表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Fate Spinner  作者: 甲斐日向
66/69

第64話 重なる面影・後編

 苦々しい表情で告げられた此武の言葉に、恩は目を点にした。

「……へ?」

「とりわけ人間の闇をな。負の感情から生まれる闇。それが奴の好物だ」

「ちょ、ちょっと待ってよ。えーと、陽向さんって神狐だよな? 神族が闇を好むって、なんかおかしくない?」

 困惑して額を押さえる恩。神族は光を司り、浄化の力を持ち、優しく、あたたかく、穢れのない存在。そう伝えられている。

 すると、此武は鼻で笑い、体ごと振り向いた。

「おかしいとは、やはり人間の滑稽な考えだな。神族が皆、穢れなくお優しいものだとでも思っているのか」

「う」

「ならば、オレ様はなんだというのだ」

 神族が穢れない存在だと言うなら、争いを好み、血にまみれ、あらゆるものを屠ってきた自分は。

 言葉のない恩に、此武はくつくつと喉の奥で笑った。

「冥界に住む死神どもはなんだ? 奴らも神族だぞ。神族だから光に通ずると考えるのは、人間どもの勝手な理想と幻想だ。

 神族でも闇を好む者はいる。逆に、魔族は光を好まんというわけでもない。魔族であっても、チサキは争いを好まず、人間どもを下種とみなすどころか尊ぶ奴だった」

「あ……」

 千咲の基になったチサキは悪魔だった。神族であるクロムと旧知で、明るく優しい悪魔(ひと)だったという。

 そんな悪魔もいるんだな、と話を聞いた時はぼんやり考えていたものだが、チサキが変わり種というわけではなかったのだ。

「光と闇、神と魔、聖と邪、正義と悪。それらは表裏一体だ。相反するようで、その実、同一のものなのだ。

 故に、チサキのように闇に属しながらも光を好む者もいれば、糞狐のように光に属しながら闇を好む者もいる」

 光と闇は表裏一体。確かに、そう言われてみれば分からなくもない。恠妖(あやし)だって分類としては魔族だが、人間を助けたり幸福をもたらす者もいる。

 シェーシアでは、光属と闇属は差別などせず共存していた。光属のルカフィルと闇属のナハトがいい例だ。

 二人のことを思い出し、恩は胸を痛めた。幸せそうだった二人。その幸せは脆く崩れ去ったのだ。自分の半身、ゼルグの手によって。

「神族も魔族も、たいした違いはない。ただ、属する力が違うだけだ。オレ様が闇属に近いように、奴も闇属に近いのだ。だいたい、生命神などどちらでもあるのだぞ」

「え? そうなの?」

「生命神は生と死、どちらも司るからな。それに知らんのか? 冥界を統べる冥王は生命神だぞ」

「え! あ、そういえば、前に天界に行った時、リアウィスがそんな話してたような」

 冥界は、カーレンたちクリソプレズ一族とは違う生命神が治めているのだと。

 だとすれば、此武の言うことは間違いないのだろう。しかし、にわかには信じられない。あの陽向が闇を喰らうなどとは。

(だって、神狐だろ? 妖狐ならともかく……それとも、神狐はそういう種族で、俺たちが知らないだけなのかな?)

 種族のすべてを把握しているわけではない。まだ解明されていない謎の種族もいるし、人間のことすら日々、研究が進められている。

 昔話や神話で語られていることしか、神族や魔族のことを知らないのだ、人間は。

「分かった。陽向さんには気をつけるよ。ありがとう、此武」

「何がだ」

「陽向さんに近づきすぎると危ないって、俺のこと、心配してくれたんだろ?」

 にっこり笑うと、此武は苦虫を噛み潰したような顔で、ドアを開けた。

「誰が貴様のような腐れ頭の心配をするか。次に戯けたことを言ったら、その舌を引き千切るぞ」

 いつも通りの物騒な言葉を吐き、此武はすたすたと歩いていく。ちゃんと目を合わせてくれた。それだけで、失った支えが戻ってきたように感じる。

 ちゃんと言葉を交わして、目を合わせてくれるなら、どんな暴言を吐かれたって、どれだけ拷問されたって、耐えていける。

 無関心でいないこと。それは、此武が自分を見捨てないでいてくれる証拠だから。



 ――まさか、と思った。まさかこんなところで、って。

 時空神(ときがみ)の神殿の中、写し身を通して恩の様子を見ていた本体のイオンは、ぽろぽろと涙を零していた。

 思いもしなかった。あの姿を、もう一度見ることになるなんて。

「……ぃちゃん……っ」

 触れられることはないと。見ることも、声を聞くことも、もう二度とありはしないと思った。

 望んでも、叶わない願いだと諦めた。なのに。

「……恩お兄ちゃん……っ!」

 拭っても拭っても、視界が歪む。

 遠い昔に失った最愛の人。この恋は実るまいと捨てた想いが、蘇る……



 時空神イオン――皇斐(すめらい)依織は、変哲もない普通の女の子だった。

 少し人と違うところと言えば、重度の歴史好きというところくらいか。

『藍泉歴一六〇二年。時の国王、加賀千丞(かがのせんすけ)さんはペルチアーナ国と同盟を結んだです。でも、その時の使者さんが、国王さまに手土産として魚の刺身を差し出したのですよ。

 当時、藍泉では魚の料理と言えば、焼き魚か煮魚で、形もそのまま調理するのがよいとされてたです。

 なので、刺身のように原形を留めていないもの、しかも! 生魚は禁止されていたのです!』

『へぇ?』

『それを見た国王さまの部下が怒って、使者さんを打ち首にしようとしたのですけど、国王さまは「これが貴国の代表的な料理なのであろう。では、ありがたく頂くとしよう。同盟を結ぶからには、互いの国の伝統を大事にせねばならぬ」と、嫌な顔一つせずに、箸をつけたそうなのです!

 これが藍泉で初めて食べられたお刺身さんなのですよ!』

『そうなんだ』

 国王の熱演も交え、興奮気味に語る依織。話を聞いていた幼なじみが苦笑を浮かべる。

 小さい頃から、歴史が好きだった依織。独学で調べては、幼なじみに話していた。

 依織十歳。この頃にはあらゆる歴史書を紐解いていた。

『藍泉にお刺身が広まったのも、この同盟がきっかけとされてるです。なので、お刺身さんのことを業界用語では国王さまにちなんで“せんすけ”と……』

 そこまで言いかけて、依織は言い過ぎたかと言葉を切った。幼なじみは小首を傾げる。

『依織?』 

『ごめんなさい、またやっちゃったのです。歴史のことになると、ついつい興奮してしまうです。うるさかったですよね』

 隣に座り、膝を抱える依織を、幼なじみは穏やかな表情で見つめた。

『そんなことないよ、好きに話していいから』

 そう言って笑う幼なじみに、依織は表情を明るくさせて、別の歴史の話を始める。

 こうして歴史の話をしている時が、彼女の一番楽しい時間だった。

 思春期に入り、周りの女子が恋愛話で盛り上がっている頃も、幼馴染が自分に向ける淡い想いにも気づかず、依織は歴史にしか興味がなかった。

 だが、そんな依織にも恋をする時が来た。 

 幼い頃、祖父と散歩に出た依織は祖父とはぐれて迷子になってしまった。それを助けてくれたのは通りすがりの少年だった。

 年月とともにその記憶は薄れていったが、依織が十七歳の時。

 偶然にもその少年と再会した。その少年こそが、前史の恩だった。

『もしかして……あの時、助けてくれたお兄ちゃんですか?』

『えーと、確かイオちゃんだっけ? そうだよ。大きくなったなぁ、見違えたよ』

 大人になった恩に依織はすぐ懐き、一人っ子だったので『お兄ちゃん』と呼ぶようになった。それから恩との交流を経て、依織はだんだんと恩に惹かれていった。 

 そのうちに、依織はジルティリードに選ばれて、ゼルグが改変した歴史の修正を行うようになる。

 そしてゼルグを封印したのち、ジルティリードから新たな時空神となって、宿命を紡ぐ者(フェイトスピナー)のパートナーになれと告げられた。

 時空神イオンとして生きることを選んだ彼女は、宿命を紡ぐ者(フェイトスピナー)である恩のパートナーとなり、一層、親睦を深めていった。

 だが、彼に想い人がいることを知ったイオンは、年が離れているために、妹扱いから抜け出せないことに気づき、恩への想いを諦める。

 それと同時に、恩から距離を置くことにした。必要な時以外は会わないようにしよう。彼の恋を応援しよう、と。

 失恋がつらくて、恩から目をそむけた。その結果、彼は想い人と結ばれたけれど、幸せは長くは続かなかった。

 彼の想い人は不慮の事故でこの世を去った。その悲しみから、恩は最悪の決断をしてしまったのだ。

 事故で彼女が死ぬ前の時間に戻り、彼女を助ければいい、と。

 それは過去を変えるということ。過去を変えることは禁じられている。

 それも、本来亡くなるひとを生き長らえさせれば、未来まで変わってしまう。

 歴史の改変。恩はゼルグと同じことをしようとしている。時空神であるイオンにとって、その行為は決して許せないこと。

 何より、この流れはプロットにはない流れだ。

 プロットの通りに進めなければどうなるか、ジルティリードから聞いて知っていたイオンは必死に恩を止めた。

『ダメなのです、お兄ちゃん! 過去を変えるのは禁じられてるのです! ましてや命を蘇らせるなんて……っ』

 しかし、恩はすでに正気を失っていた。彼はイオンから時空の杖を奪い取る。

『やめて! お願い、行かないで! お兄ちゃんっ!!』

 イオンの涙ながらの願いは届かなかった。そして最悪の結末を迎える。

 恩が杖を掲げ、時空の扉を開けようとした時――

 一振りの剣が恩の胸を貫く。刺したのは戦神クロム。イオンは絶叫した。

 倒れゆく恩を、彼は蔑んだ目で見下ろす。

『オレ様はあの方々からもう一つ、命を受けていた。もしも貴様がプロットから外れることをした時は、殺せと』

 クロムは役目を終えると、それだけ吐き捨ててどこかへ消えた。

 プロットを紡ぐためだけに存在している宿命を紡ぐ者(フェイトスピナー)。その存在意義を、彼は図らずとも捨てた。だから消滅させる。

 創造神にとって、恩はその程度の存在なのだ。

 だが、イオンにそんなことは関係ない。初めて心から愛した大切なひと。

 その人が消えていく。目の前で、腕の中で。

 彼が消えることは、この世界の消滅をも意味している。

 彼は世界そのものなのだ。恩の最期を、世界の最期を、イオンはただ一人で見届けた。

 前史の恩が消えた時、世界は再構築されて今の世界が在る。

 世界はまた最初から歴史を紡いできた。

 前史とは違う流れで、新たな歴史が刻まれているので、イオンの知らない歴史もあった。

 もちろん恩も再構築された。生まれも育ち方も姿も、前史とは少し違う。

 それでも、待ち焦がれていた。新しい彼と出逢える日を。

『やっと会えたですね。あなたが宿命を紡ぐ者(フェイトスピナー)さんですか?』

 少年の姿。自分とほぼ変わらない年頃。前史で迷子になった自分を助けてくれた頃の彼と少し似ている。

 でも、目の前にいるこの人は彼とは別人。彼はもういないのだから、新しい『恩』を受け入れて、支えていかなくては。

『わたしの名前は皇斐依織(すめらいいおり)。依織と呼んで下さいね』

 新しい一歩を踏み出すために。

 彼すら呼ばなくなった名を、呼んでもらいたい。

『恩くんですね。それじゃあ、めーちゃんって呼んでいいですか?』

 年が近いので、今度は『お兄ちゃん』とは呼ばないように決めた。

 次に出逢えたら、もっと積極的に関わろうと思っていた。今度こそ、彼の支えになれるように。

 だから恩の仕事についていった。二人だけで薬草を探した時は、昔に戻れたような気がして、うれしかった。

 そして姿形は変わっても、変わらないものがあると気づいた。

 ふとした仕草や表情、優しい言葉。年齢は違っていても、あの頃と変わらない。

 再構築されたとしても、やっぱりこの人は『お兄ちゃん』なんだと……惹かれていった。

 ――めーちゃん。

 前史(まえ)みたいに後悔したくないから、今度は前に進もう。

 ――めーちゃんっ。

 たくさん名前を呼んで、たくさん会いに行って、たくさん近づいて、この想いをぶつけよう。

 ――めーちゃん。

 ねえ、わたしは君が……

『イオ』

 ――面影が、重なる――

 ……お兄ちゃん。

 あなたが、すきです。

「う……あぁ……」

 涙と一緒に溢れてくる想い。これは、現史(いま)の恩に対してじゃない。前史(むかし)の恩への未練(おもい)

 どうして? 吹っ切れたはずなのに、どうして今、こんなにもあの人への想いが溢れてくるの?

 まるで、思い出させるかのように。植え付けるように、何かが侵食してくる。

 大人の姿になった恩は、腕の中で消えていった前史の恩と同じだった。

 声も、表情も、仕草も、何もかもあの頃の彼そっくりで。

「……お兄ちゃん……お兄ちゃん……っ」

 あの時、前に進むと決めたのに。お別れをしたはずなのに。

『時間はかかるかもしれないが、あいつの心が安定するまで、信じて待っていてくれ。あいつにはお前が必要なんだよ、イオ』

 ジルさまが消えてしまった時。現れたのは、あの人だった。

『本当に会えるなんて、思わなかった』

 あの人は自分が消える間際に、新しい世界を見てみたかったのだと言った。

 わたしに会いたいと願ったのだと。

 うれしかった。会えるはずがない人に会えたこと。

 あの人もわたしのことを想ってくれていたこと。

 重なる想いがあった。それを知ることができて、わたしは前に進む勇気をもらった。

『大丈夫。たとえ俺がいなくなっても、消えないものがある。それは想いだ。

 イオを大切に想う気持ちは、変わらない。消えやしない。あいつの中に、俺はいるよ。だって、同じ恩なんだから』

 あの言葉が、わたしを強くしてくれた。……そのはずなのに。

「いや……お兄ちゃん……いかないで……」

 あの人を求めてしまう。あの子ではなく、あの人を。

 抗えない強い力で、想いが絡められ、組み替えられていく。

 痛い。胸が。魂が、痛い。まるで削られているように。

「……っ!」

 息苦しさを覚え、イオンは気を失ってその場に倒れた。

 そのそばに、一つの人影が舞い降りる。

「…………」

 人影はイオンの傍らに片膝をつき、涙が伝う頬に手を伸ばした。


 ――早く見つけないと、その娘の心も壊れてしまうよ。

 壊れて、消えてしまうよ。魂ごと、ね。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ