亡くなった父の代わりに伯爵領の領地経営をしていたら、侯爵家の跡取りのはずの幼馴染が婿入りしてきたんですが!
幼い頃、約束をした。
『フェリシア、ぼくのおよめさんになって!』
頬を熟れた林檎のように真っ赤に染めて求婚してきたのは、当時七歳だった幼馴染のアンドレ・ファヴァールだった。
ファヴァール侯爵家の跡取り息子からの愛の告白に、四歳でまだまだ幼かったフェリシアは何も考えずに『うん!』と頷いたのだ。
彼女の返事を聞いてぱあっと顔を輝かせたアンドレは『ぜったい、ぜったい約束だからね!』と念押しをしてきて、幼いながらに嬉しかったフェリシアも『やくそくよ!』と伝えた。
幼い日のかけがえのない思い出。優しくて温かくて、思い出すだけで心が満たされる。
幼さゆえの、約束だった。
「ん……」
いつの間にか転寝をしていたらしい。
夢の残滓を振り払うように首を左右に振って眠気を覚ましたフェリシアは口の中で欠伸をかみ殺した。
目の前に置かれている書類にはミミズがのたくったような意味不明の線が引かれていて、到底サイン足りえない。
苦い表情で書類を書き直すことに決める。
白い紙を一枚取り出して内容を写し始めたフェリシアの脳内を占めるのは、まだなにも世界の仕組みを知らなかった頃の優しい思い出だ。
「アンドレ様はお元気かしら……」
ぽつんと呟きが落ちる。ペンが紙の上を走る音だけを聞きながら、浅く息を吐いた。
現在リネール伯爵家の当主はフェリシアだ。当主である父が四年前に馬車の事故で他界して以来、母がリネール家を支えてたが、元々深窓の令嬢であり領地経営の知識などほとんどなかった母には重荷だった。
母が信頼して領地に関する資料を任せていた人間に裏切られたうえ、昨年の天災の影響もあり領地は荒れた。
フェリシアはリネール伯爵家の一人娘として将来婿を取り家を継ぐことが幼い頃から決まっていたから、領主としての勉強も受けてはいた。
とはいえ、父が亡くなった当時十二歳の子供に領地経営を任せてもらえるはずもなかった。
三年の間死に物狂いで勉強し、去年十五歳の誕生日を迎え成人と認められたフェリシアは、寝る間も惜しんで領地を立て直そうと奮闘している。
(婚約が白紙になったのは気にしてないけど、アンドレ様には未練がまだあるんだろうなぁ……)
父が亡くなるまでフェリシアには婚約者がいた。グレゴリ・グラミアンという伯爵家の次男だった。
相手がアンドレでなかったのは、彼は次期ファヴァール家の跡取りで、婿入りなどできなかったからだ。
貴族の結婚は政治である。本人たちが想いあっていても、それが叶うことはほとんどない。
フェリシアとアンドレもそうだっただけのことだ。
とはいえ、グレゴリとの婚約も白紙に戻っている。
それというのも、父親が亡くなった際にリネール伯爵家に未来はないと判断され、婚約を破棄されたのだ。
それ自体は別にいい。当時のフェリシアはまだ幼くて当主足りえなかったし、母は領地経営などさっぱりだった。
落ちぶれていくのが目に見えている家と縁を結びたいと思う物好きなどいるはずもない。
身軽になったことで、逆に息がしやすくなった。
婚約者の存在を気にせず我武者羅に勉学に打ち込み、領地を立て直す方法をとことん学んだ。
その甲斐あって、フェリシアが当主となってから少しずつ領地は立て直されつつある。
いずれどこかのタイミングで適当な貴族の次男か三男を婿にとらなければならないが、それは領地経営が完全に軌道に乗った後になるだろう。
結婚適齢期は逃すかもしれないが、そんなことを心配している場合ではない。
「はぁ~」
肺を空っぽにするように特大のため息を一つ吐き出す。
今は目の前の書類を片付けるのが先決だと黙々と手を動かし続ける。
ふいに部屋に響いたノックの音に集中が途切れた。
顔を上げたフェリシアが入室を許可すると、父の代から仕えてくれている壮年の執事が姿を見せる。
「フェリシア様、グラミアン家からお手紙が届いております」
「グラミアン家から?」
元婚約者の伯爵家の名を出されて不思議に思いつつ、執事が差し出した手紙を受け取る。
封蠟はたしかにグラミアン伯爵家のものだ。
執務机の引き出しからペーパーナイフを取り出して手紙を開け、中身に目を通した彼女は二度目のため息を吐きだしてしまった。
「……嫌がらせじゃない」
ぱさりと執務机に手紙をほうる。
夜会への招待が綴られているが、最近風の噂で新しい婚約者が出来たと聞いているから、お披露目を兼ねているのだろう。
(元婚約者の私を引っ張り出す理由……自分は悪くないと主張したいのでしょうね)
この一年のフェリシアの身を粉にした献身的な仕事によって、領地が立てなおりつつあるのが気に入らないのかもしれない。
グレゴリは昔からプライドだけは高かったので、自身が見限ったフェリシアが結果を出しつつあるのが面白くないのだと推察できる。
「でも、断るわけには……いかないのよねぇ……」
社交もまた貴族の義務の一つだ。
辱められると分かっていても確たる理由がないのに欠席をすれば、持ち直しつつあるリネール伯爵家の評判が落ちる。
心配そうに見つめてくる執事に肩をすくめ、執務机から上質な便箋を取り出す。
「お返事を書くわ。出してもらえる?」
「畏まりました」
恭しく頭を下げた執事の前で、出席を告げる返事をしたためる。
執事に託して、再び書類の山に向き直るのだった。
▽▲▽▲▽
サイズの合わなくなっていたドレスを仕立て直し、夜会への参加の準備を進めた。
領地が危機に陥った際に売却してしまったため、屋敷で一つしか保持していない馬車に乗る。
エスコートを頼める異性がいないので、一人での参加だ。
グレゴリはそのあたりの事情も見越していたのだろう。
(何を言われるのかしら)
碌なことでないことだけは確実だ。ため息を押し殺して、凛と背筋を伸ばした。
グラミアン伯爵家の領地はリネール伯爵家の領地と隣接している。
当主を失ったことでリネールの領民が苦しんでいる間もグラミアン領は発展を遂げていただけあって、屋敷は煌びやかだった。
婚約者時代に訪れた時より豪奢なシャンデリアが吊るされ、屋敷の中にはいたるところに輝きを放つ美術品が飾られている。
端的にいって趣味が悪い。成金の商家のようだと感じつつ顔には出さない。
会場の端で壁の華を決め込んでいたフェリシアの元に、女性を連れたグレゴリが現れる。
「久しぶりだな、フェリシア」
「グレゴリ様、お久しぶりです」
ドレスの裾を持ち上げて頭を下げる。
綺麗なカーテシーをしたフェリシアが頭を上げると、グレゴリが値踏みするように上から下まで舐めるようにみている。
不快だが、表には出すようなことはしない。
「相変わらずの貧乏生活か」
「グレゴリ様、そんなことを仰っては可愛そうですわ」
窘めるようでいて楽しげな声音を発したのは、グレゴリの新しい婚約者だ。
ふわふわのピンクブロンドの髪を肩口で切り添えた少女は、豊満な身体を主張するようなドレスを身に着けている。
凛とした面差しの美人と評されるフェリシアとは真逆のタイプだった。
「初めまして、クリス様」
「あら、わたしのことをご存じなの? はじめまして、フェリシア様」
男爵令嬢クリス・シャルトー。
次男とはいえ伯爵令息のグレゴリが男爵令嬢を婚約者に迎えたのは少し意外だった。
「フェリシア様には感謝しておりますの。貴女のおかげでわたくしはグレゴリ様に愛されることが出来ましたから」
ふんわりと笑っているようで、その視線は値踏みするものだ。
そういう目でみられることにも悲しいけれど慣れてしまった。
父が亡くなってからずっと、好奇の視線にさらされ続けてきたから。
「二人が幸せならよかったです」
「お前に提案がある」
やんわりと話を切り上げようとしたフェリシアに、圧を感じる言葉がかかる。
グレゴリを見上げれば、彼は口角を吊り上げた。
「お前を側室に迎えてやってもいい」
「……は?」
低い声が出た。この国では貴族は第二夫人まで迎えることができる。
しかし、普通は爵位の高い令嬢が第一夫人だ。
男爵令嬢のクリスを第一夫人にして、伯爵令嬢のフェリシアを第二夫人に、というのは常識に照らし合わせると可笑しな話でしかない。
それに、第二夫人まで迎えられるといっても、それは夫に先立たれ一人残された女性を救うのが目的とされている現代において、健康で一応は未来もあり、さらにはリネール家当主であるフェリシアを、というのは常軌を逸していた。
「いい提案ですね! わたしも賛成です!!」
クリスがきゃらきゃらと笑う。蔑みの色を見て取って、流石のフェリシアも眉を顰めた。
流石に反論しようと口を開きかけ、ふいに視界に入った姿に驚いて目を見開いた。
「……アンドレ様?」
「ああ! やっと見つけた! フェリシア!!」
嬉しそうに声を弾ませたのはアンドレだ。
父が亡くなって以来、忙しくて数年会っていない間にずいぶんと身長が伸び、引き締まった体躯と端整な顔が魅惑的だ。
息を飲んだフェリシアの前にいたグレゴリとクリスが振り返る。二人揃って驚いているのが伝わってきた。
「フェリシア、話がしたい。こっちにきてくれないか」
「まて! まだ話は途中だ!!」
「……お前は?」
フェリシアを見つめていた明るい瞳とは対照的に、グレゴリを見据える瞳は冷たい。冷酷な瞳に射抜かれたグレゴリが思わずと言った様子で一歩後ろに下がる。
「僕はグレゴリ・グラミアンだ!」
「――ああ、フェリシアを捨てたグラミアン家の次男か」
目を細めて言い放たれた言葉にグレゴリが僅かにたじろぐ。
彼から視線を話したアンドレが、甘えるような笑みを浮かべたクリスを眺める。
「そちらの令嬢は」
「クリスでーす!」
「尻軽と噂のご令嬢か」
「は?!」
あんまりな単語が跳び出してクリスが裏返った声をあげる。
アンドレは両腕を組んで、苛立ちを隠す様子がない。
「私の記憶通りなら、先日の夜会では他の男性をパートナーにしていたはずだが」
「なに?!」
声を荒げたグレゴリにクリスが慌てて弁明する。
「違います! 言い寄られて困っていたんです!!」
「違うな。君が言い寄って付きまとっていた」
「嘘言わないでください!!」
ヒステリックに叫んだクリスから視線を外し、再びアンドレの眼差しがフェリシアに注がれる。
甘ったるい瞳に見つめられると、心臓が可笑しくなる。
「アンドレ様、私」
「フェリシア、今日は君に結婚を申し込みに来た」
「っ」
穏やかに告げられた言葉に、目を見開く。どうして、と疑問が口から零れ落ちた。
アンドレはファヴァール侯爵家の跡取りだ。リネール伯爵家に婿入りなどできない。
かといって、フェリシアにはリネール伯爵家を見捨てることもできないのだ。
アンドレの告白にグレゴリとクリスも驚いている。
二人を避けてフェリシアの前に膝をついたアンドレが愛を乞う。
「私は、やっぱり君を諦められない」
「で、でも。ファヴァール侯爵家は……!」
「弟が跡を継ぐことになった。私は好きに生きる許可を得たんだ」
時間がかかってしまった、と彼は悔やむように告げる。
でも、とさらに言葉を重ねてしまったのは、信じられなかったというより、怖かったからだ。
「婚約者の方がいたはずでは……?」
「彼女との婚約は『ファヴァール侯爵家を継ぐ者と』交わされたものだった。家督が譲られたのと同時に、一緒に弟の婚約者になったんだ」
だから、とアンドレは甘やかに笑う。
「俺はいつでも婿入りできる。君と領民を支えることを誓おう」
侯爵令息、それも長男であるアンドレが立場を捨ててフェリシアを求めてくれた。
それが、何よりも嬉しい。歓喜の涙が溢れて頬を伝った。
周囲が自分たちに注目していることに気づかないまま、フェリシアは笑み崩れる。
「はい、よろしくお願いします」
幼い頃、約束をした。
幼さ故の約束を、アンドレは守ってくれたのだ。
約束を守るために、どれだけの苦難を伴ったのか。理解できるからこそ、心底嬉しかった。
水を差したのは、呆然と二人のやり取りを見ていたグレゴリだった。
「まて! そいつの家は落ちぶれたんだぞ!!」
婚約を破棄した自分は悪くないと主張する言葉に、立ち上がったアンドレが目を細める。
冷徹な眼差しを再び向けられ、グレゴリが息を飲んだ。
「そうだな。それがどうした?」
「どうした、だと……!」
さらりと告げられた言葉にグレゴリが慄いている。
アンドレはフェリシアの肩を抱いて、彼を見下ろした。
「その程度、障害にはならない。私は領地経営も学んでいるからな。遊び惚けているお前とは違う」
高らかに言い切られ、グレゴリの頬に朱が昇る。
馬鹿にされていることはさすがに伝わっているようだった。
「いこう、フェリシア。屋敷まで送るよ」
「ありがとうございます」
促され、夜会の会場を後にする。
大勢の人が見ていることにいまさらながら気づいて、恥ずかしくなってしまった。
屋敷に送り届けてもらい、手を取られて馬車を降りたフェリシアをアンドレが抱きしめた。
「あ、アンドレ様……?」
「ずっと、こうしたかった」
噛みしめるように告げられた言葉には重みがある。
そっと体重を預けると、アンドレの力がさらに強くなった。
「こんなことをいってはいけないのだろうが、婚約が白紙に戻っていてよかった」
「はい」
「フェリシアがグレゴリと婚約したと知ったときには、嫉妬で狂いそうだったんだ」
「はい」
「だから、距離をとった。二人が幸せそうだったら、罵詈雑言を吐く自信があったから」
そっと身体が離される。少しだけで来た隙間が寂しい。
「もう二度と、離さない」
「はい」
唇に柔らかくて温かいものが降れる。目を瞑ったフェリシアは、その甘い感覚に酔いしれた。
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『亡くなった父の代わりに伯爵領の領地経営をしていたら、侯爵家の跡取りのはずの幼馴染が婿入りしてきたんですが!』のほうは楽しんでいただけたでしょうか?
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