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Fate Spinner  作者: 甲斐日向
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第58話 ぜんまい仕掛けの傀儡(かいらい)

 胸に痛みが走る。熱い。苦しい。恩は胸を押さえた。

「うぅ……っ」

「! めーちゃん?」

 イオンは恩の様子がおかしいことに気づき、手を伸ばした。



 白き光のライフィエは、箱を混沌の渦の中に放り込む。

 黒き光のセイルシアは、鍵を混沌の渦の中に放り込む。

 それらは混沌に沈み込んでいき、異なる次元に存在している少年と少女の元へ消えていく。



 イオンの指が恩の頬に触れた瞬間、鍵はイオンの魂の最奥へ、箱は恩の魂の最奥へ落ちていった。

「「――っ!!」」

 恩の中で、溢れた感情が箱の中に閉じ込められていく。



 アレの中に在った恋情はすべて、箱の中に閉じ込めた。

 アレは今、恋情が欠落している状態だ。

 あの箱は特別なもの。時間が経てば経つほど中の心は削られ、最後には消滅する。そうなったらもう、アレは誰も愛せない。

〈くすくす……箱を開ける方法は簡単だよ。その錠に合った鍵を見つけて、壊すだけ。

 けれど、その鍵はあの娘の心の中に在る。箱と同じく、鍵は時間の経過とともに溶けてゆく。

 早く見つけないと、その娘の心も壊れてしまうよ〉

〈まずはなんの鍵か気づかないとね。そもそも、見つけられるのかしら〉

 鍵は溶けてゆくと同時に心も削る。

 鍵を見つけて取り出さなければ、あの娘の心は壊れて、感情のない人形になるだろう。

 ただ、あの娘は時空神だ。時空神(ときがみ)の神殿内は時間が流れることはないので、神殿にいる間は鍵が溶けることはない。

〈あの娘は神殿から出るだろう。アレに会いに。アレに会うために外に出るたび、心は削られていくんだ〉

 恍惚とした表情でライフィエは嗤う。

 セイルシアはライフィエに寄り添い、妖艶な笑みを浮かべた。

〈うふふふ……今度の『恩』はずいぶんと奇妙に育ったものよねぇ〉

〈ああ、異常(バグ)が発生した玩具(がんぐ)なんて、本来ならすぐさま抹消してあげるのだけれど……試しに放置してみてよかったね〉

 ライフィエがセイルシアの唇を指でなぞる。

 セイルシアもライフィエの輪郭を愛おしそうに撫で、ぐっと至近距離まで顔を近づけた。

〈ええ、平凡なプロットでは飽き足りないもの。刺激がなくちゃあ……ね〉

〈さあ、もっともっと愉しませてよ。我らの愛しい子、恩。僕らが創り、君が描いていく人生(プロット)こそが、僕らの暇潰しなんだ〉

 二柱の女神の哄笑が響き渡る。

 アレの心がどうなろうと、プロットさえ進めばそれでいい。我らはその先が見たいだけ。

 アレは、プロットを紡ぐだけの駒として創った――ぜんまい仕掛けの傀儡(かいらい)なのだから。



「…………」

「…………」

「……めーちゃん?」

「……イオ、ン?」

 今、何があったのだろう? 一瞬、意識が飛んだ。

 イオンは恩の顔に触れていることを思い出し、ぱっと手を引っ込めた。

「ご、ごめんなさいですっ。えと、気分でも悪くなったですか?」

「え? ああ……いや、なんともない」

 よく分からない。でも、突然痛んで、突然治まった。

 けろりとした顔で、恩は小首を傾げる。

(えー、病気かな、俺。病院にでも行った方がいいのかな)

 恩は難しい顔で何やら考え込み始めた。具合が悪いわけではないようだが。

(めーちゃん……あの人が言っていたように、今のめーちゃんは不安定なのですね) 

 あの人は言っていた。支えてやってくれと。

 イオンはポン、と恩の背中を軽く叩いて笑った。

「めーちゃん、早く帰らないとレンちゃんが心配するですよ?」

「ん? ああ……そうだった。じゃあまたね、イオン」

 きょとんとした顔で恩は言い、イオンの頭をぽむぽむと軽く撫でた。イオンが目を瞠る。

 恩がいなくなると、イオンは俯いて時空の杖をぎゅっと握りしめた。

 ややあって、ぽつりと呟く。

「やっぱり、変わらないのですね」

 頭を撫でるその仕草。以前の彼も、同じような撫で方だった。

(あの頃と姿が違っていても、やっぱり君は『恩』なのですね) 

「……好きです」

 噛みしめるように、言葉にする。

 あの人は、信じて待っていてくれと言った。恩の気持ちが安定するまで。

「大好きです。イオはめーちゃんのことが、好きなのです」

 どんな君でも。時を越えて、世界を越えて、変わらず想いは続く。

 もう挫けないと誓った。待つと決めた。

 でも、ただ待ってるだけじゃ昔と変わらない。諦めてしまったあの頃と。

 イオンはぐっと決心した。

「だから伝えたいです。会いに行くです。もっと、めーちゃんのそばにいたいのです」

 この決意が自分の首を絞めることも、恩の感情の変化にも、この時のイオンが気づくはずもなかった。



 天帝宮殿に戻ると、カーレンが笑顔で出迎えた。

「おかえりなさい、恩さん」

「ただいま。フィアーナさんは無事に元の時代に帰したよ」

「そうですか。良かったです」

 恩の姿を認めると、フェリオスが玉座から降りてきて、なんと頭を下げた。

「恩、ありがとう。君には感謝をしてもし尽くせない」

「わっ! フェリオス、何もそこまで……」

 自分が時空神の神殿に行っている間に戻ってきたのであろうリュミオンを一瞥する。

 ところが、予想に反して彼は特に怒っている様子はない。仏頂面に変わりはないが。

(あれ? また怒るのかと思ってたのに)

「僕は諦めていた。これは運命で、仕方のないことだと。

 でも、君はそれを打ち破った。それがどれだけ僕たちを救ってくれたことか。

 感謝の印に、僕は誓おう。恩が望むなら、いつでも、どんなことでも力を貸すよ」

「フェリオス……ありがとう」

 彼の言葉は素直にうれしい。頼もしい味方がまた増えた。

 しかし、心配なのはリュミオンだ。そろ~っとリュミオンを窺うと、なぜかじーっと凝視されていた。

「! あ、あの、リュミオン様……」

「お前には礼を言う。妹の命が長らえたのは喜ばしいことだ」

「え……」

「それがお前の力だったことも事実。天帝(エルマ)様の言葉にも異論はない。

 お前が必要とするならば、我が天界軍の力を貸してやらんこともない」

 口調はぶっきらぼうだが、刺々しさはなくなっている。

 少しは気を許してもらえたのだろうか。恩は顔を明るくした。

「はいっ、よろしくお願いします。リュミオン様!」

 そう言うと、リュミオンは眉を顰め、そっぽを向いた。

「……その呼び方は気に入らん。口調も不愉快だ」

「不愉快って……」

 ショックだ。今の今まで機嫌がよさそうだったのに。唖然とする恩。

 すると、リアウィスがくすくすと苦笑しながら補足してくれた。

「ふふ、リュミオンは敬称をつけるなと言いたいのだよ。敬語もやめてほしいとね」

「ええええ、今のってそういう意味なんですかぁ?」

 そんな風にはまったく聞こえなかったが。

「リュミオンは素直ではないからね」

「リアウィス様、曲解しないで頂きたい。私は本心を言ったまでです」

「気にせず名前で呼んでやるといい。ああ、私に対しても遠慮はいらないよ、恩」

「ええと~……」

 そう言われても、すぐには切り替えられない。と、そこへラグニールが後ろからわしゃわしゃと頭を撫でてきた。

「よかったなー、メグ! あの気難しいリュミが気に入るなんて相当だぞー。みーんな友達でいいことだ!」

「ラ、ラグ……痛い……」

 髪がぐしゃぐしゃだ。こんなフレンドリーでいいのだろうか。

 いや、あまり威圧感があり過ぎても緊張して困るのだが。

 楽しそうな兄たちと、その中心にいる恩を見て、カーレンは微笑んだ。

 もうこんな光景は見ることはないと思っていた。永遠の別れも覚悟したのに。

 今、こうしてあの人の姿を見ることができる。声を聞くことができる。それがこんなにもうれしくて。

(ああ、やっぱり、わたしは……)

「カーレン!」

「!」

 ラグニールのじゃれつきを抜け、恩が駆け寄ってくる。髪を直し、恩は笑顔で手を差し出した。

「帰ろう。あの家に。織枝さんが待ってる」

 カーレンは軽く目を瞠った後、満面の笑みを浮かべた。

「はいっ!」

(この人のことが大好きなんだと。心からそう思える)

 恩の手を取るカーレン。その背中から、(はね)が出る気配がないことに、フェリオスたちは驚いた。

(はね)が……そうか、見つけたんだね、カーレン)

 フェリオスは巣立っていく子供の背中を見守るように微笑んだ。

 斂子(フィリン)(はね)は、異性に触れると現れる。ただし、心から愛する相手ならば、(はね)は出ない。

 カーレンが恩に触れても(はね)が出ないのは、そういうことだ。

(心から愛せる相手を。君の運命を決める相手を)

 しかし、宿命を紡ぐ者(フェイトスピナー)を選ぶとは、なんとも難儀な娘だ。

「二人とも、僕が人間界まで送るよ。カーレン、元気で。たまにはこっちにも顔を見せておくれよ?」

「はい、お父様」

「恩、うちの娘ををよろしく頼むよ。大事にしてやってね」

「フェリオス、その言い方だとまるで」

 皆まで言う前に、フェリオスの陣によって、恩とカーレンは人間界へ転送された。フェリオスはため息をつきながら笑った。

「子供が親離れしていくのは、何度経験しても寂しいものだなぁ」

「何言ってるんだ、オレはフェリーとずっと一緒にいるぞー」

天帝(エルマ)様から目を離すことなどできません。何をしでかすか分かりませんから」

「うわー、嬉しいような哀しいような……」

 離れても、愛情は変わらない。これからも、ずっと。



 人間界に戻ってくると、半日が過ぎていた。

 天界と人間界では時間の流れる速さが違う。人間界は天界の四倍の速さで時間が流れるのだ。

 ショックを受けるかもしれないので、織枝には本当のことは話さなかった。

「あの、恩さん」

 疲れたので部屋で休もうと階段を上りかけた恩を、カーレンが呼び止めた。

「一つ、気になっていたことを聞こうと思いまして……」 

「うん。何?」

 体の向きを変えて、カーレンと向き合う。

「元気になったら話があると言っていましたよね。なんのお話ですか?」

 カーレンの問いに、恩は目をぱちくりさせた。

(そういえばそんなことを言った気がするなぁ。でも、なんのことだったっけ?)

 セイルシアとライフィエによって恋情を封じられた恩は、カーレンへの恋心をも失っていた。

 そのため、告白しようとしていたことも忘れてしまったのだ。

(大切な話だった気はするんだけど……) 

 思い出そうとすると、ずきっ、と頭痛がした。

「……っ」

「恩さん!?」

「大丈夫、ちょっと頭が痛くなって。ごめん、休むからその話は今度」

「はい……」

 無理をさせてしまったのかもしれない。カーレンはおとなしく引き下がった。

 自室に戻り、布団にダイブすると、恩は仰向けになって大きくため息をついた。

「なんだろ、妙に胸はスッキリしてるんだけど……」

 重苦しかったものが消えたような感覚。それなのに、落ち着かない。

 伝えたいこと、答えを出さなくてはいけないことがあった気がする。それはとても勇気のいることで。

 それがなんなのか考えているうちに、瞼が重くなり、恩は眠りについた。



 戻ってきた恩の様子を、念じた場所が見通せる鏡で見ていた此武は、ふん、と鼻を鳴らした。

「天帝の娘を生かしたか。それが貴様の選んだ答えなのだな」

 そうするかもしれないと予想はついていた。あの執着ぶりならば当然だろう。

 あの子供が誰に焦がれようが、自分にとってはどうでもいいことだが、これで予測不可能になった。

「この先はオレ様でも何が起こるか分からん。くくっ、今回の恩は(・・・・・)実に興味深い」

 愉しそうに笑う此武。こんなふうに、あの子供のことを気にかけることになろうとは、以前の自分ならあり得ないだろう。

 この任を押しつけられる前の自分が、今の自分のありさまを見たら「下等生物に興味を抱くなど下らん」と一蹴するに違いない。

「ああ、下らん。実に下らんな。だが……新たに再生された“恩”は、オレ様が葬った以前の『恩』とは違うのだ」

 此武は自分の手に視線を落とす。遠い昔だったようにも、ついこの間のことだったようにも思える。

 クロムはかつて恩を――その手で殺している。



 誰も知らない。

 今の世界が、実は再生されたものだと。

 この世界が創り直される前――前史の恩は、プロットの通りに宿命(さだめ)を紡いできた。

 ところが、不慮の事故で大切な存在を喪い、暴走した。

 本来のプロットでは、事故をきっかけに心を氷らせた恩は、冷淡にプロットを紡いでいく予定だったが、前史の恩は悲しみのあまり、プロットに背いて時間を巻き戻し、その相手が事故に遭う前に助けようとしたのだ。

 プロットでは死ぬはずの存在を生き長らえさせてしまえば、プロットが狂ってしまう。

 創造神から決断が下された。この『恩』は、もう必要ない。

 そうして、前史の恩はクロムの手によって葬られた。

 その後、世界は再構築され、今に至るのだ。

 このことを知っているのは、創造神ライフィエとセイルシア、時空神イオン、恩の半身であるゼルグ、そしてプロットをリセットする役割を与えられた戦神クロム。

 リセットされた前史世界。再生された現史世界。ほとんど同じ歴史を辿っているが、少しずつ違っている。

 恩も姿形は前史とさほど変わらないが、血筋や性格など様々な部分が異なる。

 前史では辿った未来、辿らなかった未来。現史では辿らない未来、辿ってきた未来。

 それを全て知っている。クロムもイオンも。

 前史でのジルティリードは、人間が年老いて体が弱っていくのと同じように、徐々に神力が衰え、姿を保つ時間が短くなり、最期は穏やかに眠るように逝った。

 現史でのジルティリードは、力が衰えていたのは同じだが、唐突な事故によって爆発的に神力を使い果たしたことで、寿命が尽きた。

 どちらも死ぬことに変わりはないが、その過程と死期が違う。こうなる分岐点は、カーレンの件にあった。

 【封印の巫女を生かすか、生かさないか】

 どちらを選ぶかで、プロットは分かたれる。カーレンは最も重要なフェイトパースだったのだ。

 前史の恩は、カーレンを生かさないことを選んだ。

 現史の恩は、カーレンを生かすことを選んだ。

 それによって、これからも、前史と現史では異なる部分が増えていくだろう。

 このエデンという名の箱庭で恩の紡ぐ物語(プロット)を見るのが、創造神にとっての愉しみなのである。

 彼女らにとって、この世界の生き物は、箱庭の中の駒に過ぎないのだ。 


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