第40話 勇敢なる心~闇散り逝く~
今回は推奨BGMがあります。宮崎歩さんのbrave heartです!最初のリヒトの雄たけびからルカフィルとの決着まで、曲に合わせて尺などを調整して書きました。興味ある方はぜひ聞きながら読んでみて下さい!
降り注ぐ雨。冷たく、激しく。
雨音にまぎれ、カーレンが弱々しく声を絞り出した。
「……恩さん……戦って下さい。ルカフィルさんを……倒して下さいっ」
「!! レンちゃんまで……っ!」
リヒトが困惑と怒りで金烏玉兎を顕現させる。そのままカーレンに襲いかかった。
「リヒトっ!!」
恩が悲鳴を上げる。カーレンに向けられた金烏玉兎の刃を、寸前で千咲が受け止めた。
すかさず本性に戻ったクロムが、リヒトの首を締め上げる。
「ぐっ……」
「あれの邪魔をするな」
「クロム!」
「やれ。青頭など放っておけ」
「でも……」
「下僕の分際で主の命令が聞けんというのか。引き千切るぞ」
「わ、分かったよ……」
援護されているというのに、脅迫にしか感じない。うう、別の意味で胸が痛い。
再びルカフィルと恩の攻防が始まった。
「コノ様……なんで……」
「リヒトさん。心を鎮めて下さい。恩さんはルカフィルさんの願いを叶えようとしているんです。ルカフィルさんの最期の願いを」
カーレンが魂呼びの鈴を差し出す。
それは数日前、市場へ出かけた時に、ルカフィルが恩にあげていた魂呼びの鈴の片割れ。
怪訝な顔をするリヒトの耳に、魂呼びの鈴の音が響いた。
クロムがリヒトを放す。リヒトはそのままくずおれた。
呆然と、魂呼びの鈴に託されたルカフィルの声を聞く。
小さな、けれど確かな、ルカフィルの最期の願い。
すべてを察したリヒトは、くしゃくしゃと顔を歪めて鈴を握りしめた。
「ルカちゃん……っ」
君は守りたいんだね。愛しいひとが生きていたこの世界を。
たとえ、そのために、自分の魂が消えるのだとしても。
恩は知っていたのだ。魂呼びの鈴を通して、ルカフィルの願いを。
(だからルカちゃんを……なのに、ボクは……)
『ゼルグを殺したら自分が死ぬから、代わりにルカちゃんを殺そうとしてるんだろ!?』
ひどいことを言った。きっと傷つけてしまった。
彼だってつらいはずなのに、責めてしまった。
「……めぐ様……ごめん、なさい……」
彼は今も、一人で戦っている。
涙は見せていないけど、心で泣きながら戦っている。彼は優しいから。
ボクも戦わなくちゃ。全部あの人に任せちゃいけない。
「めぐ様……ボクも一緒に戦うから……」
魂呼びの鈴を服の胸ポケットに入れたリヒトは、ふらりと立ち上がると、空に向かって雄たけびを上げる。
「……っボクも受け止めるから! 悲しみや苦しみを一人で背負い込もうとしないで!!」
リヒトの全身から魔力が迸る。金烏玉兎が反応し、金と銀に輝いた。
もう迷わない。臨戦態勢のリヒトに、ゼルグは高笑いする。
「死に急ぐ気になったか! ならお前にいい物をくれてやる!」
ゼルグが手をかざすと、リヒトの周りに大量の魔物が出現する。ゼルグが召喚した低級の魔物だ。
「! これは……っ」
「行け、魔物ども! 存分に遊ぶがいい!」
魔物たちが咆哮し、一斉に襲撃する。リヒトは表情を引きしめると、黒翼を広げ、空へと舞い上がった。
「お前の思い通りにはさせない。この世界はボクらが守る!!」
向かい来る魔物たちを、リヒトは迷いなく斬った。
「グォォォンッ!」
「きゃああっ!」
一方、一人丸腰の依織に、一頭の魔獣が襲いかかる。
その太い足を千咲が掴み、投げ飛ばした。仮面のような笑みをたたえたまま、淡々と襲い来る魔物を始末する。
その間にカーレンが依織のもとへ飛んだ。
「ルンウェ=デヴァイデン=ゴーゼエルク・リ=ワノッサ=ケナミパ=リ=エクスチャエルク!」
カーレンの魔法術で防御壁が生まれる。カーレンは依織を振り返った。
「大丈夫ですか? 依織さん」
「はいですっ」
「恩さんなら、ルカフィルさんの願いを叶えてくれますよね」
「もちろんなのです。めーちゃんを信じてるですから」
笑い合う二人。だから今、自分たちにできることは、自分の身を守ること。
クロムにも複数の魔物が襲いかかる。だが、クロムの発した闘気と殺気で魔物たちは跳ね飛ばされ、絶命する。
「フン、雑魚共が。このオレ様に近づくなど十億年早い」
その様子をゼルグは薄ら笑いを浮かべながら鑑賞している。
「ふふふふふ……いいぞ、傷つけ合え。血を流し、絶叫しろ。もっともっと殺し合え!」
飛び散る血しぶき。響き合う怒号と絶叫。吹き飛ぶ肉片や骨。断末魔に歪む顔と声。嗚呼、素晴らしい。
戦いを眺めるのはなんて愉しいのだろう。
「やぁあああっ!!」
「ハァッ!」
間合いを詰めて双剣を繰り出す恩。その刃をルカフィルは繊月で弾き、右手に魔力を溜め弾丸のように撃ち出した。
「喰らえ!」
黒い炎のような魔力の弾丸。ゼルグに匹敵する魔力だ。
「……っ、とぁっ! !!」
恩が双剣を振り上げて叩き斬ると、間髪入れずに放たれた繊月の矢が迫っていた。
「うあっ! ……くそっ」
紙一重で避ける。恩は決意を固め、ケイオスフォズマを地面に突き刺した。
「大地よ、俺の声に応えてくれ!」
ケイオスフォズマが刺さった部分が鳴動し、土砂が吹き上がる。
土塊が狼を形作り、土狼は遠吠えすると、ルカフィルへ突進する。
クロムが有する土の力だ。彼と契約を交わしたことで、恩にもその力が宿っている。本気で使うのはこれが初めてだ。
「そんなもの、撃ち砕いてやる!」
大量の矢を放ち、ルカフィルは土狼を射抜く。だが、すぐに土狼は復活し、ルカフィルに立ち向かう。
「……っ。…消えてしまえ……消えてしまえっ! こんな世界はすべて破壊する!!」
「そんなことさせない。俺が止めてみせる!!」
ケイオスフォズマを引き抜き、恩は駆け出した。
ルカフィルの最期の願いは、消滅だった。
彼女がゼルグの分身として目覚めた直後、恩の魂呼びの鈴が鳴った。
消え行く自我の中、最後の力を振り絞って伝えてくれたのだ。
――ごめん、恩。このままだとあたしは、あの子と生きてきたこの世界を壊してしまう。そんなの嫌。
彼女はずっと悩んでいた。それは自身がゼルグの分身だと気づいてたから。
(ルカ、俺の方こそごめん。気づいてあげられなくて)
誰にも明かさず、一人で悩んで、つらかっただろうに。
――だから、あたしを殺して。あたしはゼルグの分身だから、死ねば魂は消滅して、ナハトのところには逝けない……それでも。
(俺が君にしてあげられることはもう、これしかないんだな)
血が滲むほどに双剣を固く握りしめ、恩は歯噛みした。
――恩、お願い。半身であるあんたの手で、あたしを……!
魔物が殲滅された。残るはルカフィルとゼルグだけ。リヒトが恩を振り返る。
「めぐ様……っ!」
恩はルカフィルに語りかけた。涙をこらえ、愛する友に。
「ルカ、もう大丈夫だよ。俺が君を――解放する!!」
双剣を振りかざす。ケイオスフォズマに強い魔力が注ぎ込まれた。
この一撃に、全てをかける!!!
「闇黒王の欠片よ!! 永久に眠れぇぇぇええええっ!!!!」
裂帛の気合いとともに、双剣が振り下ろされる。
クロムが、依織が、リヒトが、千咲が、カーレンが、行く末を見守る中。
防御のためにかざした繊月ごと、ルカフィルの体が一刀両断される。
その体からは血ではなく黒い煙が噴出した。
ケイオスフォズマに宿る恩の魔力が、魂そのものを断ち斬ったのだ。
雨がやみ、空を覆っていた暗雲が晴れていく。
ルカフィルは雲間からわずかに覗く空を見上げた。
痛みはない。ただ安堵だけがある。これで、守れる。
あの子がいたこの世界を。あの子が愛した家族を。
霧散していく身体。魂が浄化されている。
消えるのだ。この世から。死ぬのではなく、消滅。
それは理解っていたこと。これが自分の運命。いや、宿命。
元々、輪廻から外れている闇黒の王。その分身である自分も、輪廻から外れている。
命を落とすこと、それすなわち滅すること。
だから、他の生物のように死んだらいつか転生して新たな命になることなどない。
永劫の別れなのだ。家族とも、友人たちとも、リヒトとも、恩とも。
喪ってしまった、愛しいあの娘とも。
でも、守れたからいい。もう二度と逢えなくても、君が愛したすべてを守れたのなら。
ルカフィルはうなだれている恩を見る。
つらい思いをさせてごめん。でも、気に病まないで。
ねえ、君に逢えてよかった。あたしは今、とても幸せだよ。
だって、君がいたから、あたしはこの世界を守れたんだから。
魂だけの姿となったルカフィルが、恩を優しく抱きしめた。
〈ありがとう、恩。これからも宿命に負けないで。終焉の刻まで精一杯生きてよね。さようなら〉
恩は答えない。うなだれたまま、ただ震えている。
それでもいい。笑って恩から離れ、目を閉じ、完全に霧消する刹那。
優しい手がルカフィルの頬にそっと触れる。
瞠目するルカフィルに、陽だまりのようにあたたかな微笑みを見せるナハト。
己の願望が見せた、ただの幻影かもしれない。それでもルカフィルは幸せだった。
笑みを返し、ナハトと共に消える。
それは彼女しか知らない、刹那の出来事。
「やってくれたなぁ、恩」
ゼルグの声に、全員に緊張が走る。ルカフィルを倒して終わりではないのだ。
恩がケイオスフォズマを構え直すと、ゼルグは髪を掻き上げ、くっくっと笑う。
「分身を一体消されたな。だがまあ、それはそれでよしとしよう」
「なんだって……?」
「一体くらいどうということはない。お前の実力もそこそこ見れたし、なかなか楽しい観劇だった」
「ショーだと……? ふざけるな!!」
恩の双剣を、ゼルグは白いケイオスフォズマ――コスモスレイアで受け止めた。黒い双剣と白い双剣が交わる。
「あれがショーだって言うのか!? ルカが死んでそんなにうれしいのかよっ! ルカはお前の分身だったんだろ!?」
「何をいきり立つ必要があるんだ? 分身とはいえ、別の肉体だろ?
俺には痛くもかゆくもないんだ。それに、あの程度の分身を取り込んだところで、さしたる変化もないしな!」
「!!!」
たった今、目の前で消えた命。恩にとっては大切な友人だった。
斬った感触も鮮明に残っている。最期の声も、ぬくもりも。
別の肉体に宿っていたのだとしても、魂の一部に変わりはないはず。
それなのに、そんなふうに言うなんて。激しい怒りが込み上げてくる。
「……ゼルグゥゥゥゥウウッ!!」
バチバチッと恩の体から電気が発生する。ゼルグが興味深そうに目を丸くした時。
「めーちゃん、そこまでです!!」
「!」
依織が恩に駆け寄る。体に触れようとして、バチンッと電流が走った。
「きゃあ!」
「! 依織!」
我に返った恩は、無意識にしていた放電を制御する。双剣を放して、よろめいた依織の腕をつかんだ。
しかし、静電気の数倍の電流が流れた依織の体は若干、麻痺していた。
「めー……ちゃん……」
「ごめん、依織っ。俺……」
「めーちゃん……今は、抑えて下さい、です……」
依織は恩の腕にしがみつき、ゼルグを見上げた。ゼルグは苦々しげに顔をしかめた。
「必死だな。そいつがそんなに大切か?」
「……もちろん、です。この人は……いなくなってはいけない存在ですから」
ゼルグがふっと嘲笑する。
「お前が守ろうとしてるのは恩か? それともプロットか?」
「……どっちも……ですよ。とにかく、ここにはもう用はないでしょう? お引き取り下さいです……」
「そうだな。この時代はもう用済みだ。俺は舞台から降りてやるさ」
ゼルグはコスモスレイアを消し、踵を返した。
「また会おうぜ、恩。その時はもっと愉しませろよ」
空間に歪みを作り、ゼルグはその中に消えて行った。
今はゼルグを倒すべきではない。それに、村はもう守られた。ここでの役目は終わったのだ。
ケイオスフォズマを消した恩は、依織に肩を貸した。
「歩ける?」
「ゆっくりなら……」
「うん」
二人にリヒトたちが駆け寄ってくる。
「めぐ様! イオちゃん! ゼルグはもうこの村を襲ったりしないの?」
「ああ、ここに用は無くなったからな」
次の分身を捜しに他の時代に行ったんだろう。だからいずれまた、どこかで出遭う。あいつとの対決は宿命だから。
「じゃあ、村は救われたんだね。この世界も、守れたんだ」
「そうなのです。安心していいのですよ、リーちゃん」
依織が微笑みかけると、リヒトの目から涙が零れた。
戦いが終わり、抑えていたものが込み上げてくる。
村は救われた。けれどそのために、喪ったものが多すぎた。
リヒトは近しい肉親と友人を同時に失くしたのだ。
村人もたくさん亡くなった。多くの犠牲があり、ようやく手に入れた平和。
依織は「もう一人で立てるですよ」と恩に預けていた体を放す。
リヒトは涙を拭いて笑みを作った。
「めぐ様……ありがとう。めぐ様の、おかげだよ……」
「そんな……俺のせいで、ナハトさんもルカも……」
「ううん。めぐ様が来なかったら、ゼルグはずっと村を襲ってたかもしれない。めぐ様が来てくれたから、村の被害が少なくて済んだんだ。
お姉ちゃんやルカちゃんが死んだのは……すごく悲しいよ。でも、それはめぐ様のせいじゃない。ボクはめぐ様を恨んだりしないから」
それに彼こそ、その手で友人の命を奪ったのだ。
自分よりもっとつらいはずだ。リヒトはにっこり笑った。
「やっぱりめぐ様はリクワイズだったんだよ。本当に、ありがとう」
リヒトが恩に抱きついた。恩もためらいがちにそっとリヒトを抱きしめる。
こうして、シェーシアでの日々は終わりを迎えた。