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礼金無双のマンションオーナー ~相場よりも安い賃料でカモを釣り、住人の秘密を暴いて即追い出す~全室隠しカメラ完備ですが、覗きが趣味ではありません  作者: 団田図
第1章 バリキャリ母 高村麻美(32)

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第1話 相場の七割、鉄壁の城

 目の前に広げられたその物件資料は、あまりにも条件が良すぎた。

 都内の閑静な高級住宅街。重厚な石造りの外観に、最新鋭のセキュリティシステム。それなのに、家賃の数字だけが奇妙なほど現実味を欠いている。


「……あの、これ。本当にこの金額なんですか?」


 私は眉をひそめ、不動産屋の営業担当に問いかけた。

 私の指先が示しているのは、『レジデンス・アルゴス』という名の低層マンションの募集図面だ。記載された賃料は、このエリアの相場と比べて明らかに三割は安い。


「この設備と立地で、相場の七割……安すぎませんか? 事故物件だとか、何か裏があるんじゃ」


 広告代理店の人間として、うまい話には必ず裏があるという教訓を骨の髄まで叩き込まれている。私の警戒心に気圧されたのか、不動産営業マンは身を乗り出して大げさに手を振った。


「いえいえ! とんでもない! 事故物件なんかじゃありませんよ。実はですね、こちらのオーナー様が建物を相続されたばかりでして」


 営業マンは声を潜め、ここだけの話、という手つきをする。


「空室を埋めるために、期間限定でキャンペーンを打っているいるんです。審査は独自の基準ですが、高村様の年収とご経歴なら即決ですよ。こんな『掘り出し物』、二度と出ません」


 相続、という言葉に少しだけ納得がいった。

 相続税の支払いに追われて現金化を急いでいるのか、もしくは単に相場を知らないお坊ちゃまがオーナーなのか。どちらにせよ、借りる側にとっては好都合な理由だ。


「ねえ麻美あさみ。すごくいいじゃないか」


 隣で抱っこ紐をつけた夫の健二けんじが、目を輝かせて資料を覗き込んだ。

 彼の胸元には、生後六ヶ月になる息子の春斗はるとが眠っている。


「見てよ、このセキュリティ。『アルゴス・アイ』だって。二十四時間体制の警備システムに、全部屋オートロック完備。見守りベビーカメラも無料貸し出ししてくれている。ここなら、春斗にとっても安心だよ」


 健二は育児休暇中の会社員だ。私の激務を支えるために育休を取得してくれたことには感謝しているが、金銭感覚の緩さと、物事を深く考えない楽天的な性格には時折不安を覚えることがある。

 けれど、「子供のため」という言葉には弱い。

 今のマンションは手狭になってきたし、私の収入ならこの程度の家賃は払える。それに何より、春斗の安全は何物にも代えがたい。


「……そうね。セキュリティが高いのは魅力的だわ」


 私はため息交じりに頷き、ペンを手に取った。

 営業マンが満面の笑みで契約書を差し出す。

 『レジデンス・アルゴス』。ギリシャ神話の巨人に由来するというそのマンションは、まるで私たちが来るのを待ち構えていたかのように、契約書の紙面の上で静かに佇んでいた。


+++


 引っ越しから数日が過ぎた休日のことだ。

 ここは賃貸マンションということもあって、管理組合やわずらわしいご近所づきあいも無く、ここに決めて満足している。

 私は玄関前の専用ポーチを掃き掃除していた。高級マンションだけあって、共用部の清掃は行き届いているが、自分の家の前くらいは自分できれいにしておきたい。

 春斗を寝かしつけた健二は、リビングでスマホをいじっている。平和な午後のひとときだった。


 その静寂が、怒号によって破られたのは突然だった。


「開けなさい! 通報があったんだ!」


 心臓が跳ね上がるような大声が廊下に響き渡る。

 私はほうきを持ったまま、恐る恐る顔を上げた。騒ぎは隣の部屋の前だ。数人の警察官と、管理人の男性がドアを取り囲んでいる。

 管理人は六十代前半くらいの白髪の男性で、元警察官だという話を不動産屋さんに聞いていた。普段から眉間に深いしわを刻み、鋭い眼光でマンション内を巡回している堅物だ。


 ドン、とドアが乱暴に開かれた瞬間、鼻をつくような甘ったるい異臭が漂ってきた。

 思わず鼻を押さえる。


「警察だ! 動くな!」


 部屋の中から引きずり出されてきたのは、大学生風の若い男だった。虚ろな目で抵抗しようとしているが、屈強な警察官たちにあっという間に取り押さえられる。

 手錠がかけられる金属音が、冷ややかに響いた。

 大麻所持の現行犯逮捕。ドラマでしか見たことのない光景が、わずか数メートル先で繰り広げられている。


「規約違反だ。即刻退去してもらいますからね」


 管理人が、連行されていく男の背中に向かって冷徹に告げた。その声には一片の慈悲もなく、まるで汚物を処理するかのような事務的な響きがあった。

 嵐のような騒ぎが去った後、廊下には再び静寂が戻った。

 私は動悸が収まらない胸を押さえながら、呆然と立ち尽くしていた。


「な、何があったの……?」


 騒ぎを聞きつけた健二が、顔を引きつらせて玄関から出てきた。


「お隣さん、大麻所持で逮捕されたみたい。管理人が警察を呼んだらしいのよ」

「えっ……逮捕って、マジかよ」

「でも、すごいわね。異変に気づいて通報するなんて。管理体制がしっかりしてる証拠じゃない?」


 私は恐怖よりも、むしろ頼もしさを感じ始めていた。

 『アルゴス・アイ』というセキュリティシステムの名は伊達ではない。ここなら、怪しい人物は即座に排除される。変な人は住めないようになっているのだ。

 働く母親として、これほど安心できる環境はない。


「本当にここにしてよかったわ」


 私がそう言うと、健二はなぜか視線を泳がせ、乾いた笑い声を上げた。


「あ、ああ、そうだね。厳しすぎるくらいが、ちょうどいいのかな……ハハ」


 その時の私は、夫のひきつった笑顔の意味を深く考えもしなかった。ただ、この要塞のようなマンションに守られているという安堵感に浸っていた。

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