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後悔バス  作者: 月城 リョウ
後悔バス -最期の言葉-

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16/16

第8章:それでも残るもの(最終章)

## 1


 それから、三年が経った。


 川瀬冴子は、六十五歳になった。


 冴子は、一人暮らしを楽しんでいた。小さなアパートで、穏やかな日々を過ごしている。


 朝は、近所の公園を散歩する。


 午前中は、趣味の水彩画を描く。


 午後は、友人とカフェでお茶を飲む。


 夕方は、ボランティア活動に参加する。


 夜は、読書をして、早めに眠る。


---


 冴子の人生は、穏やかだった。


 娘はいない。家族もいない。


 でも——孤独ではなかった。


 友人がいて、趣味があって、やりがいのある日々があった。


 冴子は、幸せだった。


---


## 2


 ある秋の日、冴子は公園のベンチに座っていた。


 紅葉が美しい季節。


 冴子は、スケッチブックを開き、風景を描いていた。


「今日は、いい天気ね」


 冴子は、微笑んだ。


 そのとき——


 ふわりと、風が吹いた。


 冴子の髪を、優しく撫でる風。


 冴子は、一瞬動きを止めた。


「……また、この感じ」


 冴子は、周りを見渡した。


 誰もいない。


 でも——誰かが、そばにいるような気がする。


---


 冴子は、この感覚に慣れていた。


 時々、こうして誰かの存在を感じることがある。


 誰かが、見守ってくれているような——


 誰かが、「大丈夫だよ」と言ってくれているような——


 冴子は、微笑んだ。


「ありがとう」


 誰に言うでもなく、小さく呟いた。


---


## 3


 美咲は、そこにいた。


 いや——「いた」というのは正確ではない。


 美咲は、もうこの世界に存在していない。


 でも——美咲の想いは、残っていた。


 形のない、見えない存在として。


 美咲は、母を見守っていた。


---


 美咲には、感情があった。


 消えたはずの感情が、戻っていた。


 美咲は、母の笑顔を見て——嬉しかった。


 母が幸せそうに絵を描いている姿を見て——安心した。


 母が友人と笑い合っている姿を見て——温かい気持ちになった。


---


 美咲は、もう触れることはできない。


 声をかけることもできない。


 でも——そばにいることはできる。


 そして——それで、十分だった。


「お母さん……幸せそうね」


 美咲は、微笑んだ。


 見えない笑顔。


 でも——その想いは、確かに母に届いていた。


---


## 4


 冴子は、家に帰った。


 キッチンで夕食を作りながら、冴子は鼻歌を歌っていた。


 穏やかな、幸せな時間。


 冴子は、一人暮らしを楽しんでいた。


---


 でも——時々、不思議な感覚に襲われることがあった。


 何かを、忘れているような気がする。


 誰かを、知っているような気がする。


 でも、思い出せない。


---


 冴子は、リビングに座り、お茶を飲んだ。


 テーブルの上には、写真立てが置いてある。


 若い頃の冴子と、夫の写真。


 夫は、もう二十年以上前に亡くなった。


 冴子は、その写真を見つめた。


「あなたがいなくなってから……もう、こんなに時間が経ったのね」


 冴子は、小さく微笑んだ。


「でも、私は元気よ。ちゃんと、幸せに生きてるわ」


---


 そのとき——


 冴子は、ふと思った。


「もし……もし、私たちに子供がいたら——」


 冴子は、首を傾げた。


「どんな子だったかしら」


---


 美咲は、その言葉を聞いて——胸が熱くなった。


 母は、美咲のことを覚えていない。


 最初から、美咲は存在しなかった。


 でも——母の心の奥に、何かが残っている。


 微かな、名残のようなもの。


---


 冴子は、首を振った。


「まあ、でも……子供がいたら、大変だったでしょうね」


 冴子は、笑った。


「一人の方が、気楽でいいわ」


---


 美咲は、その言葉を聞いて——微笑んだ。


「そうね、お母さん。そうやって、自由に生きて」


 美咲は、呟いた。


「それが、私の願いだったから」


---


## 5


 夜、冴子はベッドに横になった。


 窓の外から、月の光が差し込んでいる。


 冴子は、目を閉じた。


 そして——夢の中へ落ちていった。


---


 夢の中。


 冴子は、公園にいた。


 桜が満開の、春の公園。


 冴子は、ベンチに座っていた。


 そのとき——


「お母さん」


 声がした。


 冴子は、振り返った。


---


 そこに——若い女性が立っていた。


 三十代くらいの、凛とした女性。


 黒いスーツを着て、まっすぐ冴子を見つめている。


「あなたは……」


 冴子は、その女性を見て——なぜか、涙が溢れた。


「誰……?」


「私は……」


 女性は、優しく微笑んだ。


「ただの夢よ。でも——お母さんに、会いたかった」


---


 冴子は、立ち上がった。


 女性に近づく。


「あなた……誰なの? なんだか……懐かしい気がする」


「そう……それで、いいの」


 女性は、冴子の手を取った。


 温かい手。


「お母さん、幸せ?」


「ええ……幸せよ」


 冴子は、頷いた。


「でも……あなたは?」


「私も、幸せ」


 女性は、微笑んだ。


「だって、お母さんが幸せだから」


---


 冴子は、涙を流した。


「あなた……もしかして」


「ううん。私は、誰でもないわ」


 女性は、冴子を抱きしめた。


「ただ——お母さんを、見守ってる。ずっと、そばにいるから」


「ありがとう……」


 冴子は、女性の腕の中で泣いた。


「ありがとう……」


---


 女性は、冴子の頭を優しく撫でた。


「お母さん、これからも元気でいてね」


「ええ……」


「笑顔でいてね」


「ええ……」


「そして——もっと、自分を大切にしてね」


 女性は、冴子の額にそっとキスをした。


「愛してるわ、お母さん」


---


 冴子は、目を覚ました。


 朝の光が、部屋に差し込んでいる。


 冴子は、頬を触った。


 濡れている。


 涙——


「夢……だったの?」


 冴子は、呟いた。


 でも——とても暖かい夢だった。


---


## 6


 冴子は、その日から少し変わった。


 もっと、自分を大切にするようになった。


 もっと、笑うようになった。


 もっと、人生を楽しむようになった。


---


 冴子は、友人に言った。


「最近ね、不思議な夢を見たの」


「どんな夢?」


「若い女性が、私を抱きしめてくれる夢」


 冴子は、微笑んだ。


「その人、『愛してる』って言ってくれたの」


「まあ、素敵な夢ね」


 友人は、笑った。


「それは、きっとあなたの守護天使よ」


「守護天使……」


 冴子は、空を見上げた。


「そうかもしれないわね」


---


## 7


 美咲は、母の様子を見守っていた。


 母が笑うたび、美咲も笑った。


 母が幸せそうにしているたび、美咲も幸せだった。


---


 美咲は、もう後悔していなかった。


 自分の存在を失ったこと——それは、悲しいことかもしれない。


 でも——母が幸せなら、それでいい。


 美咲は、そう思っていた。


---


 美咲は、ふと気づいた。


 自分には、もう感情がある。


 消えたはずの感情が、戻っていた。


 嬉しい、悲しい、温かい、寂しい——


 全ての感情が、戻っていた。


---


「不思議ね」


 美咲は、呟いた。


「代償で全てを失ったはずなのに……今は、全てがある」


 美咲は、微笑んだ。


「きっと——愛があれば、失ったものも戻ってくるのね」


---


## 8


 ある日、美咲はあのバスを見た。


 深い青色の、古いバス。


 バスは、静かに道の端に停まっていた。


 美咲は、そのバスに近づいた。


---


 運転席には、あの影がいた。


 影は、美咲を見て——少し驚いたようだった。


『あなた……』


「久しぶりね」


 美咲は、微笑んだ。


『なぜ……あなたは、まだここにいるのですか?』


「分からないわ。でも——きっと、私にはまだやることがあるから」


 美咲は答えた。


『やること……?』


「ええ。お母さんを、見守ること」


---


 影は、しばらく沈黙した。


 そして——


『あなたは……満足していますか?』


「ええ」


 美咲は、頷いた。


「お母さんが幸せなら、私も幸せ」


『……そうですか』


---


 影は、深くため息をついた。


『あなたのような人は、珍しい』


「そう?」


『ええ。多くの人は、後悔を抱えたまま消えていきます。でも、あなたは——後悔を手放した』


 影は続けた。


『あなたは、本当の意味で後悔を乗り越えたのです』


---


 美咲は、微笑んだ。


「ありがとう」


 美咲は、影に言った。


「あなたのおかげで、私はお母さんの想いを知ることができた。そして——お母さんを救うことができた」


『……いいえ』


 影は、首を振った。


『あなたが、自分で選んだのです』


---


## 9


 美咲は、バスから離れた。


 影は、静かにバスを発進させた。


 バスは、闇の中へ消えていった。


 次の、後悔を抱えた者を探して——


---


 美咲は、空を見上げた。


 青い空、白い雲。


 美しい世界。


「私は……もう、後悔していない」


 美咲は、呟いた。


「お母さんが幸せなら、それでいい」


---


 美咲は、母のもとへ戻った。


 見えない存在として。


 でも——確かにそこにいる存在として。


 美咲は、母を見守り続ける。


 それが——美咲の、愛の形だった。


---


## 10


 それから数年後——


 冴子は、七十歳になった。


 冴子は、相変わらず元気だった。


 絵を描き、友人と笑い、ボランティア活動を続けている。


---


 ある日、冴子は病院で定期検診を受けた。


 医師が、笑顔で言った。


「川瀬さん、とても健康ですね。この年齢でこの数値は、素晴らしいですよ」


「ありがとうございます」


 冴子は、微笑んだ。


「きっと、誰かが守ってくれてるんでしょうね」


「守護天使ですか?」


 医師は、笑った。


「ええ、そんな感じです」


---


 冴子は、病院を出て、公園へ向かった。


 いつもの、お気に入りのベンチ。


 冴子は、そこに座り、空を見上げた。


「ありがとう」


 冴子は、呟いた。


「誰だか分からないけど……いつも、見守ってくれて」


---


 風が、吹いた。


 優しく、温かい風。


 まるで——誰かが「どういたしまして」と答えてくれているような——


---


 美咲は、母のそばにいた。


 見えない笑顔で、母を見守っていた。


「どういたしまして、お母さん」


 美咲は、呟いた。


「私は、ずっとここにいるから」


---


## 11


 後悔行きのバスは、今夜もどこかを走っている。


 深い後悔を抱えた者の前に、現れる。


 代償を求め、過去を見せ、そして——選択を迫る。


---


 多くの者が、バスに乗る。


 後悔を知るために。


 愛する人を救うために。


 そして——自分を犠牲にするために。


---


 それは、悲しいことかもしれない。


 でも——それは、美しいことでもある。


 人間の、儚さと強さ。


 愛の、深さと尊さ。


---


 バスは、それを見守り続ける。


 影は、静かにハンドルを握り続ける。


 次の、後悔を抱えた者を——


 待ちながら。


---


## 12


 もし——あなたの前に、あのバスが現れたら。


 もし——深い後悔を、抱えていたら。


 あなたは、乗るだろうか?


---


 代償を払ってでも、知りたいことがあるだろうか?


 全てを失ってでも、救いたい人がいるだろうか?


 存在を捨ててでも、愛する人の幸せを願うだろうか?


---


 答えは、人それぞれだろう。


 でも——一つだけ、確かなことがある。


---


 後悔は、乗り越えられる。


 愛は、消えない。


 そして——大切な人への想いは、形を変えても残り続ける。


---


 それが——この物語が伝えたかったこと。


---


## エピローグ


 川瀬冴子は、今日も元気に生きている。


 笑顔で、穏やかに、幸せに。


 そして——いつも、誰かが見守ってくれていることを感じている。


---


 川瀬美咲は、もうこの世界にいない。


 でも——その想いは、消えていない。


 母を愛する想い。


 母の幸せを願う想い。


 それは——永遠に、残り続ける。


---


 後悔行きのバスは、今夜もどこかを走っている。


 あなたの前に、現れるかもしれない。


 その時——あなたは、どうするだろうか?


---


 でも、忘れないでほしい。


 後悔を抱えるよりも——


 今、大切な人に伝えてほしい。


 「ありがとう」「愛してる」「大切だよ」——


 そんな、シンプルな言葉を。


---


 それが——後悔しないための、唯一の方法だから。



## あとがき


 この物語を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


 美咲は、全てを失いました。でも——母を救うことができました。


 それは、幸せなことだったのでしょうか?


 それとも、悲しいことだったのでしょうか?


---


 答えは、あなたが決めてください。


 でも——一つだけ、覚えておいてほしいことがあります。


---


 後悔は、誰にでもあります。


 「あの時、ああすればよかった」


 「もっと、ちゃんと伝えればよかった」


 そんな想いは、誰もが抱えています。


---


 でも——後悔を抱えたまま生きるよりも。


 今、この瞬間を大切にしてほしい。


 大切な人に、想いを伝えてほしい。


---


 それが——この物語の、願いです。

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