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ドガドガ鳥の新鮮卵とホロウ牛のミルクを使って作ったプリン(3)

 面接は、都内の雑居ビルのレンタルスペースで行われた。

 栞の他にも20人近い人がいた。年齢はさまざまだったけれど、女性は栞だけだった。

 あんな条件も何もない張り紙一枚でこんなに集まるのだから、料理人に限らず、現在の就職状況というのは本当に悪いんだな、と溜息をついたことを覚えている。


「今回は、ご応募ありがとうございます」


 栞たちの前に立ったのは、森村宗一郎と名乗った五十近くに見える壮年の男性だった。

 ぱりっとしたダークスーツ姿は、いかにもエリートサラリーマン風に見えた。


(本当は全然、ちがったけど……)


 森村は、ホワイトボードに雇用条件を書いた。


『職種:リゾートホテルの料理人

 勤務地:ホテル ディアドラス他

 給与:基本給 日本円にして20万円程度。成果報酬有り(但し、現地通貨にて支払い)

 休暇:相談

 契約:3年毎』


 一見したところ普通の求人条件のように見える。

 けれど、本気で働く気だったら、この条件は突っ込みどころ満載だった。


 なのに、その時の栞はまったくそんなことを感じなかった。

 つまるところ、感じる余裕がなかったのだ。どれほど平然としているように見えたとしても。


「ホテルの所在地は日本じゃないんですか?」

「はい。フィルダニアのノーディス地方にあります」


 説明会参加者の一人がおずおずと問うと森村はにこやかに答えた。

 聞いたことのない国名に周囲がざわつく。

 何名かは日本ではないとわかった瞬間に席を立っている。


(海外か~、英語かフランス語が通じればいいんだけどな……)


 栞が想像していたのは、いかにもリゾートチックな……例えるならば、沖縄のちょっと高級なホテルを連想するような海辺のホテルだ。

 フィルダニアという名前は聞いたことがなかったが、地理にさほど詳しいほうではなかったので、その音の響きから、さほど有名ではないヨーロッパの小国と勝手に判断してしいた。


「フィルダニアってのはどのへんにあるんだ?」

「エスティリアとルドラに挟まれた小さな国です」


「現地通貨で支払いってあるけど日本円ではもらえないのか?」

「日本円は国内では流通しておりませんので。お望みなら、金で払うことはできますよ」


「海外で20万じゃあちょっと安すぎると思うんだけど」

「現地通貨に直しますとかなりの高額です。それ以上をお支払いするご用意はありますが、技量がわからない時点ではそれ以上の条件をお約束はしかねます」


 それを機にいろいろな質問が乱れ飛ぶ。

 栞はそれを聞きながらぼんやりと考える。


(日本円にして20万円程度ってことは、レートとか税金の問題がいろいろあるかもしれないけれど、手取りだと17万円くらいかな……)


 今よりは多少落ちるが、28歳の独身女性がつつましやかに暮らしていくことはできそうだった。

 森村の言い分を素直に信じれば、現地で生活するには充分そうだ、とも思う。


(それに……)


 ホテル勤務であれば大概の場合は、住居も用意してもらえる。ならば、食と住は保障されそうだった。家賃と食費がないと考えれば、思っているほど安い給与ではない。


「すいません、住居は保障していただけるんでしょうか?」


 念のために問うた栞の質問に森村は深くうなづく。


「勿論です。バス、トイレ、庭付の個室があります」

「それは無料?」

「はい」


 今の7畳のワンルームよりどうやら広そうだと思い、栞は何だか嬉しくなる。


「具体的にはどういうお仕事になるんですか?」

「リゾートホテルの規模はどのくらいですか?」


 説明会の参加者の口々から、更に質問が重ねられる。


「そうですね……。ホテルは客室は30室程度。ノーディス地方はリゾートとして知られていますから、周囲には宿がたくさんあります。が、ホテル ディアドラスは、周囲では最もグレードが高いホテルです。このホテルには飲食施設がいくつかあり、カフェとバーは普通に運営されています。最高のホテルではあるのですが、レストランだけがなかなか軌道に乗らず、今回、こういう形で料理人兼責任者を募集させていただいている次第です」


(レストランを任せてもらえるんだ!)


 その言葉に、栞の心が弾んだ。

 どんなに小さくてもいい、自分の店を持つというのは料理人の夢だ。

 レストランを任せてもらえるというのは、その夢を半ば以上叶えてくれる。


「フィルダニアってのはどんな国なんですか?」

「そうですね。それほど大きな国ではありません。観光を主たる財源にしている観光立国です。当ホテルの経営は国営事業の一つでもあります」


(国営事業って何かすごいなぁ)


「3年毎の契約というのは?」

「一度契約をして、フィルダニアに来てもらいますと3年間は帰国が不可能です。なので、3年毎にやや長めの帰国休暇を差し上げますので、その都度の契約という形にします」

「身内に不幸があったりしてもですか?」

「はい」


 森村ははっきりとうなづいた。

 一瞬、周囲がざわつく。何人かがそっと席を立つ。


(私は、もうそういう身内いないから気が楽だな……)


 父の生前はうるさいくらい連絡してきていた親族も、父が倒れて店の状況を知った途端、手のひらを返したように音信不通になった。葬儀に来たのも数えるほど。

 葬儀に参列してくれたのは、ほとんどが仕事上の父の友人たちや、昔のお店の従業員や、父の弟子を名乗る若い料理人たちだった。


「週休二日は保障ですか?」

「いえ。えーと、そうですね。レストランに定休日はありませんから、毎週の定期的なお休みというのはほとんど不可能です」


 その瞬間にかなりの人数が席を立つ。

 けれど、森村は動じなかった。


「ただし、仕入れの事情やその他で臨時休業にすることは自由です」


 それを聞いていたのは、50過ぎくらいの顔色の悪い初老の男、板前崩れのような30代のスキンヘッドの男、栞、それから、生気のない眼差しをしたまだ若い青年だけだった。


「成果報酬ってのはボーナスだろ?幾らくらいもらえるんだ?」

「店の売り上げから経費を除き、純利益の3割程度を考えています」

「ボーナスという形で保障はされないということだな?」

「はい」


(でも、がんばればがんばっただけ報酬になるってことだよね)


 努力が利益に結びつくかはやってみないとわからないが、やりがいはある。

 元々、料理人というのはそれほど給料が高くない。店によっては給与がほとんどないところもある。

 というのは、こういった仕事は、技術を教える徒弟制度的なところがあるせいだ。


 栞が勤めていたのは名前を聞けば誰でも知っているような有名ホテルのメインダイニングだったから、給与体系はしっかりしていたが、やはりそれほど給与は高くなかった。

 栞が普通のOL並みの給与をとるようになったのは、前菜を任されるようになってからだ。勤め始めたばかりの頃はボーナスなんてなかったし、給料だって本当に安かった。


「つまりは雇われ店長兼シェフってことだな」

「そう考えていただいてかまいません」


 話を聞けば聞くほどわくわくしてくる反面、なにやら怪しげなにおいがしていた。


(ちょっとくらい怪しくてもいいや……)


 でも、栞はあっさりそう結論づけてしまった。

 その時の栞にとっては、給与や条件やそういったものよりも何よりも『遠くに行く』ことができることが魅力だった。

 誰も栞を知らない、わずらわしい噂話などが耳に入ることのない遠くへ行きたかった……それは明らかな現実逃避だったけれど。


 だからこそ、普段の栞ならば怪しすぎて耳も貸さないような話だったのに、行く気満々になってしまったのだ。


(まさか、外国じゃなくて異世界だとは……)


 だが、ここに栞を知る人間は誰も居なかった。


 だから、文字通りの新天地で、栞は新しい生活をはじめることができたのだ。

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