プロローグ 百眼の管理者
誤解しないでほしいのだが、私は覗き趣味などという非生産的な性癖は持ち合わせていない。
他人の痴態や排泄行為を見て興奮するほど、私の感性は安っぽくできていないし、暇でもない。私が求めているのは快楽ではなく、あくまで「回転率」だけだ。
501号室、ペントハウス。
重厚な遮光カーテンで閉ざされたこの部屋は、私の生活空間であり、同時にこのマンション『レジデンス・アルゴス』の頭脳でもある。
壁一面に配置された12面のモニター。その青白い光だけが、独身の私が住む殺風景なリビングを照らしている。
半年前、親父が死んで完成間近だったこの建物を相続した時、私は全フロアのフルカスタムを敢行した。
表向きは「最新IoT設備の導入」。だが、真の目的は別にあった。
業者が帰った深夜、私は一人、スケルトン状態になった壁に向き合っていた。コンクリートの粉塵が舞う中、配線の皮膜を剥き、極小のレンズを埋め込んでいく。
AIコンシェルジュ端末の基盤の裏、浴室のミラーの隙間、火災報知器のセンサー内部。
指先の感覚だけを頼りに、数百個の「目」を神経のように張り巡らせた。誰にも任せるわけにはいかない。このシステムは、私が支配するための絶対的なインフラだからだ。
作業を終え、初めて全モニターに映像が映し出された時、このマンションは単なるコンクリートの塊から、私の眼聴耳視となる有機的な怪物へと進化した。
手元のスマートウォッチが震え、思考を現実に引き戻す。
画面には相続税の納付期限と、未払いの残額が表示されている。
親父が遺したのは、この立派な建物と、それを維持するための莫大な負債だけだ。普通に貸して毎月小銭(家賃)を稼いだところで、到底間に合わない。
だから私は、このシステムを作った。
入居者を高速回転させ、礼金と違約金、そして原状回復費を搾り取る。薄利多売の不動産経営、高効率な立ち食い系マンションだ。
「……ターゲット補足」
エントランスの映像に、一組の夫婦が映り込んだ。
予約していた内見客だ。重そうなバッグを持ち、ブランド物の抱っこ紐で乳飲み子を抱えた夫、その後ろを手ぶらで闊歩する妻。
事前調査によれば、妻の方が収入が高い、逆転夫婦のようだ。
笑わせる。夫が家で誠実に育児家事などするものか。その落ち着きのない視線を見れば明白だ。
私は冷めた目で、モニターの中の女を見下ろした。
彼女は今、エントランスに飾られた孔雀のオブジェを見上げ、その芸術性に感嘆している。その孔雀の羽の模様が、自分を監視するレンズの集合体だとも気づかずに。
ようこそ、レジデンス・アルゴスへ。
精々、私の監視の下で、安心とやすらぎのある空間が手に入るという幻想に浸るといい。
あなたの社会的信用が金に換わるその瞬間まで。
私は表情を変えず、手元のリストに「入居予定者1組」と入力を済ませた。




