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後悔バス  作者: 月城 リョウ
後悔バス -後悔行きのバス-

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3/16

第3章:二度目の乗車

一週間が過ぎた。


 蓮は、味覚を失った生活に慣れ始めていた。いや、慣れたというより、諦めたと言った方が正しいかもしれない。


 食事は、ただ生きるための作業になった。栄養を摂取するためだけの行為。何を食べても同じだから、蓮はコンビニのおにぎりとサラダだけで済ませるようになった。


 料理をする意味がない。味わう楽しみがないのだから。


 記憶の喪失については、未だに何を失ったのかわからなかった。ただ、時々、妙な違和感を覚える。何かを思い出そうとして、思い出せない。その「何か」が何だったのかも、わからない。


 それでも、蓮は生きていた。


 いや、生きているというより、ただ存在しているだけだった。


---


 ある日、蓮のスマホに着信があった。


 画面を見ると、「高橋」という名前が表示されている。高校時代からの親友だ。


 蓮は、しばらく画面を見つめた後、通話ボタンを押した。


「もしもし」


「蓮!久しぶり!元気してる?」


 高橋の明るい声が聞こえてきた。


「……ああ、まあ」


「まあって、何だよそれ。最近全然連絡ないから心配してたんだぞ」


 高橋は心配そうに言った。


「悪い、ちょっと色々あって」


「色々って……まさか、まだひなたちゃんのこと引きずってるのか?」


 その言葉に、蓮は黙り込んだ。


 高橋は、ため息をついた。


「蓮、もう三年経ってるんだぞ。いつまでもそうしてたら、ひなたちゃんも悲しむよ」


「……わかってる」


「わかってないだろ。なあ、今度飯でも行こうよ。久しぶりに話したいし」


 飯。


 蓮は、一瞬躊躇した。今の自分は、食事を楽しむことができない。高橋と一緒に食事をしても、何も感じられない。


「……ごめん、また今度にしてくれ」


「また今度って……蓮、お前」


「悪い、また連絡する」


 蓮は、そう言って電話を切った。


 部屋の中に、沈黙が戻ってくる。


 蓮は、スマホを握りしめた。


 また今度。


 ひなたに言った、あの言葉。そして今、自分も同じことを繰り返している。


---


 その夜、蓮は再びバス停に向かった。


 もう、これは習慣になりつつあった。深夜になると、自然と足がそこへ向かう。まるで、何かに呼ばれているかのように。


 バス停には、相変わらず『後悔行き』の標識があった。


 蓮は、ベンチに座った。


 どれくらい待っただろうか。やがて、あのエンジン音が聞こえてきた。


 深い青色のバス。曇った窓。そして、顔の見えない運転手。


 扉が開く。


 蓮は、何の迷いもなく乗り込んだ。


---


 バスの中は、いつもと同じだった。


 古びた座席。静寂。そして、ただ一人の乗客。


 蓮は、同じ席に座った。運転手は、黙ってハンドルを握っている。


 バスが動き出す。


 窓の外の景色が、また歪み始める。


 今度は、どこへ連れて行かれるのだろうか。蓮は考えた。ひなたの「大事な話」に、少しでも近づけるだろうか。


 バスは、やがて止まった。


 扉が開く。


 蓮は外を見た。そこは、見覚えのある場所だった。


 駅前のカフェ。


 蓮とひなたが、よく一緒に来ていた場所。


---


 蓮は、バスを降りた。


 カフェの前に立つ。ガラス越しに、中の様子が見える。


 そこには、ひなたがいた。


 そして、もう一人。


 若い男性が、ひなたの向かいに座っている。


 蓮は、心臓が跳ねるのを感じた。


 あの男性は誰だ?


 蓮は、カフェの中に入った。しかし、やはり誰にも気づかれない。ひなたも、その男性も、蓮の存在に気づかない。


 蓮は、二人のテーブルに近づいた。


---


「ごめんね、急に呼び出して」


 ひなたが、申し訳なさそうに言った。


「いや、全然大丈夫だよ。久しぶりに会えて嬉しいし」


 男性が、優しく笑った。


 蓮は、その男性の顔を見た。見覚えがある。確か、ひなたの大学の同級生だったはずだ。名前は……思い出せない。


「実は、相談があって」


 ひなたが、真剣な顔で言った。


「相談?何?」


「……私、最近ずっと考えてたんだ。将来のこと」


 ひなたは、コーヒーカップを両手で包み込んだ。


「将来?」


「うん。私、今まで何となく生きてきたけど、ちゃんと自分のやりたいことを見つけたいって思ってて」


 ひなたの声は、少し震えていた。


「それで、色々調べてたんだ。海外のボランティアプログラムとか、NPOの活動とか」


 蓮は、息を呑んだ。


 海外?ひなたが?


「すごいじゃん。ひなたらしいよ」


 男性が、励ますように言った。


「でもね、お兄ちゃんに話すのが怖くて」


 ひなたが、俯いた。


「お兄ちゃん?」


「うん。お兄ちゃん、私のこと心配しすぎるから。海外に行くなんて言ったら、絶対反対すると思う」


 ひなたは、寂しそうに笑った。


「だから、まずはちゃんと調べて、計画を立ててから話そうと思ってるんだ。お兄ちゃんを安心させられるように」


---


 蓮は、その場に立ち尽くしていた。


 ひなたが、海外に行こうとしていた。


 自分のやりたいことを見つけようとしていた。


 そして、それを蓮に相談したかった。


 しかし、蓮は忙しくて、話を聞かなかった。「また今度」と言って、先延ばしにした。


 ひなたは、事故に遭った。


 あの「大事な話」を、二度と話すことはなかった。


「ひなた……」


 蓮は、声を出した。しかし、届かない。


 ひなたは、男性と笑顔で話し続けている。


「応援してくれる?」


「もちろん!ひなたなら、きっと素敵なことができるよ」


「ありがとう。勇気が出た」


 ひなたは、本当に嬉しそうに笑った。


 その笑顔を、蓮は知っていた。


 何かに挑戦しようとする時の、希望に満ちた笑顔。


 しかし、その笑顔を見ることは、もう二度とない。


---


 景色が、揺らいだ。


 蓮は、またバスの中に戻っていた。


 座席に座り、顔を両手で覆う。


「……そうだったのか」


 蓮は呟いた。


「ひなたは、夢を見つけてたんだな」


 海外に行って、ボランティアをする。誰かの役に立つ。それが、ひなたのやりたいことだった。


 そして、それを蓮に話そうとしていた。


 しかし、蓮は聞かなかった。


「俺のせいだ」


 蓮は、声を絞り出した。


「俺が、ちゃんと話を聞いていれば……」


 運転手が、ゆっくりと振り返った。


 相変わらず顔は見えない。しかし、何かを語りかけているような気配がある。


 それは、慰めでも、責めでもなく。


 ただ、静かな観察のようだった。


---


 バスは、元のバス停に戻った。


 扉が開く。


 蓮は、ふらふらと降りた。


 そして、気づいた。


 体が、重い。


 まるで、何年分もの疲労が一気に押し寄せてきたかのように。


 蓮は、その場に膝をついた。


「……何だ、これ」


 息が苦しい。心臓が、激しく鳴っている。


 そして、ようやく理解した。


 これが、三度目の代償。


 寿命。


 五年分の寿命を、失った。


 蓮の体は、一瞬で五年分老いた。細胞が、骨が、筋肉が、全てが五年分の時間を失った。


「……くそ」


 蓮は、立ち上がろうとした。しかし、足に力が入らない。


 しばらくの間、蓮はその場にうずくまっていた。


 やがて、何とか立ち上がり、アパートへと歩き始めた。


 一歩一歩が、重い。


---


 アパートに戻り、蓮は鏡を見た。


 顔は、変わっていない。しかし、目の下にうっすらとクマができている。肌の張りも、少し失われた気がする。


 五年。


 自分の命の五年分を、失った。


 蓮は、ベッドに倒れ込んだ。


 体中が痛む。まるで、長距離を走った後のように。


 それでも、蓮の心は、あのカフェでのひなたの笑顔を思い出していた。


 ひなたは、夢を見つけていた。


 そして、それを蓮に話したかった。


「ごめん、ひなた」


 蓮は、天井を見つめながら呟いた。


「俺は、お前の話を聞かなかった」


 涙が、頬を伝う。


「お前の夢を、知ろうともしなかった」


 蓮は、腕で顔を覆った。


「俺は、最低の兄だ」


---


 その夜、蓮は再び夢を見た。


 ひなたが、カフェで笑っている夢。


「お兄ちゃん、私ね、やりたいことが見つかったの」


 ひなたが、嬉しそうに言う。


「そうか、良かったな」


 蓮は答える。


「聞いてくれる?私の夢」


「ああ、聞かせてくれ」


 しかし、ひなたの声は聞こえない。


 ひなたの口が動いている。何かを話している。しかし、音が消えている。


「ひなた、聞こえない!」


 蓮は叫ぶ。


 ひなたは、悲しそうに笑った。


「もう遅いよ、お兄ちゃん」


 そう言って、ひなたは消えた。


---


 目が覚めると、朝だった。


 蓮は、ベッドの上で動けなかった。


 体が重すぎる。起き上がる気力もない。


 それでも、蓮の心は決まっていた。


 また、乗る。


 何度でも、あのバスに乗る。


 味覚を失った。記憶を失った。寿命を失った。


 それでも、まだ足りない。


 ひなたの「大事な話」の全てを知るまで。


 あの日、何があったのかを知るまで。


 蓮は、決して諦めない。


---


 数日後、蓮は再び外出した。


 体は相変わらず重かったが、無理やり動かした。


 向かったのは、実家だった。


 両親は驚いた顔で蓮を迎えた。


「蓮、どうしたの?急に」


 母が、心配そうに尋ねた。


「ちょっと、ひなたの部屋を見せてほしくて」


 蓮は言った。


 両親は、顔を見合わせた。


「……いいけど、大丈夫?」


 父が、優しく尋ねた。


「大丈夫」


 蓮は、無理に笑顔を作った。


---


 ひなたの部屋は、あの日のまま保存されていた。


 本棚、机、ベッド。全てがそのまま。


 蓮は、机の引き出しを開けた。


 そこには、ノート、ペン、そして手帳があった。


 あの手帳だ。


 バスで見た、ひなたが何かを書いていた手帳。


 蓮は、手帳を手に取った。


 ページをめくる。


 そこには、ひなたの文字で、こう書かれていた。


『海外ボランティアプログラム調べ』

『必要な準備:語学、資金、ビザ』

『お兄ちゃんに話すタイミング』

『説得できるように、しっかり計画を立てる』


 そして、最後のページには。


『お兄ちゃんへ』


 その下に、文章が続いていた。


 しかし、蓮がそれを読もうとした瞬間、母が部屋に入ってきた。


「蓮、お茶入れたわよ」


 蓮は、慌てて手帳を閉じた。


「……ありがとう」


 蓮は、手帳を引き出しに戻し、部屋を出た。


---


 その夜、蓮は考えていた。


 手帳の最後のページ。


『お兄ちゃんへ』


 そこに、何が書かれていたのだろうか。


 ひなたは、蓮に何を伝えようとしていたのだろうか。


 蓮は、スマホを取り出し、カレンダーを見た。


 あの日まで、あと少し。


 次にバスに乗れば、もっと真実に近づけるかもしれない。


 代償は、さらに重くなるだろう。


 それでも、蓮は構わなかった。


 ひなたの想いを知るためなら、何を失っても構わない。


 蓮は、窓の外を見た。


 夜が、深くなっていく。


 もうすぐ、あのバスが来る時間だ。

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