第65話 この魂削られていても
二人は町に魔物を探しに出たが、案の定見つけられなかった。
警吏隊にこれまで魔物が出現した時間や場所を聞いたのだが、共通性はなかったので無差別だろう。
法則性もないようなので、奴がどこに出現するのか皆目、見当がつかない。八方塞がりだ。
此武は飽きたと言って先に帰ったが、恩は一人で夜になるまで探し回った。
それでも見つからず、諦めて高科FWに帰ってきた恩は、ため息をついてソファーに寝転んだ。
「はぁあ~、疲れた……見つからなかったぁ……」
「その顔で情けない声を出すな、戯けが!」
此武はデスクチェアでふんぞりがえり、眉を顰めた。
この姿になってから、此武は始終、顔をしかめている。どうやらこの姿がお気に召さないらしく、「気色が悪い」だの「奇妙な声を出すな」など文句ばかりだ。
好きでこの姿になったわけではないが、自分もいずれは成長する。
この姿が未来の姿だとはっきり決まっているわけではないので、こうなるとは限らないが、少なくとも成人になる頃には声変わりもするだろうし、身長も伸びるはずだし、顔だって大人びてくる。はず!
あと一年もすれば成人だというのに、その兆しは見えていないが。
(何がそんなに気に食わないんだろう?)
此武の考えていることはよく分からないが、お腹がすいたので、恩は買ってきたコンビニ弁当を温めるために給湯室に向かった。
その後ろ姿を、此武は頬杖をついて眺めていた。本当に、後ろ姿は前史の『恩』にそっくりで、けれど中身は現史の『恩』のままで。
(薄気味悪いに決まっているだろう。あの男は、オレ様を見るたび怯えていたのだから)
表面上はなんでもない風を装っていたが、体が震えているのは知っていたし、目もなるべく合わせないようにしていた。
興味がなかったのでそれでも構わなかった。怯えようが、逃げようが、それは神界や魔界にいた頃もそうだったのだから。
弱者が圧倒的な力の差がある強者を恐れるのは、当然のこと。
ただ、それまでの『恩』はそういったことはなかったから、少し癪に触っていただけだ。
今の恩の姿は、嫌でも前史を思い出す。
(だが、あの娘にとっては違うかもしれんな)
時空神の娘。あの娘はいつでも、あの男のそばにいた。
前史の記憶を持つあの娘ならば、今の恩の姿を見たらどんな反応をするのか。
(フン……どうでもいいがな)
今は、あれを早く元に戻さねば。
「此武! なんでここ、レンジないんだよ!」
恩が飛び込んでくる。いつまでもこの薄気味悪い姿の恩といると、落ち着かないのだ。
「喧しい! そんなもの必要ないからに決まっているだろうが」
「俺が必要だよ! 冷たいお弁当食べろって言うのか!?」
「知るか!」
一刻も早く、魔物を見つけてこの状況を打破したい。恩とてその気持ちはあるだろう。
「恩、それを食ったらまた出るぞ」
「えーっ? 俺、さっきまで探してて疲れてるんだけど」
「貴様、被害者を増やしたくないなどとぬかしていただろうが。のんびりしていていいのか?」
「うっ。それはそうだけど……分かったよ。でも、食べたらちょっとでいいから仮眠させてよ。そしたら何時間でも探すからさ」
「フン、勝手にしろ」
恩はさてどうしたものかと、冷たい弁当を見て考え込んだ。
レンジがないとなると、コンロならあるので、中身を出してフライパンで温めようか?
それとも、どこかでレンジを借りるか……
(あ、そうだ。イオンのとこならもしかしたらあるかも)
時空神の神殿はイオンが時空神になってから、内装が変わっていた。イオンが生活しやすいようにするためだろう。
イオンがどれだけ人間に近い生活をしているのか分からないが、少なくともジルティリードがいた頃よりは生活感に溢れていた。
(ダメ元で行ってみようっと)
ここからなら時空神の神殿に行ける。恩はコンビニ弁当を袋に戻して、時空廻廊に続く青いドアノブを回した。
真面目で、優しくて、いつもまっすぐに前を見つめている人だった。
他人の気持ちには敏感だけれど、自分に向けられる気持ちには鈍感で、時々空回りしているところもおもしろくて。
自分の宿命を受け入れて、しっかりと未来を見据えていた。
あんな風にわたしもなりたくて、憧れて、大好きだった。
『イオ』
振り返って笑うあなた。
笑顔で手招きをするあなた。
叱りつけるあなた。
悲しそうな顔をしているあなた。
頭を撫でてくれるあなた。
たくさんの、あなたとの思い出。そして……最期。
『……すまない……』
いや。消えないで。好きなの。どこにもいかないで。
わたしを……ひとりにしないで!
「おにい……ちゃん……」
イオンの口から漏れた声に、人影は手を止めた。
痛むのか、イオンは胸を押さえている。呼吸も荒く、脂汗が滲み出てきている。
「お前、まだあいつのこと……」
人影はぽつりと呟き、伸ばした手を握りしめた。
何もかも忘れてしまえば楽だったろうに。前史の記憶など引き継いでいなければ。
想いを受け継いでいなければ、苦しまずに済んだかもしれないのに。
「苦しいだろ? 今、楽にしてやる」
手を引っ込め、イオンの体を仰向けにする。服の中から短剣を取り出すと、短剣の切っ先をイオンの胸の真上に定めた。
「痛みなんて、一瞬だ」
短剣を持つ手に力を込め、振り上げる。その刃が振り下ろされる前に、どこからか飛んできた白い物体が短剣を弾き飛ばした。
「!!」
「イオンに何するつもりだ、ゼルグ」
静かな声で、恩はイオンの傍らにいる人影――ゼルグを見据えた。
ゼルグは恩を振り返り、瞠目した。
「お前……なぜ、ここに」
「それはこっちのセリフだ。イオンから離れろ!」
ケイオスフォズマを顕現させ、構える恩。ゼルグは呆然と「イオン……?」と反芻してから、にぃっと笑った。
(そうか。あいつがいるわけがない。あいつは消えたんだ)
前史の『恩』にそっくりだから驚いたが、よく考えればありえないことだった。
「その姿はどうしたんだ? 恩」
「え、あ、これは……魔物の術でちょっと……って、こっちの質問に答えろよ!」
「忌々しい姿だ。二度と見ることはないと思ってたんだがな」
「? どういう意味だよ」
此武といいゼルグといい、なんだってこんなに批判されるのだ。なんだか、自信なくなってきた。
それに、ゼルグの言い方はまるで、この姿を以前に見たことがあるような。
「こいつが気絶していたのは好都合だったな。今のお前の姿を見たら、どうなっていたことやら」
「イオンならさっき、見てたけど?」
返ってきた答えにゼルグは硬直した。今、なんて?
「魔物と戦った時、イオンも近くにいたからな。でも、この姿見てからちょっと様子がおかし」
「その姿でこいつに会ったのか!!」
突然の怒号に、恩は思わずびくっとした。ゼルグの顔が怒りに染まっている。なんで怒っているんだ?
「え、だって……」
「……ことごとく、邪魔な奴だ。こいつがその姿を見て平然としていられるわけがない。こいつがおかしくなったのは、お前のせいだ」
怒気のこもった目。なぜ、ゼルグが怒っているのか。イオンは自分を封印した相手で因縁があるのは分かるが、庇う理由が分からない。
それに、やはり誰かと重ねているような口振りだ。一体、誰と?
ピシ……と、小さくひび割れるような音が聞こえた気がする。胸が痛い。
「うっ……?」
恩が胸を押さえて体をくの字に曲げると、ゼルグは一瞬眉を顰め、次いでハッとしてイオンと恩を交互に見ると、くっと歯噛みした。
「おい、いつからだ!?」
ゼルグは恩の胸倉を掴み、問い詰める。
「いつからお前の心は削られていた!?」
「……?」
質問の意味が分からない。困惑する恩に、ゼルグがもう一度問いただそうとする。
「いつからこいつの中にお前の……」
最後まで言う前に、凄まじい神気がゼルグにのしかかってくる。体が動かない。
「ぐっ……」
(この神気は、創造神か……余計なことはするなってか? ははっ)
あの二柱がわざわざ忠告してくるとは、これはよほどおもしろい“遊び”らしい。
彼女らは、普段はプロットのままに動く駒たちを傍観しているだけだが、時々気まぐれに駒を使って戯れることがある。
彼女らが戯れをする時は、駒が勝手に動くことを嫌う。
こうしてゼルグを神気で抑えたのも、勝手なことをするなという意味だ。
(気まぐれな女神たちだ。反抗するのは得策じゃない。だが……)
はっきりとした原因は分からない。ただ、感じる。
イオンの魂が何かによって消えかかっているのを。恩の心から、感情が少しずつ抜け落ちているのを。
イオンも恩も、このまま放っておけば、魂が疲弊し最悪の場合、死に至る。
(プロットならいざ知らず、お遊びにまで付き合ってられるか!)
ゼルグは自分の力を解放し、力尽くで創造神たちの神気を振り払う。
「はぁ、はぁ。恩……本当に、憎たらしくて仕方がない。お前はいつも、俺から奪っていくんだな」
「ゼルグ……?」
「ここでお前を倒しちまえば、楽なんだけどな。そうもいかない。
こいつも、せっかく楽にしてやろうと思ったのに、お前が邪魔をしてくれたおかげで苦しみが増すだけだぜ」
イオンがいなければ、もう封じられることはない。封印の力など二度と使わせない。
だから、力を根こそぎ奪ってやろうと思ったのに、恩が邪魔をした。目障りだ。
恩とイオンの不調は繋がっているようだ。近くにいればいるほど、進行は早い。ならば。
ゼルグは仰向けで倒れているイオンを抱き上げ、恩に背を向けた。
「こいつは預かっていく」
「なっ……」
恩は胸を押さえたまま、顔を上げる。どうして、ゼルグがイオンを?
分からない。でも、分かるのは、このままイオンを連れて行かせるわけにはいかないということ。
「お前がそばにいるだけで、こいつは壊れていく。そんなのは許せない。こいつを壊すのは俺だ」
「イオンに……何を、するつもり……」
「お前が知る必要はない。お前はせいぜい、その削られた心を取り戻せ。こいつを助けたいんだったらな」
ゼルグの周りの空間が歪む。行かせてはいけない。なのに、体が動かない。恩は必死に腕を伸ばす。その手はかろうじてゼルグの服を掴んだ。
ゼルグは肩越しに振り返る。恩の緋い眼差しと、ゼルグの赫い眼差しがかち合う。
(こいつはいつだって、俺の道を阻む。俺にとって、邪魔な存在。けど……)
ゼルグはぽそりと呟いた。
「早く気づけ、自分の心に」
めまいがして、視界が揺らぐ。ダメだ。ここで気を失ったら、依織が……
助けなくちゃ。どうして? 友達だから。仲間だから。それだけ?
好かれてるから? 違う。それだけじゃない。そうじゃない。
イオンは俺にとって……
――な子なんだ。
ズキンッ。
「……っ」
痛い。どうして、彼女のことを考えるとこんなに胸が痛むのか。
ここの所、自分が少しおかしい。でも、その理由と原因が解らない。
痛みで思わず緩む指先。離れていく。行ってしまう。
「ぃ……ぉ……」
何かが失われていっているのは解る、でも、それがなんなのか判らなくて。
考えると、苦しくて。きっと、それが答えだろうに、何かに阻まれる。
その阻む何かに抵抗できなくて、また失うのか? もう傷つけたくないのに。
視界が暗転する。最後に投げかけられた声は、どこか悲しげだった。
「……む。……ぐむ」
声が聞こえる。子供のような声。この声は……
「恩! とっとと起きんか!」
どぐっ。
「ごふうっ!」
強烈なかかと落としが背中に落とされる。ぼぎっ、と嫌な音がした。
「~~~~~っ」
「いつまで経っても戻ってこんと思えば、何を寝こけている、赤屑」
「……寝てた、わけ、じゃぁ……」
背中が痛い。え、コレ骨折してない?
「弁当とやらはどうした」
「あ、そうだ、弁……」
起き上がろうとして、背中に激痛が走る。冗談抜きで折れているかもしれない。
「ううう、痛い……」
「なんだ、その程度でごたごた言うな」
「その程度って、骨! 折れたかもしれないんだぞっ」
「あまりにも不快だったのでな、つい力が入ってしまった。まあ、骨が少しずれただけだろう。戻せば直る」
「戻すってそんな簡単に……」
ごきんっ。
此武に抱き起こされたかと思ったら、腹に膝蹴りを入れられた。また妙な音がしたが、不思議と痛みが消えた。
「直っただろう。」
「そんなバカな!! こんな簡単に治ってたまるかーっ」
「動けるようになったくせに文句を垂れるな、赤木偶」
「うう、整体師も真っ青だ……」
涙しつつ、先程投げた弁当入りのビニール袋を拾い上げて中を覗くと、見るも無残な姿になっていた。
「ほわああああっ! 俺の弁当がぁぁぁぁっ!」
弁当のフィルムを外した状態で持ってきていたため、袋の中で中身が散乱している。
イオンを助けるため、とっさに投げたとはいえ、今日の夕飯が!
「っ! イオン!」
「時空神の娘がどうした」
「……攫われた。ゼルグに」
「!」
恩は悔しげに歯噛みした。結局、掴んだ手は留めきれなくて、イオンは連れ去られてしまった。守りきれなかったのだ。
「イオンを、助けられなかった」
「……奴はなぜ、ここにいたのだ」
「分からない。でも、イオンを傷つけようとしてた。なんとか止めたけど、俺のこの姿を見て……」
『忌々しい姿だ。二度と見ることはないと思ってたんだがな』
ゼルグの言葉が引っ掛かる。それに、ゼルグはこうも言っていた。
『……ことごとく、邪魔な奴だ。こいつがその姿を見て平然としていられるわけがない。こいつがおかしくなったのは、お前のせいだ』
恩は頭を押さえた。この心のわだかまりはなんだ。
此武もゼルグも、どうしてこの姿を気にする?
時々聞こえる“声”や、急の頭痛はなぜ?
「おい、恩」
此武が手を伸ばす。恩はその姿勢のまま、一言漏らした。
「今の俺は誰かに似てるの?」
此武は手を止め、無言で腕を下ろした。
「此武もゼルグもイオンも、俺がこの姿になってから、変だ。誰かと重ねてるみたいで。俺じゃない誰かを見てるみたいで。
ゼルグが言ってた。イオンがこの姿を見て、平然としていられるわけないって。イオンがおかしくなったのは……俺のせいだって。
それに、変なのは俺もだ。イオンのこと考えると、胸がざわつく。頭が痛くなる。そんな時、遠くから女の人みたいな“声”が聞こえるんだ」
「!」
思い返してみれば、その“声”はだいぶ前から聞こえていた気がする。
此武にカーレンのことを気にする理由を聞かれた時も、カーレンを助けるために、過去へ行った時も。ジルティリードが倒れた時も。
あの頃から、何かがおかしくなっていった。
「知らない、でも、懐かしいような声で……優しくて、でも怖くて。その“声”が聞こえると、いつも苦しくなって、意識が遠のくんだ」
声が聞こえた時は、よく覚えていない。しかし、よくよく記憶を辿ると、その“声”は何度も語りかけてきていた。
そして、それは決まって彼女のことを考えたり、そばにいる時で。
「イオンといると……俺はおかしくなる。あの子のそばにいると……」
『お前がそばにいるだけで、こいつは壊れていく』
壊れていく。イオンも、俺も。繋がっているかのように。
「イオン……いお……依織……! う、ああああああっ!」
「恩!」
両手で頭を抱え、恩は絶叫した。
『おい、いつからだ!?』
「あああぁあぁぁああっ!!」
分からない。何が起きているのか。
『いつからお前の心は削られていた!?』
自分と依織に、何が起きている? ゼルグの言葉の意味は?
錯乱する恩に、此武は舌打ちをして天を仰いだ。
恩の魂が不安定になっている。こんな真似ができるのは。
(こいつに何をした、創造神!!)
遠く、異次元のどこかで、二柱の神がほくそ笑んだ。
愉しそうに、愛おしそうに、残酷な笑みを。