第7話 最後の爽涼祭
九月末日。残暑も過ぎ、実りの秋が訪れるこの時期、藍泉国五大祭りの一つが行われる。
五大祭りとは――建国記念の蒼泉美祭と、四節祭と呼ばれる芳桜祭、陽香祭、爽涼祭、白霜祭の総称である。
それぞれ三日間行われ、特定の料理を食べたり、露店やパレード、祭り限定の催し、特別セールが始まる。もちろん恩が住む、ここ狩城市でも日々準備が行われていた。
この期間中は学校が半日で終わるため、学生たちは浮足立っていた。恩も例にもれず、亜橲たちと爽涼祭の話題で盛り上がっていた。
「いよいよ明日からだよな、爽涼祭!」
待ちきれないと言った顔で恩が言うと、玲汰が賛同する。
「楽しみなんだな」
「今年も露店出すんでしょ? 畔上の店」
幸緒が亜橲の肩に寄り掛かりながら問う。亜橲は得意げに腕組みをして頷いた。
「もちろん。父さんが張り切ってるからな。新作も出すってさ」
「畔上君の店のパン、おいしいよね。新作ってどんなの?」
亜橲の家は隣町にあるパン屋だ。おいしいと評判で、恩たちもたまに買いに行く。
窓に背を預けて立っている要が訊くと、亜橲はちっちっと指を振った。
「それ言っちゃあおもしろくないだろ? 見てのお楽しみ!」
「まひろ買いに行くから、ちょっとおまけして!」
「うーん、それは父さんたち次第かなぁ」
要と腕を組んでいるまひろがウインクすると、亜橲は楽しげに笑った。その傍らで、恩は窓の外に視線を移して思案する。
(天気もよさそうだし、今年はどこから回ろう。地元でもいいけど、他の町に行ってもいいよなぁ)
四節祭は藍泉国各地で行われるので、地元以外の街や州に出向く人もいる。ご当地料理や物産品を安く手に入れるよい機会だし、期間中のみの特別サービスなどもある。
ただ、四節祭の時期は国内の観光客だけでなく、外国からの観光客も増えるので、あまり遠出をすると混雑などに巻き込まれる恐れがあるのだが。
(去年の白霜祭の時、北の金清州に行った時は日帰りのつもりが、吹雪でなかなか帰れなかったもんなぁ)
「あ、そうだ。あたし、割引チケットもらったんだけど、みんないる?」
幸緒が自分の席に戻って、カバンから三枚のチケットを出して戻ってくる。
「ペア割引券だってさ。友達でも家族でも恋人でもOK。ただし、狩城市内のみ有効」
「へえ、もらってもいいのか?」
チケットを受け取る亜橲に幸緒は苦笑する。
「いいのいいの。お母さんもお兄ちゃんももらったらしいから、これ以上あっても意味ないし」
「オイラは一枚持ってるからいいんだな」
「まひろはもらうー! 恩ちゃんは?」
「んー、せっかくだしもらっとこうかな」
机に頬杖をつき、恩はチケットを見つめた。
(ペア割引……ってことは二人、だよな。……カーレンを誘ってみようかな)
カーレンは四節祭なんて初めてだろう。人間界に興味があるようだからきっと喜んでくれるはず。カーレンの嬉しそうな顔を想像し、恩は頬を緩めた。
幸い、今日はバイトが休みだ。此武から、今日は特に依頼がないから来なくていい、と朝方にメールが来ていた。
家に帰ったら、カーレンに爽涼祭に一緒に行こうと言ってみよう。しかし、恩はとても大事なことを失念していたのだった。
帰宅した恩はさっそくカーレンに爽涼祭のことを話した。「それは楽しそうですね」と期待通り、カーレンは喜んでくれた。
「じゃ、じゃあさ。明日……一緒に露店、見に行かない?」
「はい。ぜひ行きたいです」
微笑むカーレンに胸をときめかせ、恩は内心ガッツポーズを取る。が。
「あら、でも……そのお祭りというものには、たくさんの人が集まるんですよね?」
「うん。場所によってはすごい人混みに……」
「でしたら、ちょっと困ることになりますね」
「え?」
カーレンはさして困っていない様子で、頬に手を当て小首を傾げた。
「もしも男性の方に触れてしまったら、翼が出てしまいますもの」
「!!!」
そうだったーっ! かくん、と恩のあごが落ちる。恩が失念していたこと、それはカーレンの体質だ。
斂子は異性に触れると翼が現れる。大勢の人間の前でそうなったら確実に騒ぎになる。
舞い上がっていた恩は一瞬で夢から現実に引き戻された。
「……ああ……そうだよね、そうだったよね。忘れてたよ。一緒に祭りには行けないんだね」
「すみません、恩さん」
笑顔で謝罪するカーレンに恩は慌てて横に首を振る。
「謝ることないよ! カーレンは悪くないんだから。忘れてた俺が悪いんだ。一緒に行けないのは残念だけど、仕方ないよね」
明らかに落胆する恩に、学校から帰ってきた織が駆け寄ってきた。
「めぐ兄ーっ、明日の爽涼祭、一緒に行こー!」
蘇芳色の尻尾を振りながらきゅうっと恩に抱きつく織。恩は肩を落としたまま生返事を返した。
「あー、うん。行こっか」
恩のテンションの低さの理由に気づいていながらも、色よい返事が織は嬉しかった。
抱きしめる腕に少し力を加えると、面の下で満面の笑みを浮かべた。
「やったぁ! めぐ兄と一緒に爽涼祭行けるの、今年で最後だもんね!」
言われてから恩はその事実を思い出した。
(あ……そっか。織とはあと少しでお別れなんだ)
天狗族は十歳になると、独り立ちのために親元を離れて暮らさなくてはいけない。織は来月に誕生日を迎える。
そうしたら織はこの家を出て、一人暮らしをする。独り立ちをした天狗族とはよほどのこと以外では家族と会ってはいけない。
恩は滋生家の居候で、織や織枝とは血の繋がりはないが家族も同然だ。これからは織と簡単に会えなくなる。
(家族として過ごせるのは、あと少しだけなんだ……)
家族と別れるのは寂しいものだ。自分だって、いざその時が来たら寂しく、辛かった。自分で決めたこととはいえ。
織はなんでもないように振舞っているが、内心はやはり寂しいのだろう。今までは自分から一緒に行こうなどと誘ってきたことはない。
ここは家族として、兄として、妹の気持ちに応えてやらねば。恩は織の頭を軽く撫でた。
「そうだったね。じゃあ明日は思いっきり楽しまないと。遠慮しなくていいからね」
嬉しそうに大きく頷く織と、柔和に微笑む恩を、カーレンは微笑ましく見つめた。
少し雲は厚いが、雨の心配はなさそうだ。翌日、午前の授業を終えて帰宅した恩は、私服に着替えて織と一緒に出かけた。
昨日、幸緒からもらったチケットは狩城市内の店しか使えないそうなので、恩はちょっとだけ遠出をして、二駅先の街の露店を楽しむことにした。
露店が出るのは最も人通りが多くなる駅周辺だ。特に本通りはパレードが通るので、期間中は歩行者天国になる。
初日は午前中に運営委員のみで行われる開催パレードがあり、夕方に一般参加の仮装パレード、夜に花火の打ち上げ。ただし、夕方の仮装パレードだけは三日間行われる。
本通り周辺にもちらほらと露店は出ているが、本通り内は人でごった返している。
露店は縁日で見かけるような簡素なものから、専用トラックやバスを屋台代わりに使ったもの、カフェテラスのようなものまで様々なものがある。
これだけ人がいたら、絶対にカーレンは来られないだろうな。人混みを見ながら、恩は家で織枝と待っているだろうカーレンを想った。
二人で露店を回れたらどんなに楽しかっただろう。けれど。
「めぐ兄ーっ、あれ、あれ食べよう!」
はしゃぐ織と二人で回るのだって楽しい。妹との最後のお祭りなのだから。恩は笑顔を返した。
「うん、好きな物食べていいよ。今日は俺のおごりだから」
「ホント!? わーい!」
ああしてはしゃいでいるのを見ると、やっぱりまだまだ子供だと思う。習わしとはいえ、十歳で親元を離れるなんて少々、酷ではないだろうか。
織は天狗族といっても人間との混血。どちらかと言えば天狗の血が勝っているため、天狗の外見的特徴である犬耳や尻尾、鳥の翼はあるものの、純血の天狗とは成長の仕方も寿命も違う。
天狗の掟である面もつけているし、親元を離れることも承諾していたが……
(全部が全部、天狗に合わせることないんじゃないかな。織は半分、人間なんだし)
人間社会の中で生きていくのだし、人間に合わせてもいいのではないだろうか。人外としてではなく、普通の人間として。
恩は表情を曇らせ、ふと、横にあるショーウインドウを見た。透明なガラスには、行き交う人々と自分の姿が映っている。
行き交う人々はほとんどが黒髪、灰色の眼。時々、茶髪や茶眼、緑眼の人もいるが、藍泉人は生まれつき黒髪灰眼か茶髪緑眼が通常だ。
そんな中で恩は――恩だけは、深紅の髪に緋色の目。純血の藍泉人ならば持ちえない色だ。
絳髪緋眼は、世界でも数少ないある一族だけが持つ特徴。不老長寿の一族・白凰。恩は白凰の人間なのだ。
藍泉にも、ほんの一握りではあるが白凰はいる。けれども、群衆の中では目立つことに変わりない。初対面の人には必ず奇異の目で見られる。
白凰であることを疎ましく思っているわけではない。ただ、怖いだけだ。
――真実を知られることが。
白凰と聞いて、誰もが真っ先に思い浮かべるのは、ある国の白凰。白凰の中でも最も有名な血族だ。
恩はその血筋なのである。だが、恩はそこから逃げてきた。関わりたくなくて、縁を切りたくて、家出同然にこの国に逃げてきたのだ。
家族の真実を知って、怖くなったから。
そっと自分の髪の毛に触れ、一本だけ引き抜いてみる。染めていない生まれつきの色。まるで血のような――
「めーぐ兄~っ、お金お金ー!」
織の呼び声に恩は我に返った。ぶんぶんと手を振っている織のもとに慌てて走っていく。「ごめんごめん」と織に謝り、露店の店員に代金を渡した。
「もう~、どうしたの? ぼーっとしちゃって」
「あはは、ちょっと眩暈がしてね。もう大丈夫だから」
「ホントに?」
織の蘇芳色の耳と尻尾が少しだけ垂れた。面で表情は見えないが、心配した顔をしているのだろう。
この耳と尻尾のおかげで、表情は見えなくとも感情は判る。恩は苦笑して、ポンポン、と織の頭を軽く叩いた。
「うん、ほんと。ごめんな、心配かけて」
「あたいが無理言って連れ出したんだし、具合が悪いならすぐ帰っても……」
「大丈夫だってば。それに遠慮しなくていいって言っただろ?
織と二人で出掛けるのは嫌じゃないんだから、無理言ったとかそういうふうに考えなくていいの。たっぷりお兄ちゃんに甘えなさい!」
笑顔で胸を張る恩に、織はほっと笑みを零す。頷いて、恩の左手を握った。
「……あのね、めぐ兄。あたい……めぐ兄のこと好きだよ」
恩は歩きながら目を瞬かせた。
「めぐ兄の、髪や眼の色も。綺麗な紅い色」
目を瞠る恩。無意識に歩調が遅くなった。気づいた織は自分も歩調を緩める。
「ホントはね、さっきめぐ兄がぼーっとしてた理由、気づいてたの」
「え?」
「他人と違うのは、めぐ兄だけじゃないから」
「……!」
彼女も、この中では異質。人間と天狗族の混血。
人間とも言い切れないし、天狗族とも言い切れない、中途半端な存在。
そして、恩も。恩は純血の白凰ではなく、白凰と藍泉の混血。織にはそのことは言っていないが、同じ混血ゆえに、何か感じ取ったのかもしれない。
「めぐ兄は、自分の髪や眼の色が周りの人たちと違うの、たまに気にしてるよね。でも、あたいはその色、好きだよ。夕焼けみたいで、優しい色だもん」
そんな風に思ったことはなかった。実家にいた頃は、周りはこの色ばかりで気にしてもいなかった。家族の真実を知るまでは。
真実を知ってから、この体にも同じ“血”が流れているのだと思ったら、血の色のようにしか思えなくて。
「あたいも、この外見でいろいろ言われたりするけど……たとえ外見が周りの人と違っても、気に病まないで。どんな姿でも、あたいはあたいで、めぐ兄はめぐ兄だもん!」
織の言葉が、恩の胸に広がっていく。生まれ持ったものを否定しないでと、そのままでいいのだと、彼女は言ってくれている。
きっと、それが彼女なりに出した答えなのだろう。自分なんかよりも、よほど奇異の目で見られることの多い彼女だからこそ、そう考えて、前に進もうとしているのか。
「だからさ、めぐ兄。あたいは家を出るの苦痛じゃないよ。掟に従うのは嫌なことじゃない。
だってそれに従っていいってことは、あたいは天狗として、仲間に認められてるってことだから」
混血はたいてい忌み嫌われる。特に人外と人間の混血は、種族の違いから拒絶される。
だから天狗の掟に従うことを許されるなら、それは仲間だからでしょう?
恩は情けない気持ちになった。恥ずかしいことだ。
見抜かれていた。天狗の掟に縛られている織をかわいそうに思っていることを。
兄貴風を吹かせて、甘えていいよなんて言ったのに、慰められてしまった。これではどっちが年上だか分かりゃあしない。
「ありがとね、めぐ兄。あたいのこと心配してくれて」
さっき自分が言ったのと似たことを言われる。自分と違うのは『ごめん』じゃなく『ありがとう』ということ。
なぜだか泣きたくなって、恩は顔をゆがませた。顔を逸らし、「うん」とだけ返した。
まだまだ子供だと思っていたけど、充分大人だ。つらいことから目を背けて、逃げ出した自分なんかよりも、ずっと。