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後悔バス  作者: 月城 リョウ
後悔バス -最期の言葉-

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14/16

第6章:失われる絆

## 1


 美咲は、もう笑えなかった。


 昇進の祝賀会でも、美咲は無表情だった。同僚たちが笑顔で祝福してくれても、美咲は「ありがとう」と言うだけ。笑顔が、作れない。


「川瀬部長……本当に、大丈夫ですか?」


 部下が心配そうに声をかけてくる。


「ええ、大丈夫よ」


 美咲は、機械的に答えた。


 でも——心の中は、空っぽだった。


---


 美咲の周りから、人が離れ始めていた。


 感情のない美咲と話しても、楽しくない。笑顔のない美咲と一緒にいても、心が通じない。


 同僚たちは、少しずつ美咲を避けるようになった。


 昼食に誘われることも、減った。


 会話をしても、表面的なことだけ。


 美咲は、孤立していった。


---


 でも——美咲は、何も感じなかった。


 寂しいとも、悲しいとも思わなかった。


 ただ、母のことを知りたい。


 それだけが、美咲を動かしていた。


---


## 2


 ある夜、美咲の元恋人から電話がかかってきた。


「美咲、久しぶり。元気?」


 懐かしい声。でも、美咲は何も感じなかった。


「ええ、元気よ」


「そう……よかった。あのさ、最近の美咲、変わったって聞いたんだけど」


「変わった?」


「うん……なんか、元気がないって。大丈夫?」


 美咲は、少し黙った。


「大丈夫よ。心配しないで」


「……そっか。じゃあ、また今度ご飯でも行こうよ」


「ええ、また今度」


 電話が、切れた。


---


 美咲は、スマートフォンを置いた。


 元恋人——彼の顔が、ぼんやりとしか思い出せない。


 いつ別れたんだっけ? なぜ別れたんだっけ?


 記憶が、曖昧だった。


 でも——どうでもよかった。


 美咲は、もう誰にも興味がなかった。


---


## 3


 その夜、零時。


 美咲は、窓の外を見た。


 あのバスが、そこにあった。


 美咲は、迷わずバスに乗り込んだ。


 運転席の影が、静かに言った。


『五度目の旅です』


「ええ……お願い」


 美咲の声は、感情がなかった。


『あなたは、もうほとんど全てを失いました』


「分かってるわ」


『それでも——』


「お母さんのこと、全部知りたい」


 影は、しばらく沈黙した。


 そして——


『分かりました。では、最後の真実を、お見せしましょう』


---


## 4


 バスが動き出した。


 窓の外の景色が流れていく。


 今度は——どこへ行くのだろう。


 美咲は、何も感じずに、ただ座っていた。


---


 バスが停まったのは——病院だった。


 母が最期を迎えた、あの病院。


 でも、今度は違う時間。


 母が亡くなる、数日前。


 美咲は、バスを降りた。


---


## 5


 病室に、母がいた。


 ベッドに横たわり、点滴を受けている。


 母の顔は、痩せていて、疲れていた。


 でも——母は、スマートフォンを手に、何かを見ている。


 美咲のSNSだった。


 美咲が投稿した、仕事の写真。


 母は、それを見つめながら、小さく笑った。


「美咲……頑張ってるのね」


---


 そのとき、看護師が入ってきた。


「川瀬さん、お加減はいかがですか?」


「ええ……ありがとうございます」


 母は、笑顔を作った。


 看護師は、母の点滴を確認した。


「娘さん、来てくれるといいですね」


「ええ……でも、忙しいみたいで」


 母は、寂しそうに微笑んだ。


「仕方ないわ。美咲は、大事な仕事をしてるから」


「でも……お母さん、寂しいでしょう?」


 看護師の言葉に、母は少し黙った。


 そして——


「寂しいわ。でも……美咲が幸せなら、それでいいの」


---


 美咲は、その会話を聞いて——何も感じなかった。


 感情が、ない。


 ただ、見ているだけ。


---


## 6


 場面が変わった。


 夜の病室。


 母は、一人で横になっている。


 母の手には、あの未完の手紙。


 母は、それを読み返していた。


---


『でも、どうしても伝えたいことがあるの。大事な話——それは、あなたの幸せのこと。


 美咲、あなたは仕事をとても頑張っています。それは、お母さんの誇りです。でもね、お母さんが一番願っているのは、あなたが本当に幸せになることなの。


 仕事だけが、人生じゃない。


 もっと、自分を大切にしてほしい。もっと、笑ってほしい。もっと、誰かと一緒にいる時間を大切にしてほしい。


 それから——これは、お母さんからのお願いなんだけど。


 美咲、定期検診を受けてね。


 実はね、お母さんの病気——遺伝する可能性があるの。お医者さんに言われたの。「娘さんも、定期的に検査を受けた方がいい」って。


 だから、美咲。お願い。ちゃんと、検診を受けて。早めに見つかれば、治療もできるから。


 お母さんは……もう、手遅れだった。でも、美咲には同じ思いをしてほしくない。』


---


 母は、そこまで読んで、ペンを取った。


 そして——続きを書いた。


---


『美咲、お母さんは完璧な母じゃなかった。


 あなたに「強くなりなさい」ばかり言って、本当はもっと甘えてほしかったのに。


 あなたと一緒にいる時間を、もっと大切にすればよかった。


 「忙しい」「後でね」——そんな言葉ばかり言って、ごめんね。


 でもね、美咲。


 お母さんは、あなたを愛してる。


 あなたが生まれてきてくれて、本当に嬉しかった。


 あなたがいてくれたから、お母さんは頑張れた。


 ありがとう。


 そして——最期に、これだけは伝えたい。


 美咲、幸せになって。


 仕事じゃなくて、あなた自身の幸せを見つけて。


 誰かと笑い合える、そんな日々を過ごして。


 それが、お母さんの一番の願いです。


 愛してるわ、美咲。


 ずっと、ずっと、愛してる。


               お母さんより』


---


 母は、手紙を書き終えた。


 そして——涙を流した。


「美咲……会いたいな」


 母は、小さく呟いた。


「お母さん、美咲に会いたい。この手紙を、渡したい」


---


## 7


 美咲は、その手紙を見て——


 何も感じなかった。


 感情が、ない。


 母の想いが、全て書かれている。


 母の愛が、そこにある。


 でも——美咲は、何も感じなかった。


---


 場面が、また変わった。


 母の最期の日。


 美咲が病院に到着する、数時間前。


 母は、意識が朦朧としている。


 看護師が、そばにいた。


「川瀬さん……娘さん、もうすぐ来てくれますよ」


 母は、か細い声で答えた。


「みさき……」


「ええ、美咲さん。もうすぐです」


「てがみ……わたしたい……」


「大丈夫。渡せますよ」


---


 でも——母の容態が、急変した。


 モニターの音が、速くなる。


 看護師が、慌てて医師を呼ぶ。


 母は、苦しそうに息をしている。


「みさき……」


 母は、最期まで美咲の名を呼んでいた。


「あいしてる……」


 そして——


 モニターの音が、止まった。


---


 美咲は、その光景を見て——


 何も感じなかった。


 涙も、出ない。


 悲しみも、ない。


 ただ、空虚。


---


## 8


 気づけば、美咲はバスの中に戻っていた。


 座席に座り、美咲は窓の外を見つめた。


 影が、静かに言った。


『全てを、見ましたね』


「ええ」


 美咲は、淡々と答えた。


『お母様の想い、全て知りました』


「そうね」


『それでも——あなたは、何も感じませんか?』


「感じないわ。だって、もう感情がないもの」


 影は、深くため息をついた。


『あなたは、もう人間ではありません』


「分かってるわ」


『それでも——次に乗りますか?』


 美咲は、少し黙った。


 そして——


「乗るわ」


『……分かりました。では、今回の代償は——人間関係です』


---


## 9


 美咲は、息を呑んだ。


「人間関係……?」


『そうです。あなたの周りから、人が消えます』


「消える……?」


『ええ。あなたと繋がっていた人たち——恋人、友人、同僚——彼らは、あなたとの記憶を失います』


 美咲は、戸惑った。


「記憶を……失う?」


『そうです。彼らは、あなたのことを忘れます。あなたは、完全に孤独になります』


 美咲は、しばらく黙っていた。


 孤独——それは、恐ろしいことだ。


 でも、美咲は何も感じなかった。


「構わないわ」


 美咲は答えた。


「どうせ、もう誰も私のことを理解してない。孤独も、何も変わらない」


『……本当に、それでいいのですか?』


「ええ」


 影は、何も言わなかった。


 ただ、手を振った。


---


## 10


 美咲の体に、奇妙な感覚が走った。


 胸の奥が、空っぽになる。


 何かが、引き剥がされていく。


 そして——


 美咲は、何も感じなくなった。


「これが……」


『人間関係の喪失です』


 影は言った。


『あなたは、もう誰とも繋がっていません』


---


## 11


 バスが停まり、美咲は現実の世界に戻った。


 マンションの前。


 美咲は、部屋に戻った。


 スマートフォンを取り出し、連絡先を確認した。


 そこには——誰もいなかった。


 連絡先が、全て消えている。


「消えた……」


 美咲は、呟いた。


---


 翌朝、美咲は出社した。


 でも——誰も、美咲を知らなかった。


「あの……すみません、どちら様ですか?」


 受付の人が、美咲に尋ねた。


「私、川瀬美咲です。営業部長の——」


「川瀬……? そのような方は、当社にはいらっしゃいませんが」


 美咲は、愕然とした。


「え……でも、私はここで働いて——」


「申し訳ございません。何かの間違いではないでしょうか?」


---


 美咲は、オフィスを出た。


 周りを見渡すが——誰も、美咲を知らない。


 同僚も、部下も、誰も。


 美咲は、完全に「消えた」。


---


 美咲は、街を歩いた。


 元恋人の家に行ってみた。


 インターホンを押すと、彼が出てきた。


「はい、どちら様ですか?」


 彼は、美咲を見ても——何も思い出さなかった。


「私……」


 美咲は、言葉に詰まった。


「私、美咲です。覚えてない……?」


「美咲……? すみません、心当たりがないんですが」


 彼は、困惑した顔をした。


---


 美咲は、その場から去った。


 誰も、美咲を知らない。


 誰も、美咲を覚えていない。


 美咲は、完全に孤独だった。


---


## 12


 夜、美咲は自分の部屋で一人、座っていた。


 味覚がなく、記憶が曖昧で、体は老い、感情はなく、誰とも繋がっていない。


 美咲は、もう「人間」ではなかった。


 ただの、空っぽの存在。


---


 でも——美咲は、後悔していなかった。


 いや、「後悔」という感情すら、もうなかった。


 ただ、母のことを知った。


 母の想いを、全て知った。


 それで——いいのだろうか?


 美咲は、分からなかった。


---


 そのとき、窓の外を見ると——


 あのバスが、そこにあった。


 美咲は、立ち上がった。


 次が、最後だ。


 次に乗れば——全てが終わる。


 美咲は、バスに向かって歩き出した。


 何も感じずに、ただ歩いた。

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