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Fate Spinner  作者: 甲斐日向
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番外編1 今日から貴様はオレ様の玩具だ

 夏休み初日。恩は友人の亜橲(アズサ)玲汰(れいた)と一緒に宝生(ほうじょう)に遊びに来ていた。

 中心部である九ブロックはビル街ばかりで少々煩わしいが、狩城(かれぎ)市側のブロックにはよく遊びに出てくる。

 今日の三人の目的地は四ブロックと五ブロックの境近くにある紅国街(こうこくがい)だ。

 紅国街は藍泉(あいずみ)の隣国、暁篠(あきしの)大帝国の街をモデルに作られた料理店街である。紅国というのは、暁篠の古い呼び名だ。

「だいぶ暑くなってきたよな~。こういう時は冷たいもの食べたいな」

 きょときょとと露店を見て回る恩。上機嫌な恩の後ろを、亜橲と玲汰は苦笑交じりにのんびりとついていく。

「あんまりはしゃいでると転ぶぞ~」

「恩くん、気をつけるんだな」

「転ぶか! 子供じゃないんだぞ!」

 ぶんぶんと手を振って抗議した恩は、直後に前を歩いていた人にぶつかった。ペコペコと謝っている恩に、二人はくすくすと笑った。

「子供だよな?」

「みたいなんだな」

「もうー! 二人が早く来ないからっ」

 恥ずかしそうに気まずい顔で駆け寄ってきた恩に、亜橲がデコピンをくらわした。

「いてっ」

「こーのじゃじゃ馬! そのうち迷子になっちゃうぞ」

「じゃじゃ馬……って、女の子に対して言う言葉だろ!?」

「まあまあ。ほら、これでも食べるんだな」

 玲汰から水まんじゅうを差し出され、恩は少々不満げながら水まんじゅうを咀嚼する。

 三人は紅国街に頻繁に来ているので、常連客として認知されている店も多く、この水まんじゅうもいくらかまけてもらった。

「やっぱり万福茶房(まんぷくさぼう)の水まんじゅうはおいしいんだな」 

「まあ、まずまずかな」

「まーたまた! 好物のくせに、穂積(ほづみ)は素直じゃないなぁ」

「っべ、別に好物じゃ……」

「お。穂積、あそこ寄ってくかー? 新作出てるかもよ」

 亜橲が指差したのはショーウィンドウにパンダのぬいぐるみが置かれた店。

 看板もパンダの絵が描かれ、店名も『ぱんだの館』となっている。恩は内心ときめいていたが、表には出さないようそっぽを向いた。

「い、行かないよ! 別にパンダ好きじゃないし」

「じゃあ僕たちだけで行こうか。なー? 井上」

「恩くんは行かなくていいんだな?」

「いいよ。行ってくれば?」

 本当はすごく行きたくてうずうずしている。だが、プライドが許さない。

 恩には昔から心に決めた目標がある。それは“逞しく堂々としたかっこいい男になる”ということ。

 今は縁を切り、離れたところに暮らしている兄に憧れていた恩は、いつしか『兄のようにかっこいい男になりたい!』と思うようになり、兄の真似をするようになった。

 兄のように、冷静で力強く立派な男に。それが恩の目標(ゆめ)だ。

 兄はかわいいものに興味がなかった。女々しいことも嫌いで、ぬいぐるみなんて見向きもしなかった。だから恩もかわいいものはなるべく避けるようにしている。

 だが、恩はパンダに目がない。小さい頃はパンダグッズをたくさん集めていた。いや、今でも密かにパンダグッズを集めている。

 それを知っているから、二人は恩を誘っているのだ。恩は兄のような男になるという目標と大好きなパンダとの間で揺れ動いていた。

 うーうー唸りながら悩んでいると、玲汰がちょっと困ったように笑いながら視線を逸らしつつ言った。

「オイラたち二人だけだとちょっと恥ずかしいんだな。でも、もう一人一緒に入ってくれたら入れそうな気がするんだな~」

「!」

 恩がぴくんと反応する。玲汰がちらっと恩を見ると、恩は腕組みをして「仕方ないなぁ」と答えた。

「俺が一緒に入ってあげるよ。言っとくけど、入りたいからついてくんじゃないからなっ? 俺以外にいないから、仕方なく一緒に行くだけなんだからさ!」

 ムキになって否定する恩の頭を亜橲がわしゃわしゃと撫でる。

「わーかってるって。ありがとな~、穂積。助かるわ」

「やめろよっ、髪がぐしゃぐしゃになるだろ!」

 亜橲が玲汰にウインクする。ああでも言わなければ恩は動かない。

 表情や態度に出やすいくせに素直じゃないというか、かっこいい男にこだわり過ぎているというか。

 そんな天の邪鬼を装って葛藤しているところがかわいいのだが。玲汰も笑みを返して店に入った。

 店内を見て回り、他の店も満喫した三人はそろそろ帰ることにした。

「今日も歩いたなー。穂積、疲れてないか?」

「あー、あのさ、俺ちょっと寄ってくところあるから先帰ってて」

 そわそわし始めた恩を二人は気づかないフリをする。

 どうせパンダグッズを買いに行くのだろう。さっきの店ではプライドを守って何も買わずに出てきたのだから。

「うん。じゃあまた今度なんだな」

「気をつけて帰れよ。襲われたりしないようにな~?」

「何バカなこと言ってんだよ! さっさと帰れば!?」

 ひらひら~と手を振って帰っていく亜橲の背に、恩はいーっと歯を剥き出した。

「もう、亜橲はいっつもからかってばっかり。さて、と」

 くるっと踵を返した恩は、うきうきと『ぱんだの館』への道を戻っていった。



 パンダグッズを買い込み、ご満悦な恩は一人、帰路に就いた。

 紅国街最寄り駅までは歩いて十五分ほど。バスも通っているが、この程度の距離でバスを使うのはお金がもったいない。

「えっへへ、新作ゲット~! どこに飾ろうかな~。あ、そうだ」

 気分のよかった恩は何気なく、いつもと違う道を通ってみようと思った。

 いつもはまっすぐ行く道を左に曲がる。狭いビルとビルの間の道。人がギリギリすれ違える程度の幅しかない。

 それでも気にせず鼻歌交じりに恩は進む。十一歩、十二歩、十三歩――

 ぬわぁん。

「!?」

 突如、空気が変わった気がした。一瞬、強い風に押し戻されるような感覚がしたのだが。

「なん、だ……? なんか……やけに静かなような……」

 ほんの一秒前まで、大通りの喧騒が聞こえていたはずなのに、今はしんと静まりかえっている。妙に思いながらも、恩は道を抜け――愕然とした。

 広い通りには人が誰もいなかった。エアカーも走っていない。建物と街路樹だけがある。しかもそれらはすべて白。青い空も太陽も雲もない。

「なんなんだ……ここ……え? あの道の向こうってこんなんじゃないよな? どうなってるんだよ。全然、なんの気配も――」

 いや、一つだけある。生きているものの気配。

 恩は首を巡らせ、気配を探す。そして見つけた。真っ白な建物の中に、一つだけ。灰色の建物を。気配はそこからだ。

 恩は迷わずそこに足を向けた。人間か人外か分からないが、この空間から抜け出すすべを知っているかもしれない。



 灰色の小さな雑居ビルの階段を上る。気配は手前の部屋からだった。なぜかドアノブが二つついていて、それぞれが赤と青だ。

(なんでノブが二つ? ……まあいっか。どっちでも開くだろ。うーん、赤い方にしてみよっと)

 右側のノブを回し、そおっと中を覗いてみる。

「あのー……すみませーん」

「おや、お客様ですか」

 聞こえてきた声に、恩は目を瞬かせた。ほとんどモノクロ調の殺風景な部屋の奥、正面のデスクの脇に立っていた少年がこちらを振り向いた。

 銀色にも見える灰白色の髪、シェーシア人特有の眼は綺麗なバイオレット。端正な顔立ちなのに、左目は長い前髪で隠れてしまっている。

「中へどうぞ。お話を伺いましょう」

 少年はにっこりと朗らかに笑った。促されるまま恩は室内に入り、中央のソファーに座った。

「お客様が直接こちらにいらっしゃることは珍しいんですが……あなたのご依頼はなんでしょう?」

「は? 依頼?」

 目をぱちくりさせる恩に、恩の向かいに座った少年はきょとんとして問いかける。

「ええ。こちらには依頼でいらしたのではないんですか?」

「あ、いや、ごめん。俺はそのー、なんでか分からないんだけどこの空間に迷い込んじゃって、ここからの出方教えてもらおうかなーと思って」

 苦笑する恩の言葉に、少年が一瞬だけ目を瞠ったことに、恩は気づかなかった。

「そうだったんですか。失礼しました。依頼人以外でここに来る方は滅多にいないので。この空間からの出方は簡単ですが、それを教える前に、一つ頼まれてくれませんか?」

「え? 何?」

「今、依頼が一件入っていて、依頼人がそろそろいらっしゃると思うんです。それで、よければその仕事を手伝って頂きたいんですよ」

 にっこり笑う少年。年齢のわりに大人びた笑顔だ。  

「仕事? さっきも依頼とか言ってたけど、君は何かの仕事をしてるの?」

「はい。ここは高科(タカシナ)フリーワークという、人外に関する悩みや事件のみを受け付けるなんでも屋なんですよ。僕は社長の此武(コノム)=高科です」

「き、君が社長!?」

 どう見ても十歳前後の少年だ。藍泉では十三歳から就職可能だが、こんな子供が社長って……

「もう一人助手がいるんですけれど、人手は多い方がいいですから。どうでしょう?」

 正直なところ、こんな妙な空間からとっとと出て、買ったばかりのパンダグッズを堪能したい。しかし、このまま立ち去るのもなんだか気が引ける。

「んー、分かった。手伝うよ」

「ありがとうございます。ところで、お名前は?」

「ああ、穂積 恩だよ」

 名乗ると、少年の目に鋭い光が差し、恩は一瞬たじろいだが、刹那の後には此武の表情は戻っていた。気のせいだったんだろうか?

「よろしくお願いしますね。それでは助手を紹介します。チサキ!」

 パンパンッ、と此武が両手を叩くと、コーヒーカップの乗ったトレーを持った美女が入口から入ってきた。

 紫紺色のストレートな長髪。修道女(シスター)のような服と落ち着いた佇まい。美女は口元に微笑をたたえたまま、まっすぐに此武の傍らに歩いていく。

「これが助手のチサキです。チサキ、彼には仕事を手伝ってもらうことになりました」

「承知しました。よろしくお願いします」

「あ、はいっ、こ、こちらこそ」

 深々と礼をするチサキに対して、恩は思わず立ち上がって頭を下げる。その時、入り口のドアがノックされた。

「どうぞお入り下さい」

 此武が返すと、入ってきたのは数匹の小さな恠妖(あやし)たちだった。

 頭に三本の角が生えた猫のようなもの、ずんぐりむっくりなのっらぺらぼう、サッカーボール大の玉に一つ目と小さな手足の生えたもの。

 そして一番恩の目を引いたのは、白と黒の毛の割合が通常とは逆転したパンダのような生き物だった。

 てけてけと歩いてきた恠妖たち――恩の場合はパンダみたいな恠妖にだけ視線が注がれている――は此武の横に立つと、ぺこりとお辞儀した。

「ボクタチ、御井浪(みいろう)州ノ塩根山(しおねやま)カラ来マシタ」

「悪い恠妖に住みかを取られそうなんだ」

「助けてくんさい!」

「だうだう~」

 恠妖たちが口々に言う。パンダのような恠妖が鳴くと、恩はキュン! と胸をときめかせた。 

「君たちが依頼人ですね。詳しく話を聞かせてくれますか」

「一カ月前……ボクタチガ住ンデル山ニ、大キナ恠妖ガヤッテキタンデス」

 三本角の猫がうなだれて話し始めた。

「ライオンミタイナ体デ、頭ガ馬ノ頭ノ奴デス」

「馬頭にライオンの体……ラジュメデスですね」

「ラジュメデス?」

 恩が眉をひそめると、此武は微笑んで説明する。

「藍泉で言う馬獅子(うましし)です。元は西洋の恠妖なんですが、時代が進むにつれて東洋にも入ってきたんですよ。

 ラジュメデスは縄張り意識が強く、自らの縄張りを広げては、そこに侵入するものを容赦なく排除します」

「へえ、人外のなんでも屋をやってるだけあって詳しいね」

「まあ、当然です。今回の件も、ラジュメデスが縄張り拡大のために彼らの山にやってきたんでしょう」

「あいつはおいらたちに、たくさんの食べ物とおいしい花の蜜を毎日捧げれば、山にいていいって言ったんだ。それができなければ山から出て行けって」

 のっぺらぼうが悔しげに言う。目も鼻も口もない彼だが、しゃべる時だけ顔の中央辺りに黒い穴が開く。あれが口なのだろう。

「今までなんとかあいつの言うとおりにしてきたけど、おいらたちだって食べ物を集めるのは大変なんだ。

 あいつはおいらたちの何倍も食べるし、味や量に満足しないとすぐ乱暴する。もう限界だよ……っ」

「すでに何匹かの仲間があいつに食われてしもうたんですわ。自分らは平穏に過ごしたいんどす、あいつをこらしめてやってくんさい!」

 一つ目の玉コロが悲痛に叫ぶと、同調するように白黒反転パンダが「だうだーう」と鳴く。恩が胸をときめかせるその向かいで、此武はこくんと頷いた。

「その依頼、引き受けましょう。チサキ、あれを彼に」

「はい」

「君にはこれをお貸しします」

 チサキが持ってきた黒いカバンから、此武が出したのは『祓』と書かれた数枚のお札と棍だった。

「これは……」

「退魔の札と棍です。たぶん話し合いだけではすまないと思うので、戦闘になった場合はそれを使って下さい。棍の使い方は……君なら分かりますよね?」

「!」

 なんだか見透かされているような気がする。恩は手にした棍を見つめ、複雑な表情を浮かべた。



 一行は時空廻廊を渡り、塩根山に来た。恠妖たちの住処になっているという山奥のほら穴に向かうと、小さな恠妖たちがわらわらと出てきた。 

「きゃ~、このヒトたちがなんでも屋ね~」

「救世主、救世主!」

「どうかおたすけー!」

「さっきもあいつが来たんだっ。あと一時間以内に食べ物持ってかないと、また誰かが食べられちゃうよぉ」

 様々な形の恠妖たちが恩たちに群がる。五十匹はいそうだ。小さな恠妖たちに恩は心を和ませた。

「みんな、ちっちゃくてかわいいなぁ」

 しゃがむと、近くにいた青い卵のような形をした恠妖に手を伸ばす。殻の間から三つの眼だけが見えているその恠妖は、一瞬びくりとして殻を閉じる。

 周りの恠妖も人間である恩には多少なりとも警戒心を見せていた。が、恩が優しく撫でると、卵の恠妖はそろりと殻の間から目を覗かせた。

「わー、すべすべ。気持ちいいなぁ」

「……ボクの体、気持ちいい?」

「うん。いいよね、このなめらかさ」

 目を瞬かせた卵の恠妖はうれしくなって恩にすり寄った。他の恠妖たちも警戒心を解き、ぐわっと恩に飛びついた。

「僕らも僕らもー!」

「俺たちと遊んでくれよ~!」

「わああっ、何々ー!?」

 大量の恠妖たちにまとわりつかれ、恩は地面に尻もちをついた。その様子を見て此武はくすっと笑った。 

「どうやら彼らに気に入られたようですね。しかし――まだ安心はできませんよ」

 此武が呟くと、辺りの空気がざわめいた。風が唸り、動物たちが異変を感じて逃げていく。恠妖たちも身を寄せ合って震え上がった。

「あいつだ……あいつが来た!」

「ま、まだ食べ物の用意できてないわよ!」

「ギャワギャワッ」

「わーん、食われたくないー!」

 しがみついてくる恠妖たちをかばうようにして、恩は周囲に視線を巡らし――木々の間からのそりと黒い影が出てきた。

 ライオンのごとき体躯、だが頭部は馬のそれで、大きさは子供の象ほどもある。ラジュメデスは恩たち三人を睥睨する。

「オレの縄張りに勝手に入ってきたのは貴様らか……」

「ええ、君をなんとかしてほしいとの依頼を受けたもので。彼らは君の行為に迷惑しています。君にはこの山から出ていってもらいたいんですよ。

 ただし、彼らに迷惑をかけず共存していくというのなら話は別ですが」

 此武が言うと、ラジュメデスはぎろりと恠妖たちを睨みつけた。恠妖たちはさっと恩の後ろに隠れる。

「雑魚恠妖どもが……このオレが優しくしていればつけあがりやがって。

 この山から出ていけだと? ここはもはやオレの縄張りだ。誰がそんなことをするか! そんなに痛い目を見たいなら思い知らせてやる!」

 ラジュメデスが一歩踏み出すと、妖気が広がる。恩は妖気の圧力に耐えながら立ち上がった。

「君たち、どこかに隠れてて。あれじゃあ、もう話しても無駄みたいだから」

「ど、どうするんだよ、人間じゃあいつに敵わないぞ」

「そうよ、殺されちゃうわ!」

 心配して止めようとする恠妖たちに笑顔を見せて頭を撫でると、恩はキッ、とラジュメデスを凝視する。此武がやれやれと首を振り、肩をすくめた。

「やっぱりこうなりますか。仕方ありませんね。行きなさい、チサキ」

 此武の言葉と同時に、チサキが人間とは思えないスピードで駆け出す。チサキは瞬く間にラジュメデスの手前まで迫ると、強烈なエルボーを首に叩き込んだ。

「があっ」

「うわっ、チサキさん、すごっ。もしや実は格闘技できる人!?」

 よろめいたラジュメデスに、チサキは続いて横腹に回し蹴りを食らわせる。ラジュメデスの巨体が倒れた。

「……俺、いる意味あるのかな、これ……」

 人手は多い方がいいと此武は言ったが、チサキだけでも十分な気がする。元々、自分は戦うのは好きじゃない。戦うための力なんてもう、手放してしまった。

 小さく呻きながらラジュメデスは身を起こそうとする。しかし、かなりのダメージがあったようで首を起こすのが精いっぱいだ。

「くそ……よくも……っ」

「マスターの命により、あなたを排除します」

 平坦なチサキの声。ラジュメデスはちらりと視線をずらし、此武を見る。奴は得体が知れない。幼い容姿をしているが隙がないし、やけにプレッシャーを感じる。

 そしてもう一人、恩を見たラジュメデスは恩に狙いを定めた。あれならば倒せるかもしれない。今なら隙だらけだ。

 首を起こしたラジュメデスは口からいくつもの光の棘を発射する。チサキの横をすり抜け、棘は恩に向かう。

「危ない!!」

「え」

 此武の声で恩は迫る棘に気づいたが、もう逃げられる距離ではない。恠妖たちが悲鳴を上げた。

 バキィィィンッ。硬い音が辺りに響く。恩の前には土の壁で棘を防御し、背を向けた此武が立っていた。 

「まったく、恠妖相手に油断し過ぎだ、能天気め」

 発せられた声と言葉に恩は目を点にする。今のはどう考えても此武からだった。さっきまでの雰囲気と全然違う。冷たく見下げた低い声。

 振り向いた此武に、恩はさらに絶句した。

「貴様の脳みそはとろけているのか。そんなクソチビどもと戯れている暇があるなら、そのとろけた脳みそを働かせろ。オレ様の手を煩わせるな、下等生物」

 貴様? オレ様? 下等生物? まるっきり人が変わってしまっている此武に、恩はぽかんとした。

 此武は土の壁を地面に戻し、ラジュメデスに歩み寄る。

「姑息な真似をしてくれる。悪あがきなどせずとっとと消えればいいものを」 

 嘲笑を浮かべる此武。ラジュメデスは此武の発する異様な空気に怯んだ。なんなんだ、このガキは。体がすくんで動けない。

「これ以上時間をかけたくない。早急にカタをつけるとしよう」

 そう言った此武の体が光に包まれる。眩しさに恠妖たちは目をつむり、恩は目の上に腕をかざした。光が収まっていくと、恩はそこにいた者の姿を見て目を瞠った。

 身の丈は二メートル以上あろうか。ざんばらな肩までの黒い髪。上半身は裸で、裾が膨らんだひざ丈のズボン(?)に、民族衣装のサリーのような薄い布をまとっている。

 明らかに此武とは別人だが、あの光の中に立っていたのだから、本人なのだろう。男はにたりと嗤った。

「我が名は戦神(せんしん)・アスラオが一柱――クロム」

 今までの子供のような高い声ではなく、大人の男性の低い声。そのため迫力も増している。

「真の姿になったからには容赦しないぞ、屑虫」

 ラジュメデスが出てきた時よりも震えている恠妖たちを、恩は心配そうに見やった。

「みんな、大丈夫?」

「……あのヒト……神族だ」

「ソレモ、十七属ノ……」

「あの神気……間違いないわ」

「みんな?」

 訝しげに恩が首を傾げると、後方で轟音が響いた。

 恩が此武の方を振り返ると、地面から出た土でできた鋭い槍のようなものが、ラジュメデスの体を貫いていた。

「!!」

 ラジュメデスは体を貫かれても息絶えることなく、クロムを倒そうと口から光の棘を放つ。

 だが、クロムはあっさりとそれを手ではたき落とし、うち一本をつかんで地面を蹴り、ラジュメデスの口に棘を突き刺した。

「ぎゃああああうっ」

「!」

 恩は惨さに顔を背けた。震える声で、恠妖たちがクロムの異名を呟く。

「“破壊の帝王”……」

「……“異端の狂神”」

「氷と土を操る最凶の戦神……凍土のクロム」

「……最凶の、戦神?」

 確かに、彼からは凄まじい闘気と殺気がひしひしと伝わってくる。クロムはグリグリと刺をラジュメデスの口にねじり込み、哄笑する。

「ふはははは!! これで棘は打ち出せまい!! しかしさすがは頑丈なラジュメデス。しぶといな」

「がふっ……く、そ……っ」 

「まだ死なんか。くくく、真の姿に戻るのは久々だからな、まだまだ遊ばせてもらうぞ!!」

 クロムの頭上に、いくつもの薄い氷の刃が出現する。クロムが手を掲げ、振り下ろすと、氷の刃が一斉にラジュメデスの背に降り注いだ。

「……ッ!!」

 血が噴き出し、地面や氷の刃が赤く染まる。飛び散った血をすくい取り、クロムは狂気に満ちた目で笑った。

「くくく……この血は不味いな」

 ぞくっと恩の全身に悪寒が走る。神族の中でも十七属の神は他の神より神気が強く、神格が高い。

 戦神は戦闘を司る神で、戦闘に長けているという。それゆえの強さ、狂気なのだろうか。それにしたって、あれはやり過ぎなのではないか。

 ラジュメデスは虫の息だ。いくらこの恠妖たちを冷遇していたとはいえ、あれでは本当に死んでしまう。恩は震える腕を押さえ、駆け出した。

「もうやめろ! それ以上やったら死んじゃうじゃないか!」

「それがどうした。邪魔なものは消す。それが一番いい方法だろうが」

 鋭いバイオレットの瞳に睨まれ、恩は怯みかけたが反論する。

「そんなことない! 確かにそいつは悪いことしたよ! でも、何も命を奪うことないだろ!? この山から追い出せばそれでいいじゃないか!!」

「甘いな、下等生物。それだけでは排除したことにならん」

 頑として考えを変えようとしないクロムに、恩はイラッとしてきた。

「あのなぁっ、排除とかそういうことするほどじゃないだろって言ってんの!!

 この子たちは今までどおりの生活がしたいってだけなんだからさ! そいつがこの山から出て行きさえすれば問題は解決なんだって!」

 更なる反論に、クロムは怪訝な顔をして肩越しに振り返った。

「だから消すんだろうが。殺してしまえばすべて終わる」

 ぷちっ。恩の中で、何かが音を立てて切れた。

「あーもう、分からず屋だな!! そもそも、依頼はラジュメデスを懲らしめてくれってことだろ!!?

 もう充分に依頼は果たしたんだからそれでいいじゃないか!! これだけ言ってもやめないなら、俺が全力で止めるからな!!」

 棍を構えて怒鳴る恩。クロムは軽く目を瞠り、ややあって目を細めると、恩から顔を逸らし、見えないように薄く笑う。

(……なるほど、な)

 胸中で呟き、表情を戻した。

「ふん……やかましい小蠅だ。羽音がうるさくて敵わんからな、今回はこの程度で終いにしてやる」

 クロムはラジュメデスの口に刺した棘を引き抜き、地面に降りた。

 ラジュメデスの体が痙攣する。かろうじて生きている状態のラジュメデスに、クロムは冷淡に言葉を投げかける。

「屑虫、傷が癒えたら即刻この山から立ち去れ。そのままくたばっても、オレ様は一向に構わんが、あの雑魚どもが迷惑だろうからな、くたばるなら山を出てからにしろ」

 それだけ言うと、クロムは仮の姿である此武の姿に戻る。それまで、彼の邪魔にならないところで待機していたチサキが、此武に歩み寄った。

 此武は恠妖たちに近づき、腕組みをして見下ろす。恠妖たちは身を寄せ合って震えた。

「依頼は果たした。あとの始末は貴様らでしろ」

「ア……アリガトウ、ゴザイマシタ」

 冷めた表情で此武は恩を振り返る。 

「帰るぞ」

「……」

 少々納得いかない顔で、恩は此武についていく。恠妖たちがこっそり「また遊びに来てくれるか?」と聞くと、恩は小さい声で「うん、またね」と微笑んだ。



 高科FWに戻ってきた恩は、此武にジト目で訴える。

「俺のこと騙してたんだな」

「ふん、客相手には愛想をよくした方が都合がいいだろう」

 最初とは打って変わって高飛車な態度の此武に、恩はむくれた。

 まさか本性がこんなだったなんて。すっかり素で話しているし、ならこっちも遠慮することないだろう。

 人の好い少年の正体は神族で戦神。詐欺だ。

「あ、そういえばさっき、アスラオって言ってたけど、お前の名前クロムだよな? 『此武』は仮名だろうけど……アスラオとクロム、どっちが本当の名前なわけ?」

 問いかけると、此武は思い切り顔をしかめ、何言ってるんだこいつという目で恩を見る。

「貴様の耳には綿でも詰まっているのか。オレ様の名はクロムだと言ってやっただろうが」

「だって、アスラオって戦神の一柱の名前だろ? 他はクァトリとゼーヴァだったよな」

 此武はあからさまに鼻で笑った。

「ハッ。愚かな人間め。アスラオは一柱の名前ではない。一族名だ」

「一族名?」

 ソファーに座り、此武はチサキに茶を出すよう命じた。

「この惑星の人間は無知な者ばかりだな。貴様らが呼んでいる神々の名前は、一部を除いては一族そのものの名を表す」

「え!? そうなのか!?」

「もっとも、神話学を研究している者は知っていることだろうがな。古い文献にはきちんと記されているが、多くの人間に知られていないのは文献が公表されないからだ」

「……なんで公表されないんだろう」

「さてな。人間どもの浅い考えなどオレ様が知るか」

 しれっと言い放ち、此武はチサキの持ってきた茶を飲む。

「そんなことはどうでもいいとしてだ。貴様がこの空間に入ることができたのは偶然ではない。

 この空間に入ることができる人間は選ばれし者のみ。貴様にはそれだけの力があるということだ。故に、貴様はこれからここで働け」

「…………はあ!?」

 思い切り顔をしかめる恩。働く!? こんな奴の下で!?

「何勝手なこと……」

「命令だ。逆らうことは許さん。貴様にはすべきことがある。それを為すにはここで働くのが都合がいい」

「俺のすべきことって?」

「時が来れば話してやる。不本意だが、そうすることがオレ様に与えられた役目だからな。――それに」

「わっ」 

 唐突に腕を引っ張られ、恩は体勢を崩した。此武は恩の頭をわしっとつかみ、顔を近づけた。

「貴様が気に入った。このオレ様にあれだけの大口を叩いた者など他にいないからな。

 穂積 恩。今日から貴様はオレ様の玩具だ」

 間近にある此武の顔が愉しそうに歪む。展開についていけず、放心状態の恩。

 こうして恩は高科FWのメンバーにさせられた。恩が自身の宿命(さだめ)を知るのはもう少し先のこと。





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