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礼金無双のマンションオーナー ~相場よりも安い賃料でカモを釣り、住人の秘密を暴いて即追い出す~全室隠しカメラ完備ですが、覗きが趣味ではありません  作者: 団田図
第2章 金融庁職員 葛城誠三(45)

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第6話 盤石の要塞と肉の帳簿

 このマンションを選んだ理由は、ただ一つ。

 『完璧なセキュリティ』だ。


 重厚な石造りの外壁は、外界の喧騒を完全に遮断する。窓は防弾ガラスに匹敵する強度を持ち、隣室の生活音など微塵も聞こえない。エントランスには最新鋭の不審者監視システム。

 ここは要塞だ。

 私が手を染めた「インサイダー取引」の拠点として、これ以上の場所は存在しなかった。


 リビングのソファに深く沈み込み、私はグラスの中で琥珀色に輝くウイスキーを揺らす。

 氷が触れ合う澄んだ音が、静寂の支配する室内に響く。

 この『レジデンス・アルゴス』の謳い文句は、「百の瞳が、あなたの眠りを守る」だったか。

 実に結構だ。

 私の眠りを妨げるものは、国家権力であれ、裏社会の有象無象であれ、何人たりとも許さない。この閉鎖的な威圧感こそが、今の私には心地よかった。


 かつて、私は「市場の番人」だった。

 金融庁・証券取引等監視委員会、課長補佐。それが私の肩書きだった。

 日々、市場の公正を守るために目を光らせ、不正を働く輩を摘発する。それが正義だと信じていた。

 だが、現実はどうだ?

 法改正の隙間を縫うようなスキームで、巨万の富を得る若造たち。

 明らかな詐欺まがいのICOで投資家から金を巻き上げ、ドバイへ高飛びするインフルエンサー。

 私が必死に追いかけ、証拠を固め、ようやく逮捕までこぎつけたとしても、彼らが失うのはトカゲの尻尾だけだ。隠し持った資産で執行猶予中も豪遊し、法の網を嘲笑うかのように生き延びる。


「正直者が馬鹿を見る」

 使い古されたその言葉が、私の心臓をどす黒いさびで覆い尽くしていった。

 長年の奉仕、安月給、身を削るような激務。その対価がこれか?

 ルサンチマン。

 そう、これは復讐なのだ。

 まともに機能しない社会システムと、私をただの「歯車」として使い潰そうとした組織への。


「俺ならできる」

 ある夜、押収した資料を整理していた時に、ふと囁く声が聞こえた。

 それは悪魔の誘惑ではなく、プロフェッショナルとしての冷徹な分析結果だった。

 彼らの手口は稚拙だ。脇が甘い。

 情報の入手ルート、資金洗浄のプロセス、そして実行犯の選定。どこかに必ず綻びがあるから、私のような人間に捕まるのだ。

 ならば、市場の裏側を知り尽くした私が計画すればどうなる?

 法の抜け穴、捜査の限界点、監視アルゴリズムの癖。すべてを熟知した私が指揮を執れば。

 答えは明白だ。

「完全犯罪」が成立する。


 私は闇に堕ちたのではない。

 より高次なステージへと進化したのだ。


+++


 シャワールームから、水音が止んだ気配がした。

 しばらくして、バスタオルすら巻かずに全裸のままで、ミナがリビングへと戻ってくる。

 濡れた髪から滴る水滴が、磨き上げられたフローリングに小さな染みを作った。

 彼女は私の愛人であり、そして私の犯罪における「実行犯」だ。


誠三せいぞうさん、終わったよぉ。……あ、またお酒飲んでるぅ」


 甘ったるい声。緩みきった表情。

 彼女は自分が何をしているのか、その重大さをこれっぽっちも理解していない。

 だが、それでいい。

 賢い人間は疑念を持つ。恐怖を抱く。裏切りを画策する。

 ミナのように、承認欲求だけが肥大化し、私の指示通りに動けばブランド品が手に入ると信じ込んでいる「空っぽな人形」こそが、この計画には最適なのだ。


「こっちへ来い」


 私はソファに座ったまま、顎で目の前を指し示した。

 ミナは媚びるような笑みを浮かべ、子猫のように四つん這いで近づいてくる。

 私はサイドテーブルに置いてあった、真っ赤なルージュを手に取った。シャネルの新作。彼女に買い与えたものだ。


「うつ伏せだ」

「えぇ? もう、誠三さんったら。今日は激しいのがいいの?」


 的外れな期待を含んだ声を無視し、私は彼女の背中を平手で軽く叩いた。

 ミナは大人しくうつ伏せになり、白い背中を晒す。

 私はルージュのキャップを外し、その滑らかな肌に、真紅の先端を押し当てた。


『86493』


 背骨に沿って、数字を書き殴る。

 芯が折れそうなほど強く押し当てたせいで、ミナが「んっ、くすぐったいよぉ」と身じろぎした。


「動くな」


 私は氷のような声で言った。


「書き損じたら損失が出る。いいか、これが明日の『銘柄コード』だ」


 続けて、その下に目標株価と、売却のタイミングを書き込んでいく。

 彼女の背中は、最高のホワイトボードだ。

 紙に残せば証拠になる。

 デジタルデータで送れば、どんなに暗号化してもログが残るリスクがある。

 だが、彼女の肌なら、シャワーを浴びれば消える。

 記憶する必要すらない。彼女は明日、この背中に書かれた数字をスマホで撮影し、証券アプリに入力し、その後すぐに洗い流す。

 それだけで、数千万円の利益が私の懐に転がり込むのだ。


 書き終えた私は、ルージュを持ったまま、彼女の身体を品定めするように視線を這わせた。

 豊胸手術を受けた胸のライン。高くした鼻筋。

 かつては美しかったのかもしれないが、今の私には「減価償却の終わった資産」にしか見えなかった。


「……肌の質が落ちているな」


 独り言のように呟きながら、私は彼女の太腿に赤いラインを引く。


「えっ? そ、そうかな? 最近エステサボっちゃってて……」

「資産価値としては暴落気味だ。メンテナンスコストが見合わなくなってきている」

「なにそれぇ、難しい言葉わかんないよぉ」


 ミナはケラケラと笑い、身体を反転させて私の膝に縋り付いてきた。


「ねえ、今回のあがりが出たらさ、バーキン買っていい? 約束だったでしょ?」


 上目遣いでねだる彼女の瞳には、欲望しか映っていない。

 私は冷ややかな目で、その整形された二重まぶたを見下ろした。

 この女も、そろそろ潮時か。

 承認欲求が強すぎる。最近、私の忠告を無視してSNSでの投稿が増えているのが気になっていた。

 いくら匿名アカウントとはいえ、生活レベルの急激な上昇は、鼻の利く税務署や捜査員の目を引きつける。

 『損切り』脳裏にその単語が浮かぶ。

 情などない。あるのはリスク管理だけだ。


「ああ、好きにしろ。ただし、目立つ行動は慎めと言ったはずだぞ」

「わかってるってばぁ。私だって捕まりたくないもん」


 捕まる?

 お前が捕まるのは勝手だ。

 問題は、私に火の粉が降りかかるかどうか、それだけだ。

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