ロデ豆のシチュー ディルギット風(2)
ワゴンをひきながら、廊下の隅の昇降陣の上に立つ。1階用の赤い石を思いっきり踏みつけると、次の瞬間に、栞の身体とワゴンはそのまま1階の陣の上に在った。
エレベータ代わりの固定転送陣だ。シオリの場合は左手の紋のおかげで館内どこでも自由自在だが、従業員や宿泊客は許可制だ。
面倒くさいようだが、行動範囲が限定されることで安全面ではなかなかうまい仕組みになっている。
「シリィ、今、お戻りですか」
栞の姿を目に留めたイシュルカが早足でよって来た。
ここにいるということは栞を待っていたのだろう。
妖精族と人の混血であるイシュルカは、妖精族の血が極めて濃い。
長い銀の髪と魔力を宿すといわれる紫の瞳……線の細い美貌の持ち主だが、決して女性的ではない。魔法使いなのだが身体を鍛えていて、細いながらもかなりがっちりとしている。
「ええ。何か私に用事ですか?」
「はい。少しお時間をいただいてもよろしいですか?」
「大丈夫です。えーと、昼食食べながらでもいいですか?」
「もちろんです。ぜひ、ご相伴させてください」
イシュルカは嬉しそうに笑う。
「ええ。今日はね、リアとディナンがまかない当番なの。とてもたのしみなんです」
「ああ、確かにそれは楽しみですね」
「でしょう」
栞にしてみれば、自分で作らない食事というのはそれだけで三割おいしく思える。メニューをしらないから尚更だ。しかも、二人とも最近腕を上げているから何を作ってくれるのかわくわくする。
「そういえば、最近、二人は制御の精度があがりましたね」
「そうなんです。二人とも、火加減がとても上手になりました」
「あれなら最前線でやっていけますよ」
「ええ。私がいなくても、よほどの場合じゃなければ大丈夫かも」
イシュルカは魔法使いとしての観点から、栞は料理人としての観点からの発言なのだが、互いにその齟齬に気付いていない。
互いに脳内で補い、それぞれで理解したつもりになっており、不思議なことにそれほど違和感なく会話が成立してしまっている。
「シリィは、教え導く者としての才もおありなのですね」
「とんでもない。あの子達がいい子で意欲があるからですよ。私はただ作っている姿を見せることしかできないから」
「私もシリィのように言葉ではなく行動で示すことができるようになりたいものです。……だめですね、妖精族の血が濃いせいか、どうものんびりしていていけません」
「イシュルカはそれでいいと思いますよ」
「そういってもらえると、助かります」
栞とイシュルカのテンポは似ている。
テンポだけではなく、雰囲気や話し方も似ているらしく、ホテル内では、性別や人種の差を越えて、見た目は似てないけど中身がそっくりな兄妹扱いをされている。
栞としては異論があるのだが、聞き入れられたことはない。
「ああ、雪ですねぇ」
「ほんとだ。寒いはずですね」
本館からレストランへと続く回廊を渡りながら、二人は庭に目をやる。
粉雪が舞い始めていて、そこら中を雪の精霊が飛び回っているのが見える。栞はこちらの世界に来てはじめて、精霊というものを見た。
見えない人間も多いが、魔力が多いといわれるあちらの世界からの来訪者はだいたい精霊を視ることができる。
精霊はそこら中にいるのだが、普段は意識を凝らさない限りあまり見えない。でも、こんな風に数が多いと自然と目に付くものだ。
「シリィは冬はお嫌いですか?」
「いいえ。嫌いじゃないですよ。積極的に好きとまではいいませんけど。イシュルカは、苦手ですよね?」
栞は、寒がりなイシュルカをよく知っているので小さく笑う。
「ええ。妖精族は寒いの嫌いですから」
「イシュルカが特別に嫌いだというのはエルダから聞いてます」
「……まあ、そうともいいます」
「冬はおいしいものがたくさんあるから期待していてください」
「ああ、そう言われると少しは嫌いじゃなくなりそうです」
イシュルカは嬉しそうにほんわりと笑った。
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リアとディナンが用意した昼食は、フランチェスカと小カブのトマトリゾットだった。
フランチェスカの小骨をきれいに取り除き、カブと玉ねぎは一度煮込まれて味がしみこんでいる。酸味が利いたトマトのスープには野菜やフランチェスカの旨みが溶け込んでいて、仕上げに薄く削ったチーズをたっぷりとのせてある。
米の変わりにつかっているのは、ニャパリという穀物だ。粘り気はあまりないが、リゾットには向いている。
米の代用とする場合は、他の粘り気のある穀物と混合して炊く。栞が最近気に入ってるのはファザと混ぜることで、そうすると適度な粘り気と米によく似た甘みが加わっておいしくいただけるのだ。ポイントはその配合比率だろう。
「どうですか?」
リアとディナンが、栞たちの反応を伺う。
「おいしいですよ。特にこのカブに味がしみこんでいるのがいいです。これだけでも食べられるくらいだ」
「ありがとうございます。ギース卿」
「見た目も良いよ。トマトの赤とバジルの緑とチーズの黄色の彩がきれいだし、味のバランスもいいし、季節感もある。食べててワインが飲みたくなるくらいおいしい。……お店に出すにはもうちょっと工夫が必要だけど」
「……店に、出せますか?」
リアが驚いたように目を見開く。ディナンも動きを止めて、栞の方を見ている。
「このままじゃだめだけど、発想はいいよ。ベースはできてる。ニャパリもうまく煮えてるね。明日の昼に、これをベースにして私がお店に出す用のリゾットをつくってみせるから」
「はい」
「はい」
リアとディナンが真剣な表情でうなづいた。
「シリィ、失礼ですが私も興味があります。明日もご一緒させていただいてよいですか?」
「いいですよ。さ、批評はこれくらいにして……二人も食べたら?冷めないうちに」
「はーい」
「いただきまーす。俺、作っててすっげえ腹減った」
上のほうをすくうと、たっぷりチーズが糸を引く。
「おいしいものは自分で作ったものでもおいしいよ」
「はい。おいしいです……自分用だったら、もう少しすっぱいのが好きだけど」
「俺は、もうちょっと味付け濃い目かな……でも、師匠、違うでしょ?」
「うん。二人とも、自分の好みじゃなくて、お客さんだったらって考えてつくったのがえらいよ」
リゾットだけでは足りないディナンは、朝のパンの残りをもってきて、リゾットのスープにひたして食べる。
少し行儀が悪いかもしれないが、味がしっかりしたこのスープはそういう風にして食べてもとてもおいしい。
「お師匠様、食後は何にしますか?」
「んー、濃い目の豆茶。あと、何か果物のソルベをもってきてくれる?味は任せるよ。イシュルカにもね」
「はーい。ギース卿、ソルベのリクエストあります?」
「何でもおいしいので、リアの一番オススメのものをお願いします」
「わかりました。大盛りでもってきますね!」
「ありがとう」
リアがソルベを用意する間に、ディナンが豆茶をいれる。
厨房では一日分の豆茶を朝、まとめて焙じてあるので、湯でいれるだけでいい。
こちらでは、あちらと違って何でも一手間かかることが多いのだが、栞は特に気にならなかった。
おいしいものを食べるのには手間がかかるんだよ、というのが亡くなった父の口癖だった栞には、当たり前のことだったからだ。
「ずっと思っていたんですけど、お師匠さまは、何でギース卿のことは名前で呼ぶんですか?」
宣言どおり、山盛りのソルベをもってきたリアが今なら聞ける!とばかりに問いかける。
「それは、私がお願いしたんですよ。なんか他人のような気がしなくて……いろいろとウマが合うものですから」
「似てますもんね、お師匠様とギース卿」
「そう?」
「ええ。変ですね、共通するところなんかないのに」
「一応、対外的には私もヴィーダとお呼びするようにはしていますが、お互い顔を合わせたときには、やはり名前の方がいいですから」
さらりとイシュルカは言うが、これで口説いているつもりはまったくない。
妖精族の恋愛感というのは人とはかなり違っていて、イシュルカはそちらのほうの感覚が強いのだ。
「確かにそうですけど。お師匠様の名前はあんまり呼ばないほうがいいのでは?」
リアの発言にえっ?と作ったばかりのラライーというプラムのような果実のソルベを口に運んでいた栞は動きを止める。
「リア、それ、どういうこと?」
「え、だって、異世界の人って真名とかないんですよね?」
「え、ええ」
「名前って魔法的に言うと、ある種、最短で最強の呪文なんですよ。だから、こちらの世界でお師匠様の名前をいっぱい呼んだら、こちらの世界とお師匠様の名前が呼ぶたびに強く結びついていくんじゃないかと思うんです」
「そうすると何か問題があるの?」
「あるっていうか……あれ、でも、そのほうがいいのかな」
リアは考え込む。
「ああ、シリィ、リアの言うことは間違っていませんが、別に問題ないと思いますよ。『シリィ』という名は殿下がおつけになった愛称ですし」
「ああ、そうですよね」
栞の本名はあくまでも『栞』である。
シリィというのは、あくまでもマクシミリアンがつけた呼び名にすぎないのだ。
(愛称ならいいんだっけ?あれ?でも、魔術師がつけた名前は呼び名でも力を持つんじゃなかったっけ?何かあったような気がする)
リアは首を傾げる。
迷宮探索者としての勉強はしているし魔法の勉強もしているが、つまるところ、リアは料理人見習いであり、そちらの方面に知識が偏っている。魔法に関しても体系だてて正式に勉強したことはないし、自分が使うもの以外については詳しくない。
「だから、別に気にすることありませんよ。皆が、名前でなく『ヴィーダ』とお呼びするのはお名前を口にするのが恐れ多いということもありますが」
「おそれおおいだなんてとんでもないです」
「いえ。お招きした異世界の方はみんな特別ですから」
にこにこと笑うイシュルカに、栞も同じようににこにこと笑った。
(でも、ヴィーダなのはお師匠様だけだよね?何でだろう)
とりあえず、疑問は一つ解決したのだが、新たな疑問がうまれたリアである。
そんなリアを横目で見ながら、ある程度のことを察したディナンは、無言でソルベを口に運ぶ。
完熟すると半透明の黄色に染まるラライーは、大迷宮では珍しくない果実だ。体力を回復する効果があり、体力回復用薬の主要な材料でもある。
実は、こうしてソルベになっていると、回復薬以上に回復が早い。
「そういえば、用事は何だったんですか?」
「ああ……そうでした。ちょっと長くなるんですがよろしいですか?」
「大丈夫ですよ。今日のディナーの下拵えはもう終わってるんです。メインディッシュはドラゴンテールのシチューですし」
「ああ、それは楽しみですね……じゃなくて、お願いしたいのは祖母の記憶の中にある食べ物をつくっていただけたらと思いまして」
「お祖母さまの?」
「はい。祖母が幼い頃、ディルギット=オニキスに作ってもらったという甘いシチューを」
『甘いシチュー』
見たことも、聞いたこともない代物に、栞は首を傾げた。




