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礼金無双のマンションオーナー ~相場よりも安い賃料でカモを釣り、住人の秘密を暴いて即追い出す~全室隠しカメラ完備ですが、覗きが趣味ではありません  作者: 団田図
第2章 金融庁職員 葛城誠三(45)

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第8話 崩壊する完璧

 翌日、事態は「あり得ない」方向へと転がっていった。


 朝、情報収集のために開いたスマホの画面で、信じがたい通知を目にした。

 留置所にいるはずのミナのSNSアカウントが、更新されていたのだ。


『私は操られていただけ。黒幕はこのマンションに潜んでいます』


 投稿されていたのは、『レジデンス・アルゴス』の特徴的な外観写真。

 エントランスに飾られた、あの不気味な孔雀のオブジェまで鮮明に写っている。


「な……っ!?」


 私はパニックに陥った。

 本当にミナか? それとも警察の囮捜査か?

 いや、留置所にスマホなど持ち込めるはずがない。警察が更新しているなら違法捜査だ。誰だ? 誰がやっている?

 ネット上では、既に「特定班」と呼ばれる有象無象が動き出していた。

『このオブジェ、高級住宅街のアレじゃね?』

『レジデンス・アルゴス確定』

『黒幕はここの住人か』

 私のマンションが、リアルタイムで特定され始めていた。


 さらに、追い打ちをかけるような投稿が続く。


『10億円の隠し場所は、あの人の頭の中。毎晩、呪文のように唱えています』


 私は悲鳴を上げて、スマホを床に投げ捨てた。

 液晶が砕ける音が響くが、そんなことはどうでもよかった。


 なぜ、知っている?

 毎晩の儀式は、誰にも見せていない。

 声にも出していないはずだ。頭の中で反芻していただけだ。

 ミナにすら話していない「脳内金庫」の秘密が、なぜネットの海に放流されている?


 疑心暗鬼が、私の理性を急速に蝕んでいく。

 思考盗聴か?

 隠しカメラか?

 私は奇声を発しながら、壁や床を叩いて回った。


「どこだ! どこで見ている!」


 荒い息を吐きながらリビングの真ん中で立ち尽くす私の背後で、突然、大型テレビが勝手についた。

 リモコンには触れていない。

 画面は砂嵐ノイズで埋め尽くされている。

 ザーーーッという不快な音が鼓膜を揺らす中、一瞬だけ、ノイズの中に太いゴシック体の文字が浮かび上がった。


『Escape(逃げろ)』


 ひっ、と喉が鳴る。

 この部屋そのものが、生き物のように私を追い詰めてくる。

 壁の向こう、天井の裏、床の下。

 なにかしらの「影」の存在を感じずにはいられなかった。


+++


 窓の外を見ると、通りには既にマスコミの中継車と、スマホを掲げた野次馬たちが集結していた。

 SNSの拡散力は恐ろしい。

 ここは一夜にして「疑惑の要塞」として注目の的になっていた。


 私は極限状態にあった。

 逃げなければならない。

 ここに居続けては、精神が崩壊する。

 だが、金はどうする?

 10億円を持って高飛びするしかない。

 大丈夫だ、金は「ここ」にある。私の頭の中に。

 私が移動すれば、10億円も移動する。

 物理的な荷物などいらない。身一つでここを出て、空港へ向かい、国外へ脱出すればいい。


 私は震える手で予備のノートPCを開き、念のためにウォレットへのアクセスを試みた。

 秘密鍵を入力し、残高を確認して安心したかった。

 ログイン画面が表示される。

 24個の英単語を入力する欄が並ぶ。


「……Apple」


 一つ目は出てきた。

 次は?


「……River」


 その次は?


「……Sky」


 その次は?


「……」


 出てこない。

 白い空欄の前で、指が凍りついたように止まる。

 なんだっけ。

 Appleの次はRiver、その次はSky……その次は?

 Justiceだったか? それともMonsterだったか?

 いや、Monsterはもっと後半だったはずだ。


「なんだっけ……あ、ありえない……」


 冷や汗がキーボードに滴り落ちる。

 焦れば焦るほど、記憶が霞んでいく。

 連日の不眠。恐怖。そして何より、今のパニック状態が、脳の海馬を締め上げている。

 思い出せ。

 俺の10億だぞ。命より重い金だぞ。

 忘れるわけがない。忘れていいはずがない。


「Just……いや、違う、Jungle? January?」


 違う。どれも違う。

 記憶の糸が、プツリと切れている。


 その時、部屋のインターホンがけたたましく鳴り響いた。

 モニターを見る余裕すらなかったが、ドアの向こうから男の怒鳴り声が聞こえた。


「警察だ! 開けなさい!」

「管理会社から、入居者が錯乱していると通報がありました! 緊急事態として解錠します!」


 管理会社……イオ・トラストか。

 あの元刑事だという管理人の声だ。

 通報? 私が錯乱?

 ああ、そうか。この部屋で私が暴れていた様子も、すべて監視されていたのか。


 ガチャリ、と電子ロックが解除される音がした。

 終わる。

 全てが終わる。

 彼らが入ってきたら、私は拘束される。

 思考が中断される。

 そうなれば、私は二度とこのパスワードを思い出せなくなるかもしれない。

 今のこの恐怖の中で、記憶を繋ぎ止めなければ。

 忘却の彼方に消え去ろうとする10億円を、物理的な音にして繋ぎ止めなければ。


 私は錯乱し、大声でパスワードを叫び始めた。


「Silver! Monster! Sky! 忘れるな、俺の10億!」


 ドアが蹴破られる。

 踏み込んでくる数人の警官たち。

 その後ろに立つ、初老の管理人の冷徹な目。

 私は彼らに取り押さえられ、冷たい床に顔を押し付けられながらも、まだ呪文のように単語を連呼していた。


「Elephant! Tower! 違う、Tomorrowだ! ああああっ! 俺の金が! 俺の頭の中に!」


 手錠の冷たい感触が、私の手首に食い込んだ。

 私の「完全犯罪」は、自身の絶叫と共に崩れ去った。


+++


 取調室の空気は、乾燥していて冷たかった。

 カツ丼など出ない。あるのは無機質なパイプ椅子と机だけだ。


 私はまだ、一縷の望みを抱いていた。

 逮捕されたとはいえ、私が叫んだ単語は支離滅裂だったはずだ。

 正しい順番も、正確な単語も、警察に特定できるはずがない。


 証拠はないはずだ。黙秘すれば、10億は守れる。


 脳の疲労も回復して記憶が戻た今、黙秘権を行使し、拘留期間を耐え抜けば、いいだけの事。

 そして、出所後に金を引き出せる。


 しかし、対面に座った刑事は、私を哀れむような、それでいて冷ややかな目で見ていた。

 彼は一枚の書類を、テーブルの上に滑らせた。


「往生際が悪いな、葛城。共犯者のミナから全て提供されたよ」


 それは、司法取引に応じたミナの供述調書だった。


「彼女、あんたの寝言をずっと記録してたんだとさ」


「……は?」


 私は間の抜けた声を出した。

 寝言?


「毎晩毎晩、うわごとのようにパスワードを唱えていたそうだ。隣で寝ている女がいるのにな。彼女、最初は気味悪がってたが、途中から『何かの暗号かも』と思って、スマホの録音機能で全部録ってたらしい」


 血の気が引いていくのがわかった。

 毎晩の儀式。

 無音で、頭の中だけで唱えていたつもりだった。

 だが、私は声に出していたのか?

 深層心理の恐怖が、無意識のうちに唇を動かしていたのか?


「おかげで、押収した録音データを解析して、ウォレットには無傷でアクセスできたよ。10億円、全額没収だ」


 私は呆然と口を開けたまま、言葉を失った。

 私の完璧な「脳内金庫」は、隣で眠る、私が「空っぽな人形」だと見下していた女には筒抜けだったのだ。

 鉄壁のセキュリティも、最強の暗号も、私の傲慢さと寝言の前では何の意味もなさなかった。


 そして、あの部屋で感じた視線、勝手に動いた家電、SNSの投稿……。

 あれは一体何だったのか。

 私が追い詰められ、自滅していく様を、誰かが特等席で楽しんでいたとでもいうのか。


 刑事が思い出したように付け加える。


「ああ、それと。マンションの管理会社から請求書が届いているぞ」


 渡された封筒。

 差出人は『株式会社イオ・トラスト』。

 中に入っていた請求書を見て、私は目が飛び出るかと思った。


 壁紙の張り替え、床の修繕、破壊した共用部の弁償。

 それらはまだいい。

 問題は、その下に続く項目だ。


『短期解約違約金(家賃2ヶ月分)』

『原状回復費用(特別清掃費含む)』

『セキュリティシステム復旧費』


 並んでいる数字は、常識外れの金額だった。

 私が逮捕されることを見越していたかのような、迅速かつ冷酷な請求。

 敷金も礼金も、戻ってくるどころか、更なる借金を背負わされる額だ。


「……は、はは」


 乾いた笑いが漏れた。

 10億円も、社会的地位も、プライドも。

 そして住む場所さえも。

 全てを失った。


 私は書類を握りしめたまま、留置所の冷たい壁に向かって、子供のように声を上げて泣くしかなかった。

 私の涙を記録するカメラだけが、部屋の隅で赤く光っていた。


第2章 完




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