第59話 宿命(さだめ)の夢~王女と少年~
恩は夢を見た。見知らぬ少女と少年がいる。
少女はリボンのついた黒いカチューシャに蒼い髪で、噂で聞いたヨルムト人のような外見。少年は黒髪で眼鏡をかけている。
「アスカ」
少年が花壇の前でしゃがんでいる少女に呼びかけると、少女は眩しい笑顔で振り返った。
「ほら見て、渡羽! 綺麗でしょ? これがあたしの大好きなルティアの花よ」
「はい、とても綺麗ですね」
並んで幸せそうに笑う二人。少女の隣には、花壇に咲く花と同じ髪飾りをつけたピンク色の髪の妖精がいて、彼女は優しい表情で二人を見守っているようだった。
場面が変わると、濃い青髪の青年が少女に話しかけていた。真剣な表情で、少女は困惑している。
「どうしてあたしなの!? あたしが選ばれるなんておかしいわ!」
「――それがパーガウェクオの意思だからだよ」
パーガウェクオ。封石、魔石とも呼ばれ、あらゆるものを封じることのできる水晶。天界で魔帝オルヴィスを封じているのもこれだ。
場面が切り替わり、自分が少女と対面している。
「アスフェリカ王女……いつか君を迎えに来る人がいる。それは君がよく知る人物で、とても身近な人だよ」
少女に向かって、夢の中の自分が告げた。恩はその言葉を神妙に聞いていた。これから自分が導いていく運命。
彼女はどこかの国の王女なのか。あの髪や瞳といい、少し、人間離れしている雰囲気があるけれど、もしや人外なのだろうか?
その後も場面が何度か切り替わり、少女の辿る未来が視えた。少女の表情が曇っていくのを見て、心が痛む。
けれど、紡がなくてはいけない。たとえ、その幸せの終わりを告げなくてはいけないのだとしても。
彼らが宿命の夢に出てきたフェイトパースなら、宿命を紡ぐ者である自分は、どんな宿命でも紡ぐしかないのだ。
恩は目を覚ました。久し振りに視た宿命の夢。
こんなふうに、はっきりと宿命の夢が見えたのは初めてだ。それに、声も聞こえるなんて。
今までは姿がおぼろげだったり、断片的で、ほとんど無音だった。
これはきっと、自分が宿命を紡ぐ者として成長しているからだろう。
「つらいな」
自嘲するように笑みを浮かべる。やらなくてはいけないと分かっていても、胸の痛みまでは打ち消せない。
きっと、この先もこうして胸を痛め続けるだろう。この痛みこそ、自分が生きている証。
行かなくては。自分の役目を果たすために。
ちらちらと粉雪が舞っている。二月も半ばで真冬の寒さにはもう慣れたが、連日の雪空には気が滅入る。明るい太陽が恋しい。
雪道を危なげに一人の少女が歩いていた。風が吹くと、マフラーとポニーテールにされた少女の青紫の髪が揺れる。
少女の名はアスカ。本名はアスフェリカで魔法界の王女だが、周囲には愛称のアスカで呼ばれている。
誕生日にこの人間界に来て、その時に出会った少年と恋人同士になり、幸せな日々を送っている。
今日は恋人の高学受験の日。彼のために、合格祈願で神社にお参りした帰りだ。
勉強漬けで構ってもらえない日も多く、寂しくはあったけれど、彼が頑張っている姿を知っている。
どうか彼の努力が実りますようにと、いっぱいお祈りしてきた。ついでに、ずっと彼のそばにいられますように、とも。
受験に合格したらどこかに出掛けよう、と彼が言ってくれた。それが待ち遠しい。
「どこに行こうかなー。渡羽は遊園地とかあまり好きじゃないのよね。あ、映画でも見に行こうかしら!」
ウキウキとデートプランを考えていると、前方からこの辺りでは見たことがない紅い髪の少年が歩いてきた。
なぜかアスカは彼に惹かれた。不思議と、心が凪いだ海のように穏やかになる。
まっすぐこちらに向かって歩いてくる少年。年の頃は渡羽とほぼ同じくらいか。
少年はアスカの前に立つと、目を合わせた。
「君が、アスフェリカ王女だね」
問いに答えることはできなかった。相手もそれは求めていなかったようで、無表情で言葉を続ける。
「アスフェリカ王女……いつか君を迎えに来る人がいる。それは君がよく知る人物で、とても身近な人だよ」
(身近な人って誰? 父様? それとも他の誰か?)
呆然とするアスカ。少年は顔を逸らし、舞い落ちる雪を手のひらで受け止めた。
手のひらの上で、雪は儚く消える。
「その時、君は……二つの大きな選択を迫られる。君の運命を決める選択だ。
どちらを選ぶかで、君のその後の人生が決まる。だからその時が来たら、慎重に選んだ方がいい」
(あたしの運命? 選ぶって、何を?)
淡々と告げられる言葉。突然、変なことを言われてアスカは混乱してきた。
「でも君の選ぶべき道はもう決まってる。君は――どっちを選んでも、彼と離ればなれになる」
「……え?」
ようやく声が出た。かすれて、聞こえていなかったかもしれないけれど。
この子は何者だろう? 人間のようだけれど、とてつもなく強大な神力を感じる。
そのせいだろうか。彼の言葉はすんなりと心に入ってきた。
言われなくても、ずっと一緒にいられないのは分かっている。
元は女王を選ぶ試験という名目で人間界に来ていた。
魔法界の住民は人間界に長く留まってはいけない掟で、その試験が終われば帰ることになっていたのだが、修行をするということで特別に残らせてもらっている。
だからある程度の修行が終われば、魔法界に帰らざるを得ない。
帰るとしてもずっと先の話だろうし、また来ればいいだけのこと。
女王にさえ選ばれなければ、人間界に来ることは可能だ。
未熟な自分が選ばれるわけはないから、心配ないと思っていたが……俄然、不安が込み上げてきた。
アスカはくしゃりと顔を歪める。
「あたしは……渡羽とずっと一緒にいたい。だから、リーフェに残ったのよ。でも、ダメなの? あたしたち、一緒に生きていけないの?」
この子が何者なのか分からないけれど、こちらの事情を知っているようだ。そして未来を知っている。
彼の言葉はきっと、真実だ。それまで無表情だった少年が眉を曇らせる。その表情こそが答え。
どんな形にしろ、別れの時が来る。アスカは悟って俯いた。
「宿命は一度選んだらやり直せない。だからよく考えて選ぶんだ」
「そんなこと言われたって、あたしの選ぶ道はもう決まってるんでしょ? どっちを選んでも結果が同じなら……選ぶ意味ないじゃない」
夢見ていた。渡羽と結婚して、子供を産んで、おばあちゃんとおじいちゃんになっても、一緒に暮らすあたたかい夢を。
でも、それは叶わない夢だと突きつけられた。それならもう、何をしたって意味がない。
「確かに、結果的に君たちは別れることになるけど、意味がないわけじゃないよ」
さっきまでと違って優しげな声音に、アスカが顔を上げると、少年は微笑んでいた。
「その先の未来のために何を残せるかは、君のこれからの行動次第なんだ」
「……どういうこと?」
「それは自分で考えないとね。俺にできるのは、君の運命を導くことだけ」
そう言うと、少年は踵を返した。
「待って、あなたは一体……」
何者なの? そう問いかけようとしたが、突風と雪で視界が遮られた。
もう一度見た時には、少年の姿はどこにもなかった。
猛ダッシュで王女の視界から外れると、恩はふぅーっと詰めていた息を吐いてしゃがみこんだ。
「あれでよかったのかな? 夢で見たままにしたけど、なんだかかわいそうだよなぁ」
自分はあの二人のことを知らない。それでも、別れを告げるのはこんなにも苦しい。
別れは、どんなことであれ悲しいのだ。
ふと、ひとの気配を感じて顔を上げると、此武が立っていた。
「此武? なんでここ……」
問いかけようとすると、ビシィッとデコピンをされた。
「あだーっ!」
「フン。情けない面をしおって」
ものすごく痛い。鈍器で殴られたような衝撃だ。
ただのデコピンでも、此武がやるととてつもない威力になるようだ。
きっと手加減はしているのだろうが。
恩は涙目でじんじんと痛む額を押さえながら、呆れたような表情の此武を見上げる。
「いきなり何するんだよ!」
「少しは成長したかと思えば、あの程度で消沈するとは、先が思いやられる。だが、せいぜい己の役目を果たすがいい」
「此武……」
言い回しは微妙だが、これはつまり労っているのか? 恩はじーんとする。
しかし、此武は恩を見下ろしたまま嘲笑した。
「無様にな。」
「なっ」
文句を言う前に、此武はひらっと手を振って空間のゆがみに消えていく。
むきーっと顔をしかめた恩だが、はあ、と大きくため息をつく。
自らフェイトパースに接触し、運命へと導いたのは今回が初めてだ。
もしかしたら、心配して様子を見に来てくれたのかもしれない。
「一言余計なんだっての」
これでも、ずいぶんと優しくはなったけれど。
此武の性格上、素直に「良くやった、次も頑張れ」などと言うわけがないし、実際にそんな風に言われたら、何か悪いものでも食べたんじゃないかと疑うだろう。
彼の言葉は鋭く冷たいけれど、意味が分かれば優しく温かいのだ。ただ、伝わりにくいだけで。
額をさすっていると、遠慮がちに声をかけられた。
「た……高天?」
その声に、恩はドキッとする。顔を向けると、心配そうな顔をしている暁緋がいた。
「あ……」
「どうしたのよ、そんなところでうずくまって。具合でも悪いの?」
暁緋に会うのは白霜祭以来だ。
あの時のことを思い出し、恩は反射的にぼっと赤面した。
それにつられ、暁緋も顔を赤らめる。
雰囲気に耐えかね、二人は同時に顔を逸らした。
「あ、いや、ちょっとおでこに猛烈な衝撃を受けただけで、もう大丈夫だから」
「……そう」
会話終了。二人の間に沈黙が下りる。
どうしよう、ぎこちない。
なんとなく気まずくて、白霜祭からずっと会うことも連絡することもなかった。
まさか、こんなところで会うとは思っていなくて、なんの心の準備もしていなかった。
何か話さなくちゃ。
何かって何を? あの告白のこと?
でも、こんなところで?
迷ったが、意を決して二人は口を開く。
「「あのっ」」
お互いに顔を合わせて目をぱちくりさせる。
「……暁緋からどうぞ」
「……高天からでいいわよ」
「いやいや暁緋から」
「高天が先に言ってよ」
「俺は後でいいから」
「あたしのはたいしたことじゃないし」
「「…………」」
見つめ合った二人は、同時に、ぷっと吹き出す。
「何やってるんだろ、俺たち」
「ほんと。互いに譲り合っちゃって」
急におかしくなって笑えてきた。二人は声を立てて笑った。
ああ、笑えてる。
やっぱりぎこちないのは嫌だから、ちゃんと言わないと。
ひとしきり笑うと、もう一度話しかけた。
「ねえ、高天」
口火を切ったのは暁緋の方だった。
「あの時の返事は、急がなくていいから」
ドキッ。恩は緊張したが、目を逸らしたりはしなかった。
少し照れくさそうに言う暁緋の顔を真っ直ぐに見る。
「勢い余ってあんな形になっちゃったけど、あたし、本気だから」
思えばきちんと言葉にしていない。
(あんな一方的にキスをして、嫌われてもおかしくない。それなのに、高天は笑ってくれた)
だから、伝えないと。
「ちゃんと言うわ。高天のことが好き。好きになっちゃったのよ」
「う……あ……」
顔を真っ赤にして言葉に詰まる恩。面と向かって言われると恥ずかしい。
暁緋は苦笑する。こんなに照れられると、かえって冷静になれる。
「じゃ、あたしの気持ちは伝えたから。返事はいつでもいいわよ」
「ま、待った!」
慌てて呼び止める恩。言わないと。深呼吸をして、呼吸を整える。
「まだ、時間ある? 返事するから。俺の気持ち、言うから」
「高天……」
「ここだと寒いだろ? どこか店にでも入って、そこで」
「うん」
雪はいつの間にかやんでいたけれど、体が冷えているのは事実だ。
二人は大通りに出て、落ち着ける場所を探した。
少し歩いた後、カフェを見つけた。
店内に入り、席に案内されると、暁緋は紅茶、恩はホットココアを注文した。
連れてきたのはいいが、いざとなるとどう話していいものか分からない。
恩は注文したドリンクが来るまで、無言のままテーブルの下で指をいじっていた。
暁緋も急かすことはなく、恩が話してくれるまで待つ。時々、窓の外を眺めたりしながら。
注文した紅茶とココアが運ばれてくると、恩はすぐさまココアに口をつけた。
「あつっ」
「当たり前でしょ。もう、何慌ててんのよ。落ち着きなさいって」
「……なんで暁緋はそんなに冷静なの」
落ち着くどころか呆れている暁緋に、恩はむぅ、と拗ねるように顔をしかめた。
こっちは緊張しっぱなしなのに、なんだか悔しい。
「あんたがうろたえすぎなの。返事をする方が緊張してどーすんのよ」
「う。だって、告白なんてされたの、初めてだったし」
「あたしだって告白したのは初めてよ」
さらりと返す暁緋。ふぅーふぅー、とココアを吹き冷ましてから飲むと、気を落ち着けた恩は、ややあって真剣な顔で返した。
「あの……暁緋の気持ちうれしいよ。そんな風に思ってくれてたなんて分からなかったから、驚いたけど……好きになってもらえるのは、ありがたいことだと思うから。でも……ごめん」
頭を下げる恩を、暁緋は無感情な顔で見つめていた。
(分かってた。こうなるってことくらい。最初から望みはないって、知ってたわよ)
話がしたくて、たわいない言葉をメールで送った。
声が聞きたくて、朝でも夜中でも電話をかけた。
顔が見たくて、家にも学校にも会いに行ったりした。
迷惑かもしれないと思ったこともあるけど、自分以外にも恩のことが好きな人はたくさんいると分かっていたから、負けたくなくて。
暁緋は小さく肩をすくめて笑った。
「ありがと。ちゃんと答えてくれて。ズバリ聞くけど、誰かと付き合ってたりとかするの?」
「え? いやいや、俺は昔も今も誰とも付き合ったことなんかないよ!」
「誰とも?」
「うん……」
言ってて悲しくなってきた。幸せそうな恋人たちを見て、羨ましく思ったことはあるが、恋人どころか好きになった人さえいないのだから。
「ふーん……まだ誰とも付き合ってないってことは、カーレンさんとも進展がないってことよね」
「? なんでカーレンが出てくるのさ」
困惑する恩。暁緋は一瞬、驚いた。まさか無自覚? いや、そんなはずはない。
恩を見ていて、ずっと感じていたことだ。恩はカーレンが好きだと。
カーレンを見つめるそのまなざしは、自分が恩に向けているのと同じ。恋をしている瞳。
それなのに、心当たりがないという表情。
しらばっくれているとしても、本気で不思議に思っている顔だ。
(どういう心境の変化か知らないけど)
暁緋はこの機会を逃しはしなかった。二人になんの進展もないなら、そう簡単にあきらめたりはしない。
「付き合ってないなら、あたしにもまだチャンスはあるわね」
「へ?」
目をぱちくりさせる恩に、暁緋はにんまり笑った。
恩がカーレンと結ばれるまでは、挫けたりしない。全力でぶつかっていこう。
「高天。あたし、あきらめないわよ」
「え?」
暁緋は手を銃の形にして、恩に突き出した。初めて、恩に気を許したあの日と同じように。
「前にも言ったわよね。あんたはあたしから、大事なものを盗っていったの」
「ええ?」
あの時は、今は友達でもいいって思った。でも、もうただの友達なんかでいたくない。
ウインクをして、バンッ、と銃を撃つ真似をする暁緋。
「あんたの心も奪ってみせるから、覚悟しなさいよね!」
「えええーっ? あ、あれってそういう意味……」
「今日はありがと。お金、ここに置いておくわね」
「へっ、ぃや、奢るから…っ」
「やーよ。もらってばっかりなのは嫌だもの。たまにはあたしにも見栄張らせなさいよ、バーカ」
ちょっと意地悪そうに笑って、暁緋は帰っていった。
恩はポリポリと頬を掻いて、俯いた。
「敵わないなぁ」
暁緋のパワーは時に辟易するけど、羨ましくもあって。
恩は少しだけ冷めたココアを飲み干した。