第35話 束の間の平穏と花咲く想い
シェーシアでの生活が始まった。
恩たちリクワイズの来訪は、あっという間に村中に広がり、外に出れば村人たちが集まってくる。
すがりついて頼んでくる人もいれば、気楽によろしく、という人もいるし、わざわざ来てくれて申し訳ないと謝ってくる人もいる。
だが、期待しているのは確かで。村人たちの顔には安堵した様子がうかがえる。
特に此武に対しては、みんな正体が分かるのか畏れていた。遠巻きに拝んでいたり、中には平伏する人も。
リーフェでは正体に気づく人なんてほとんどいないのに、シェーシアでは種族がすぐに分かるようだ。
それに、敬意は表しているが基本的にフレンドリーである。リーフェとシェーシアでの種族の認識の違いに驚嘆する。
「はーい、召し上がれ!」
食事はリヒトが作ってくれる。見たことのない食材や料理が並び、おもしろい。
「ふーん、リヒト、料理できたんだなぁ」
「まあねっ。お姉ちゃんとルカちゃんが結婚する時に、一人暮らしすることになってたから、ずっと勉強してたもん」
此武は食事をとらないので、食事時は部屋にこもっている。
というよりも、此武は滅多に部屋から出ない。本を読んでいたり、寝ていたり、どこかに消えていたり。
此武が自分たちと同じような生活をするとは思えなかったので、別段おかしいとは思わないが。
「このお料理とてもおいしいのです」
「えっへん、気に入ってもらえてうれしいよ! どんどん食べてね。めぐ様も!」
「……食べてるよ」
悔しいが依織の言う通りおいしい。リーフェに帰っても食べてみたい。
なんて、本人には絶対言わないけど。
夜も深まり始めた頃、のどが渇いたので水でも飲もうかと部屋を出ると、風呂上がりだったらしい依織と出くわした。
「お先にお湯頂いたのですよ」
「じゃあ俺も入ろうかな」
依織はパジャマではなく浴衣姿だった。どうやら浴衣を寝巻にしているらしい。
浴衣なんて旅館かお祭りでしか見かけないが、似合っていると思う。
依織の髪はまだ濡れていた。恩が依織の髪に手を伸ばす。
「髪、まだ濡れてる……」
「はわっ」
「えっ?」
髪に恩の手が触れる。ちょっとだけ耳をかすったかもしれない。
依織はどきんっとして顔を赤くした。恩もつられて赤くなる。
「依織さん、リボンをお忘れに……」
一緒に風呂に入っていたカーレンが、脱衣所に忘れていった依織のリボンを持ってくる。だが、二人の雰囲気に思わず隠れた。
自分の行動が信じられず、カーレンは目を丸くする。しかし、今、二人の前に出て行くのもはばかられた。
そうっと物陰から二人を窺う。恩は手を伸ばしたまま硬直していた。
風呂上りだからだけではないと思われる上気した顔、しっとりとした肌、濡れている髪の毛。
いつもより大人びて見える依織に、恩は思わず見とれてしまう。
依織は恥ずかしそうに俯いた。
「びっくりした、です……」
「ご、ごめんっ」
「めーちゃん、女の子の髪はとても大事なものなのですよ。触るのは特別な想いのある相手じゃないとダメなのです」
「ほ、本当にごめん。いや、でもちょっとしか触ってないからっ」
慌てて手をひっこめる恩に、依織はほんの少し残念そうな顔でぽつりと呟いた。
「イオはめーちゃんに触られるのは嫌じゃないですけど」
「え?」
「なんでもないのです。めーちゃん、今回はイオとめーちゃんにとって、本当の意味での初めてのお仕事なのです」
顔を上げ、真剣な顔で言う依織。恩も表情を引きしめる。
「そっか……そうなんだよな」
宿命を紡ぐ者の使命。宿命の刻に、フェイトパースをプロット通りに導くこと。
確かに、これまで高科FWの仕事で一緒にいることもあったが、宿命を紡ぐ者としては初の共同の仕事だ。
(宿命の刻…か。あれ、そういえばフェイトパースって誰なんだろ?)
あの夢が関係してることは明白だ。シェーシアに来る前に見た夢。
何かと戦っているリヒト。ルカフィル。そして夢の中の自分が見ていた相手、それが最も重要だと思える。
シルエットでほとんど見えなかったけれど、紅い眼の、おそらく男。ドクン、と恩の心臓が大きく脈打つ。
「めーちゃんの見る夢はただの夢ではないのです。宿命の刻の予知、フェイトパースの情報が視えるのです」
「やっぱりそうなんだ。でもはっきり視えないことが多くて……」
「それはめーちゃんの力が弱い証拠です。宿命を紡ぐ者としての経験を積んでいけば、おのずと能力も強くなっていくです。
そうすれば、宿命を紡ぐ者の能力も自在に使えるようになるですよ」
「経験値が足りないってことか。ひよっこ宿命を紡ぐ者なんだなー、俺」
「イオはジルさまの代理ですが、しっかりめーちゃんをサポートするですよ。一緒に頑張りましょうです」
「うん」
物陰に隠れているカーレンは、ツンと痛む胸に戸惑った。
二人にしか分からない話。自分では共有できない想い。
あの二人が話していると、いつもこうだ。どうしてこんなにも胸が痛むのだろう。
「あ、レンちゃん。明日の朝食なんだけどー」
「きゃっ」
横から声をかけられて、カーレンは小さく声を上げた。口元を手で押さえた時、持っていたリボンを落としてしまった。
「リ、リヒトさん」
「レンちゃん、こんなところに隠れて何してるの?」
「あ、あの、わたし……」
言いよどみ、しゅんとするカーレンに、リヒトは廊下の先を一瞥して察した。さっとカーレンの手を取る。
「ちょっとお話しようか、レンちゃん。ここじゃなんだからボクの部屋行こっ」
「え、リ、リヒトさん??」
触れたことでカーレンの背中から翼が出るが、リヒトは気にせず部屋へと連れて行った。
カーレンの声がした気がして、恩は廊下を曲がる。
「あれ? 今、この辺からカーレンの声がしたと思ったけど」
「そうなのですか? イオは全然聞こえなかったです」
「んー、気のせいかな……ん?」
足元に落ちている空色のリボンと、白い羽根を拾い上げる。
「これ、依織のリボンだよね?」
「はいです。どうしてこんなところにあるですかね? お風呂入る時に外したんですけど」
「カーレンが持ってきたんじゃないかな? 羽根も落ちてたし……
あれ? てことはやっぱりここにカーレンがいて、羽根があるってことは男に触ったわけで……?」
「…………」
眉をひそめる恩。この家にいる男は自分とリヒトと此武だけ。此武はまたどこかに消えてるし、自分はずっと部屋にいた。残るはリヒトだけだが……
依織はさっきの状況を、カーレンが見ていたのだろうと気づいた。
自分たちが話しているのを見て、声をかけられずにいた。
そこにリヒトが通りかかって、たぶん今頃は一緒にいるのではないだろうか。
(レンちゃんは……めーちゃんとどういう関係なんでしょう)
これまで、カーレンとはあまり話したことがない。
カーレンについて恩から聞かされることもなかったし、自分から聞いたこともない。
だからカーレンと恩が、今、どういった関係なのかは知らない。
彼女が何者なのかは知っている。そして彼女の未来も。
(未来がどうあれ、今ここにいるレンちゃんはレンちゃんなのです。
だからレンちゃんのこともしっかり知っておかねば、ですっ)
依織は恩の袖をくいっと引っ張った。
「めーちゃん、イオ、レンちゃんのこと知りたいのでレンちゃんのこと教えてほしいです」
「え? ああ、うん」
依織の気迫に押され、恩はカーレンのことを話すことになった。
半ば強引に部屋に連れていかれたカーレンは、リヒトが淹れてくれたハーブティーを飲みながらベッドにちょこんと座っていた。
「もう落ち着いたかな?」
「はい。ありがとうございます」
リヒトは椅子を引っ張ってきて、背もたれを前にして座った。
「ボクは一族柄、女の子の話を聞くのは得意だよ」
にっこり笑うリヒト。強要しているわけではない。話せるなら話してほしいと暗に言っているのだ。
膝の上のソーサーにカップを置き、カーレンは俯きがちに口を開いた。
「わたし……ここのところ、おかしいんです。恩さんが女性の方とお話しているのを見ると、ここがつきんと痛むんです」
そう言って胸に手を当てるカーレン。さっきもそうだった。
依織と恩が話しているのを見たら、痛みが走った。
「他の方とお話している時はなんでもないんです。でも、暁緋さんや依織さんと話している時に……」
「その痛みはめぐ様の時だけ?」
「はい」
なるほど。まだ完全に自覚しているわけではないが、無自覚というわけでもないのか。
恩への気持ちが育っているが、その気持ちがなんのかを理解していない。
恩に恋をしていることを、カーレンはまだ気づいていないのだ。
(レンちゃんは鈍そうだもんなぁ。まあ鈍いのはめぐ様もだけど)
「そのおかしいのは、めぐ様が女の子と話してる時以外にもある?」
「ええと……女性の方と触れ合っている時、もです。わたしにはできないこと……なので」
自分が恩と触れれば、翼が出て恩に迷惑をかけてしまう。この前攫われたのもそのせいだった。
リヒトは椅子から立ち上がり、カーレンの前で中腰になると、じっとカーレンを見つめた。
「じゃあさ、めぐ様のこと考えたり、一緒にいる時はどんな感じ? そわそわしたり、ふわっとした気持ちになる?」
「そわそわ……?」
言われてみれば、恩がいない時に恩の話をしたり、恩のそばにいると、時々、落ち着かなくなる。
恩の顔を見るとうれしくて、そばにいて、笑顔を見るとあたたかい気持ちになる。
「はい。恩さんといると心があたたかいんです」
「他の男の人といる時は同じような気持ちになる?」
「いいえ」
「じゃあね、今、目の前にいるのがもし、めぐ様だったらどう?」
「え?」
じぃっと見つめているリヒト。中腰なので目線がほぼ同じところにある。
距離も近くて、瞳の中に自分の顔が映っているのが見える。
今の状態の相手がもし、恩だったら?
想像してみて、カーレンの顔がぽおっと赤くなる。リヒトは満足げに笑った。
「うん。大丈夫だよ、レンちゃん」
姿勢を戻して、カーレンの隣に座る。
「それはおかしいことじゃない。誰にでもあることだから」
「そうなんですか?」
「レンちゃんだけじゃない。男でも女でも、みーんなあることだよ。ただ、それは特別な相手にだけ。
レンちゃんの場合はめぐ様にだけそうなるんだよ。おかしくないし、悪いことでもないから安心して」
愛情があれば、それだけ絆も強まる。強い絆は強い力となる。
二人の絆が強くなれば、それだけ仮面の男に対抗する力も強まると思う。
(あいつを倒すためにも、二人にはうまくいってもらわないとね~)
それにはまず、カーレンに自分の気持ちに気づいてもらうことだ。
恩がカーレンを好きなことは一目瞭然。だから、カーレンさえ気持ちに気づいて両思いになれば。
しかしここで自分が明かしても意味がない。カーレンはきっと理解できないだろう。だからもう少し時間をかけようか。
「でもね、このことはめぐ様には内緒。めぐ様のことで悩んでるんだし、レンちゃんが悩んでるなんて知ったら、めぐ様困っちゃうだろうから」
「恩さんが困るのはいやです。恩さんにはもう迷惑をかけたくありません」
悲しげに顔を振るカーレンに、リヒトは優しく笑いかけた。
「うん。だから今話したことは、ボクとレンちゃんだけの秘密。あ、でもルカちゃんには相談した方がいいかも」
「なぜですか?」
「女の子同士の方がもっとわかり合えると思うから。それに、ルカちゃんもレンちゃんと同じ悩みを抱えてたこともあるからね~」
恋の悩みはやっぱり同性の方がいいと思う。リヒトは立ち上がり、カーレンを部屋の外へと促し、ドアを開ける。
「そうなんですか?」
「うん。今度ルカちゃんにも相談してみるといいよ。あ、めぐ様とかイオちゃんとかがいない時にね。今みたいに、ルカちゃんと二人っきりで。ね?」
ウインクすると、カーレンはこくんと頷いた。相手は神族でかなり年上なのだけれど、なんだか妹みたいでかわいい。
と、そこへ恩と依織が通りかかった。恩はリヒトとカーレンが一緒に部屋から出てきたので驚いた。
(なんでカーレンがリヒトと? しかも部屋で二人っきりなんて! もしかしてさっきの羽根は、やっぱりリヒトと……)
「あ、二人ともちょうどよかった~。明日の朝食だけど、何がいい?」
「はう~、イオはあれが食べたいです。昨日食べたパンみたいなのが入ったスープ!」
「リトールね。分かった。めぐ様は?」
「……なんでもいい」
仏頂面で恩は踵を返す。二人きりで何を話してたのか。気に入らない。
なぜ恩が急に不機嫌になったのかカーレンはよく分からなかったが、リヒトと依織は理由に気づいていて、苦笑していた。
恩たちがシェーシアに来てから三日ほどが経ったが、仮面の男は現れない。
まさか恩たちに気づいたというわけでもないだろうに。
「仮面の男……来ないな」
「そうね。でも来てくれない方がありがたいんだけど」
「うーん、そうなんだけどさ。なんか拍子抜けって言うか、危機感がな……」
今日は依織がカーレンと二人で過ごしたいと言うので、リヒトと一緒にナハトたちの家に立ち寄ったら、ルカフィルが市場に買い物に行くと言うのでついてきた。
ルカフィルともこの数日で大分仲良くなった。最初は少し警戒心が垣間見えたが、今では遠慮なくどついてくるほどだ。
「こんなことはしょっちゅうだもの。気が緩んだ頃にあいつはやってくるのよ。見計らったように、油断して安心してる頃にね」
「このまま何事もなく終わればいいんだけどなー、あ、ルカ、葉っぱついてる」
ひょいっと恩がルカフィルの髪についていた葉っぱを取る。ルカフィルは目を瞠り、ついでため息をついた。
「えっ、何!」
「あんたにその気がないのは分かってるけどさ!」
ルカフィルはべしっと恩の背中を叩く。笑いをこらえていたリヒトが教えてくれた。
「あはは~。めぐ様、こっちではね、既婚者の髪には触っちゃいけないって決まりがあるんだよ」
「は?」
「既婚者の髪に触れるのは『不倫しましょ』ってお誘いのサインだから~」
文字通り目玉が飛び出す恩。
リヒトは腹を抱えて笑いをこらえているし、ルカフィルは疑わしげな目でこっちを見ている。
「はぁー!? ちょっ、そんなの知らないし! 俺は別にそんなつもりじゃ……っ」
「だから分かってるってば。リーフェ人のあんたがこっちの習慣なんて知ってるわけないでしょ。
リヒトも笑い過ぎ。それに、恩にそんな度胸あるとは思えないしね」
「……それって喜ぶべきなのか、悔しがるべきなのか……」
恩がほーっとため息をつくと、ルカフィルは抱えていた紙袋をぎゅっと抱きしめた。
「本当に恩は気にしないのね」
リーフェ人なのに。
「え?」
「ううん、なんでもない……」
初めはリーフェ人が来ると聞いて少し不安だった。どんなに強かろうが、リクワイズだろうが、リーフェ人はリーフェ人。
姿形の違う自分たちを拒むのではないか、嫌悪の目で見るんじゃないだろうか。
でも恩と依織は違った。噂に聞いていたリーフェ人とは違う。
あたしたちの容姿なんて、種族なんて全然気にしなかった。うれしかった。
(リーフェ人がみんな、恩たちみたいだったらいいのに)
少しだけなら、リーフェ人も好きになれるかもしれない。
その頃、カーレンと依織は庭で花壇の世話をしていた。
今日は二人で話したかった。カーレンに、恩のことをはっきり聞きたくて。
(レンちゃんのことはめーちゃんからいろいろ聞いたです。生命神の斂子でも、イオは負けないのですよっ。
たとえめーちゃんが、レンちゃんのことを好きだとしても)
カーレンのことを話す恩の表情はとても楽しそうで、その目が、彼女を好きだと言っていた。
恩自身は“好き”だなんて一言も言っていないけれど、目が、そう言っていたから。
それでも自分は決めたのだ。彼を支えていくと。
けれどそれはあくまでも、役目として。一人の女の子としてパートナーになれたら……とは思う。
でもきっとそれは、カーレンも同じ気持ち。話したことはなくても、カーレンが恩を見る目が恩と同じだと気づいていたから。
いつまでも平行線でいるのは不公平だから、今日は自分の想いをカーレンに伝える。
カーレンが自身の気持ちに気づいていなくても。
「レンちゃんとこうして二人で話すのは初めてですねぇ」
「はい、そうですね」
にこやかに切り出す。花に水をあげながら、カーレンはニコニコ笑っている。依織はすっと立ち上がり、カーレンの隣に移動した。
「あのですね、レンちゃん。今日はレンちゃんにお話したいことがあるです」
「はい、なんでしょう?」
「イオは、めーちゃんのことが好きなのです」
カーレンは軽く目を瞠った。水をやる手を止め、依織の方を向く。
依織はカーレンと正面から向き合っていた。その表情は真剣そのもの。
「お友達としてとか、仲間としてとかじゃないです。一人の男の子として、イオはめーちゃんが好きなのです」
「好き……」
きっと、初めて逢った時から惹かれていたのだ。
この先、時空神が支えていくパートナー。ジルティリードから話を聞いて、興味があった。
だから初めは、会えたことがただうれしかったのだ。一度だけでいいと思っていたのに、日に日に恩の顔と声が忘れられなくて。禁を犯してでも会いたくて。
募っていく想い。でも、神殿の外に出ればジルティリードの寿命が縮む。だから今度こそ諦めようと思った。
世界の影である自分が誰かに恋をすることは、立場をわきまえない愚行なのだと。
そんな自分の背中を押してくれたのは、他の誰でもないジルティリードで。
こうしている今も、あのヒトの寿命は減っていくのだろう。それを知っていてもなお、あのヒトは送り出してくれたのだ。
叶わぬ恋かもしれないけれど、あのヒトのためにも、恩といられる今がチャンスなのだ。
少しでも、彼に近づきたい。同じ時間を共有したい。
(めーちゃんにとっては、イオなんてただの仲間でしょうけど)
君は知らない。イオがどれだけ君を想っているのか。
どれほど君に会える日を待っていたか……
「レンちゃんはどうですか? レンちゃんはめーちゃんのこと、どう思ってるですか?」
カーレンに詰め寄る依織。カーレンは困惑した。
恩のことが好きだと、依織は言っている。自分も恩のことは好きだ。
でもそれは、依織の言っている“好き”と違う? それとも同じ?
「……わ、わたしは……」
カーレンがようよう口を開いたその時、ざわりと空気が変わった。
不穏な空気。禍々しい邪気が近づいてくる。
「この邪気は……っ?」
邪気の近づいてくる方角を見ると、背後に此武が現れた。
「来たようだな」
「此武様!」
ドォンッ! と村のどこかで何かが崩れる音がした。そしてその姿を見せた魔獣。
全身に棘の生えた黒い巨体、猪のような顔。その頭の上には小さな人影。
村中から沸き起こる悲鳴。あれが。
「あれが魔獣……っ」