第50話 告白と別れ
そこは天界の、ある場所。
暗い部屋の中に二つだけ燭台があり、ゆらゆらと炎が揺らめいている。
その中心には、大きな水晶。その中には人影がある。
水晶の前で、誰かが佇んでいる。肩までの白い髪、純白の衣服。その背には三対の青白い翼。
「……なんてことだ」
その人物は、焦りを声に滲ませて呟いた。
(封印が解けかかっている。このままでは……)
踵を返し、部屋を出る。早急に対処しなければ。しかし、この事態をどうにかできるのは……
ある金髪の少女を思い浮かべ、やるせない気持ちになった。
彼女にしかできないこと。けれどそのために、彼女には苦渋の決断を迫らなくてはいけない。
できることならそうしたくなかったが、事が起きてしまった以上、仕方がない。
これもまた宿命。避けられない運命なのだ。
もうすぐ四節祭最後の祭、白霜祭がやってくる。
藍泉は比較的、夏が短く、冬が長い。
その長い冬を無事に過ごせた喜び、そして最後まで無事に越えられるようにと、冬の半ばに行われているものだ。
今回は依頼が入ってしまったので最終日しか空いていない。
白霜祭には一人で行くという手もあるが、やはり誰かと一緒に行った方が楽しい。
だが亜橲たちは予定が入っているとのことで。
「ふーん。それであたしのとこに来たんだ」
暁緋はブランコを軽くこぎながら、照れくさそうに言った。
「うん。他に誘える友達が思いつかなかったから」
それを聞いて急にふてくされる暁緋。
「……何よ、ただの消去法じゃない」
「え? ごめん、何か言った?」
風でよく聞こえなかったので聞き返すと、暁緋はピョンッ、とブランコから飛び降りてツーンとそっぽを向いた。
「べっつにー。友達少ないのねって言ったの」
「あはは……でも暁緋と行きたいと思ったのはほんとだよ」
苦笑いする恩。思わぬ方向から直球が来て、暁緋はぼっと顔を赤くした。
「ん? どうしたの、暁緋。顔赤いけど……」
暁緋はずんずんと恩に近寄ると、無造作に恩の鼻をつまんだ。
「もうっ。なんっであんたはそうなのよ! バーカバーカッ」
「ふおっ? なにおこっえるのー?」
「うるさい、バカ高天っ」
天然なんだから。気を持たせるようなことばかり言うわりに、全然意識もしてくれない。
少しぐらいこっちの気持ちにも気づいてもらいたいものだ。
「で、どこで待ち合わせるの?」
「鼻痛い……えっと城見台駅の花時計分かる? そこに五時でどうかな?」
「分かった。ちゃんと来なさいよね。遅刻したら罰金よ」
「はは、遅刻しないように頑張るよ」
くすっと笑うと、暁緋は「またね」と帰っていく。
予報では雪が降るかもしれないと言っていたので、恩は足早に帰路についた。
そして当日。待ち合わせ場所で暁緋は気もそぞろに、恩が来るのを待っていた。
今日のために奮発して新しい服を買った。
女らしさと色気を出すために、いつも着ているものよりは大人っぽいデザインだし、少しだけ露出が高めだ。
髪型も変えて、普段はアップにしている髪を横に垂らしてみた。
(これで少しは意識してくれないかしらねー。いや、させてみせる。あたしの魅力でメロメロにしてやるんだから!)
雪が降り出しそうな寒空の下で、暁緋はゴォォッと燃えていた。
「暁緋ーっ!」
ぶんぶん手を振って駆け寄ってくる恩に、暁緋は慌てて姿勢を正した。
立ち方も少しだけ大人っぽさを意識してみる。
「待った?」
「待ったわよ、五分くらいね。でも遅刻はしてないから許してあげる」
本当は三十分前には来ていたのだけれど。
「ありがとう。暁緋、いつもと少し違うね」
ドキッとし、暁緋はその先の言葉を期待したが……
「じゃ、行こうか」
笑顔で歩き出した恩に、暁緋は思わず、ずっこけた。たったそれだけ!?
「ま、待ちなさいよ! この格好見て何か言うことあるんじゃないの?」
恩の服の裾を掴んで引き止める。恩はきょとんとしていた。
「え? うーん……あっ、足」
再びドキッ。今日はミニスカートで素足を晒しているのだ。そこに魅力を感じてくれたのか?
「あ、足が何?」
「寒そうだなぁって」
…………………………。
「他にはないの?」
「うーん、特には」
「あ、そう。」
ムカムカする。暁緋は不機嫌になり、すたすたと歩き出した。
「わ、待ってよ、暁緋」
せっかくオシャレしたというのに、それについて何もないなんて。
(誰のためにこんな格好をしてきたのかも気づいていないの? この鈍感!)
暁緋はぷりぷり怒りながら人混みを突き進んでいく。
恩は暁緋がどうして不機嫌になったのか分からなかった。
暁緋は店を見て回るわけでもなく、ただ歩いているだけのようだった。
速足なので、どんどん人の波に紛れていく。
このままだとはぐれてしまう。恩は慌てて暁緋の腕を掴んだ。
「暁緋!」
「は、放してよっ。子供じゃないんだから……」
「怒らせたなら謝るから、俺から離れないで。そばにいてよ」
「!」
まるで告白のようなセリフ。暁緋は顔を赤くした。本当に、どうして。
「いつもそんな言い方で、期待しちゃうじゃない」
「え?」
恩の手を振り払い、暁緋は怒鳴りつけた。
「あんたには振り回されてばっかりよ! 今日はあたしがドキドキさせるつもりだったのに! これじゃ今までと変わらないじゃない、バカッ!」
「暁緋!?」
走り去る暁緋。恩は呆気にとられていたが、すぐ我に返り暁緋を追った。
暁緋は走った。恥ずかしくて、苛ついて、悔しくて、恩から離れたかった。
(初めて会った時から、ワガママばかり。こっちの気持ちばかりぶつけて、あいつの優しさに甘えてる)
人混みを抜けて、裏道へ。何事かと通行人が振り返るがお構いなしだ。
(そんなのじゃダメだって分かってるのに、気持ちが溢れてくる。溢れてきて、ついついぶつけちゃう)
裏道も抜けて、祭りの喧騒から抜け出した。
『あんたには振り回されてばっかりよ!』
(違う。振り回してるのはあたしの方。自分勝手で、子供っぽい態度しか取れない)
誰もいない公園。雪がちらほらと降り始めた。
(こんな自分に、魅力なんてあるわけない。どんなに大人っぽく見せたって、あいつがあたしを好きになってくれるわけない)
にじみ出てきた涙をぬぐった時だった。
「暁緋!!」
横から突然抱きしめられた。見覚えのある赤い髪が視界に映る。
「やっとつかまえた」
「な……何すんのよっ。こんなことしてっ、どんだけ振り回せば気が済むのよ!」
「ごめん。俺、暁緋の気持ち分かってなかった」
もがいていた暁緋は目を瞠って、おとなしくなった。恩は暁緋を抱きしめたままささやいた。
「俺の言い方が悪かったんだな。暁緋は本当は俺なんかよりずっと年上なのに、子供扱いしてるみたいになっちゃって、傷つけちゃったんだな」
「……別に、実年齢と見た目は比例しないから、いいけど……」
「暁緋が困ってると思ってなくて、無理やり誘ってごめん」
「? 困ってなんかいないけど……無理やりって、あたしは最初から断ってなんかいないし」
「気を遣ってくれたんだろ? 友達いないのねって言ってたし」
「…………」
何かおかしい。会話がかみ合っていないような。彼は何が言いたいんだろう。
「俺の方から押しかけて、プレゼント渡したり、祭りに誘ったり、迷惑だったんだよな? だから嫌いになったんだろ?
振り回すつもりはなかったんだけど、行く前に一言連絡してからにすればよかったよな。礼儀がなってなかったよ」
目を点にする暁緋。何を言い出すのか、こいつは。恩は暁緋から体を離して、至極真面目な顔で言った。
「ドキドキさせるつもりだったっていうのは、本当は暁緋の方が後から来て驚かせるつもりだったんだろ? なのに、俺が遅く来たばかりにその計画が台無しになって、それで怒ってるんだよな?」
鈍感すぎる。暁緋は怒りを通り越してあきれた。さっきの話をどう解釈すればそういう結論に至るのやら。
暁緋は大きくため息をついた。恩は「あれ? 違った!?」とうろたえる。
(あーもう、鈍すぎっていうか感覚ずれ過ぎよ! こんなんじゃ伝わるものも伝わらないじゃない)
恩には遠回しなやり方ではダメだ。キッ、と暁緋は恩を睨みつけ、胸倉をつかむ。
(えっ、殴られる!?)
恩はびくっと身を固くした。俺、ここまで嫌われてたのか!?
「あんた、全っ然あたしの気持ち分かってないみたいだから、分からせてあげるわよ!」
そう言うと、暁緋はさらに恩を引き寄せてキスをした。
唇と唇が重なる感触。ほんのり冷たく、けれどやわらかいそれは確かに伝わった。
突然のことに目を丸くする恩。名残惜しむようにそっと離される唇。
暁緋は顔を赤くし、潤んだ瞳で俯きがちに言った。
「……これが、あたしの気持ちよ。これで分からなかったら、勘違いじゃなくて本当に嫌いになっちゃうんだから」
固まったまま恩は今の状況を整理してみる。
(暁緋は怒ってて、怒らせたのは俺で、謝ってみたけど、気持ちが分かってないって言われて、そして……)
「!!」
自分がされたことを理解し、恩は赤面した。
キスされるのは初めてではない。しかし、これまでの相手は一回目も二回目も、悲しいことに男だった。
三度目は念願の女の子だけれど、友達だと思っていた子で。
嫌なわけではない。でも、なんだか信じられなくて。
(き、気持ちって……まさか、暁緋が俺のこと……)
「あの……暁緋、俺……」
「雪、降ってきちゃったね。今日はもう胸がいっぱいだから、これ以上あんたといられないわ。また今度ね」
暁緋は照れ臭そうに微笑んで、恩が止める間もなく走り去った。
一人残された恩は、しばらくの間、呆けたままだった。
ふらふらと帰宅した恩をカーレンが出迎えた。
「おかえりなさい、恩さん。ずいぶん早い……まあ、顔が赤いですけど、どうかしたんですか?」
「えっ! あ、い、いやなんでもないよっ」
なんとなくカーレンと顔を合わせるのが気まずい。火照った顔を押さえて、恩はそそくさと自室に戻った。コートを脱ぎ捨て、へたんと床に座り込む。
「どうしよう……暁緋が俺のこと、すす……好き、なんだったら……いや、暁緋はシェーシア人とのハーフだし、もしかしたらあれは怒り狂った時の、シェーシア人の表現の仕方なのかもっ」
なんてことあるわけない。けど、万が一なんてことも。
「うー……まだ顔熱い。心なしか全身が熱っぽいような……明日、亜橲に聞いてみよう……」
亜橲はシェーシアの生まれだ。暁緋の行動がシェーシア人特有の何かなのか、聞いて確かめよう。
確か亜橲は午後からの講義に出席のはず。
今日は少し疲れた。恩は大きくため息をついた。
翌日、恩は午後の講義が終わると、亜橲をひと気のないところへと連れ出してこっそり聞いてみた。
「なんだよ、高天。こんなひと気のないところまで連れてくるなんて……あ、もしかして告白か?」
「そんなわけないだろっ」
「即否定かー。それはそれでショック~」
「真面目に聞けよ!」
「はいはい、冗談だって。かーわいいなぁ、高天は」
顔を赤くして怒る恩の頭を、亜橲はなだめるように撫でる。
「で、なんだって?」
「本当に真面目に聞けよな? ……急にこんなこと聞くのは変かもしれないけど、ちょっと気になることがあって……シェーシアではさ、その……キ、キス、する時ってどういう時だ?」
恥ずかしくて、キスのところだけ声が小さくなる。亜橲はなんとか聞き取れたようで、首を傾げた。
「んー? キスねぇ、まあ普通はこっちと変わらないかな。好きな相手にするもんだよ。恋人とか夫婦とか。あとは家族同士でも親愛の証でする時がある」
「と、友達とかは?」
「すごく仲のいい友達同士ならすることもあるな。その場合は頬とか額にだけどな」
「シェーシアでだけの特別な意味とかはないのか?」
「種族によるかもしれないけど」
「あるのか!」
ぐっと食いつく恩。亜橲は少したじろいだ。
「忠誠を誓うとか、謝罪する時とかに……言っておくけど、そういうのはキスの仕方やする場所にもよるんだからな」
「と言うと?」
「忠誠を誓う場合は、相手の手の甲や足の甲に二回。謝罪する時は手を組んでから頭を下げて、相手が示した場所にするんだ。
でも、なんにしろキスするとしたら、相手に何かしらの愛情を持っているからだよ。特に口にする場合はさ」
(愛情……)
ぼっと顔を赤くする恩。やはりあれは友達だからとか怒っているからとかではなく、単純に好きだから。恋愛感情が含まれたもの。
「……高天? 大丈夫か? 顔真っ赤だぞ」
「なんか……グラグラするぅ~」
「わっ、高天!」
目を回し、ふらりと倒れる恩。亜橲の声が遠くなり、そのまま意識を失った。
ふと目を覚ますと、金色が視界に映った。長くてふわふわなそれはカーレンの髪だった。
自分を覗き込んでいたカーレンがほっとして微笑む。
「よかった。気がついたんですね、恩さん」
「……ここは……」
「恩さんの部屋です。恩さんが倒れたので、亜橲さんがタクシーで運んできて下さったんですよ。少し熱があるみたいですね」
まだ少し頭がくらくらする。これは熱のせいか。
恩は自分の額に手を当ててみた。確かにちょっと熱い。
「そっか……亜橲には迷惑かけちゃったなぁ」
突然変なことを聞いた上に、目の前で倒れるなんて。
思い出した途端、暁緋のことも頭に浮かんで、恩はドキッとした。
(暁緋……もしかしてずっと、俺のこと好き……だったのかな?
そうだとしたら気づかなかった自分が恥ずかしいな。暁緋の気持ちが本当ならうれしいけど、でも俺は……)
傍らのカーレンを見る。カーレンはにっこり笑ってくれた。
かあっと赤くなった恩に、カーレンは小首を傾げる。
「あら? さっきより顔が赤くなっていますね。熱が上がっているんでしょうか?」
カーレンが手を伸ばす。恩は慌てて首を横に振った。
「だ、大丈夫っ。少し休めば治るからさ!」
「そうですか?」
「うん」
自分は彼女に惹かれている。初めて逢った時から、ずっと。これが恋なんだと思う。
だから残念だけど、暁緋の気持ちには応えられない。
ちゃんと伝えよう。暁緋にも、カーレンにも、自分の想いを。
「カーレン、そばについててくれてありがとう。……あの、さ」
「はい」
「熱が……引いて、元気になったら……カーレンに話があるんだ。聞いてくれる?」
カーレンは目を瞬かせた。
「大事な話。どうしても、カーレンに伝えたい」
一瞬、カーレンの瞳が揺れる。
「……はい。わたしでよろしければ。いつでも話して下さい」
カーレンの微笑みに、恩は頬を緩ませた。
「約束だよ。……なんだか眠くなってきちゃったな。少し眠るね……」
「はい。ゆっくり休んで下さい」
ほんのり赤い顔ですぅすぅと寝息を立て始めた恩を、カーレンは愛おしげに見つめた。
こうしてそばにいられることが心地よくて、幸せだ。
――だから、とても離れ難い。カーレンは表情を暗くした。
恩が目を覚ます少し前。彼女のもとに再びリアウィスが現れた。
『カーレン、元気そうで何よりだ。ここでの生活はどうだい?』
『はい、悲しいことやつらいこともありましたけれど、楽しいです』
その笑顔は本物だ。リアウィスは安堵したが、すぐに悲しげに顔を歪ませて告げた。
『そうか。だがね、カーレン。この生活もそろそろ終わりにしよう』
『え……?』
『帰るのだよ、天界に。お前の故郷に』
『……どうしてですか? 以前、リアウィス様はここにいていいと言って下さいました。どうするかはわたしが決めていいと』
『そうだったな。しかし事情が変わったのだ。お前は帰らねばならない』
温厚な彼にしては珍しく、厳しい表情だ。涙ぐむカーレンにリアウィスは告げた。
彼が告げた“理由”に、カーレンは瞠目し、うなだれた。
天界に帰る。それは恩との別れ。このままずっと変わらない日々が続くのだと思っていた。けれど、違う。
時間は流れていく。川の流れのように、刻々と変化しながら。
変わらないものなんてない。終わらないものなんて、ないのだ。
カーレンはそっと恩の額に手のひらを置いた。まだ熱い。
触れているのに、やはりカーレンの背中からは翼が出なかった。
斂子であるカーレンは異性に触れると翼が出る。それがないのはなぜか。
リアウィスに会ったら聞いてみようと思っていたのに。
「……聞く余裕もありませんでしたね」
泣き笑いを浮かべ、カーレンはぽつりと漏らした。
除夜詣の日、そばにいてほしいと願うあの人に、はいと答えた。その言葉は、そうしたい気持ちは嘘ではない。あなたが望むのなら、どんなことでも応えたい。
(恩さん……)
そう思っていても、どうにもならないこともある。
「約束を、破ってしまうことになりますね……」
カーレンは恩から一歩離れた。話があると言っていた。大事な話だと。
けれど今、天界に帰ったら、もう二度と会えなくなるだろう。自分にはやるべきことがあるから。
話を聞くと言ったのに、その約束は永遠に叶わない。そばにいることも、叶わない。
目に涙を浮かべ、深々と頭を下げる。
「恩さん、今までありがとうございました。あなたと出逢えて、うれしかったです。さようなら」
別れの言葉を残し、カーレンは恩の前から姿を消した。