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Fate Spinner  作者: 甲斐日向
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第66話 心の鍵を届けにいくから

 異空間を抜け、ゼルグはある場所に辿り着いた。

 小ぢんまりとしたレンガの家。夜なので外には明かりが灯っているが、屋内は暗く、足元も見えない。

 しかし、ゼルグは迷わずリビングにある、大きなソファーにイオンの体を横たわらせる。

 暗闇の中で、わずかな気配と共に扉が開く音がする。

「お帰り。随分長い散歩だったね」

 穏やかな男性の声が耳に届く。ゼルグは小さくため息をついて、声の主の方を振り向く。

「お前だって、滅多にここには帰らないだろうが」

「おやおや、心配してくれているのかい?」

「誰がするか。むしろ、なんで今日はいるのかとイラついたところだ」

「ははっ、悪態は正直だねぇ。君のそういうところが好きだよ」

 眉根を顰め、ゼルグはイオンの向かいのソファーに、ドカッと座った。

「いるのはお前だけか? あいつは?」

「彼女も外出中だよ。私はついさっき帰ったばかりなんだ」

「あのバカ、留守番もできねぇのかよ」

 暗闇の中で、男が移動する気配がする。イオンのいるソファーに近づいていくが、ゼルグは傍観している。

「彼女も年頃の乙女だからねぇ。好いた男が別の女のところに行くと知って、我慢できずにどこかで泣いているんじゃないかな?」

「あいつがそんなタマか」

「分からないよ? 乙女心は複雑なんだから。それより、まさか連れてくるとは思わなかったよ、この子」

 ソファーの後ろから覗き込む。暗くても男には見えている。

 ゼルグは不機嫌さを声に滲ませた。

「予定が狂ったんだ。恩が現れたから」

「彼が? そうか、お姫様の危機にはやはり王子様が駆けつけるものなんだねぇ」

「……余計なことを言うなら、今すぐ叩き出すぞ」

 低い声に、男はくすくすと笑う。

「殺気がだだ漏れだねぇ。それよりこの子、混ざっている(・・・・・・)だろう」

「ああ。あの野郎のせいだ。この状態でこいつを壊したら、俺もとばっちりを受ける」

 恩の魂の一部が、イオンの中にある。それを取り除かない限り、ゼルグも一緒に消えることになる。

 異物が入り込んだ魂はどんどん擦り減っていく。時間が経てば経つほど、タイムリミットは迫っていくのだ。

「さすがに消えるのは怖いかい?」

「……当たり前だろ。一度、経験しているからって、慣れるもんじゃねぇんだよ。何より、こんな中途半端なところで終わらせられてたまるか」

 窓から差し込んだ月明かりに照らされ、ゼルグの瞳がほの暗く揺れる。

 男はくすりと微笑み、踵を返した。

「ならば、早くその子を解放してあげないとね。彼の呪縛から。けれども、あの方々の施した(シュ)は、そう簡単には破れないよ」

 ひらりと手を振り、男は扉から出ていった。ゼルグは小さく舌打ちをする。

(分かってるさ。だが、シナリオにはない遊びなど、終わらせてやる!)

 そのためならば、道化でもなんでも演じてやる。

 イオンがわずかに身じろいだ気配がする。そういえば、灯りをつけていなかった。

 ゼルグがパチン、と指を鳴らすと、天井につけられた灯りの魔宝具(ロゼアス)が光る。

「ん……」

 眩しさに、イオンは目をこすりながらおもむろに目を開いた。

 見慣れない天井。なんだか、体がだるい。

「……ここ、は……」

「目が覚めたか」

 光を遮るように覗き込んできた顔を、イオンはぼんやりと見つめた。

 逆光で顔が分からなかったが、目が慣れてくると見えた。黒い髪、赤い瞳。その顔は。

「……っ、ゼル、グ?」

 どうしてゼルグが目の前に? ここはどこだろう? 自分は倒れたはず。

 起き上がろうとしたイオンの首を、ゼルグが押さえつけた。

「ふっ!」

「おとなしくしていろ。首をへし折られたくなければな」

「えほっ。……ここは、どこですか?」

「お前が知る必要はない。俺の質問にだけ答えろ」

 冷たい眼差しに射抜かれる。

 同じ赤い瞳なのに、どうしてこんなにも彼と違うのだろう。

 同じ魂を持つ人なのに、どうしてこんなにも、怖いのだろう。

 イオンの目が涙で滲む。ゼルグは意に介することなく続ける。

「お前は自分の異変に気づいているのか?」

「え?」

「魂が消えかかっていることを知っているのか?」

 衝撃的な言葉に、イオンは大きく瞠目した。



 自分の身に何が起きているのか。イオンも同じ目に遭っているのか。

 自分は誰と似ているのか。ゼルグは何を知っているのか。

 どうしてこんなことになったのか。

 分からないことが多過ぎて、恩は錯乱し、叫び続ける。

 恩の精神が異常をきたしている。このままでは、心が崩壊する。

 心が崩壊すれば、抜け殻となって、生きる屍となってしまう。

(創造神は、恩を完全に傀儡(かいらい)にするつもりか!)

 言われるがまま、動かされるがままの操り人形。そんなもの。

(そんなもの、恩ではない!!)

 此武は本性に戻り、ありったけの神気で恩を押さえつける。

 戦神の神気の重圧で、恩は硬直し、ややあって気絶した。

 神気を放出したクロムは、怒号を上げる。

「創造神!! 聞いているのだろう! こいつを壊す気か!! 何を考えている!!!」

 空気を震わせる怒号、次いで神殿内の空間そのものが揺らぐ。

 ぐにゃりと周囲が歪んだかと思えば、二人はある異空間へと飛ばされていた。

〈そんなに大声で呼ばなくても聞こえているよ〉

〈いつにも増して不機嫌ねぇ、戦神〉

 白い光の玉と、黒い光の玉がふよふよとクロムの後ろで浮いている。

 創造神セイルシアと創造神ライフィエ。

 一対の絶対神で、一般的には女神とされているが実は無性別の神だ。姿も一定ではなく、基本的には光球である。

 時々、気分で人型や動物などに変化するが、気まぐれなので同じ姿でいる時間は短い。

 誰も知らない、創造神の姿。クロムだけが知る創造神の真実だ。

「創造神、こいつに何をした」

〈単刀直入ねぇ。せっかく久々に会えたのだから、もっと会話を〉

「まだるっこしいのは嫌いだ」

〈……短気なのは相変わらずなのね。コレと接するようになって、少しは進歩したのかと思ったけれど〉

〈ふふ、戦神の方から僕達に会おうとするようになっただけマシじゃない。昔は完全無視だったからね〉

〈それもそうねぇ〉

 けらけらと笑い合う創造神に、苛立ちが募る。いつもこんな調子で、会話がなかなか続かない。だから話したくないのだ。

「話を聞け! 答えろ!! 貴様らがこいつに何か仕掛けたのだろう!」

〈ああ、仕掛けたよ。でもね、何をしたかは内緒だ〉

「なんだと!」

 ライフィエが魚の姿に変化する。羽のように長いヒレを動かし、白い魚はクロムの周りを優雅に泳ぎ回る。

〈教えてしまったらつまらないじゃないか。せっかく面白くなってきたところなんだから、邪魔はしないでよ〉

〈それにつけても、まだ気づかないのねぇ〉

 セイルシアは大蛇に変化した。黒い大蛇はチロチロと赤い舌を出して笑う。

〈私達が封じたとはいえ、ここまで気づかないなんて、鈍いし弱いわね〉

「おい、どういうことだ。恩の何を封じたのだ」

〈んもう、教えないって言ってるじゃない。でも、そうね……これだけは教えてあげる〉

 黒蛇は鳥に変化して、クロムの肩に止まる。クロムが振り払おうとすると、避けるように飛び立った。

 恩の周りを泳いでいた魚も鳥に変化し、ツンツン、とくちばしで恩をつつく。

〈ソレの中にあったある感情と魂の一部を封じて、ある場所に隠したわ。それを見つけられなかったら、ソレの心は削られて、残った魂は消滅するわぁ〉

「消滅、だと……? どういうことだ、『恩』はオレ様の剣でしか殺せないだろう!」

〈そのままの意味だよ。このままコレが何も気づかなければ『恩』は消滅する〉

〈玩具が一つなくなるのはもったいないけれど、バグがあるのに壊さずにおいてあげたのだから、長持ちした方でしょう?〉

 白い鳥が黒い鳥の隣に降り、寄り添う。くちばしとくちばしをくっつけ、嗤った。

〈〈次の玩具はもっと面白いものを創ろうね〉〉

 無邪気に、切り捨てた。『恩』という古い玩具を捨てて、新しい玩具が欲しいと。そう言っているのだ。

 クロムは言葉を失った。創造神にとって、恩もクロムも玩具。それは知っていた。

 けれども、恩は何度も創り直されていた。つぎはぎの魂でも『恩』という人間は生まれてきた。何度も再構築されてきていた。

 だが、今度は違う。創造神は新しい玩具(・・・・・)を創ろうとしている。今、恩が消えたら二度と再構築されない。

 『恩』という人間は完全に世界から消える。次の世界に生まれることもない。永久に。

(何故だ……何度も、やり直してきたではないか。失敗しても、創り直したではないか)

『バグがあるのに壊さずにおいてあげたのだから、長持ちした方でしょう?』

(バグ。それのせいで、恩は消されるのか)

 ふつふつと怒りが込み上げてくる。クロムの怒気に気づいたセイルシアとライフィエは、幼い少女と少年の姿に変化する。

〈あら? だいぶお冠のようね〉

〈コレが消えると知って、焦っているの?〉

〈ふふ、もしかして寂しいのかしら?〉

「戯けたことを抜かすな。恩を殺すのはオレ様だ。他の奴に手出しはさせん」

 今にも飛び掛かってきそうな勢いだ。こんなにもクロムが執着心を見せるとは、予想外だった。

 戦闘以外には興味がなく、誰が傷つこうが死のうが、意に介することなく、快楽以外の感情を知らなかった孤独な戦神が。

(ふぅん。一丁前に守るつもりなんだね)

(ちゃんと進歩してるんじゃない。不器用な子ね)

 様々な感情を見せるようになった。寂しさを知った。愛情を知った。

 その変化は、悪くない。我が子の成長は、少なからずうれしいものだ。

 ライフィエはセイルシアの手を取り、指を絡めた。セイルシアは微笑んで頷く。

 二柱が同時に指を鳴らすと、クロムと恩は元の場所に戻っていた。

 時空神(ときがみ)の神殿の中。創造神の姿はどこにもない。

「! 創造神!!」

〈お前が気に入っているのなら、今は見逃しておいてあげるわ〉

〈けれど、役目はきちんとこなすんだよ?〉

 頭の中に直接、声が返ってくる。

 消すと言ったり何もしないと言ったり、気まぐれな創造神の手の平返しに、クロムは苛立ちを隠さず「恩を元に戻せ!!」と怒鳴った。

〈それはできないわ〉

「何っ!」

〈それはお前の役目ではないからね〉

 最初で最後のチャンスを与えよう。これで打ち破ることができないのなら、それまでだ。

 セイルシアとライフィエは、それぞれ一粒の涙を落とした。

 二粒の涙は混ざり合い、混沌の渦の中に沈んでいく。次元を超え、それは少女の元へ落ちていく。



「……え?」

 耳を疑った。魂が、何?

 困惑するイオンに、ゼルグはため息交じりにもう一度尋ねる。

「お前は、自分の魂が消えかかってるって知ってるのか?」

「……」

「その様子じゃ、知らなかったみたいだな」

 聞き間違いじゃなかった。魂が消えかかるとは、どういうことなのだろう。そのままの意味だとしたら。

「魂が、消えるって……イオは、死ぬのですか?」

 震える問いに、ゼルグは短い沈黙の後、「その通りだ」と返す。

 聞きたくなかった。知りたくなかった。どうして。

「イオは……世界にひとりだけの、時空神で、不老長寿で……ずっと、いきていくのだと思ってたです……ひとり、で」

 永い時を、これからずっと。その存在をほとんどの者に知られることなく、あの神殿でひとりきりで。

『イオ、これからもよろしくな。今度は、パートナーとして』

 いや、一人じゃない。赤い髪と眼の、優しい男性(ひと)と。

「……いえ……一人じゃ、ないです。おにいちゃんが……いるです」

「あいつはもういない。あいつは消えた」

 眉間にしわを寄せ、ゼルグは声に不快感をにじませた。

 まだ囚われているのか、あの男に。前史の『恩』に。

 恩の心の一部がイオンの魂の中にあるせいか、現在と過去の記憶がごちゃまぜになっているようだ。

「そんなことないです。お兄ちゃんは、いるですよ。さっき、会った……」

「あれは現史の『恩』だ! お前の知ってる『恩』じゃない!!」

「おにいちゃんは言ってくれたです! パートナーとして、いっしょにいてくれるって! これからずっと! だから、イオがしぬなんて……」

「目を覚ませ!! 前史の『恩』はもういない。お前が会った『恩』は現史の『恩』だ! 前史の『恩』は……お前が愛した恩は死んだんだ!!!」

「なら、いおもおにいちゃんのところにいける?」

 そう言ったイオンの目は焦点が合っていなかった。

 異物によって魂が消耗している。このままでは本当に。

 ゼルグはイオンの首から手を放し、抱き起こして両肩を揺さぶった。

「おい!! 正気に戻れ!! バカなこと言ってんじゃねぇ!!!」

 こんな形で終わらせたくない。だが、自分には創造神の術を解くことはできない。

 せめて浸食を止めようと恩から遠ざけたのに、止まらない。遠ざけるだけではいけないのか。遠ざけても無意味なのか。

(くそっ。俺の力じゃ魂には触れられねぇのに)

 イオンの魂から恩の心の一部を取り除くには、イオン自身が気づかなければ。

「ふざけるな。お前はこんなところで死なねぇ。死なせねぇよ!! 俺がお前を壊すんだ。お前は、俺が……」 

 手に伝わるはずの熱はもう、ほとんどない。イオンの肩を掴む手がわずかに弱まる。

 その時、創造神の力の気配を感じたゼルグは顔を上げた。

 それと入れ違うように一粒の雫が落ちてきて、イオンの額に落ちる。

 ピィィィィン……

 高く澄んだ音とともに、雫に込められた創造神の神気が、辺りの空間一体に波紋のように広がった。

 神気のヴェールに覆われ、イオンの体に少しだけ生気が戻った。

 雫は半分にまで減ったイオンの魂へと届く。



 夜の散歩でもしようと外に出た男は、創造神の神気にリビングを振り返り、くすっと笑みを零した。

(おやおや、あの方々も大概、甘いようで。術をかけるのも解くのも、気まぐれだねぇ)

 面白くなってきたと思えば、創造神のお遊びはもう終わりのようだ。

 ゼルグも恩も、もっと翻弄されていればよかったのに。

「まあ、こんなところで消えてもらっては退屈だしね。私は私で遊ばせてもらうよ」

 男は軽い足取りで、闇夜へと消えていった。



 何もない真っ白な世界だった。そこで依織は、一糸まとわぬ姿で薄い繭のようなものの中にいて、体を丸めて眠っていた。 

 コーラルピンクの髪は体を覆うほどに長く、まるで掛布のように、依織の小さな肢体を包んでいる。

 ピィィィィン……

 澄んだ水の音が依織の意識を呼び起こす。

 ゆっくりと、伏せられたまつ毛が持ち上げられていく。

 何度か瞬きをして、依織はころんと寝返りを打った。

 反対側を向いても、見える景色は変わらない。どこまでもどこまでも続く純白の世界。

 軽く目をこすり、仰向けになってみる。

 ふと上に向かって手を伸ばすと、膜に手が触れた。

 膜は触れたところから裂けて、ふわりと消えた。

 難儀そうに体を起こし、顔を上げる。体が軽い。さっきまで重くて、寒くて、とても眠かった。

 神気によって回復した生命力。そのおかげか、霧が晴れたかのように意識がはっきりとしてくる。

 創造神に術をかけられたのは、ジルティリードが消えた後のこと。 

『二人っきりの時なら、めーちゃんだけは呼んでもいいですよ』

『!!』

そっと耳打ちした後、恩は胸を押さえて苦しみだした。

 おかしいと思い、恩の頬に触れた瞬間、何かがここに入ってきた。異物であるそれは、ここ――魂の最奥にある。

 異物が入ってきた時から、生命力が削られ、精神が不安定になった。

 今は神気のおかげで生命力は戻っているが、異物を見つけなければ、根源を見つけなければ解決しない。

 時間が経てばまた、精神が不安定になり、生命力は削られるだろう。

 なぜ、創造神は自分たちに術をかけたのか。その真意を探ることはできないが、このままではいけないということだけは解る。

 依織は立ち上がって、水中を泳ぐように足を動かす。意識を研ぎ澄まし、かすかな気配でも感じられるように、探る。

 異物の正体は分からない。けれど、見つけなくては。

 苦しんでいるから。呼んでいるから。

 叫んでいるから。泣いているから。

 その苦しみから、解放したい。

 痛みを分かち合いたい。そばにいたいの。

 かすかに自分のものではない気配を感じた。少しずつ弱っていくそれは、とても大事なもの。

 依織は勢いよくそれを目指して泳ぐ。

 本当は、面影を重ねてた。若い頃のあの人に面差しがよく似ていたから。

 似ていたから、好きになったの。「めーちゃん」と呼びながら、ずっと「お兄ちゃん」と呼んでいたの。

 でも、でもね。

『もう、そんなに自分を責めないで。そんな風に、依織がずっと自分を責め続けることを、クーちゃんはきっと望んでないよ』

 あの言葉を聞いた時、違うと思ったの。

『クーちゃんのことを想うなら、感謝しよう。だって、クーちゃんのおかげでゼルグを封印できたんだろ?』

 あの人は、クーちゃんのことを知らない。でも、誉めてくれた。何も訊かずに、ただ頑張ったな、って。

 クーちゃんのことはジルさま以外には誰にも言わなかった。言葉にすると、悲しさとか罪悪感が溢れてきそうで。

 だから、お墓を作っても罪悪感から墓参りもできずにいて。

 その気持ちを払拭できたのは、あの言葉のおかげ。

『ごめんなさいじゃなくて、ありがとうって言おうよ。その方がクーちゃんも喜ぶと思うんだ』

 この人は、あの人とは違う。同じように優しいけれど、もっと。

 ほっとしたり、くすぐったくなるようなうれしさじゃなくて、体中が痺れて熱くなって、胸が詰まるくらいのうれしさ。

 クーちゃんの死と向き合えたのは、あの子のおかげ。あの子の言葉だから前に進むことができたの。

 一度は、あの人とそっくりになったあの子の姿に心が揺れたけど、それはきっと心が弱っていたから。魂が削られて、不安定になっていたから。

 ごめんね、もう大丈夫。ちゃんと信じるよ。お兄ちゃんが背中を押してくれたことは無駄にしない。

 だから、今度こそさよならね。

 お兄ちゃんのことが大好き。だけど、それよりももっと、あの子を愛してる。

 いとしいから、愛してほしい。愛したい。

 お兄ちゃんの代わりじゃない。君は、君だからすきになったの。

 愛すると決めたの。まもりたいの。一緒に、生きていきたいから!

 彼方に見えるそれは、ほとんど消えかかっている。依織は懸命に泳いだ。

 ダメ、消えないで。壊れてしまわないで。ここにあってはダメなの。

〈めーちゃんの心はっ、イオが守るですっ!〉

 手を伸ばして、それを掴む。守るように引き寄せ、胸に抱いた。

 ほろほろと涙を流し、依織はそっと手を開く。

 それは小さな小さな鍵。彼の大切な、命の欠片。  


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