第38話 淡い恋の花笑む
ゆらゆらとした視界の中、恩はまばたきをした。
ああ、いつもの予知夢だ。直感的に理解る。
宿命の刻を予知する夢。フェイトパースを知る夢。
だからこの予知夢は、宿命の夢とでも呼ぼうかな。
そこにいるのは夢の中の自分。音はなく、時々映像も乱れる。
これは宿命を紡ぐ者の力が弱いせいだと依織が言っていた。経験を積めば、力も強まると。
見えているのはすでになじんだ村の一角。村人たちは見当たらないけれど、視界の端に壊れた家がある。
視界が切り替わる。視点は自分だけれど、動いているのは自分の意志ではない。自分視点の映画を見せられているようなものなのだ。
動いた先にいるのはゼルグと、背を向けているルカフィル。
依織と此武、千咲の姿はない。この視界の中にはいないのか、もともといないのか。
そしてリヒトは……
(……!)
リヒトは血の海の中にいた。その腕にナハトを抱いて。
(リヒト……ナハトさん!? 何が……、!)
ルカフィルの体から黒い煙のようなものが立ち上る。ゼルグが嗤う。
ルカフィルが頭を抱え、絶叫する。
夢はそこで終わった。
がばっと起き上がる恩。全身が嫌な汗をかいていた。
(今の……これから起きること、なんだよな……?)
恩は乱れた呼吸を整えようと、大きく息を吸った。宿命の夢はこれまでの経験上外れたことがない。
リヒトと出会った時も、シェーシアに来る時も、夢の通りだった。なら今の夢も。
(俺は……どうすればいいんだろう)
あれが未来なのか。宿命ならば、自分には選択する余地があるはず。
宿命を紡ぐのが自分に課せられた使命だから。でも、その選択肢は?
(うー……ダメだ、考えても埒が明かないっ。体動かしてスッキリしよう!)
パジャマから私服に着替え、恩は庭へ飛び出す。まだ明け方だ。
ゼルグと遭遇してから、四日が過ぎた。しかし、それ以来ゼルグが襲撃してくる気配は一向にない。
これまでは三日と経たずに襲撃があったと聞く。
一日に何度か襲われる日もあったという。なのに、なぜあれから音沙汰がないのか。
何もないのはよいことだが、嵐の前の静けさのようで不気味だ。
(このままあいつが引き下がるなんてことないだろうし、油断は禁物だな)
そう思い、恩は毎日鍛錬しているのだ。時に一人で、時にリヒトやルカフィル相手に。
たまに野生の魔物も迷い込んでくるし、勘が鈍らないように努力している。
この村にもすっかり慣れた。市場に行くといまだに驚きがあるけれど。
シェーシアには本当に、様々な種族がいるのだと思い知らされるのだ。
種族の分類は、大きく分けて光属、闇属、影属の三つ。それは知っている。
その中で、外見でも分類されるようだが、これはリーフェでの生物の分類にもとるので、複雑すぎてよく分からない。
何せ、植物や鉱物、雲、骨にも命があって、しゃべって動くのだ。
中には生まれつき霊体の種族もいて、幽霊かと思って祓ってしまいそうになった。
恩はなんだかよく分からなくなったので、勝手に分別してみた。
人間と大差ない姿をしている人型。
リヒトの森羅女、ルカフィルのラルク族、亜橲の仙、暁緋のホンヅゥ族がこれに該当する。
哺乳類、爬虫類、鳥類、魚類など動物の姿をしている動物型。
これは知能があって、二足歩行などはせず、人語を介するものに限る。
はたから見ればしゃべる動物。パンダとかいたら最高なのに。
植物の姿をしている植物型。
市場で木や花が歩いてしゃべっているのを見た時は、心底驚いた。
キノコ型もいたが、分けると面倒なのでここに含めることにする。
体が気体であったり、鉱物であったりする無機物型。
その辺の岩や、ぷかぷか浮いている雲がしゃべったら、リーフェでは大騒ぎなこと間違いない。
ましてやそれが自分の意志で動いていたら。もう何が何やら。
リーフェでもごくたまに見かける、上半身が人間で下半身が動物、もしくはその逆の姿をしているものは融合型。
獣人や鳥人、魚人はこれでいいんじゃないだろうか。
生まれつき骨だったり、腐敗していたり、霊体だったりするものはその他でいいや。と、自分なりに分別してみた。
(シェーシアってなんでもありな世界だな……)
市場でいろんな種族に出会うたび、恩は遠い目でそう考えていた。
もうリーフェで珍しい種族を見かけたと言われても、あ、そう。としか思えないだろう。
いろんな種族がいるために、自分の絳髪緋眼は意に介されない。珍しいのはリーフェ人の特徴がある顔立ちくらい。
そして、リーフェ人だと知ると最初は警戒するけれど、二言三言話せば、あっけらかんと近づいてくる。
リーフェでは、シェーシア人は人外と同じくらい遠ざけられるのに。ルカフィルだって今では警戒心など微塵もない。
ああ、ルカフィルと言えば。
(なんかルカの様子が時々おかしくなるよな……)
鍛錬をしている時などは特に。自分がルカフィルの間合いに踏み込んだ時、手の届くところまで接近した時、彼女はひどく戸惑った表情を見せる。
それは日常生活でもそうなので、どうしたのかと心配になる。
でも、彼女は何も言わない。付き合いの長いリヒトやナハトに聞いてみても、分からないと首を横に振る。
(よく一人で考え事してるし……悩み事でもあるのかな)
相談に乗れるのなら乗ってあげたい、と声をかけたこともあるが、ルカフィルは「確証のないことだから話せないわ」とはねつけられた。
誰にもその悩みを打ち明けていないようで、リヒトたちも心配していた。
「なんとか力になれれば、いいのにな!」
棍状態のケイオスフォズマを振り下ろし、ふう、と恩は額の汗をぬぐった。体を動かしたら少し落ち着いた。
「おはようございます、恩さん。いつも早いですね」
「おっ、おはよう、カーレン! あ、依織は一緒じゃないんだ?」
ドキン、とカーレンの胸が高鳴る。
恩の口から依織の名前を聞くたび、胸に小さな痛みが走る。
カーレンは恩に背を向けて、平静を装った。
「まだ寝ていらっしゃると思います」
「そっか」
(宿命の夢のこと聞きたかったんだけど、朝ご飯の後でいいか)
ケイオスフォズマを消し、恩はカーレンの背中を見て、しばらくして小首を傾げた。
「カーレン、何かあった?」
「え……いいえ、何もありませんけれど……どうしてそんなことを聞くんですか?」
「んー、なんかいつもより元気ないみたいだから」
どうしてわかってしまうのだろう。隠したつもりだったのに。
カーレンは高鳴る胸を押さえて、振り返って笑顔を作った。
「本当に、なんでもありません。ちょっと暑くて疲れてしまったみたいです。少し、森の方で涼んできますね」
そう言ってカーレンは恩の答えを待たずに、翼を出して飛んでいった。
「カーレン、ごはんは……って、カーレンは食べなくても平気なんだっけ」
「めっぐ様ぁ~! 冷たーいスープ作ったから飲んでー!」
「うおっ」
横からリヒトが飛びついてきた。恩はぐいぐいとリヒトを押し返す。
「あーもう、能天気な奴だな! ひっつくなよ、暑苦しい!」
「ボクはいつでもめぐ様とアツアツでいたい~」
「うっとうしいっ!」
べちんっ、とリヒトの顔をはたく。ぶーぶーと口を尖らせるリヒトに、恩は肩をすくめた。
「まったく、悩みなんかなさそーな顔しやがって。カーレンたちはなんか悩み事抱えていそうなのに……」
「ん? レンちゃんたちがどうしたの?」
「別にー。ただちょっと、カーレンも依織も一人で行動することが多くなったなぁと思って。
俺にはなんにも言わないでさぁ。ちょっと寂しいよな」
此武のことも未解決だし。ため息をつく恩。リヒトは目をしばたたかせた。
(今頃気づいたんだ。鈍いなぁ、めぐ様。しかも二人の様子には気づいても、気持ち自体には気づいてないし)
カーレンはともかく、依織は結構アピールしているように見えるのだけれど。
(やっぱりはっきり言わないとめぐ様には伝わらないのかも。寂しいって思ってるのはあの二人の方だと思うよ、めぐ様)
リヒトは苦笑して、ポン、と恩の肩を叩いた。
「ま、頑張ってよ、めぐ様。寂しいと思うなら、もっとあの二人の言動をよく観察して、そこに含まれてるものを理解しないとね」
「はぁ? どういう意味だ?」
「もうー。じゃあヒント。二人は思春期のかわいい女の子だよ」
「???」
女の子扱いしろということか? 今までもそれなりに気づかってきたと思うのだが。
「今度から実践してあげなよ。それとねー、めぐ様。ボクには悩みなさそうって言ってたけど、ボクにだって悩みくらいあるんだよ?」
「例えば?」
「それはねぇ……今日のお夕飯何にしようかなーって!」
「軽い悩みだな!」
聞いて損した。だいぶ暑くなってきたし、家の中に入ろう。
「あとねぇ、どうしたらめぐ様に愛してもらえるかなーって」
「本人の前で言うことか……」
「めぐ様ぁ、血吸わないから愛して~」
「寄るな、暑苦しいっ」
たわいもないじゃれ合い。冗談めいた言葉。
でもね、最後の言葉は本当だよ。どうしたら、他人に愛されるのかな。いつか愛してくれるかな?
森羅女の男だからじゃなく、ただの『リヒト』として愛してくれるひとに、出逢えたらいいな。
森の木陰で切り株に座っていたカーレンは、頬に当たって手元に落ちてきた葉っぱを拾い上げた。
「恩さん、変に思われたでしょうか……でも、恩さんと一緒にいると、落ち着かなくなるんです。依織さんの、ことも」
以前、依織が言っていたことが気にかかっている。恩のことが好きだと。
そして、あなたはどう思っているのかと。
(依織さんは恩さんのことを、男性としてお好きだと仰っていました。それは、話に聞く『恋』というもの、ですよね?)
天界ではあまり恋の話題は出ないが、恋は素敵なものだと伯母が言っていた。
確かに、水鏡で見た恋をしている人間たちは輝いていて素敵だったけれど。
依織は恩に恋をしている。なら自分は?
ほう、とため息をついた時、がさりと横の茂みが揺れた。
そちらに顔を向けると、浮かない顔をしているルカフィルが出てきた。
ルカフィルはこちらに気づいていないのか、そのまま通り過ぎようとする。
そうだ、前にルカフィルに相談するといいとリヒトに言われていた。
ルカフィルに相談してみよう、とカーレンはルカフィルを呼び止めた。
「あの、ルカフィルさん」
「…………」
「ルカフィルさんっ」
「……え。あ……カーレン? なんでこんなところに」
「少し一人になりたかったので……ルカフィルさんは、ずいぶん考え込んでいましたね」
呼び声にもしばらく気づかないほど。ルカフィルは気まずそうに目を逸らした。
「で、何? 用があったから声かけたんでしょ?」
「あ、はい。その……わたしは恩さんのことをどう思っているんでしょうっ?」
がくっ、とルカフィルはずっこけた。なんだその質問は。
しかしカーレンの顔は至って真剣である。
「恩さんは優しい方ですし、依織さんも大切なお友達なんですけれど、あの二人が一緒にいるのはなんだか胸が痛くて、リヒトさんにお話したら、わたしが悩んでいると恩さんが困ってしまうと言っていたので、困らせたくはないんですけれど、どうしたらいいのかわからなくて」
「ちょ、ちょっと待って。落ち着いて。一から説明してもらえる?
カーレンが恩のことをどう思ってるかなんて、あたしには判断しかねるんだけど」
「そ、そうですか……」
「まずね、どうしてそんなことを考えるようになったのか教えてよ」
カーレンは天然だろうなとは思っていたが、ここまでとは。
「はい。ええと、こちらに来てからなのですが……依織さんに、恩さんのことを好きだと言われたんです。
その時に、わたしは恩さんのことをどう思っているのか聞かれたんですけれど……」
「それがよく分からないってわけね。ふーん、やっぱり依織って恩のこと好きだったんだ」
得心の言った顔で頷くルカフィルに、カーレンは目を丸くした。
「ルカフィルさんは知っていらしたんですか?」
「んー、まあなんとなく気づいてたって言うか、ね。なるほど。じゃあさ、恩といる時、あんたはどんな気持ちになる?」
「リヒトさんにも聞かれました。恩さんと二人でいる時は、あたたかい気持ちになります。
でも、とても近くにいる時は、落ち着かなくなってしまいます」
胸に手を当ててかみしめるように答えるカーレン。少しだけ顔が赤い。
「リヒトには他になんて言われた?」
「はい。他の男性といる時はどうか、と。他の男性といる時はなんともないんです。恩さんといる時だけ、なんです」
「で、恩が例えば、あたしや依織と話してたりすると、そわそわしたり胸が痛くなったりする?」
「は、はい」
「他には?」
「恩さんには私が悩んでいることは内緒にしておいた方が良いと……あ、ルカフィルさんに相談した方が良いと仰っていました。ルカフィルさんも同じ悩みを抱えていたことがあると」
ルカフィルは口元をひきつらせた。あのバカ。確かに悩んでいた時期もあったけど。
それにつけても、ここまではっきりと症状が出ているのに分からないとは。
(神族だからか天然だからか……後者でしょうね)
ため息をつき、ルカフィルはやんわりと言った。
「カーレン、さっきの質問の答え。あんたは恩のことを男性として好きなのよ。恩に恋してるの」
「恋……ですか?」
いまいちピンと来ていないのか、カーレンはきょとんとしている。
「そうよ。一緒にいると心が温かくなったり、どきどきしたりするんでしょ? ずっとそばにいたいとか、触ってみたい、触ってほしいって思ったことない?」
「……はい、あります」
「あと、恩が自分以外の人と話したり、そばにいると落ち着かなくなるのはね、嫉妬してるのよ。ヤキモチってやつね」
「嫉妬……ですか」
「恩に好きだって伝えるもよし、今の関係を保つもよし。それはカーレン次第よ。
言葉にしなくても、好きだってことを態度で示していれば、恩の方から好きだって言ってくれるかもよ?」
カーレンはそう言う恩の顔を想像してみる。笑顔で「好きだよ」と言う恩。
急に顔が熱くなった。頬を両手で挟み、うろたえるカーレンに、ルカフィルは笑みを零す。
(真っ赤になっちゃってかわいいわね)
「まだまだ恋は始まったばかりみたいだけど、頑張りなさいな。
まずは相手に自分を好きになってもらうことよ。相手に好きになってもらわなきゃ、一方的な愛情だけじゃ恋は成立しないわ」
「はい。ありがとうございます、ルカフィルさん」
これで胸のつかえが取れた。自分の気持ちがはっきりしなくて、恩や依織に対して妙な態度を取ってしまっていたから後ろめたかったのだ。
(わたしは、恩さんのことが好き。恩さんに恋をしているんですね)
サァ……と風が吹く。ああ、とても気持ちがいい。こんなに晴れ晴れとした気分になったのは久し振りだ。
「じゃ、あたしそろそろ帰るわ」
ひらりと手を振って、ルカフィルは茂みの向こうに消えていった。
その後ろ姿に、カーレンはふと嫌な予感を感じた。
(なぜでしょう、さっきのルカフィルさんの様子といい、気になります)
思いつめた表情のルカフィル。悩みを聞いてもらったし、今度は自分がルカフィルの悩みを聞きたい。
力になれるか分からないけれど、カーレンはルカフィルの後を追いかけた。
家の中が暗くなってきたと思い、窓から空を見上げると、雲行きが怪しくなっていた。黒い雲が頭上を覆い始める。
「うわ……雨でも降るのかな?」
シェーシアに来てから一度も雨が降っていないが、シェーシアでも雨は降るのだろうか?
「おはようなのです~」
「おはよう、依織」
軽快な足取りで依織がダイニングに現れる。
ちょうどいい。恩は予知夢のことを話そうと依織を庭へと連れ出した。
「――ってわけなんだけど……俺は運命を導くことが出来るんだよね?
宿命を動かすことが出来る。それが宿命を紡ぐ者なんだよね?」
夢の内容を明かすと、依織は硬い表情で首肯した。
「はいです。誰であっても一つの宿命にしか進めない。でも、めーちゃんだけは宿命を他の選択肢の中から選べるです」
「その選択肢ってさ、すぐには分からないの? その時が来たら自然と分かるのかな?」
「いずれ分かるです。今はめーちゃんの力が弱いから、気づけないだけなのです」
「そっか。……あのさ。依織には……未来が分かってるの?」
未来から来たという依織なら。この先に待っている宿命が見えているのか。
恩の問いかけに、依織は薄く笑った。
「知ってるですよ。少なくとも、今回は。だからイオは何も言わないです。決めるのは、めーちゃんです」
「……うん」
少しだけ期待していた。もし依織が未来を知っているなら、その未来を教えてくれるんじゃないかと。
もしかしたら助言だけでも、と思ったが甘い考えだった。
依織はにっこり笑って、それ以上の追及を許してくれそうにない。
未だ分からない未来。自分は正しい未来を掴み取れるのだろうか?
漠然とした不安に、恩の心は揺れていた。
それに気づいている依織は、それでもただ微笑むことしかできなかった。
自分が暗い顔をすれば、恩はもっと不安になるだろう。
苦しみを覚えるかもしれない。傷を負ってしまうかもしれない。
だから、そうならないように受け止めて、包み込むしかできない。
恩の心が成長し、己の苦難と立ち向かえるようになるまで。
(めーちゃん。プロットはまだ始まったばかりなのです。終焉の刻まで、どれほどの歳月がかかるかはイオにも分からないのです。
だからここでつまづいていては、この先の宿命を受け止めきれないですよ?)
人生そのものを左右する宿命の刻。ひとは、自覚することなくそれを過ぎていく。歩くままに、生きるままに道を進んでいく。
生命の歴史が一本の広く長い道ならば、プロットはその道の途中に創られた、ある人形たちの小さな箱庭。
囲われた世界の中で、自分たちは生きている。神の暇つぶしとして。
この世界の流れを作れるのは、恩だけなのだ。
だから負けないで。君があきらめてしまったら、この世界は崩れてしまうから。
雨粒が頬に落ちてくる。悲嘆を連れて、冷酷に。