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2.プレアには理解できなかった




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その日プレアが目を覚したのは、白く区切られた一室だった。

一目見て自分が自室ではない、異様な場所にいることに気づく。

炎のゆらめきなく発光する灯り。手首からつながる管。窓には非常に純度の高いガラスが嵌め込まれ、柔らかな日差しが差し込む。

プレアはゆっくり身を起こした。

糊のきいたシーツはおそらくプレアが高熱を出した際に発せられた熱でぐしゃぐしゃだ。


「……私、どこにいるのかしら」


不運なことに16歳の誕生日前夜に高熱を出してしまった。

あまりにも突然だったため、誕生日パーティーは延期もできなかっただろう。

主役不在の会になったに違いない。

今年はデビュタントの年だから、誕生日も盛大に準備していたのに残念。

どれだけ眠っていたのかわからないが、私にパーティーの喧騒を聞かせないよう、遠い部屋に移したに違いない。

でも、我が伯爵家にこんな部屋あったかしら?


そんな事をつらつら考えながら素足をフロアにつける。

床の冷気がつま先を通して上ってきて、少女の背筋を微かに震わせた。


「え」


窓に映る見知らぬ顔に固まる。

黒髪黒目の痩せぎすの少女が目をまんまるにしてこちらを見ていた。

プレアの顔とは似ても似つかない姿の少女だが、なぜかプレアの呼吸に合わせて動いている。

数分して、じわじわと理解が追いつく。


「どういうことなのです!!??」


勢いよく窓ガラスに張り付くと、プレアの手首から繋がっていた管が透明な袋を下げた物干しが盛大な音を立てて引き倒された。

白衣を着た男性と女性がすぐに音を聞きつけて、入室の許可も得ずに部屋に入ってきた。


「昴ちゃん、どうしたの」

「点滴倒しちゃったんだね。血が滲んでるから手を見せてもらえる?」

「貴方たちは一体誰!?私に何をするつもり!」

「昴ちゃん?」

「来ないで!!」


『昴』と知らない名前でプレアを呼び、さも当然のようにプレアの体に触れようとする白衣の男女。

さらに驚いたプレアは彼らから逃れようとベッドと壁の隙間に逃げ込むと、シーツや枕を自分の前に落として、彼らの進行を阻もうとした。

白衣の女性の方は身を翻して部屋から出ていき、男性の方はプレアを落ち着かせようとゆっくり近づいてきた。


「昴ちゃん、でも針を見ないと」

「そんなの知りません!あっちへ行って!!」

「落ち着いて、ね?」

「ホーデン家の令嬢として、見知らぬ男性に肌を見せることはできません!触らないで無礼者!!」


プレアが声の限り叫んだ時、落ち着いた老齢の男性の声が割り込んだ。


「お嬢様、落ち着かれてください。」


振り向くと戸口には穏やかな微笑みをたたえた老人が立っている。

老人は今まさにプレアに触れようとしていた白衣の男性に目をやると顎だけで退室を促した。


「私は医者。そして我々が行うのは医療行為です。神に誓って貴方に不名誉な真似は致しません」

「お医者様……」

「長く休まれていましたから、お身体のことが心配です。どうか診察をお許しいただけませんか?」

「……許します」


貴族の未婚女性が男性に肌を見せるのは御法度だが、医療行為なら別だ。

プレアは抵抗していた手の力を抜いてベッドの上に座り込んだ。


大人しくなったプレアに老医師はテキパキと診察を始める。

彼はいくつか彼女に問診もしたが、一度気が抜けたプレアは自身がどう答えたのか、記憶がない。

知らない世界の知らない人の体にいるという事態を飲み込むのに精一杯だったのだ。

医師は高熱による一時的な健忘症だとか、おそらく夜更かしして読んでいた漫画や小説に影響されて記憶が混濁しているのだろうと言っていたが少女にはよくわからなかった。


わかるのは、見るものも聞くものも全てがヘンテコなこの世界で知らない少女の体の中、たった一人であること。

令嬢育ちのプレアには、知らない世界の新しい物事を新鮮な驚きを持って受け止めるほど余裕はない。

突然変わった世界に心が壊れないように扉をシャットダウンしてやり過ごすしかできなかった。

それからは最初の混乱が嘘のようにぼんやりと過ごしたのだ。






7日たった頃だろうか、この体『昴』の母親が部屋にやって来た

小太りの中年女性で爪は短くひび割れ、疲れた顔やほつれた髪の毛から生活の疲れが滲んでいる。

パンパンに膨らんだ手提げカバンを2個持っており、そこから少女の身の回りのものを出しては音をたてながら棚にしまっていく。


「先生達に聞いたわよ。アンタあばれて先生たち困らせたんだって?」

「……」

「返事!!」


突然の叱責にプレアが肩をびくつかせる。

顔を向ければ『昴』の母親は目を三角にしてこちらを睨みつけていた。

広くない部屋の中にピンとはった緊張感が流れる。


「……ごめんなさい」

「謝ってすむなら警察いらないわよ!どうして周りに迷惑をかけるの!?漫画か本さえあれば大人しくしてるって言った癖に!この前もアンタ熱出してお母さんお母さん言って!先生に呼び出されちゃったじゃない!!こっちにも生活があるのよ!もう17歳なんだから大人になってちょうだい!」


撒き散らされる怒りに少女は身を固くした。

プレアがこの世界にきて、どうやらこの体の持ち主は貴族ではないらしいと察してはいたが、病人ということもあって皆んな丁寧に接してくれていた。

ここまで乱暴に扱われたことは初めてだった。


「お母さんは仕事があるの!仕事しなかったらアンタも病院に入れないし、弟もご飯食べられないでしょ!!家族みんなのために頑張っているんだからアンタも自分でなんとかして!」

「……はい」

「アンタ返事だけはいっつも上手なんだから!」


話は終わりとばかりに持っていたタオルでバサッとはたかれる。

プレアは屈辱に唇を噛んだ。


「……今日はおとなしいのね?」

「……」

「何かあった?」


プレアは適切な答えが見つからず、視線を落として黙り込む。

『昴』の母はベッドに腰掛けて彼女の肩を抱いてゆすった。


「どうしたの、どうしたの〜昴。お母さんに言ってご覧?」

「……」

「昴、スバル、すばるちゃ〜ん。ママの可愛いお星さま。いつもはこちらが聞いてないことまで喋り出すじゃあない。今日はどうしたの?」

「……いえ」


甘やかすような口調が不快に響く。

プレアは昨日のように混乱して騒ぎを大きくしないよう顔を逸らして耐えていたが、やがて女性はやり方を変えた。

お母さんに話せないっていうの……?と呟くと顔を覆って大声で泣き始めたのだ。

戸惑う少女に大人の激しい感情がぶつけられる。


「ごめんねお母さん、あんまりいいお母さんじゃあなかったね。そりゃあアンタが5歳の頃に離婚したのは悪かったと思ってるのよ。でもアンタの病気で疲れ切っていたし、弟は生まれたばかり、それにお父さんはあの病院の看護師の浮気してたのよ!?アンタが入院しなきゃあの二人が出会うこともなかったのに!お母さんもいっぱいいっぱいだったの!離婚するしかないじゃあない!!あんな人、子供に悪影響よ!今だって養育費も払ってないんだから!!!アンタの父親は最低よ!!!」


最初は穏やかな口調で次第に興奮からどんどん音量が大きくなっていき、最後には肩で息をしていた。

女性はそこまで一息に言い切ると、うって変わって、プレアに柔らかな音声で慈しむような目を向けた。


「大きい声出してごめんね。でもね、昴に幸せになってもらいたいって気持ちは本当よ。だってお母さんだもの」

「昴は?昴はどうしたい??」

「辛いことがあったらなんでも言って。私は貴方のお母さんなのだから」


女性の激しい感情の上げ下げに巻き込まれたプレアは疲れて頭がぼうっとしていた。

懇願するように握られた手の温かさは、プレアの本当の母を思い出させる。

だから結果的に言わなくていいことをプレアは口にしてしまったのだ。


「私、……わたくしは『昴』ではないのです。昨日、気づいたらこの女の子の体にいて、だからあなたの娘ではな」


その瞬間、猛烈なスピードの塊が頬に当たり、プレアの体は横倒しに投げ出された。

『昴』の母が、プレアの頬に渾身の力で拳を振り抜いたのだ。


「そうだと思っていたのよこの偽者め!!!!」

「えっ……え??」


再びプレアに拳が振り下ろされた。

そのままベッドに乗り上がって髪の毛を掴まれるとがくがく揺さぶられる。

病で細い体ではロクな抵抗もできず少女はされるがままになった。

騒動に気づいた看護師が部屋に乱入し、母親を引き離そうと二人の間に体を滑り込ませた。


「娘を返してよ!!この悪魔!!」

「お母さん落ち着いて!この子は娘さんですよ!!」

「違うわよ!全然違う!!!昴は私が産んだ子よ!!!わからないわけがないでしょう!!!」


白衣の女性たちに取り押さえられた女は、狂ったように叫び続ける。

気を抜けばプレアに飛びかかり暴力をふるうつもりなのだろう。

彼女の目は血走り、口角泡を飛ばしている様は鬼気迫るものがあった。

プレアは彼女に叩かれた頬をおさえて、悲しく『昴』の母親を見つめることしかできなかった。




そこからはプレアにとって悪夢の日々だった。

あんなに粗雑に扱っていた娘でも、中身が偽者と入れ替わっていたら許せないものなのだろうか。

一切話が通じなくなった母親は『昴』の様子を見にくることもなくなり、この病院の支払いも滞っているようで小さいながらも個室にいたプレアは、6人一部屋の大部屋に移され、医師たちもプレアの扱いに頭を悩ませている様子だった。


体調も一向に安定しない。

調子がいい日には体を起こして『昴』の所有する本を読んだりもできるけれど、プレアの培ってきた価値観とはかけ離れた物語ばかりで一冊読み切るだけでどっと疲れた。


病院では季節ごとに色々なイベントがあるらしく、同じ病室の子供は家族が同席して何やら楽しげに笑いあってる。

カーテンを閉めても完全にそれらを断ち切ることはできない。

自分には与えられないとわかっているのに、暖かい家族が笑い合う姿を一人眺め続けるのは辛い。


プレアとて彼女の娘の体を拝借してしまって、申し訳ないとは思っている。

戻れるものなら戻りたい。

でもどうしようもないのだ。

ここに来た方法もわからないのに帰る方法など見当もつかない。

きっと本物の『昴』もプレアの体で苦しんでいるに違いなかった。





プレアの診察は、あの老医師が行なっていた。

彼女にとって、今ではこの老人だけが構えずに接することできる人間だった。


「君を別の病院に移す話が出ている」

「……はい」

「君のお母様はこれまでのように君を支援し続けるの困難だと判断したんだ。大丈夫、悪いところじゃあないさ」

「皆様のよろしいように、なさってください」


細い声で少女は答える。

老医師は書類の端を整えるとプレアに話しかけた。


「……君は確か伯爵令嬢だったね?」

「ええ」

「ご令嬢には、ここでの生活は大変だったんじゃないかね?」

「……」

「お世辞にも健康とは言えない体のわけだし」

「……体だけではありません、私の暮らしていた場所はこことは常識も価値観も何もかも違います」

「ああそうだったね。『昴』さんの体に入ってしまった『プレア』さんだったか」


老人は口の中でプレア、プレアと繰り返し、年寄りには発音が難しいねえと目を細めた。


「ではプレアさん、この先の生活に不安はないかい」

「特に何も。どこに行っても同じですもの。私は違う人の体で違う人の運命を歩んでいかなければならないのです。本当の自分の生を失って」


青白い横顔は老医師を見ていない。



「では本当の自分とは何だろうね?」

「え」

「君の話が本当だとして、体が入れ替わった君は、もはや伯爵令嬢プレアと言えるのだろうか?反対に、『プレア』の精神が入った『昴』の肉体は『昴』だと言えるのだろうか」

「お話が、見えませんわ」


老医師はフッと笑った。


「君に責任は何もないということだよ。精神が入れ替わったと言うが、その人を形作るものは精神だけじゃないだろう。その体だって大事な娘を構成する要素の一つだ。そう考えると、中に誰がいようと親が娘の体を大事にできないのはおかしいじゃあないか」

「先生……」

「つまり人間とはその魂だけを指すのではなく、体も学んだことも環境も含めてその人自身を指すと私は思うんだがね」


「君は君の思う通り生きていいんだ」


その言葉は暗闇の中の灯火のように、プレアの心に希望を宿した。

思う通りに生きていいと第三者から言われたことが、少女のこれからの生を肯定したのだった。





少女の心に希望のあかりが灯ったその夜、『昴』の体は発作を起こした。

深夜にも関わらず彼女のベッドの周りには白衣の人々が忙しく立ち回る。

少女の体につながる管が増え、重々しい機械が揃えられ小虫のような音を立てて動いていた。

周囲の尽力も甲斐なくこの体の寿命が間も無く終わるとプレアは気づいていた。

少女の胸のうちに安堵が広がる。

これでやっと悪夢が終わるのだ。

思う通りに生きるという希望は、いまや死んで何も考えなくて済む解放感の前に意味をなさない。

少女は微笑みながら自らの人生を手放そうとしていた。


鼓動が一つ大きく鳴って瞼の下に溜まっていた涙が流れていく。

プレアの意識は急速に溶けていった。

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