については正確に数値化されていない部分もあるし、何よりも口伝だってところがね」

「口伝?」

「レシピの大半が、ディルギットと一緒に作ったとか、ディルギットから聞いたというものを忘れないように書き残してあるものなんだ。いわば、備忘録みたいなものだ」

「なるほど」

「で、その中の調味料の記述にに多いんだけど、『適量』とか『少々』ってのがあるのさ。これが難物でね」

「……ああ」


 苦笑するヴィルラードに栞は納得したというようにうなづく。


「確かにそのあたりは難しいですね」


 料理初心者が、レシピがあっても失敗する理由の第一がこれ……『少々』や『適量』といった言葉の解釈を間違えることだ。

 

 ───そう。


 栞に言わせれば、『適量』や『少々』というその量は、舌で覚えるものである。

 決してレシピに含まれることのない加減……文字では表しきれないその部分がセンスだったり、秘伝だったり、その料理人の個性や腕と結びついてくる独自のものなのだと栞は思っている。


「それは、そのレシピを作った人の感覚でのことですからね」

「ああ」

「でも、仕方ないんです。本当に少々としか言い表せないですし……」

「ヴィーダのレシピにもそういう表現が?」

「ええ、あります。料理のレシピにはつきものですから」


 栞のレシピがあったとしても、ただそれだけでは他の人間が同じ料理を作ることはできないだろう。

 レシピ通りの材料と手順というだけでは、足りないものがあると栞は思っている。

 

(まあ、究極的に言うならば料理も一期一会だから……)


 それは、あちらよりこちらでのほうがより顕著だ。

 特に、ホテル・ディアドラスの厨房では、基本的に食材は迷宮産の魔生物なので普通の料理人には仕込みからして不可能であることが多い。

 特殊効果を求めなければ……材料の置き換えをすれば、近いものを作ることはできる。異世界の洗練された料理はそれだけでも十分価値のあるもので、栞は知らないのだが、栞のレシピによる料理は王宮の厨房でも作られ各所で好評を博している。


「とりあえず今日は、甘いシチューについて知りたいだけなので、あんまり脱線しないようにしておきます」

「そうだな。レシピに関しては、今度、時間のあるときにでも協力してやってくれ。料理人の目から見れば気がつくことがあるかもしれない」

「はい」


 レシピのメニューやら材料やらいろいろと興味は尽きないが、まず一番の目的を忘れてはいけないだろう。


「こちらのレシピの中に甘いシチューがあればいいんですけどね」

「甘いシチューか」


 ヴィルラードにとってもそれは未知の料理だ。


「まあ、レシピそのものがなくても、何か手がかりになる情報が欲しいですね」

「たとえば?」

「色とか……豆の大きさとかですね」


 そもそもそのシチューの甘さが何に由来の甘さなのかってとこが問題なんですよね、と栞は小さくため息をつく。


「と、いうと?」

「たとえば、ドド芋の亜種である紫ドド芋なんか、すごく甘いですから……それを煮込んでとろみのあるスープ仕立てにしてそこに煮た豆をいれれば『甘いシチュー』の条件は満たすと思うんです。でも、それがイシュのおばあさまの食べたというものかはわかりませんし……そうですね、一度、イシュのおばあさまにお話をお聞きしにいった方がいいかもしれません」

「おばあさんって単語から連想するとえらい目にあうぞ」

「妖精族ですもんね。それはそれで楽しみです。純血の妖精族の方にお会いするなんてなかなかないでしょうし」


 妖精族は本来、自分たちの郷からあまり出たがらない。好奇心というよりは探究心が強く、内なる思索にふける性質なので、それほど他者と交わることに積極的ではない。

 また、長命種である為か子供ができにくく、純血である場合は更にその傾向が顕著だ。

 妖精族同士よりも片親が他種族……人族や獣人族である方が子供のできる可能性が高いこともあり、純血の妖精族というのはかなりその数を減じてきている。


「確かにな。……純血の妖精族は、古の神話の天の御使いと間違えられるくらい綺麗だっていうぞ」

「でしょうね。……イシュ見れば想像つくじゃないですか」

「まあな。そのくせ、本人は自分の顔には無頓着だよな」

「イシュいわく、妖精族は姿形ではなく、魂の輝きで人の美醜を判断するそうですよ」

「へえ。……あ、こっちだ」

「はい」


 外から見るよりもずっと広い店内をヴィルラードの誘導にしたがって進む。

 魔術によって灯された柔らかな光に照らし出された店内は、奥に行けば行くほど、よくわからない品が並んでいる。


(普通の迷宮探索屋さんって来たことないから、何か新鮮かもしれない)


 栞が仕入れで関わるのは、トトヤをはじめとし、迷宮探索屋の中でも食材を取り扱っている専門傾向の強い店ばかりだ。雰囲気としては牧場の加工場だったり、大きな魚屋の作業場に似ている。更にその店先は魚屋や肉屋を思わせる雰囲気だったから、あまり違和感を覚えたことがなかった。

 だが、この『ディルギットの菓子屋』は、魔法薬や回復薬類などに強いとはいうもののオーソドックスなタイプの老舗で、ところ狭しと並ぶ商品群はとりとめがなく、その陳列手法はかなり芸術的だ。

 あちらの某総合ディスカウントストアの魔窟じみた店内を連想させる。


「見た目よりずっと広いんですね」

「空間操作系統の魔法を使っているんだろう」

「店内に店員さんが居ないみたいなんですけど、大丈夫なんですか?」

「声をかければすぐに出てくるし、泥棒対策になるような術もあるからな……ここは腕のいい術師がいるから、いつもこんなもんだ」

「へえ」


(セコム代わりになるような魔術もあるのか……便利すぎる)


 ふわりと目の前で鮮やかな紅の布が風もないのに揺れ、栞はそれに目を奪われた。

 次は少し光沢のある草色、その次は深みを帯びた黄色……売り物なのか、目隠し代わりなのか、何枚もの布が天井から下がっていて、翻った布のその奥へと栞を誘う。


(なんだか……外国というより、異世界に迷いこんだみたい)


 一瞬、自分がアリスになったかのような錯覚を覚え、そして、ここが正しく異世界なのだということを思い出して何だかおかしくなった。あまりにも普通に生活できているせいで忘れそうになるが、ここは栞の生まれ育った世界とは根本的に違う場所だ。


「ヴィーダ?」

「何でもないです。……ここ、ですか?」

「ああ」


 何枚もの布を抜けたほの暗い一角……栞の目の前の細密な彫刻の施された扉は、仄白い光を放っていた。

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