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礼金無双のマンションオーナー ~相場よりも安い賃料でカモを釣り、住人の秘密を暴いて即追い出す~全室隠しカメラ完備ですが、覗きが趣味ではありません  作者: 団田図
第3章 女子アナ 東園寺マリ子(26)

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第11話 歪んだ頼もしさ

 春気の腕が優しく私の背中に回される。逞しい腕の感触と、高級なボディソープの香り。これこそが、私が勝ち取ったトロフィーだ。


「また霧嶋冴子?」

「そうよ。あいつ、私が狙ってた特番の司会を横取りしたの。しかも、私の新しいバッグを見て『パパ活でもしてるんじゃない?』みたいな嫌味まで言ってきて……」

「はは、妬んでるんだよ。マリ子の方が若くて綺麗だから」

「そんな慰めじゃ足りないわ。あいつを見返したい。完膚なきまでに叩きのめして、私が上だって分からせてやりたいの」


 リビングのソファに二人で座り、私は春気の肩に頭を預けた。

 広々としたリビングは、モデルルームのように洗練されている。壁には大型のテレビ、窓の外には遮光カーテンが完璧に引かれている。

 ここでこうしている時だけが、私の心が満たされる瞬間だ。

 春気は私の髪を撫でながら、甘い声で囁く。


「大丈夫さ。俺は君との未来をちゃんと考えている。ただの女子アナとは格が違う。霧嶋なんて相手にする必要もなくなるよ」

「……ほんと? うれしい! 私も同じ考えよ」


 そう。私はこの男と結婚して、寿退社する。そして勝ち組のセレブ妻として、冴子を見下ろしてやるのだ。その未来こそが、私の全て。

 私の機嫌が直ったのを見て、春気はテーブルの上のスマートフォンを手に取った。

 画面には、今日の試合のハイライトニュースが表示されている。


「今日の試合、ナイスピッチングだったわね。完投勝利おめでとう」

「ああ、ありがとう。ま、相手打線が弱かったからね」


 春気は事も無げに言う。

 だが、その表情にはどこか奇妙な薄ら笑いが浮かんでいた。

 今日の試合。私は局のモニターで見ていたけれど、七回の裏、ワンアウト二、三塁のピンチの場面だけ、少し違和感があった。

 春気にしては珍しく、カウントを取りに行った甘いストレートを痛打され、二点を失ったのだ。結果的に打線の援護で勝ちはしたものの、あの場面だけ、バッテリーの呼吸が合っていないように見えた。


 その時、春気のスマホが震えた。

 画面に表示された名前は『権田鉄男』。

 春気の女房役を務める、ベテランキャッチャーだ。


「……チッ」


 春気の舌打ちが聞こえた。さっきまでの甘いマスクが一瞬で消え、冷ややかな能面のような表情に変わる。

 彼は私に「静かに」とジェスチャーをしてから、スピーカーモードで通話に出た。


「お疲れ様です、権田さん。どうしました、こんな時間に」

『おい春気。まだ起きてたか』


 電話の向こうから、低くドスの効いた声が響く。権田鉄男。人望も厚く、チームの精神的支柱と言われる男だ。


『今日の七回だ。お前、わざと甘いコースに投げただろ』

「……はい? 何言ってるんですか。あそこはシュートが抜けちゃったんですよ」

『嘘をつけ。俺の要求したコースとは逆玉だった。それだけじゃない。最近のお前、おかしいぞ。ランナーが出た時の牽制のタイミングも、勝負所での配球も、何かに怯えてるみたいだ』


 春気は無表情のまま、テーブルの上の缶ビールを開けた。プシュ、という音が静寂を切り裂く。


『まさかとは思うが……変なことに手を出してるんじゃねえだろうな』

「変なことって?」

『賭け事とか、裏の連中との付き合いとかだ。もしそうなら、今のうちに言え。俺が球団に頭を下げて、大事になる前に……』


 権田さんの声は真剣だった。後輩を思う、熱血漢らしい厳しさと優しさが滲んでいる。

 私の心臓がドクリと跳ねた。

 まさか。

 春気の背中を流れる嫌な汗が見えるような気がした。けれど、春気は声色一つ変えずに答えた。


「権田さん、考えすぎですよ。僕はただ、少し疲れてただけです」

『春気! 俺の目は誤魔化せんぞ!』

「……そうですか。分かりました。明日、グラウンドで話しましょう」


 一方的に通話を切ると、春気はスマホをソファに放り投げた。

 そして、天井を仰いで大きなため息をつく。


「……うぜぇ」


 その声の冷たさに、私は背筋が凍るような感覚を覚えた。

 普段メディアに見せている「爽やかで謙虚な好青年」の姿はどこにもない。そこにいるのは、邪魔者を排除しようとする捕食者の目をした男だった。


「は、春気……? 今の電話、どういうこと?」

「ああ、気にしなくていいよ。老いぼれが自分の衰えを棚に上げて、俺に八つ当たりしてるだけさ」


 春気は再びスマホを手に取ると、今度は別の番号に発信した。

 連絡先には『監督』とある。

 こんな深夜に、監督に直接電話?


「もしもし監督ですか? 夜分遅くにすみません、轟です」


 先ほどまでの冷酷な声色は消え失せ、電話越しの春気は、深刻で悲痛なトーンを演じていた。まるで、尊敬する先輩の身を案じる後輩のように。


「実は……どうしても監督の耳に入れておきたいことがありまして。はい、権田先輩のことなんです」


 私は息を呑んで彼を見つめた。

 春気は私の視線に気づくと、ニヤリと口角を吊り上げ、ウィンクしてみせた。その口元と、電話口の声のギャップが恐ろしい。


「今日の試合でもあったんですが、先輩、サインが見えてないみたいなんです。僕の投げたボールも、時々捕球できずに後ろに逸らしかけてて……。ええ、僕も本人に聞いたんですが、『最近、ボールが二重に見える』って漏らしていて」


 嘘だ。

 さっきの電話で、権田さんはそんなこと一言も言っていなかった。

 むしろ『俺の目は誤魔化せん』と、春気の異変を見抜いていたはずだ。


「本人は責任感が強い人だから、自分からは言えないんだと思います。でも、このままじゃチームの勝敗に関わりますし、何より先輩が怪我をするのが怖くて……。僕、先輩のことが心配で……」


 名演技だった。

 誰が聞いても、先輩を想って苦渋の決断をしたエースの言葉にしか聞こえないだろう。

 しばらく向こうの話を聞いた後、「はい、失礼します」と神妙な声で電話を切った春気は、スマホを置くなり盛大に鼻を鳴らした。


「ふん、チョロいもんだな」

「……春気、あなた、何を……」

「これで権田さんは二軍落ち確定だ。明日には通告されるだろうよ」


 春気は楽しそうにビールを煽った。

 その横顔を見て、私は戦慄した。

 彼は自分の保身のために、長年バッテリーを組んできた恩人を、嘘の報告で切り捨てたのだ。しかも、「先輩のため」という美談に仕立て上げて。

 権田さんの『俺の目は誤魔化せんぞ』という言葉が、逆に彼自身の首を絞める材料に使われたのだ。


「あの人はうるさすぎるんだよ。こっちの調子が狂っちまう」

「でも、そんなことして大丈夫なの? バレたら……」

「バレないさ。監督は俺の言葉を信じてる。それに、権田さん自身も老眼や動体視力の低下は自覚してる年頃だ。周りから『目が見えてない』って言われ続けりゃ、本人だって自信をなくして引退を選ぶさ」


 春気はソファに深く沈み込み、満足げに笑った。

 その姿は、マウンド上のヒーローではない。悪魔だ。

 野球賭博。八百長。

 権田さんの言葉が正しければ、春気はとんでもない闇に足を突っ込んでいる。

 普通なら、ここで逃げ出すべきなのかもしれない。この男に関われば、私も破滅するかもしれないという警報が頭の中で鳴り響いている。


 けれど――。


 私の胸の奥底から湧き上がってきたのは、恐怖だけではなかった。

 奇妙な高揚感。

 そして、歪んだ頼もしさだった。


(この人は、強い……)


 手段を選ばない冷酷さ。邪魔者は容赦なく排除し、嘘も真実も塗り替えて生き残る力。

 それは、綺麗事ばかり並べて結局は足の引っ張り合いをしているテレビ局の連中とは、次元の違う強さだ。

 霧嶋冴子のような小賢しい女に勝つためには、正攻法では駄目なのだ。

 毒を食らわば皿まで。

 私が欲しいのは「勝利」と「地位」だ。そのためなら、悪魔に魂を売ったって構わない。


「……すごいわ、春気」


 私は震える手で、彼の頬に触れた。


「私のために、邪魔者を消してくれたのね」

「ああ、そうさ。俺たちの未来のためだ。誰にも邪魔はさせない」


 春気は私の手を握り返し、熱っぽい視線を向けてくる。

 私たちは抱き合った。

 共犯者としての絆が、愛よりも深く、暗く、私たちを結びつけていく。


「このマンションにいれば安心だ。俺たちは最強だよ、マリ子」

「ええ、そうね。ここなら誰にも見られない。私たちの秘密は、この壁の中に守られている」


 私たちはキスを交わし、互いの体温を確かめ合う。

 窓の外には、欲望渦巻く東京の闇が広がっている。

 けれど、この部屋だけは安全だ。最新鋭のセキュリティ『アルゴス・アイ』が、私たちを守ってくれているのだから。

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