第49話 除夜の願い・後編
冬の夜はとても冷え込む。雪こそ降っていないが、息が真っ白だ。
除夜詣は隣の市の神社で行われ、毎年ここに来ている。
待ち合わせ場所の神社の入り口では、すでに要とまひろが待っていた。
「要、まひろ」
「恩ちゃーん。あれ? カーレンさんは一緒じゃないの?」
「あ、うん。カーレンはちょっと用事があってさ」
カーレンも連れてきたかったが、この人混みではあの雪の日の二の舞だ。
(俺だって一緒に来たかったけど、仕方ないよなぁ)
しかし、靁雯を倒してカーレンを助けた時、彼女に触れても翼が出なかった。
後でなぜなのか聞いたら、彼女も不思議に思っていたようだが理由は不明だ。
此武に、同じ斂子にでも聞いてみろ、と言われたのだが、斂子と言えばリアウィスかリュミオン。
だが、彼らは天界にいる。こちらからコンタクトを取れるのか聞くと、できなくもないらしいが、差し迫った問題ではなさそうなので、いずれ機会を見て連絡を取ってみるとカーレンが言っていた。
もし異性に触れても翼が出なくなったのであれば連れてきてもよかったが、はっきりそうと決まったわけではないので、念のためカーレンは留守番だ。
数分後、亜橲と玲汰が合流する。幸緒は少し遅れるそうなので、先に中に入ることに。元旦ほどではないがすごい人だ。テレビの取材なんかも来ていて賑わっている。
藍泉では参拝の前に、守護神である炎神オミリアと水神サヲギラへの供物として、二柱を象った紅白まんじゅうを食べる。
神社の入り口で配られるそれを甘茶と一緒に頂くのだ。細かい作法などもあるが、それは省く。
「くーっ、あったまるー!」
「亜橲、オヤジ臭いぞ……」
「今日は特に冷えるからね。まひろ、大丈夫?」
「うん。お茶おいしい~」
端の方で甘茶とまんじゅうを食べながら、亜橲はきょろりと首を巡らせる。
「なんか去年より人が多いな」
「今年は黑牙事件とかあったからね。みんな、神様のご加護を求めてるんじゃないかな?」
「あー、なるほどねぇ~」
確かに今年はやたらと凄惨な事件が多かった。神頼みする気持ちも分からなくもない。
その中のいくつかの事件に関わってきた恩は、お祓いもしておいた方がいいかなぁとぼんやり考え、祈祷所に目を向けた時、不意に目に入ったカップルに目を留める。
茶髪の男性と、金髪の女性。肩より少し長めの髪はウェーブがかっていて、横顔が少しカーレンに似ている。
その二人組に自分とカーレンを重ね、恩はぽつりと呟く。
「……みんな、ごめん」
来年からは今よりも一層、進路に向けて忙しくなるだろう。だから全員が集まるのは今日が最後かもしれない。それでも、願ってしまった。
「俺、やっぱりカーレンと一緒にいたい」
行く年来る年を、彼女とふたりで過ごしたい。未来は分からない。いつまで一緒にいられるか分からない。
けれど、だからこそ少しでも多く、あのひとと同じ時を過ごしたい。
恩の言葉に虚を突かれる一同。最初に口を開いたのは、亜橲でも玲汰でも要でもまひろでもなかった。
「迎えに行ってきなさいよ、恩」
「! 幸緒!」
振り返ると、幸緒が笑って手を振っていた。
「カーレン様と初めての年越しでしょ? 恩がそうしたいならそうするべきだわ」
「でも……」
「自分で言っておいて何しょげてんの! 願いはね、願ってるだけじゃ叶わないの。自分で動かなくちゃ。その努力が願いを叶えるのよ」
夢を実現するために努力をしてきた幸緒の言葉だからこそ、心に響いた。
「そうだよ、恩ちゃん。まひろたちのことは気にしなくていいよ」
「まひろ」
「もう会えなくなるわけでもないしね。行っておいでよ、恩」
「要」
「恩くん、カーレンさんによろしくなんだな」
「玲汰」
みんなの言葉がうれしい。けれど、やはり少し申し訳なくて。家に戻るのをためらっていると、亜橲が頭の後ろで手を組んで不満げな声を出した。
「あーあ、寂しいもんだなぁ。高天は俺たちよりカーレンさんを取るのかぁ」
「!」
「ちょっと畔上? そんな言い方はないでしょ?」
「亜橲くん……」
幸緒が亜橲を睨みつけ、玲汰が心配そうに亜橲を見る。亜橲はふぅ、とため息をついて組んだ手を崩す。
「友情より恋愛ですか。そりゃまあ、ここは縁結びの神を祀ってるし、願い事するにはちょうどいいんじゃない?」
要とまひろも何か言いたげな目で亜橲を見ている。
なんだか不穏な空気になってきた。恩は気まずそうに俯く。その頭に、ポンと手が乗せられた。
「だからさ、絶対連れて来いよ」
亜橲の優しい声音に、恩は顔を上げた。
「神族は気まぐれだからな。そばにいるからって安心してると、ふっとどこかにいなくなるんだ。カーレンさんが大切なら、しっかり繋ぎ止めておきな。諦めずに手を伸ばせよ」
「亜橲……」
にっこり笑う亜橲。幸緒たちは呆れたように小さく肩をすくめる。
「ほら、行って来い、高天。頑張れよ」
恩は頷いて駆け出した。幸緒がばしんっと亜橲の背中を叩く。
「いったぁ!?」
「寂しいのは分かるけどね、もうちょっと他に言い方なかったわけ?」
「……だってさぁ、ただ背中押すだけってのも悔しいだろ? 僕たちだって高天と一緒に年越ししたかったし」
今度は本気で口を尖らせる亜橲。玲汰がくすくす笑う。
「亜橲くんは案外、寂しがり屋さんなんだな」
「……否定はしないけど」
「拗ねちゃってかわいい、畔上君! まひろが慰めてあげよっか?」
まひろがドヤ顔で頭を撫でる仕草をすると、亜橲は手を上げて首を横に振る。
「円藤ちゃんの気持ちはありがたいけど、円藤に殴られるから遠慮しとく~」
「じゃあぼくが慰めてあげるよ。さあ、ぼくの胸に飛び込んでおいで」
「うわあ、男前過ぎて涙が出そう。でも、円藤ちゃんに怒られるから。井上、元の姿でギュッとさせてー」
紳士スマイルで両手を広げる要の横をすり抜け、横から玲汰に抱きつく亜橲。玲汰は「ちょっとだけなんだな」と苦笑し、狸の姿に戻る。
「はぁ~、あったかい。癒される」
「あーっ、ずるーい。まひろもぉ~!」
「せっかくだからぼくも」
「ったく、あんたたちはもう。そろそろお参りに行くわよ!」
本来の目的は除夜詣だ。もうすぐ2015年が終わる。
今頃、恩は除夜詣というものを楽しんでいるのだろうか。
リビングの窓から夜空を見上げて、カーレンは恩に思いを馳せる。
神に願いや祈りを捧げる儀式だと聞いたが、恩は何を願うのだろう?
恩と出会い、この家で一緒に過ごすようになってはや数ヶ月。長いようで短い。
彼と過ごした日々は、あたたかくて、時にかなしくて、せつなくも、いとしい日々。そう思えるのは、彼に恋い焦がれているから。
あの人を支えていきたい。それが叶わなくとも、ただあなたを愛していられたら。
あの人を想うだけで満たされていく。見守っていたい。この先もずっと。
誰かを想うことがこんなにも幸せだなんて。愛することの喜び。それをあなたも知っているでしょうか。
「……恩さん」
本当は、あの人と一緒に出掛けたかった。異性に触れたら翼が出てしまう体質のせいで、人の多そうな場所にはいつもついて行けない。
だから今回も行くことはできなかった。それでも、あの人と同じものを見て、体験してみたかった。あの人と同じ景色を見てみたい。
プルルル、と滋生家の電話が鳴る。こんな夜更けに誰だろう? そっと電話を取る。何度か使うようになったのでもう手慣れたものだ。
「もしもし。滋生でございます」
《……あ、カーレン? よかった、まだ起きてた》
電話越しに耳に届く声。電子音交じりのその声だけでも胸がときめく。
「恩さん? どうかしましたか?」
《今、少し出られるかな? 迎えに行くから》
「え? はい。大丈夫ですけれど」
《よかった。じゃあ、また後で》
そう言って電話は切られた。声の調子からは、何かあったわけではないようだけれど。
とにかくカーレンは防寒具を着て外に出る。ややあって恩がエアバイクで到着した。
「急にごめんね。寝るとこだった?」
「いいえ。ですが、何かあったんですか?」
「んー……」
恩はポリポリと頬を掻いて、照れくさそうに笑った。
「ダメだってのは分かってるけど、やっぱりカーレンと一緒に出掛けたいなぁと思って」
カーレンは目を瞠る。一緒に行きたかった。同じ時を過ごしたい。それは、自分だけではなかった。
うれしくて胸が熱くなる。カーレンは頬を赤らめて微笑んだ。
「はい。わたしもです。わたしも、恩さんと一緒にお出掛けがしたいです」
困らせていないようでよかった。カーレンの笑顔に安堵する。
さっきの神社は表からだと人が多くて危ない。だが、裏ならば人が少ないだろう。裏から入るのは失礼だが、この際仕方がない。
カーレンの魔法術で姿を消し、空を飛んでいく。到着すると、周囲に人がいないことを確認して魔法術を解除する。さすがに姿を消したまま入るのは無礼だ。
思っていた通り、神社の裏側はひと気がほとんどなかった。
カウントダウンは拝殿の前で行う。皆、そちらに行っているのだろう。
「なんとかカウントダウンには間に合ったなー」
念のため、本殿の方向に向かって手を合わせておく。
神社自体に神様がいるわけではないのは知っているが、大晦日だし降臨していないとも限らない。機嫌を損ねたら大変だ。
手を合わせている恩に、カーレンはおずおずと尋ねた。
「恩さん、皆さんとご一緒ではなくてよかったのですか? 今年で最後かもしれないと仰っていましたのに」
「いいんだ。みんなは分かってくれてる」
肩越しに振り向き、恩は笑った。
みんなが背中を押してくれたから。今、君とここにいられる。
いよいよ年越しのカウントダウンが始まる。拝殿の前でカウントダウンをする人々の声が聞こえてくる。
《十、九……》
「それに、どうしてもカーレンと一緒にいたかったんだ、この瞬間に。二人だけで」
「え?」
恩がカーレンの腕を引き寄せる。触れ合いそうなほど近い距離。恩の真剣な顔が目の前にある。
新しい年の始まり。古い自分を捨て、新しい自分へと成長するその瞬間を君と。
「カーレンは俺が守る。何があっても助けるから、これからも俺のそばにいて」
目線がこんなにも近い。今頃気がついた。恩の身長が初めて会った頃よりも伸びていることに。
時は流れる。不変などない。少しずつ変化は訪れる。けれど、この気持ちはきっと変わらない。
《二、一……》
カーレンは満面の笑みで頷き、恩に抱きついた。同時に、カウントダウンが終わる。
《ゼロ!》
「はい!」
あなたとずっと、いつまでも。
恩は抱きしめられて動揺したが、ためらいがちに抱きしめ返す。
今度こそ守ると、その誓いを刻みこむように。
依頼を終え、時空廻廊を通って高科FWへ帰る途中、ふと思い立った。
(年明けから一週間くらい経つけど、依織に新年の挨拶してないなぁ)
何度も時空廻廊は渡っているが、時空神の神殿に立ち寄ることはなかった。そもそも、時空神の神殿に行ったのは依織と初めて会った時だけだし、そこへの行き方も知らない。
あの時は、此武について行ったらいつの間にか辿り着いていたのだ。それからも依織の方から会いに来ていたので、恩から依織に会いに行くことはなかった。
(依織とは一緒に仕事したり、シェーシアでは世話にもなったのに、なんにも言わないのも悪いよな?)
シェーシアで別れて以来、一度も依織とは会っていない。連絡を取り合うために魂呼びの鈴を渡したが、それが鳴ることも、こちらから鳴らすこともなかった。
用事がないから、というのもある。ただなんとなく、そうする勇気がなかった。
依織はパートナーだ。いろいろと聞きたいことや話したいことはあるはずなのに、なぜか連絡することがためらわれて、避けている。
まるで何かの制限がかかっているかのように、依織と接触しようとすると気が沈む。
この感覚はなんだろう? その答えは、依織に会えば分かるだろうか?
会いに、行けるだろうか?
立ち止まった恩に、カーレンが駆け寄ってきた。
「恩さん、どうかしましたか?」
「え、ああ……ええと……」
依織に会いに行こうかと。その言葉が、カーレンの顔を見た途端、喉でつかえた。口にするのが怖くて。なぜ?
「? 恩さん? 具合でも悪いのですか?」
ダメだ、カーレンが心配してる。大丈夫だよって笑わなくちゃ。依織のことは、気にしないようにしないと……
笑みを浮かべようとして、顔がこわばった。どうしてこんなに、胸が痛いのか。恩の様子を数メートル先で見ていた此武は、小さくため息をついて舌打ちをした。
「おい、恩。オレ様たちは先に戻る。貴様は道草でも食ってこい」
「へ? 道草って……」
「天帝の娘、そこの下僕ならば放っておいて構わん。行くぞ」
「クロム様? ですが……」
「つべこべ言わずに来い。下僕とはいえ、たまの自由ならば許してやると言っているのだ。寄り道でもしてくるがいい」
カーレンは目をぱちくりさせたが、クロムに従って離れていく。残された恩は呆気に取られた。
「えええ? 寄り道って……」
もしや、暗に時空神の神殿に行って来いと言っているのだろうか? 気を遣われた?
(あの此武が!? いやいやいや、そんなまさかな! ……でも、せっかくああ言われたし、行くか)
時空神の神殿へ。依織に会って、このモヤモヤの正体が分かればいいのだけれど。
「……って、時空神の神殿ってどう行けばいいんだ?」
早くも途方に暮れる恩であった。
もしやこのまま遭難かと思われたが、どうにかこうにか辿り着いた時空神の神殿。相変わらず静謐な雰囲気だ。
「ふぅーっ、なんとか着けたぁ。と」
現れた恩に、部屋の中央で椅子に腰かけていたジルティリードが、おもむろに首を巡らせる。
「宿命を紡ぐ者か」
「あ、ジルティリード様! ご、ご無沙汰しています。今日は起きていらっしゃるんですね」
「今は神力が安定しているのでな。それよりも声をひそめろ。目を覚ましてしまう」
「え?」
よく見ると、腰掛けているジルティリードの腕の中で、依織が丸くなって眠っていた。あどけない寝顔に、恩はどきりとする。
「先刻、眠りについたばかりなのだ」
「そ、そうなんですか」
「して、何用だ」
「あ、その……依織に会いに来たんです、けど」
寝ているのを起こすのは忍びない。どうしたものかとまごついていると、ジルティリードはすぅすぅと寝息を立てている依織の顔を見下ろし、一拍置いてから恩に尋ねた。
「宿命を紡ぐ者よ、そなたはこの娘のことをどう思っている?」
「え?」
「この娘を愛しているか?」
「ええっ!?」
「我は愛している」
「えええ!!?」
唐突かつ直球な質問とカミングアウトに、恩は驚きすぎて逆に冷静になった。さっきまでのモヤモヤが一気に弾け飛ぶ。
ジルティリードは依織の髪をそっと撫でた。その様は、本当に愛おしそうで。
「悠久の時を生きる我にとって、この娘の存在はかけがえのないもの。守り続けると誓える宝だ。そなたはどうだ? そなたにとってのこの娘は、どのような存在だ?」
問われて恩は黙考する。依織は宿命を紡ぐ者のパートナー。見た目とは裏腹にしっかりしているけど、ドジっ子で、歴史マニアで、負けん気が強くて、笑顔がかわいくて……いろんな顔を見てみたいと思った。
笑った顔が一番いいけれど、怒った顔も、困った顔もかわいくて。でも、泣き顔だけは見たくない。
(もっといろんな依織を知りたい。いろんな表情を見たい。もっと、一緒に過ごせたら)
湧き起こってくる感情。この気持ちは……
「俺にとって依織は……」
恩が口を開くと、依織が身じろぎをして目を覚ました。目をこすりながら顔を上げる。
「んん……」
「!」
「ふあぁ……ジルさま、おはようですぅ」
「おはよう」
「いい夢を見たです。広くてきれいなお花畑をめーちゃんと二人で……」
「俺?」
寝ぼけ眼だった依織は、いるはずのない人物の声に目を丸くする。
ジルティリードの腕から身を乗り出すと、つい先ほどまで夢の中にいた人物がそこに立っていた。
「めーちゃん? ……ほえぇぇぇっ!?」
寝起き姿を見られた。シェーシアの時でさえ、寝起きの顔なんて見られていないのに。完全に油断していた。恥ずかしくて赤面する依織。
「はわわっ、ほんとに本物のめーちゃんですか!?」
赤面してジルティリードの服の袖で顔を隠す依織に、恩はまた新しい表情が見れてうれしくなった。胸が熱い。
「うん。本物だよ。ねえ、俺の夢見てたの? どんな夢?」
「はうううっ」
「いーおり~」
ジルティリードの胸に顔をうずめて、完全に顔を隠す依織。恩はにやにや笑いながら依織ににじり寄っているが、その眼差しに宿った感情にジルティリードは気づいた。
(……そうか)
ならば守らなくては。この弱った体ではたいしたことはできないとしても、せめてこの命が尽きるまで。