第63話 重なる面影・前編
「え、今の悲鳴、何?」
暁緋が不安げに呟く。もしや例の事件の? 恩は慌てて暁緋に向き直った。
「暁緋! 何かあったのかもしれない。危ないから、このまま太陽の家に帰るんだ」
「でも……」
まだ何か言い足りなそうな暁緋。だが、少し考えた後に肩をすくめた。
「そうね。なんか物騒な事件とかニュースでやってたし……この話はまた今度ね」
「え。今度?」
「じゃあね、高天」
去り際に気になる一言を聞いたような気もするが、とにかく暁緋は遠ざけられた。
「行こう、カーレン。イオンはどうする?」
「はい」
「見過ごすわけにもいかないので、イオも行くですっ」
三人は悲鳴の聞こえた方へ駆け出す。パニックになった人々の中心に、それはいた。
「ハッハー! これまた、イーイ獲物がぞろぞろいるねぇ!」
体は豹、背中には鳥の翼、尾は蛇という奇妙な姿をした魔物だ。二本足で立ち、人語をしゃべっている。
現れた魔物に、最初は何かの撮影かとざわめいていたが、魔物が口から放った光線に当たった男性がみるみる幼児になったのを見て、人々は危険を察した。
「次は誰にしてやろうかなぁ。おっ?」
魔物は子供を連れて逃げる主婦に目をつける。
「おらよっ」
「きゃああっ」
光線に当たった主婦が子供に変化する。続いて、主婦が連れていた子供も光線を浴び、六十代くらいの男性になった。
「やだっ、なにこれぇ」
「お母さんが小っちゃくなっちゃった。うう、服がきついぃ」
「ハッハー! おもしれーなぁ!」
魔物は手当たり次第、逃げる人々を光線で子供から大人に、大人から子供に変化させる。
「まずい、早くあいつをなんとかしないと!」
とりあえず、陽向に連絡をしなければ。
緊急用にと渡されていた無線のスイッチを入れる。
「陽向さん! こちら、恩! 奴が現れました!」
《そうか。すぐそちらに隊士を派遣する。無線の電源はそのままにしておいてくれ。内蔵の発信機で場所は特定できる》
「分かりました!」
この騒ぎの中ならば、誰も自分に注目しないだろう。恩は「換装!」と叫ぶ。
恩の服が光り、私服が宿命を紡ぐ者の証服に変わる。同時にケイオスフォズマも顕現させた。
魔物は一体。他に仲間らしきものは見当たらない。一体だけならば、自分一人でも問題ない。警吏隊が来るまで足止めしよう。
「それ以上、町の人に危害を加えるな!」
「んん~? なんだぁ、このチビ」
「チビって言うな! お前が最近、事件を起こしてる奴だな。目的はなんだ!」
「ハッハ! 正義感いっぱいだねぇ。そういうの嫌いじゃないぜぇ?
オレの目的が知りたいってんなら教えてやるさ。オレはな、この能力でオレ様の帝国を作りてぇのよ!」
「はあ?」
眉を顰める恩。魔物はゲラゲラと笑いながら、バサッと翼を広げた。
「力のある大人はヘタレな子供に、子供は爺さん婆さんにして無力化する。何をやろうと弱っちぃからオレの敵じゃあねぇ。こいつらを奴隷にして、オレの帝国を作る。それがオレの野望だ、ハッハー!」
話を聞いて、恩は目を点にした。
(く、下らない……)
そんなことでこんな騒ぎを? だがしかし、もしすべての国民がそうなったら、この国は大混乱になること間違いなしだ。
「えーい、そんなことさせるか!」
棍状態のケイオスフォズマを構え、恩は突進した。
魔物はひょいとかわして、光線を吐く。アレに当たったら一大事だ。
サッと避けると、魔物の懐に潜り込み、棍を突き出す。
「でやぁあっ」
「うおぅっ!? 危ねぇじゃねぇか!」
「その光線を吐けないようにしてやる!」
「邪魔すんじゃねぇ、チビ!」
「だからチビって言うなぁぁっ!!」
シュシュシュッ、と連続で棍を突き出す恩。しかし、意外にもこの魔物は反射神経がよく、ことごとく避けられる。
魔物が恩に向かって、鋭い爪を振り下ろした。恩はサッと避けると、いったん隙を窺おうと距離を取ろうとする。
が、方向転換した先に、三歳くらいの子供が泣きべそをかきながら地面に座り込んでいた。
「へ? わわっ!」
魔物の光線で子供にされた人だろう。だぼだぼになった服を纏っている。その服をうっかり踏んだ恩は、足を滑らせて転んだ。
「だぁっ。いてて……」
その機を魔物は逃さなかった。きらりと目を光らせ、光線を放つ。
「しまっ……うわあああっ!」
「恩さん!」
「めーちゃん!」
二人の声が重なる。しかし、どうすることもできなかった。恩は光線を食らい、大人の姿に変化する。
「くそー、油断した……」
「!」
その姿と声に、イオンがドキッとする。
(この声は……)
しかし魔物は首を傾げ、不満げな顔をした。
「んー? 本当は爺さん位にするつもりだったんだが、さほど効果が無かったみてぇだな。まあ、また邪魔される前に逃げさせてもらうぜ!」
「あっ、待て!」
追いかけようとする恩だったが、すばしっこい魔物はあっという間にいなくなってしまった。
「うう、逃がしちゃったな。陽向さんに申し訳な……というか、俺、声低くなってる?」
自分の喉に手を当てる。その手も、ずいぶんがっしりしている。恩は近くのショーウインドウに映る自分を見て、改めてその変化に驚いた。
年の頃は三十代半ばくらいだろうか? 顔つきも、肩幅も、身長も、今までの自分とは違う。
「うわぁ! こ、これ、俺なの!? 声が低い! 背が高い! うわぁ、うわぁ~」
ショーウインドウに張りつき、笑顔で感嘆の声を上げる恩。
これが大人になった自分。年齢のわりに高い声も、低い身長も、幼い顔も、今や残ってなどいない。
(大人になった俺ってこんななんだぁ)
テンションの上がっている恩に、カーレンは見とれていた。元々、素敵だと思っていたけれど、今の恩はもっと素敵に見える。
(な、なんでしょう。とてもどきどきしています)
呆けているカーレンを、恩が振り返る。目が合い、カーレンの胸はさらに高鳴る。
恩は近づくと、カーレンの身長と自分の身長を比べた。
「カーレンよりも高い! やった! どう? 大人になった俺」
ガッツポーズをしながら問いかける恩。カーレンよりも身長が低いことをずっと気にしていたので、正直うれしかった。
「は、はい。とても、素敵です」
「将来はこんな風に成長するんだなぁ。ねえ、イオン。イオンはどう……」
カーレンの返答にしみじみしながら、イオンにも尋ねてみる。だが、イオンは小さく体を震わせて俯いていた。
「……ちゃん」
恩にも聞き取れないほど小さい声で、イオンは呟いた。ズキン、と胸が痛む。苦しい。イオンは胸を押さえた。
「イオン、どうしたの?」
『どうしたんだ?』
記憶の中の言葉と面影が重なる。とうの昔に置いてきた、想いと一緒に。
「具合でも悪いの? それなら無理しないで休んだ方が……」
『具合が悪いのか? なら、無理しないで休んだ方がいいぞ』
やめて。その声は、言葉は、聞きたくない。
イオンの様子がおかしい。恩はイオンの肩に手を置いた。だが、イオンは顔を上げ、にっこり笑った。
「えへへ、ちょっと疲れてしまったです。イオはもう帰るですね」
イオンは早口でそう言うと、返事も待たずに走り去った。恩はぽかんとして立ち尽くす。
(写し身の術を使って疲れたのかな?)
あれがどれほどの神力を使うのか知らないが、引き留める理由も特にないので、しっかり休んでほしい。
「あの、恩さん。わたしたちはどうしましょう? その姿で帰りますと、織枝さんを驚かせてしまいますよね」
「えっ、あ、そうか!」
というか、この現状をどうしよう。周囲を見渡すと、大人になった子供や子供になった大人がパニック状態だ。
カーレンの言うとおり、このまま帰ったら織枝さんを困惑させてしまう。あまり心配をかけたくない。
「元に戻るには、あの魔物を倒さないと……だよな。あいつを見つけるまでは家に帰らない方がいいか」
しかし、そうなるとどこで寝泊まりしよう。奴がどこにいるかも分からないので、すぐには探し出せない。
最悪の場合、数日かかるだろう。その間、身を隠せる場所を確保しなくては。
事情を知っているとはいえ、陽向は仕事もあるし世話になるわけにはいかない。それに、彼の世話になったなんて知ったらまた……
恩はきゅっと拳を握りしめた。
「カーレン、織枝さんには泊りがけの仕事になったから、しばらく帰れないって言っておいてくれない?」
「分かりました。お伝えしておきます」
ちょうど警吏隊も到着した。町の人たちは彼らに任せよう。
陽向のところがダメならばもう、選択肢は一つしかない。
恩は身を隠せそうなところで、思い当たる場所へと足を向けた。
魔物の術で大人の姿にされてしまった恩は、身を隠すために高科FWへ向かっていた。
思いついたのがここしかなかった。時空の狭間にあるここならば誰にも見つからないし、時間の流れも外とは違うので、じっくり作戦を練られる。
けれど、此武は受け入れてくれるだろうか。彼の機嫌を損ねたままなのだ。
きっと傷つけた。此武は何度も、奴の言葉に耳を貸すな、と言っていた。あれを信用するな、と。
単に嫌いだから、突っぱねているのだと思った。
だから、悪いヒトじゃないだろ、と気にしないようにしていたし、なんだかんだと文句を言いながら、陽向の依頼を手伝ってくれていたから。
だが、今回は違う。手伝ってくれない。それどころか、目も合わせなくなった。よほど腹に据えかねたのだろう。
恩は一心不乱に走った。時空の狭間への入り口に飛び込み、色のない世界を駆け抜けていく。
音も、風も、空も、雲も、太陽もない。真っ白な道路と建物と街路樹だけが、申し訳程度にある。
その中で、唯一色のついている小さなビル。そこに此武はいる。たった一人で。
ビルの二階に続く階段を駆け上がる。左右両方にノブがついたドア。
向かって右側の赤いドアノブを回せば、高科FWのメインルームに。左側の青いドアノブを回せば時空廻廊に繋がる。
ドアの前で、恩は呼吸を整える。もしかしたら、また目を合わせてくれないかもしれない。追い出されるかもしれない。それならそれで構わない。
ただ、その前に話をしたい。きちんと謝りたい。
すうっと深呼吸をしてから赤いドアノブを回し、そろ~っと中に入る。
「お邪魔しまーす……此武?」
室内を見回すが、此武の姿はない。いないのか、と思ったらデスクチェアの背がこちらに向いている。
忍び足で近づくと、此武は椅子に深く沈み込んで寝ていた。
(なんだ、寝てたのか。依頼がない時は、寝てることが多いって千咲さんが前に言ってたけど、ほんとなんだ)
それにつけても、起きる気配がない。誰もいないとはいえ、此武がこんなところで寝るとは。誰にも眠る姿を見せることはなさそうなのに。
(こんなところで寝てて、誰か来たらどうするんだろ。さすがにお客さんの前で寝てるとか、此武に限ってなさそうだし)
戦神である此武が、他人に無防備な姿をさらすはずがない、と思うのだが。
寝息を立てているわけではないので、一見すると目をつむっているだけのように見えるが、微動だにしない。
まるで人形のようで、恩は心配になった。此武の眠る姿を見るのは初めてではないが、あまりにも動かないので。
(生きてる……よな?)
此武の頬に手を伸ばす。前髪で隠れていない右の頬に触れた。あたたかい。
体温がある。恩がほっと息をつくと、がっ、と腕を掴まれた。
「何をしている、赤木偶」
「!」
ぎりっ、と腕を掴む手の力が強くなる。恩は顔をしかめた。
「いたたっ。ご、ごめん。勝手に触ったりして」
恩の声に、此武はぱちっと目を開け、怪訝な顔で恩を見上げる。
「……貴様、本当に恩か?」
「? そうだけど」
此武は手を放し、恩の顔をとっくりと見つめる。三十代半ばの男性の顔。気配が恩だったので目を覚まさなかったのだが、どうなっているのか。
「その姿はなんだ」
「え? あ、そっか。俺、今、大人になってるんだっけ」
あはは、と照れ笑いを浮かべて事情を説明する恩。話し方や表情、仕草は現史の『恩』そのままだが、この顔は前史の『恩』にそっくりだ。
(薄気味悪いな)
前史の『恩』とは、ほとんど関わりを持たなかった。
人間などという下等生物のお守りなど、まっぴらごめんだったので、必要時以外は言葉を交わすことも会うこともなかった。
あの男がどんな人間だったのか知らないし、もはや興味もないが、こんな風に笑うことは終ぞなかった気がする。
「フン。間抜けなウスノロめ。そんな雑魚にも手こずるとはな」
「うん。やっぱり俺は、此武がいないとダメみたいだ」
此武は軽く目を瞠った。恩はなるべく此武と目線が近くなるように、片膝をついた。
「此武。さっきはごめんな。此武がいつも言ってたのに、陽向さんの依頼を勝手に受けちゃって。
確かにチケットは欲しかった、けど……一番の理由は、困ってる人たちを助けたかったからなんだよ」
今も被害者は増えているだろう。警吏隊だけでは手に負えないから、陽向は手を貸すよう依頼してきた。その気持ちに報いたかった。
被害に遭った人を助けたかった。被害者が増えないよう、自分にできることをしたかった。
「でも、だからって此武になんの相談もなく、依頼を受けたのはまずかったよな。
まずは相談するべきだったんだ。チケットのことで頭がいっぱいで、判断が鈍ってた。本当にごめん。
なんかさ、此武がそばにいないと……支えを一つ失ったような感覚で」
此武はハッとした。戦神クロムは、宿命を紡ぐ者・恩の剣となり、支える柱。そんなことは、恩は知らないはずなのに。
「なんて言えばいいのか分からないんだけど、不安……なんだと、思う。
此武、頼むよ。もう勝手なことはしないから……俺のこと、嫌いにならないで」
不安げな顔で嘆願する恩を、此武は唖然とした顔でしばらく見つめていた。ふっ、と顔を逸らすと、口元を手で覆う。
(気色が悪過ぎる。)
姿が普段と違い過ぎて、正直、身の毛がよだつ。
中身の性格が変わっていないので、本人は無自覚だろうが、その顔で泣きそうな顔をされても違和感しかない。
此武はチッ、と舌打ちし、べちん、と恩の顔面を平手打ちした。
「ぶっ」
「もういい。その顔で気色悪いことをぬかすな。寒気がする。さっさとその魔物を捜すぞ。いつもの阿呆面の方がマシだ」
言い方はひどいが、どうやら許してくれたようだ。鼻の頭をさすりながら、恩はへらっと笑った。
(よかった~。というか、気色悪いって)
何はともあれ、再び魔物捜しに出なくては。どこにいるだろうと考えていると、コートを羽織った此武が肩越しに振り返った。
「恩。今一度言っておく。あの糞狐は――信用するな」
再三言われたことだ。恩は足を止め、神妙な面持ちで尋ねる。
「前にも聞いたけど、どうして、陽向さんのことを信用しちゃいけないんだ? あのヒトと、何かあったのか?」
「…………」
「そんなに、あのヒトのことが嫌い? 信用するなって言うなら、その言葉を信じてほしいなら、その理由を教えてよ」
此武は顔を正面に戻した。長い沈黙の後、此武が口を開く。
「奴は――闇を喰らうからだ」