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ロデ豆のシチュー ディルギット風(4)

 栞は、最近、積極的に外に出るように心がけている。

 必ず護衛を伴わなくてはいけないのが心苦しいのだが、心の中で脱・引き篭もり!を掲げて約1ヶ月。ホテルの周辺だったら、だいぶ詳しくなってきた。


「すいません、レンドル卿、お休み時間なのに」

「いや、いつもうまいもの食わせてもらってるわけだし、気にしないでくれ」


 文官でありながらむきむきの筋肉マッチョ。特注のデスクとイスで執務している男は、ぐきぐきと首を回しながら笑う。


「ここんとこ内勤多いから、ちょっとした息抜きにもなるしな」


 ヴィルラード=レンドルの役職は、マクシミリアンの第二秘書官である。王族の秘書官というのは文官としてはかなりの高位だ。

 ヴィルラードは貧しいものの世襲貴族である子爵家の次男として生まれ、王立学院を首席で卒業し、その褒賞として騎士位を授かった。

 王立学院で修める学問の中にはもちろん武術もあり、護衛官と同じくらい腕が立つ。もちろん、マクシミリアンの迷宮探索にはいつもつきあっている。

 そもそも、マクシミリアンの側近達は文武両道に秀でている者が多い。大迷宮に潜れない側近は必要がないというのが方針なので、自然と身を守るための武術なり魔術なりを身に着けた人間しか残らなかったのだ。


「そういってもらえると助かります」


 栞が頭一つ高いヴィルラードを見上げると、ヴィルラードは、たいしたことじゃないというように肩をすくめてみせた。


「それに、ご相伴させてもらった昼食もうまかった。……あれは何というのだ?ニャパリがはいっていたようだが」

「あちらでいうリゾットですね。こちらでいうと『カーニャ』に近いかもしれません。具はエビとかイカとか貝とか魚とかの海鮮でまとめました。あとトマトにニンニクと生姜、それに白ワインをきかせてますね」


 トマトの酸味が強いので、まろやかなチーズをたっぷりかけた。

 とろけたチーズと酸味のあるトマトとニンニクというのは、栞が最強の組み合わせだと思う味の一つだ。


「ああ。しっかりと味がついていた……何だか食べたことがあるような気がするんだけど、でもやっぱりはじめて食べる味なんだよな。酸味とニンニクの香りが絶妙だった。俺はああいう味が好きだって思ったよ」


 昨日のリアとディナンが作ったリゾットの応用編だ。

 あえて材料をほとんど同じで作ったのは、その方が違いがよくわかるからだ。


「それは良かったです。酸味はトマトですよ。こちらでは冬でもトマトが採れるんですね。驚きました」

「温室栽培だろう。郊外に魔法で管理している大規模農園があるからな」

「そのへんはあちらと変わらないんですね。冬にとれる品種があるのかと思いました」

「ないない。大迷宮の植物とかけあわせたりの研究もしているが、今のところは、危険な魔生物を作りだすだけだということが判明しただけだった……しっかし、あのリゾットはほんとうまかった。食い物にうるさいイシュも何も文句言わなかったな」

「気に入ったみたいですね。また機会があったら作りますよ。……私、イシュルカに文句を言われたことないですけど?」

「それは、ヴィーダの料理が気に入ってるからさ。あいつは気に入らなきゃ、王宮の料理人にも文句をつけるから」

「イシュルカらしいですね」


 栞の身長は約160センチであちらでは平均的なのだが、ヴィルラードはそれよりも頭一つ高く、190センチを越える。年齢はほとんど変わらないというのに、二人が歩いているのを見ると、カップルというよりは親子に見えるというのが周囲の人々の談だ。


「ヴィーダがいつものあの白い服を着てないのは不思議な感じがするな」

「そうですか?あれ、厨房の制服ですからさすがに外にでるときまではちょっと」


 代々、異世界から料理長を迎えていたためか、厨房の制服として残されていたのは白いコックコートだった。

 これに黒のタイトスカートかスラックスとロングエプロン。髪はふっくらとしたキャスケットかクッキングキャップの中にまとめるというのが現在の厨房の制服だ。必要なときは、首元には黒のタイをすることもある。

 栞は伸ばした髪をいつも編みこんでまとめているのだが、それでも髪が落ちるのが怖いので帽子を使っている。かつて勤務していたホテルではさまざまな理由から厳格にコック帽だったのだが、ここはそれほど人数が多いわけでもなかったので、そこには特にこだわらなかった。

 

「そりゃあそうだけどな。なんか、そうしているのを見ると、王妃殿下の秘書官みたいだぜ」


 白いブラウスに横スリットがかなり上まであいた黒のロングタイトスカートスタイルは、王宮の女性事務官達が好んでする服装だ。

 栞のこのロングスカートはエルダからのプレゼントで、普通のタイトスカートよりも断然動きやすいのが気に入っている。


(ガーターだっていうとこがちょっとひっかかるけど)


 あちらからもってきたストッキングはもう使ってしまい、こちらで代用品を買い求めたら、タイツタイプのものはなくて、ガーターを使うものになってしまった。しかも、総シルクなのか、薄くて滑らかかつレース模様がラインで入っているお洒落さで、その気はまったくなくとも女子力アップなスタイルになっている。

 更に上に羽織っているのが、毛足が短いがふかふかであったかな光沢のあるグレイのコートだ。これはいつだったかの虫退治の礼にと殿下にプレゼントされたもので、大迷宮の角ウサギの毛皮でできている。

 何でも、栞が退治した虫がいい値段で売れたとか何とか言っていた。栞的には片付けさえきちんとしてくれれば退治した虫を売ろうが、捨てようがまったく文句はない。

 内側も外もふわふわでお気に入りのコートなのだが、あちらで着ていたら、間違いなく動物愛護団体から抗議がくるような代物だが、こちらの冬はかなり冷え込むので重宝している。


「なんちゃって秘書官ですね。まあ、勤まりませんけど!」

「そうか?ヴィーダならできそうだけどな」

「無理ですって……えーと、迷宮の大門ってこっちでしたっけ?」

「おう。そこ突っ切ったほうが早いな」


 古都でもあるアル・ファダルは細かな路地が入り組んでいる。ホテルの周囲は一本入ると別世界ではないかというくらい趣がかわる。


「ちょっとは詳しくなったんですけど、まだ一人歩きは無理ですね」

「残念ながら、ヴィーダは一人歩きは禁止」

「え、そうなんですか?」

「外出には、絶対に護衛つれてくれって言われてんだろ?」

「あ、そうなんですけど、迷子の危険があるからだと思っていたので、迷子の危険がなくなればいいのかなって」

「いや、異世界人の女性は狙われやすいから」

「なんでですか?」


 純粋に疑問だった。

 特別扱いはされるものの、異世界人に対する差別というものを栞は感じたことがなかった。

 その特別扱いこそが差別なのだと言われるかもしれないが、虐げられるわけでもなければ、罵声をあびせられるわけでもない。

 むしろ、丁重に扱われることが多いだろう。


(まあ、好奇の目で見られることもあるけど)


 見世物か何かのようにじろじろと観察されることもある。

  

(お互いさまなんだし)


 失礼な見方をしているつもりはないが、自分が獣人種の人々や竜人種の人々を見るまなざしは驚きに満ちているだろうし、食い入るように見てしまうことも多々あるのだからどっちもどっちといえる。


「異世界人は総じて大きな魔力を持つから」

「そうは言われますけど、自分で魔法が使えるわけじゃなし、わりと無駄じゃないですか?」

「そういう風に思うのはヴィーダぐらいだと思うぞ。……確かに自分では使えないけれど、その魔力を子供に伝える可能性がかなり高い。それは統計的にわかってる」

「……なるほど」


 魔力というのが、この世界ではどこまでも重要視されるのだと栞は改めて思い知る。

 そして、だからこそ自分の作る料理がこれほどまでに望まれ、特別扱いされているのかと新鮮な気持ちで納得する。

 

「ヴィーダは子供を生める年頃の女性だ。一番狙われる。しかも、ヴィーダはそれだけじゃないからな」

「それだけじゃないというと?」

「ヴィーダは料理人だろ」

「……ああ、もしや、ヘッドハンティングとか?」

「へっどはんてぃんぐ?」

「えーと、求める能力を持っている人をよりよい条件でひきぬくんですよ」

「ああ。まあ、そんなもんかも」


 もし、イシュルカかマクシミリアンがそれを聞いていたら、『問答無用で拉致する』とか『手に入らないなら殺してしまえ』のどこがヘッドハンティングなのだと突っ込んだに違いない。だが、ヴィルラードは細かいことをそれほど気にする性格ではなかったし、栞もそれを特に疑問には思わなかった。


「本当に?」

「本当。知らないでしょう?ヴィーダはとてもモテてるんですよ。みんな、ヴィーダが欲しくて仕方がない」

「それはそれは……人生初のモテ期到来かもしれません」

「あははははは、ヴィーダ、思っていたより度胸ありますね。おもしろい」


 栞はおもしろいことを言ったつもりはまったくなかったのだが、ヴィルラードは腹を抱えてわらっている。


「まあ、安心してていい。あなたは殿下のヴィーダだ」

「……ヴィーダってものすごく特別な存在っぽいですね」

「いまさら何言ってるんですか。当たり前でしょう」

「……ええ、そんな気は薄々していたんですけどね」


 栞は少しだけひきつった笑みを浮かべる。


(みんな当たり前のことのように思ってるみたいだけど、私は知らないんだよ……だいたい、あちらにはそんなのないから!)


 今更それを口に出せないまま、深く問うこともできないまま、フィルダニア生活も2年目に突入してしまっている。


「この殿下との誓約って、もしや求婚とかそういう意味に匹敵したりします?」

「まさか」

「そうですか、良かった」


 栞はその答えに心底安堵した。

 だが、この時、ヴィルラードにちゃんと聞いていたら、安堵するにはまだ早いことを知っただろう。

 なぜならば───「この誓約って、もしや求婚とかそういう意味に匹敵したりします?」という栞の問いに対する「まさか」というヴィルラードの言葉は、栞の『まさか、求婚なんて重い意味になるわけないだろう』という解釈とは正反対の『まさか、求婚なんかよりよっぽど重い意味があるに決まってるだろ』という意味だったので。

 なので、栞の「良かった」という答えもまた、本人が思うのとはまったく違う方向に受け取られたのだが、栞はまったくそれに気付いていなかった。


「とりあえず、絶対に自分だけで出かけようなんて考えないでくれよ」

「もちろんです」


 栞ははっきりとうなづく。

 禁止されていることにあえて挑戦するようなメンタリティは、栞にはない。どちらかといえば、事なかれ主義で流されやすいと自己分析しているくらいだ。


「できれば俺達のうちの誰かを伴ってほしいが、どうしても誰もいなければリアでもディナンでもいいわけだし」

「大丈夫ですよ、リアもティナンも気を使ってくれてますし……最近、外出が多くなって申し訳ないんですけど」

「いや、それは別にかまわないんだが……それに、そもそも今までが出なさすぎだろ」

「ええ……まあ」


 何といっても、引き篭もっていたのだ。

 仕事をちゃんとしていたし、こもっていた場所がキッチンだったのでわかりにくかったかもしれないが、栞自身が引き篭もっていた自分を自覚している。

 新しい環境で新しい仕事に挑戦してがんばっていたのは事実だが、実際のところは逃げてきて、あちらでのことを忘れるために打ち込んでいたのだと言われても否定できない。


(でも、こちらに来てみんなと出会って……)


 こうして引き篭もりであった自分を認め、そこから脱却しよう考えることができるほどには回復したのだと思う。


「殿下がずっと心配していたんだ。ヴィーダがずっとホテルの敷地から出なかったから、こちらの世界は治安が悪いから外に出られないんだろうってな」


 殿下が、たびたびお忍びで街に出て犯罪の検挙に力を入れているのは、ヴィーダが安心して外に出られる為になんだ、というヴィルラードの言葉に栞はやや目を泳がせた。


(ご、ごめん……殿下)


 結果として犯罪が取り締まられているのだから喜ばしいことなのだろうが、ちょっと申し訳ない気持ちになる。


(このおわびに、明日のプリンは徹底的にこだわりぬいてつくるから!)


 栞は心の中で決意しながらも、少しだけ言い訳をしてみる。


「いや、そういうわけでもなくて……ほら、護衛もついてくれるんだし、ただこう何ていうか気持ちの余裕もなかったし……でも、今はもう結構落ち着いたので……とりあえず、こちらの食材についてもっとよく知りたいなってことで」

「そうなのか?」

「ええ」


 少しづつ周囲に目を向けることができるようになって思ったのは、自分がまだこの世界についてまったく知らないということだった。

 ちょっと遠い外国という認識だったが、当然、日本とはまったく違う。

 文明のレベルが違うというほどではないが、科学がそれほど発達していないこの世界では、パソコンのパの字もなければ、ネットなんてものも当然存在しておらず、いわゆる情報インフラ的なものはそれほど発達していない。

 なので、この世界を知ろうとするならば、自分で見るか聞くか体験しなければならないわけで、今の栞は自分で見ること、体験することをはじめたばかりというところだった。


「……ああ、そこだ」


 路地を抜け、大門の前に軒を連ねるさまざまな迷宮探索屋のうちの一軒の前に二人は立った。

 個性的な建物がいろいろとあったが、『ディルギットの菓子屋』もまたその例にもれず、樹木と石造りの家が融合した不思議な建築物となっていた。


 あちらの世界ではありえない造形だと思いながら、栞は店の中に足を踏み入れた。



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