王宮結界樹の管理を解任されたので田舎で暮らします。私を追いかけてきたのは王子ではなく結界樹でした
私、フローラ・リーフレットは困っていた。
なぜなら今、王太子ガイアス殿下が私を指差して怒鳴っているからだ。
「フローラ! 貴様を王宮結界樹管理官から解任する!」
「え?」
思わず聞き返した。
だって意味が分からない。
私は十五年間、王宮結界樹の管理をしてきた。毎日の水やり、枝の剪定、病気の確認、害虫駆除、葉の手入れ。そして何より、話し相手。
話し相手——結界樹の管理で一番大事なのはこれだった。
結界樹は寂しがり屋なのである。本当に。⋯⋯いや、笑い事じゃなくて。
「王宮にはもっと優秀な人材が必要だ!そして彼女こそ、新たな管理官に相応しい!」
「ミリアと申します!」
ガイアス殿下の隣に立っていた少女が、元気よく頭を下げる。
若いし可愛い。やる気もありそうだ。
でも——。
「結界樹の管理経験は?」
「ありません!」
「結界樹との対話経験は?」
「ありません!」
「⋯⋯帰りが遅くなって結界樹が拗ねています。貴女ならどうしますか?」
「はい?何言ってるんですか?」
あー⋯⋯駄目だこれ。⋯⋯たぶん三日持たないかもなぁ⋯⋯フィル——結界樹——の方が。
「ふん! そんな経験など不要だ!」
ガイアス殿下が胸を張る。
「ミリアは優秀だ! 貴様のような古臭いやり方など必要ない!」
「そうですか」
「そうだ!」
「分かりました」
「そうだ! 分かれば——え?」
ガイアス殿下が固まった。
たぶん揉めると思っていたんだろう。泣きながら「辞めたくありません」と縋るとでも思っていたのかもしれない。
残念ながら、その予定は無い。
私は元々貴族でも何でもない。孤児だったところを先代管理官に拾われて、そのまま王宮結界樹の世話を任されるようになっただけだ。王宮を追い出されても困るには困るが、死ぬほどではない。
むしろ最近は休みが少なかった。
ちょっと疲れていたくらいだ。
「それでは、本日付けで退職ということで」
「ま、待て!」
「はい?」
ガイアス殿下が狼狽えながら叫ぶ。
「もっとこう⋯⋯あるだろう!」
「何がです?」
「その⋯⋯不満とか!」
「特にありませんが」
「ないのか!?」
なんでショック受けてるんだろう。
解任したのそっちなのに。
私は首を傾げながら、王宮の中央広場に聳える巨大な白銀の樹へ視線を向けた。
王宮結界樹。
王都全体を守る結界の核である。
国宝、王国の象徴。
そして——私の家族みたいな存在。
私は結界樹の幹へ近付くと、ぽんぽんと軽く叩いた。
「フィル」
葉がさらさらと揺れた。
「今日で終わりだって」
さらさら。
「だから、あとは新しい人と頑張ってね」
さらさら。
寂しがり屋のフィルだ。私が居なくなるのが寂しいんだろう。私も寂しい。だけど、王宮結界樹管理官を辞めさせられた以上、結界樹であるフィルと過ごすことはできない。
「たまには会いに来るから」
そう言うと、枝がゆっくりと降りてきた。
私の頭を撫でるみたいに。
「はは。寂しいの?」
さらさら。
「私もちょっと寂しいよ」
そりゃそうだ。十五年も一緒にいたのだから当然だ。
私がここに来た頃、フィルはまだ若木だった。
王宮の人たちは皆、結界樹を国宝だとか、王国の守護樹だとか、神聖な存在だとか呼んでいた。でも、私はそんな立派な言葉を知らなかったので、ただ毎日水をあげて、葉っぱを拭いて、話しかけた。
「今日も元気?」
さらさら。
「虫ついてるよ。取るね」
さらさら。
「葉っぱ綺麗だね。偉いね」
さらさら。
そんなことを続けているうちに、フィルは私にだけ反応するようになった。
王宮の学者たちは「結界樹との高位精神同調だ!」とか言って騒いでいたが、私からすると、ただ懐かれただけである。
たぶん。
「それじゃ、またね」
私は最後に幹を軽く叩くと、その場を後にした。
その時、背後で葉の擦れる音が聞こえた気がした。
まるで———行かないで。
そう言っているみたいに。
◆
三日後。
王宮は大混乱だった。
「結界出力が七割まで低下しました!」
「魔物侵入件数が昨日の倍です!」
「王都外壁付近に小型の魔物が出現!」
「どうなっている!」
会議室でガイアスが叫ぶ。
新管理官となったミリアは、すでに半泣きだった。
「わ、私、ちゃんとお世話しています!」
「何をしている!」
「毎日お水をあげています!」
「他は!」
「話しかけています!」
「何と!」
「おはようございます!」
「他は!」
「今日も頑張りましょう!」
「他は!」
「おやすみなさい!」
「他は!?」
「ありません!」
会議室が静まり返った。
結界樹は別に、定型文を求めているわけではない。
その日の葉の色、枝の揺れ方、幹の温度、魔力の流れ。その辺りを見ながら、機嫌が良いのか悪いのか、眠いのか寂しいのか、今日は放っておいてほしい日なのかを判断する必要がある。
ちなみに、フィルは雨の日の翌日は結構甘えん坊になる。
国宝の癖に。
「どうにかしろ!」
「ど、どうにかと言われましても⋯⋯」
そこへ兵士が飛び込んできた。
「大変です!」
「今度は何だ!」
「結界樹が——!」
「結界樹がどうした!」
「葉に文字を浮かべています!」
「文字?」
「はい!」
兵士は真っ青な顔で告げた。
「『フローラどこ』と!」
会議室の空気が凍りついた。
◆
一方その頃。
私は王都から少し離れた田舎町で、畑を耕していた。
平和である。
この生活は最高と言って良いだろう。
朝起きる。畑を見る。お茶を飲む。昼寝する。散歩する。⋯⋯たまに町の子供たちに花の育て方を教える。——実に完璧だ。
「王宮辞めて正解だったかも」
そう呟いた瞬間、遠くで地面が揺れた。
最初は地震かと思った。
でも違った。
一定の間隔で、どしん、どしん、と何かが近付いてくる。
⋯⋯嫌な予感がした。
ものすごく嫌な予感がした。
私は家の外に出た。
遠くに山と森が見える。——そして、その先に——根を使って歩く結界樹が見えた。
「なんで!?」
思わず口から出た。
いや本当に。
なんで?
王都にあったはずの結界樹——つまりフィル——が、根っこを器用に動かしながら、こちらへ向かって歩いて来ていた。ていうか、根を使って歩く木って何?そんなの魔物にすら居ないんだけど?
ずずん。
ずずん。
ずずん。
根が地面を叩くたびに、地面が揺れた。
「フィル!?」
さらさら。
「なんで来たの!?」
さらさら。
「王都は!?」
さらさら。
なんとなく分かる。
これは——知らない——そう言っている⋯⋯。
「知らないじゃないでしょ! 王都守るのが仕事でしょ!」
さらさら。
今度は少し強めに葉が揺れた。
恐らく——フローラいない——と言っている。
「私はもう管理官じゃないの!」
さらさら。——知らない——
「国が困る!」
さらさら。——知らない——
「子供か!」
さらさら。
フィルは枝を伸ばし、私の頭を撫でた。⋯⋯いや、撫でて誤魔化そうとしているようだ。いつの間に、こんな誤魔化し方を覚えたんだ。ミリアとかいう新しい管理官が教えたのか?⋯⋯はぁ。
「誤魔化されないよ?」
さらさら。
「可愛く揺れても駄目」
さらさら。
「駄目だってば」
さらさら。
くっ⋯⋯!ちょっと可愛いじゃないか⋯⋯!
私は頭を抱えた。
国宝級の結界樹が、まさかの職場放棄したことに。
◆
翌日、ガイアス殿下が来た。
早い⋯⋯さすが王家だ。⋯⋯ただ、殿下の顔は死んでいた。
「フローラ!」
「うわ、出た」
「今うわって言ったか!?」
「気のせいです」
「絶対言っただろう!」
「それで、何の御用でしょうか?」
ガイアス殿下は私の後ろに聳えるフィルを見上げる。
フィルは何食わぬ顔で——いや木なので顔は無いが——とにかく堂々と、私の庭に根を張っていた。
昨日の夜、なんか自然に根を下ろしたのだ。
⋯⋯一応、私は止めたよ?止めたけど無理だったんだよ。物理的に。
「戻ってくれ!」
「嫌です」
「即答!?」
「はい」
「せめて考えろ!」
「嫌です」
「もう一回言った!?」
だって嫌だし。
「王都が大変なんだ!」
「そうでしょうね」
「結界が弱くなって魔物が出ている!」
「はい」
「民が不安がっている!」
「はい」
「だから!」
「新しい管理官さんにお願いしてください」
「アイツでは無理だった!」
「でしょうね」
まぁそうだろう。
私ですら十五年かかったのだ。
結界樹の機嫌取りは専門職である。たぶん国家資格を作れる。フィルの機嫌はコロコロ変わるからね。
「結界樹にも戻るよう言ってくれ!」
「フィル、戻る?」
さらさら。
「嫌だそうです」
「何故だ!?」
「私のそばが良いらしいです」
「そんな理由で国が傾くのか!?」
「私に言われましても」
ガイアス殿下は頭を抱えた。少しだけ可哀想になってきたような気もする。
「そもそも、なぜフィルが私について来たのか分かっているんですか?」
「知らん!貴様が何かしたのだろう!」
「何もしてませんよ」
「なら何故だ!」
「多分、寂しかったんだと思います」
「寂しかった?」
ガイアス殿下が意味の分からない言葉を聞いたような顔をした。
でも、私は結構真面目に言っている。
「フィルは国宝ですけど、生きています。嬉しい日もあれば、寂しい日もあります。構ってほしい日もありますし、放っておいてほしい日もあります」
「木だろう」
「木ですね」
「木に感情などあるものか!」
その瞬間、フィルの枝がしなった。
べしん。
「ぎゃっ!?」
ガイアス殿下の額に、枝が綺麗に命中した。痛そうだが、今のは殿下が悪い。
「見ました?」
「見た!」
「感情、ありますよね?」
「⋯⋯あるな」
認めるの早いなぁ。
まあ、実際に叩かれたら認めるしかないか。
「殿下たちは、フィルをただの国宝として見ていました。でも私はフィルを家族みたいに思っていました。たぶん、フィルもそうだったんだと思います」
私がそう言うと、フィルの葉が嬉しそうに揺れた。
さらさら。
さらさら。
「ほら」
「ほら、ではない!」
ガイアス殿下はしばらく悩んでいたが、やがて深く息を吐いた。
「⋯⋯頼む。王都に戻ってくれ」
「嫌です」
「何故だ!」
「解任されたので」
「撤回する!」
「嫌です」
「給料は倍にする!」
「嫌です」
「三倍!」
「嫌です」
「では何なら戻る!」
私は少し考えた。
戻る気は無い。
無いのだが⋯⋯フィルが完全に王都を見捨てると、本当に王国の人々が困ってしまう。それは少し寝覚めが悪い。
だから条件を出すことにした。
「王宮には戻りません。でも、フィルがこの町から結界を張ることは出来ると思います」
「そんなことが出来るのか?」
「フィル次第です」
私はフィルを見る。
「王都も守ってあげる?」
さらさら。
少しだけ葉が揺れた。
これは迷っている。
「子供たちもいるよ」
さらさら。
「市場のおばちゃんもいる」
さらさら。
「あと、私が好きだった王都の焼き菓子屋さんもある」
ざわりと、葉が大きく揺れた。
やはり食いついた。
フィルはあの焼き菓子屋の香りが好きだった。国宝の癖に甘いものが好きなのである。
「焼き菓子屋さん、守らなくていいの?」
さらさらさら。
これは——守る——そう言っている。
「良かったですね。守ってくれるそうですよ」
「焼き菓子屋で決まったのか⋯⋯?」
「はい」
ガイアス殿下は何とも言えない顔をした。
気持ちは分かる。私もそう思う。
王国の命運が焼き菓子屋で決まるの、どうなんだって感じだよね⋯⋯。
◆
その後、フィルは私の家の庭に根を下ろしたまま、王都まで届く結界を張るようになった。
王宮では大問題になったらしい。
国宝が田舎町に移住したのだから当然だ。
でも、フィルは戻らなかった。
私も戻らなかった。
代わりに王家は、この町に結界樹管理庁の支部を作った。支部と言っても、実質私の家の隣に建てられた小さな事務所である。
私は王宮結界樹管理官ではなく、結界樹相談役という謎の役職に就いた。
給料は前の五倍になった。正直ちょっと嬉しい。
「フィル、お水だよ」
さらさら。
「今日は機嫌良いね」
さらさら。
「王都の結界は?」
さらさら。
「ちゃんと張ってる?偉いね」
さらさら。
フィルは嬉しそうに葉を揺らした。
やっぱり褒められるのが好きらしい。
そうして私は今日も、田舎町でフィルの世話をしている。
王宮を追い出された時は、これからどうなることかと思った。
でも案外、悪くない。
王宮の堅苦しい空気も無いし、嫌味を言ってくる貴族もいないし、休みも増えた。
ついでにフィルは前より元気だ。
まあ、王国の象徴が勝手に引っ越してきたせいで、町の観光客はかなり増えたけど。
「フローラさん! 結界樹饅頭、今日も売り切れです!」
「また?」
近所のお菓子屋さんが嬉しそうに報告してくる。
結界樹饅頭。
最近この町で流行っている謎のお菓子である。
フィルの葉っぱの形をしている。ちなみにフィルも気に入っている。
香りだけだけど。
「フィル、良かったね」
さらさら。
白銀の葉が楽しそうに揺れる。
国宝で、王国の守護樹で、ちょっと寂しがり屋で、かなり甘えん坊。
そんなフィルは、今日も私の庭で元気に生えている。
私は幹を軽く叩き、笑った。
「これからもよろしくね」
さらさら。
返事をするように、葉が優しく揺れた。
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