第36話 闇黒(あんこく)の王
暴れ出す魔獣。依織が叫ぶ。
「大変です! めーちゃんたちに知らせないと!」
「オレ様が奴らを連れてくる。千咲はこの小娘どもを保護していろ」
「はい、マスター」
言うや否や、此武は空間に消える。
「依織さん、どうしましょう」
「なんとかしたいですけど、イオたちではそんなに戦えないですから……めーちゃんたちを待つしかないです」
魔法術には攻撃術があるが、カーレンは戦闘経験などない。
長く生きてはいるが、依織も昔ならいざ知らず、今では守人としての力しかないので戦いには不向きだ。
頼れるのは千咲だけだが、千咲は此武の命令以外では動かないので期待はできない。もどかしいが、待つしかないのだ。
(ついに来てしまったのですね、この時が)
依織は胸の前でギュッと手を組み、祈るように目を閉じた。
逆らえない宿命。恩が一つの真実を知る時だ。
しばらくして、此武が恩たちを連れて戻ってきた。
「カーレン! 依織!」
「恩さんっ」
「めーちゃん、みんな、魔物はあっちなのです!」
緊迫した村の雰囲気に、恩は気を引き締めた。
「急ごう!」
逃げ惑う村人たちの間を縫って、恩たちは現場に駆けつける。
巨大な魔獣が本能のままに暴れていた。
家は瓦礫と化し、そこかしこに人が倒れている。恩がケイオスフォズマを手に地を蹴った。
「だぁぁあああああっ!」
棍の状態で魔獣の脇腹を突く。魔獣が気づき、恩たちを見下ろした。
激しい邪気。だがそれよりも。
「あれが……仮面の男!」
魔獣の頭上に乗っている仮面をつけた男。
全身を覆う薄汚れたマントが風になびいている。
ドクン、と体の奥が熱くなる。目が合った――そう思った時だ。
「めぐ様、危ない!!」
「!!」
魔獣の尾が横から迫る。飛び上がったが、かわしきれない。
覚悟した瞬間、リヒトが恩の体を上空まで引き上げた。
「間に合ってよかったぁ、めぐ様」
「リヒト! 助かった!」
「気をつけて。仮面の男自体は何もしてこないけど、魔獣は油断できないよ!」
「分かった」
魔獣から少し離れたところに下ろしてもらい、恩はケイオスフォズマを槍に変形させ、再び魔獣に向かっていった。
リヒトも金烏玉兎を武器化する。遠くからルカフィルが長弓を構えて矢を放つ。矢は普通の矢ではなく光の矢。
ルカフィルの魔宝具、繊月だ。
彼女がいつもつけている蒼い石のペンダントがそれだ。弦はなく、術者の魔力が弦となり矢となる。
魔力の消費量が激しいので、並みの魔力では使いこなせないが、闇属であるルカフィルは魔力量が多いため問題ない。
此武は相変わらず傍観していて、依織とカーレンは、カーレンが作った防御壁の中で恩たちを見つめている。
恩とリヒト、ルカフィルが魔獣に応戦する。
その間も仮面の男は何もしない。此武のようにただ傍観しているだけ。
(なんなんだ、あいつは……魔獣からもすごい邪気を感じるけど、あいつの邪気はもっと禍々しい……なのに、なんでだろう。あいつと目が合ってから、鼓動が治まらない)
体の奥、魂が、激しく鼓動を繰り返している。あの仮面の男は、いったい?
恩はケイオスフォズマを持ちかえ、魔獣の体を駆け上った。
ケイオスフォズマを振り上げ、仮面の男に襲いかかる。
「これ以上この村を壊すな! お前は何者なんだ!!」
槍を振り下ろす恩。村人たちを誘導していた依織が、はっと恩に顔を向ける。
男が初めて動いた。マントの下から腕が伸び、長棍で恩の刃を受け止める。
恩は眉をひそめた。その長棍は色こそ白いが、ケイオスフォズマと同じデザイン。
(ケイオスフォズマ!?)
その時、ピシ……と男の仮面にひびが入り、仮面が割れた。
あらわになった男の素顔に、恩は自分の目を疑った。
「――俺と同じ顔……!?」
造りこそはシェーシア人のものだが、自分とそっくりだ。
仮面の男はにやりと笑い、動揺の隙をついて、恩の懐に入り、鋭い回し蹴りを食らわせる。
「ぐぅ……っ」
まともに入った。あばらにひびでも入ったかもしれない。
仮面の男は膝をついた恩を見下ろし、哄笑した。
「ようやく会えたな、半身。さぞ驚いただろう!」
「は、半身……?」
仮面の男――外見は恩とそっくりなので、少年の姿だ。だが発せられる声は、恩と違い低い男性の声。
髪は漆黒で、眼は鮮血のような真紅。表情も恩では到底ありえない、冷徹な笑み。似ているのに全然違う。
「俺の名はゼルグ。ふふふ、ずっとこの時を待ちわびてたぜ、恩!」
「なんで、俺の名前……」
「半身のことなら全て知っている。お前は俺のことを何も知らないだろうけどな」
俺が……この男の半身? だから初めて会った時、魂が反応していたのか?
胸がざわついた。ゼルグが近づいてくる。目が離せない。
「めぐ様ーっ!」
ゼルグに向かって急降下したリヒトは、金烏玉兎を振り下ろす。ゼルグがリヒトを見上げた。
リヒトはゼルグの顔を見て目を瞠り、腕を止める。ゼルグは長棍を両刃剣に変形させ、リヒトの腹を刺した。
「っああっ!」
「リヒトぉ!!」
「ははははは!!」
愉快そうに笑い、剣を引き抜くゼルグ。
リヒトはバランスを崩して落下していく。
恩は落下するリヒトを追って飛び降りた。
空中で抱き留めたが、この高さでは二人とも無事では済まない。
リヒトは痛みのせいか気を失っている。
「リヒト! しっかりしろ! ……くそっ。コ……」
呼ぼうとして、躊躇する。
以前ならいざ知らず、今の彼は呼んでも来てくれないかもしれない。
それでも、頼ってしまう。求めてしまう。あの存在を。
「……っ、クロムぅーっ!!」
必要だから。信じているから、名前を呼ぶんだ。だから、頼む。
「……まったく、オレ様は貴様のお助け道具ではないぞ」
クロムが二人を抱え込む。そのまま地面に降り立った。
見上げたが、クロムは顔を逸らして目を合わせない。
でも、来てくれた。
「クロム……」
「下僕の癖に、主であるオレ様を顎で使いおって。捻り潰すぞ」
悪態をつくのはいつものこと。恩はほっとして笑った。
「助かった。ありがとう」
クロムは軽く目を瞠り、舌打ちをするとぺいっと二人を放り投げた。
「いって! 急に落とすなよ!」
その時、背後で突然魔獣が倒れた。
驚いて振り返ると、ゼルグがふわりと降りてきた。また緊張が走る。
「半身も出てきたし、こいつは用済みだからな。始末してやった」
「なっ……この魔獣は俺をおびき出すために……!?」
「まあそんなもんだ」
それだけのために、この村を襲ってたっていうのか? なんの関係もない村を。怪我人や死人まで出ていて。許せない。
「ふふふ、面白いなぁ。なあ、恩。俺はずっとお前を待っていた。宿命を紡ぐ者であるお前を」
ぞくりと寒気がした。ゼルグの目には光がなく、禍々しい邪気と殺気が溢れている。これが自分の半身だなんて。
魔獣が倒れたことで、ルカフィルと依織、カーレンが駆け寄ってきた。そしてゼルグを見て驚愕する。
「え……っ、そ、その顔……」
「まあ……恩さんが二人?」
カーレンの場合、驚いているのかよく分からないが。
依織はゼルグを見ると、蒼い顔で拳を握りしめた。ゼルグは無表情で依織を見つめていたが、ふ……っと口元を緩め、冷たい声で言い放つ。
「またこうしてお前と会うことになるとは、思いもしなかったぜ」
「! ……イオのことを覚えているのですね、闇黒の王」
闇黒の王? 依織とゼルグは知り合いなのか。と言っても明らかに剣呑な雰囲気だ。
「これもまた宿命だからな。お前には分かっていただろう? 守人」
「……まさかあなたの封印が解けるとは思っていなかったです」
「所詮、未熟な力。俺を抑え込むには力が足りなかったわけだ。せっかく相棒の命を犠牲にしたのにな」
「!!」
ずきん! 閉じかけていた傷が痛む。遠い昔に失くした、大切な仲間。
「おとなしく時空神の神殿に籠っていれば、相棒が命を落とすこともなかっただろうに」
自分の力が至らなかったばかりに。依織の目に涙が浮かぶ。
「のこのこと外の世界に出てきて、まったく愚かな……」
ひゅんっ、と風を切る音がした。向かってきた刃を、ゼルグは涼しい顔でかわす。
恩はゆらりと槍を構え直し、ゼルグを見据えた。
「それ以上言うな。それ以上、依織を傷つけたら許さない!!」
恩の目に剣呑な光が宿る。ゼルグはくつくつと笑い、肩をすくめた。
「いいなぁ、その眼。殺気がこもっててゾクゾクする。さすがは俺の半身。
いいぜ、半身にも会えたし、今日のところは退いてやる」
「待てよ、お前の目的はなんなんだ!?」
「ふふ、俺のことはそこの守人にでも聞けばいいさ。そいつが役に立つのならな」
カッと血が上り、恩は再びゼルグに攻撃するが、ゼルグがマントで体を覆うと、姿が消えた。逃げられた。
仮面の男の正体は、恩の半身。そして依織と面識がある。そうだ、依織。
「依織!」
駆け寄ると、依織は泣いていた。堪えているが、目からは堪えきれなかった涙が零れている。
「依織……」
「……めーちゃん……」
依織は恩を見上げ、しゃくりあげると、その胸に飛び込んだ。恩は依織の背中を優しくなでた。
仮面の男の正体は、さまざまなものに傷跡を残した。
ゼルグが消えた空間を、一人、無感情な目で見つめているルカフィルにも。
リヒトのケガはカーレンが魔法術で治してくれたが、気を失ったままなのでリヒトの部屋のベッドに寝かせ、依織はカーレンに任せた。
ルカフィルは家に帰ったが、少し様子がおかしかった。
恩の顔をあまり見ないようにしていたのは、ゼルグと同じ顔だったからだろうか。
(やっぱりショック……だったんだよな。村を襲った敵が味方と同じ顔だったなんて。
そりゃ俺もショックだけどさ。半身の意味もよく分からないし)
けれどそのことを依織に追及するのは酷だ。あの時、抱きついてきた依織はひどく震えていた。
(依織……大丈夫かな?)
そこへカーレンがやってきた。カーレンには依織を落ち着かせるため、部屋に連れて行ってもらっていたのだ。
「あ、カーレン。依織はどう?」
「はい、ようやく落ち着かれて、今は眠っています」
「そっか……」
安堵してため息をつく。恩の表情を見て、カーレンは小さな胸の痛みを感じた。
依織を想う恩の表情は慈愛に満ちていて、こんな時に不謹慎だとは思うが、依織がうらやましいとさえ思った。
(依織さんはつらい思いをされているのに……わたしはなんてことを)
いつから自分は、こんなに浅ましい思いを抱くようになったのだろう。
「カーレン? どうしたの?」
声をかけられて、カーレンははっとした。
恩が不思議そうに顔を覗き込んでいる。
カーレンは心配かけまいと笑みを浮かべた。
「いいえ。なんでもありません。依織さん、心配ですね」
「うん。それに……さっきの奴のことも気になってるんだ。あいつ、ゼルグって名乗ってた」
「恩さんと、同じ顔をしていましたね」
「……そうだね……」
敵の正体が分かったのに、新たな謎が生まれてしまった。
ゼルグの目的はなんなのか。なぜ恩と同じ顔なのか。
此武にも念のため聞いてみたが「知らん」と一蹴された。
やはりその理由を知るのは依織だけのようだ。
「カーレン、俺、ちょっと依織の様子見てくる。リヒトの方を見てきてもらっていい?」
カーレンは一瞬ためらってから頷いた。
本当は依織のところへ行かせたくないが、恩はただ依織が心配なだけなのだ。
恩の優しさを自分の浅ましさで蔑ろにしてはいけない。
依織のいる部屋に入ると、依織はベッドで眠っていた。
椅子を持ってきてベッドの横に座る。頬に残る涙の後に胸が痛む。
(依織……あいつと何があったんだ? ゼルグは依織の相棒が命を落としたって言ってた。
ゼルグは一度封印されて……その時に命を落としたってことかな?)
依織の寝顔を見ていると、ふと依織が目を覚ました。
「! 依織!」
「…………めーちゃん……?」
「よかった。起きられる?」
「はいです」
依織はなんとか体を起こし、弱々しく笑った。
「心配をかけてしまったですね。ごめんなさいです」
「大丈夫だよ。でもまだ無理しなくていいからね」
返される笑み。そこにあるのは純粋な優しさ。ずっと変わらない、あたたかい笑顔だ。
気遣ってくれているのがよく分かる。けれど、甘えてはいられない。
ゼルグとの出遭いは宿命だ。真実を伝えなくては。それが自分の役目。
「めーちゃん、ゼルグのことを聞きに来たですか?」
「! いや……気にはなってるけど……」
「お話しするです。イオの昔のこと。ゼルグのことを」
「でも、思い出すのは嫌だろ? 依織のそんな顔見たくないんだ。依織には元気でいてほしい」
「!」
ずるい。そんな言い方。
そんな風に言われたら期待してしまう。
でもわかってる。君の言葉に深い意味はないんだと。わかっているのに、抑えきれないこの気持ち。
依織は小さな手を握りしめ、呟いた。
「じゃあ、お願いがあるです」
「うん? 何?」
たとえ代理でも、宿命を紡ぐ者のパートナーとしてそばにいられればいい。
そう思っていたけれど、それだけではもう、足りない。
「イオのこと、ぎゅっ、てしてほしいです」
触れてほしい。心に、体に。君のことが、好きだから。
様子を見に行くと、ちょうどリヒトが起きたところだった。
「リヒトさん、起き上がっても大丈夫ですか?」
「うん、傷はレンちゃんが治してくれたんでしょ?」
「はい」
「ありがと。ところで……浮かない顔してるけど、どうしたの?」
あっさり見抜かれて、カーレンはしょんぼりした。リヒトは思い当たって、ポリポリと頬を掻いた。
「うーん、めぐ様も罪な男だよねぇ」
「わたし……いやなことばかり考えてしまうんです」
「どんな?」
「恩さんに、依織さんのことを気にかけてほしくないとか、依織さんのそばにいてほしくないとか……依織さんに、優しくしないでほしい、とか……」
どんどんカーレンの声が小さくなっていく。最後の方はほとんどかすれていた。
「傷ついている依織さんに、わたしはひどいことばかり思ってしまうんです」
「イオちゃんに何かあったの?」
「先ほどの、恩さんと同じ顔の方……ゼルグさんと仰るそうですが、あの方のことを依織さんは知っているようなんです」
「さっきの……仮面の男? ゼルグ……。イオちゃんが知ってるって、どういうこと?」
少しだけリヒトの顔が険しくなる。
雰囲気はまるで違うけれど、恩にそっくりな少年。彼女は何を知っているのか。
「分かりません。依織さんに話を聞くべきなんでしょうけれど、依織さんはゼルグさんを封印したことがあるようで、でもその時に大切なお仲間を亡くしていると……」
「そうなんだ。じゃあ聞くに聞けないなぁ。つらい思い出を蒸し返すのはかわいそうだし」
ああ、だから嫌なことばかり考えてしまうって言ってたのか。
だが、順調に恩への気持ちは育っているようだ。
あとは自覚してくれればいいんだけれど。何かきっかけがあればいいのに。
「え……?」
一瞬、何を言われたのか分からなくて呆気に取られたが、ややあって恩は顔を赤らめた。
ぎゅっとして、とはつまり、抱きしめてほしい、と……?
(なな、なんで急に!? お、女の子抱きしめるなんて妹たちか織しかしたことないよ!)
混乱していると、依織は照れ臭そうに微笑んだ。
「めーちゃんがぎゅってしてくれたら、元気になれるですから」
「そ! そう!? え、えっと……っ、そそ、それでは僭越ながら……!」
すごく緊張する。それでも依織のお願いを叶えるべく、軽く抱きしめると、ふわりといい匂いがした。
(あ、あったかい。それにいい匂いがする……髪の匂いかな? う~、細いなぁ、それにやわらか……って俺は変態か!)
恩の腕の中で、依織は心が満たされていくのを感じた。うれしい。
この行為に友情以上のものは含まれていないと知っていても、自分が仕向けたことだとしても、触れてもらえたことがうれしい。
(めーちゃん……好きです。大好きです)
うれしいけれど、これ以上、君を困らせたくないから。
「ありがとうなのです、めーちゃん。元気になったからもういいですよ」
「え! あ、そ、そう!? よかった! あはははは」
ぱっと依織の体を離す恩。ちょっと名残惜しいとは言えない。
「ちゃんとお話しするです。レンちゃんたちにも話を聞いてほしいですけど」
「ホントに大丈夫?」
「大丈夫なのです。あの時のことは……哀しい思い出ですけど、めーちゃんにとってとても大事なことですから」
「やっぱり俺に関係してるんだ?」
首肯すると、恩は少しだけ顔を曇らせた。
「……分かった。リヒトたちを呼んでこようか?」
「ルーちゃんもいた方がいいので、明日お話します」
「あ、そうだよな。依織も今日は休んだ方がいいだろうし」
明日。真実が明らかになる。
恩にとって本当の意味での戦いが、幕を開ける。