用法・用量を守ってお飲みください
成人した朝、頭が割れた。
本当に割れたわけではない。
けれど、そう思うくらいには痛かった。
最初に来たのは、痛みではなく音だった。
どくん。
頭の奥で何かが鳴った。
心臓の音とは違う。鐘の音とも違う。目の裏側に小さな槌があり、それが骨を内側から叩いているようだった。
どくん。
母の声も、戸の軋む音も、鍋の蓋が触れ合う音も、その音に混じって頭の内側で跳ねた。
「神罰だ」
父は言った。
成人した者には、『はじめの神』から頭痛が与えられる。
昔、人間は一柱の神だけを信仰していたらしい。
けれど人が増え、村が国になり、国が別の国を憎むようになると、人間はそれぞれに神を求め始めた。
雨が降らなければ雨の神。
子が生まれなければ産みの神。
戦に勝ちたければ戦の神。
商いを広げたければ富の神。
病を恐れれば癒やしの神。
人間は願いの数だけ神の名を増やした。
神の名が増えるほど祈りは分かれた。
祈りが分かれるほど人間は互いを疑った。
やがて人間は、自分の神だけが正しいと言い、他人の神を偽物と呼び、神の名で火を放つようになった。
そこで、『はじめの神』が怒った。
人間は神を仰いだのではない。
自分の欲に、神の名を貼っただけだった。
だから『はじめの神』は、人間の頭に痛みを置いた。
考えすぎれば痛むように。
願いすぎれば眠れないように。
自分だけの神を作ろうとすれば、目の奥が裂けるように。
そして、その痛みには音があった。
どくん。
どくん。
人が神を忘れないように頭の奥で鳴り続ける音。
それが、成人の朝に授かる神罰だった。
村の大人たちは皆、痛みに耐えていた。
畑を耕す者も、井戸から水を汲む者も、羊を追う者も、子を抱く者も、額の奥に同じものを抱えて生きている。
だから、俺だけが耐えられないとは言えなかった。
「……皆、同じだ」
相談すると、決まってこの言葉が返ってきた。
そう言われるたびに、俺は黙るしかなかった。
三日耐えた。
七日耐えた。
三十日耐えた。
けれど無理だ。もう限界だ。
「頭痛を消す方法はありませんか」
俺は村長に尋ねた。
村長は、しばらく俺を見ていた。
怒らなかった。
笑わなかった。
「――頭痛薬というものがある」
その言葉だけで、痛みが少し遠のいた気がした。
砂漠の奥に神殿がある。
そこに、『はじめの神』が人間に残した薬がある。
飲めば、神罰の頭痛は消える。
ただし、取りに行って戻った者はいないという。
それでも俺は行くことにした。
村で仲間を募って旅立った。
リザが剣を持ってついてきた。
ゴウが荷を背負った。
セトが祈りの言葉を覚えていた。
誰も俺を笑わなかった。
皆、頭が痛かったからだ。
旅は長かった。
最初の村では頭痛薬の話を笑われた。
次の街では、薬を求めて西へ向かった巡礼者の話を聞いた。
その先の宿場では、巡礼者たちは誰も帰らなかったと聞いた。
関所を越え、乾いた丘を越え、塩の湖を回り、風の強い荒野を歩いた。
季節が変わるほどの旅路だった。
靴底は薄くなり、ゴウの荷は軽くなった。
軽くなったということは、食べ物も水も減ったということだった。
頭痛は消えなかった。
昼は光が頭蓋を叩いた。
夜は冷えた風がこめかみを削った。
どこへ行っても、音はついてきた。
どくん。
どくん。
耳を塞いでも聞こえた。
耳ではなく、頭の中で鳴っているからだ。
痛い場所が増えれば、最初の痛みは消えるのかと思った。
消えなかった。
砂漠に入ってからは、誰も無駄口を叩かなくなった。
水は少しずつ減った。
最初は節約した。
次に分け合った。
最後は、誰も水袋を見なくなった。
神殿の白い柱が見えたのは、収穫の季節の終わりだった。
ゴウが最後の水を飲んだ。
責める者はいなかった。
飲まなければ、ここまで歩けなかった。
神殿は、砂漠の中に立っていた。
白い柱。
白い階段。
白い壁。
そこだけが、砂に汚れていなかった。
入り口には骨があった。
人のものだった。
ひとつではない。
いくつもあった。
風に削られた白骨が、階段の脇や扉の前に転がっていた。
ある骨は、神殿へ手を伸ばすように倒れていた。
ある骨は、外へ這い出そうとした形のまま固まっていた。
嫌な予感がした。
ここまで来た者はいた。
中にも入ったのかもしれない。
それなのに、なぜ入口で死んでいる。
外の砂と日の光が嘘のように、神殿の中は涼しかった。
床は白く、壁も白く、奥の祭壇には小さな箱がいくつも並んでいた。
箱には文字があった。
『頭痛薬』
見たこともない文字だった。
でも、俺たちは読めた。
俺は箱を手に取った。
軽かった。
あまりにも軽かった。
こんな小さなもののために、俺たちは旅をしてきた。
祭壇の横に薄い板が置かれていた。
そこにも文字があった。
頭痛薬は、本神殿外への持ち出しを禁じます。
本神殿への入殿は、生涯に一度限りです。
服用の際は、水または十分な水分とともにお飲みください。
用法・用量を守ってお飲みください。
俺は読み終えて、もう一度読んだ。
水または十分な水分。
水袋を逆さにしても、水は出なかった。
ここまで来て、そんなことがあるのか。
目の前に薬がある。
これさえ飲めば頭痛は終わる。
帰りの道中など知ったことか。
頭痛さえ終われば、砂漠だって歩ける気がした。
けれど、外へ出て水を探し、もう一度戻ることはできない。
その時、俺は奥にも骨があることに気づいた。
祭壇の前。
薬箱のそば。
白い床の上。
ある骨は、別の骨の腕を掴んでいた。
ある骨の胸には、錆びた刃が刺さっていた。
ある骨は、顎を開けたまま天井を向いていた。
入口の骨。
祭壇の骨。
俺は唾を呑もうとした。
喉は乾いていて、何も落ちなかった。
ようやく分かった。
ここまで来た者たちは、薬を見つけた。
説明を読んだ。
水がないことを知った。
そして、仲間を見た。
頭が痛い。
どくん。
どくん。
どくん。
神罰の音が、白い神殿の中で大きくなった。
耳ではない。
頭の奥で鳴っている。
けれど、その時だけは、俺一人の音ではない気がした。
リザも、ゴウも、セトも、同じ音を聞いている。
同じ痛みを持つ者たちが、同じ救いの前で同じことを考えている。
リザの首筋に、汗が一筋流れていた。
砂と熱で荒れた皮膚の下に、青い血管が見えた。
俺は、それを見てしまった。
ごくり、と喉が鳴った。
水はない。
けれど、水分はある。
リザの手が、剣の柄に触れた。
ゴウが、背負っていた荷を静かに下ろした。
セトが、祈りの言葉を途中で止めた。
俺も、空の水袋を握ったまま、腰の短刀に手をかけた。
白い神殿の中で、誰も頭痛薬を見ていなかった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
『用法・用量を守ってお飲みください』は、頭痛薬という身近なものから考えた短編です。
救いは確かにある。
けれど、その救いにたどり着いた時、まだ人間でいられるのか。
そんな後味の悪い寓話として書きました。
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