第34話 闇属と光属
雄たけびを上げた魔獣は、リヒトたちに向かって突進する。
リヒトたちは慌てて空へと逃げた。
『逃げろ!』
『きゃあっ!』
他の村人たちも逃げ出す。魔獣は手当たり次第に家に突進して壊している。
ただ本能のままに暴れている、といった様子だ。
『家がめちゃくちゃだわ!』
『なんなの? あんな魔獣見たことない……』
『みんな、早く逃げて!!』
リヒトが金烏玉兎を手に、魔獣に向かって降下する。
『これ以上、村を壊されてたまるかぁぁぁぁっ』
『リヒト、危ないわ!』
大きく鎌を振りかぶり、魔獣の背に突き立てる。だが、棘は思った以上に固く、弾き返された。
『くっ!』
魔獣が振り返り、口から紫色の炎を吐く。
『うわわっ』
なんとか避けたが、服が半分焦げた。
そこに村の戦士たちが駆けつけ、それぞれの魔宝具で応戦する。
『リヒト、助太刀するわ!』
『危険よ、逃げて!』
『そんなのできないよっ』
村の戦士たちは強い。だが、女が戦っているのに自分だけ逃げるなんて。
魔獣はさらに暴れ、戦士たちを吹き飛ばす。
あの魔獣、かなり手ごわい。このままでは村が。
ひゅん、と風を切って一本の矢が魔獣の横っ面に突き刺さる。
悲鳴を上げる魔獣。矢を放ったのはルカフィルだった。
『ルカちゃんっ』
『魔獣! この村から出て行け!!』
次の矢をつがえるルカフィル。
魔獣は怒り狂い、長い尾でルカフィルを薙ぎ払おうとする。
ルカフィルは矢を放つが、外れた。
『!!』
『ルカちゃぁぁぁぁぁんっ!!』
リヒトが高速で滑空し、ルカフィルを抱きかかえる。
だが、魔獣の攻撃が早い。二人は家ごと吹き飛ばされた。
『いやああっ!』
『リヒトさん!!』
『ルカフィルぅ!!』
瓦礫の中、ルカフィルは体の痛みに顔を歪めながら、体を起こそうとする。
『う……リヒト? リヒト!』
自分をかばってくれたリヒト。彼はぐったりしていて、意識を失っているようだ。頭から血が出ている。
『リヒト! しっかりして、リヒト!!』
血が止まらない。止血をしなくては。ルカフィルは自分のバンダナを外して、リヒトの頭に巻く。そこへ戦士たちが駆けつけた。
『リヒトくん! ルカフィルさん!』
『リヒトが怪我してる! 意識がないの!』
『なんですって!?』
『みんな、手を貸せ!』
戦士たちがリヒトを運び出す。魔獣はその後も暴れ続けた。
リヒトが目を覚ましたのはそれから三日後。
命に別状はなく、後遺症などもなかった。
『よかった。目を覚まして。ナハトがすごく心配してたわよ。もちろんみんなもね』
見舞いに来たルカフィルが、剥いたハルフの実をリヒトに差し出す。受け取って、リヒトは微笑む。
『ナハトが自分も行くって聞かなかったけど、熱があったから止めたわ。
あんたが怪我したって聞いて、ナハトも心労で倒れたのよ』
『……お姉ちゃんは大丈夫?』
『もう平気よ。リヒトの顔見ればもっと元気になるわ』
『うん、早く帰らないとね』
まだ安静にしていないといけないので、診療所に泊まっている。リヒトは窓の外を見やった。
『家がほとんどなくなったね……』
『ええ。全部あの魔獣のせいよ』
『魔獣はどうなった?』
実を剥く手を止め、ルカフィルも窓に目をやる。
外では村人たちが家を直している。半分近くの家が破壊された。
元通りにするにはかなりの時間が必要だ。
『妙な仮面をかぶった奴がやってきて、魔獣を連れて行ったわ』
『そいつがあの魔獣を仕向けてきたの?』
『分からない。でも、魔獣はそいつの言うことに従ってた』
聞いたことのない男の声だった。少年のような青年のような。
仮面の男は去り際に、笑いながら、
『「これは小手調べだ」って、それだけ言い残していったの』
リヒトは拳を強く握りしめた。それはつまり、また村を襲うと言うことか。
『いったい、なんの目的で……?』
予想は当たった。数日後、仮面の男は魔獣を連れて再び村を襲ったのだ。
その後、何度も。時には複数の魔獣を引き連れて。
語り終えたリヒトは、悔しそうに奥歯をかみしめた。
現状を知り、恩たちの表情も暗かった。
「奴の目的は分からずじまい。奴が来るたび、戦士たちと一緒に応戦したけど、とうとう死人が出てしまったんだ」
「この前でもう八人になるわ」
「えっ、また増えたの!?」
ナハトが頷く。リヒトがリーフェに旅立ってからも、仮面の男はやってきた。今も怪我で動けない村人が何人かいる。
「もうそんなに……ただでさえ森羅女は減ってるって言うのに……っ」
「それで、リヒトは神託とかで、リーフェにリクワイズを捜しに来たんだよな?」
「……うん。めぐ様、みんな。勝手なお願いなのは百も承知だけど、改めてお願いするよ。魔獣を倒して、この村を救ってほしい!」
「私からもお願いします。もちろん無償でとは言いません、必ずお礼はします」
「あたしも。ここはあたしのもう一つの故郷だし」
リヒトたちが頭を下げる。深刻な状況であることは理解した。
「なんとかやってみるよ。でも、魔獣を倒せるか保証はできないよ」
「ありがとう、めぐ様ー!」
がばぁーっとリヒトが抱きつく。事情は分かった。問題は相手の実力だ。
リヒトがなかなかの腕前だと言うことは知っている。
そのリヒトが苦戦する相手となると、少々難しいかもしれない。
だがこちらには戦神クロムがいるのだ。よほどのことがなければ問題ないだろう。
クロムが戦ってくれるかどうかは怪しいが。
「仮面の男がいつやってくるかは分からないんだ。しばらく村に逗留してて。
うちに空いてる部屋があるから使っていいよ」
すぐに帰れるとは思っていなかったのでありがたい。
お言葉に甘えて、恩たちはリヒトの家に厄介になることにした。
魔獣を操る謎の仮面の男。その目的はなんなのか。
リヒトの家はナハトたちの家からそう離れていなかった。
結婚前はナハトもここに住んでいたという。
「二階の部屋を自由に使っていいよ。ずっとほったらかしてたから、掃除しないとダメだろうけど」
「ありがとうございます」
「お掃除頑張るですよー!」
ナハトたちの家とさほど変わらない広さ。しかし一人で住むには、少しばかり広いかもしれない。
「めぐ様はボクの部屋でも……」
「ありがたく二階の部屋を使わせてもらうよ。」
「もう、めぐ様ったら照れ屋さん」
「照れてない」
なぜリヒトと同室にならなくてはならないのか。いやしかし。
ちらりと此武を見る。
(もしかして、此武と一緒の部屋ってことか……?)
寝ている姿は見たことがあるが、此武が普通の人のように生活しているところの想像がつかない。
一応食事などはするらしいが、その姿を実際に見たことはないのだから。
此武と目が合う。此武はふん、と鼻を鳴らした。
「赤木偶と四六時中、共ににいろと言うのか。憤まんやるかたないな」
「お、俺だって此武と同じ部屋で過ごすなんて……っ」
「オレ様と同室は不満か、糞玩具」
一瞬でぐりぐりと恩を踏みつける此武。言ってることが違う。
「さっき自分で嫌だって言ったくせにーっ」
結論が出たところで、空き部屋を掃除する。
そういえば千咲はどうするのかと思ったら、此武のそばを離れないらしい。
ということは……
その夜。恩たちの部屋に当然のようにいる千咲に、恩は遠い目をした。
「ですよねー」
分かってはいたし、此武と二人きりじゃないのは少なからずほっとした。
だが、これじゃあ着替えられない。
(いくらゴーレムって言っても女の人だしー!
感情がないのは知ってるけど、こっちには羞恥心という立派な感情があるわけでして!)
躊躇していると、ベッドの上で足を組んでいた此武が、千咲を呼んだ。
「千咲」
「はい」
(あ、名前で呼んでる)
千咲のことはきちんと名前で呼んでいる。なら、自分のことも……
「あの下僕は貴様が見ていると何もできんらしい。見えなくなるよう目玉をえぐり取ってやる」
「はい」
「いやいや、はいじゃないでしょ! 何さらっとひどいこと言ってんの!
そこまでしなくていいしっ。着替えるよ、着替えればいいんだろ!」
なんなんだもう。本当に此武は千咲に対して容赦ない。自分以上に。
ゴーレムだから、人間ではないからぞんざいに扱うのだろうか。
それとも、神はみんな、自分の創ったものにはそういう態度なのか。
(俺のことは相変わらず名前呼ばないし!)
千咲とのことは関係なかったのだろうか。だったら、なぜ急に?
モヤモヤしつつ、ごそごそとパジャマを引っ張り出す。
その間、なぜか此武は組んだ足の上で頬杖をつき、じーっと見ていた。
(めちゃくちゃ見てる……っ)
何ゆえ。此武の言動が不可解過ぎる。
思えば、こんな風に此武と同じ空間で生活するのは初めてだ。
一晩中、一緒にいたことはあるが。変な意味ではなく。
しばらくはこの生活だろうし、今なら千咲と何かあったのか、なぜ名前を呼ばなくなったのか聞けるだろうか。
(なんて切り出そう……)
「おい!」
「ひぇっ!?」
黙考していた恩は、素っ頓狂な声を上げた。
「なんだ、その珍妙な声は。張り倒すぞ」
「ちょっと心の準備ができてなくて、いや、何?」
「昼間の青頭の話を聞いて何か感じたか」
「え、大変な状況だなって」
「腐れ頭め。仮面の男のことだ」
「あ、そっち………敵なんだろうな、やっぱり。目的があってこの村を襲ってるのか、ただ無差別なだけなのか」
どちらにせよ、深刻な状況だ。リヒトたちの話では、野生の魔獣が村や町を荒らすのは珍しいことではないそうだ。
リーフェでも野生動物が町中に入り込んで悪さをすることもあるし、それと同じ感覚なのだろう。あの魔獣は野生ではないので別問題だ。
引き受けた以上、全力を尽くす。ズボンを脱いでパジャマを羽織ろうとした時。
「恩さん、明日、リヒトさんが村の中を案内……」
軽いノックの後、カーレンがドアを開け、一緒にいたらしい依織が目を丸くする。
着替えの途中だったため、恩はパンツ一丁だった。
「きやああああっ!」
悲鳴を上げたのは恩の方だった。
依織は顔を赤くして目を手で隠し、カーレンはドアを開けたまま呆けている。
「ききき着替えの途中だからっ! 話は後でお願いします!!」
「ごめんなさいです! レンちゃん、行くですよっ」
依織が恩の方を見ないようにしてカーレンを連れていく。
見られた。二人に。パンツ一丁の姿を……
落ち込む恩。先が思いやられそうだ。
翌日、恩とカーレンと依織はリヒトに村案内をされていた。
昨日の今日で顔を合わせづらかったが仕方がない。
此武は「面倒だ」と言うので留守番だ。
「村では自給自足が普通なんだけど、年に四回、王宮から配給があるんだ。他国の食べ物とか服とかね」
「王宮って、昨日見た首都の中の大きなお城ですか?」
「うん。ボクはあまり村から出たことないし、首都には昔、母さんたちと一度しか行ったことないから、王様とか見たことないんだけど」
昔、母と見た首都はとても明るく賑やかで、それまで鈴樹以外の男を見たことがなかったので、行き交う人の中にいる男たちを見た時は驚いた。
他の町にはこんなにも、自分と同じ男が存在するのだと。
そして男の森羅女である自分が、とても珍しそうに見られていたことも印象的だった。
「リヒトさんのお母様はお見かけしませんでしたが、どちらに?」
リヒトの家でもナハトの家でも会っていない。リヒトは軽く肩をすくめる。
「さあ? 自由主義な人だからね、どこかの国を旅してはいるんだろうけど。もう四十年くらい会ってないかな~」
「四十年!? ちょっと待て、リヒトって何歳!?」
恩は自分と同じくらいか、少し上かと思っていたのだが。
「んー、百十二? 三? そのくらいだったと思うけど」
「百越えぇぇぇっ!?」
外見通りの年齢ではなかったのか。森羅女は人間より成長が遅い種族なのかもしれない。
「めぐ様よりずーっと長く生きてるよ。レンちゃんも結構いってるよねぇ?」
「え。」
「人間界の時間で換算すれば、三百歳ほどになるかと」
「三百ぅぅぅぅぅっ!!?」
生まれてから数百年しか経っていないとは聞いていたが、具体的な年齢は初めて知った。やはり種族の壁は大きい。
「そういえば森羅女のことはまだ話してなかったよね。森羅女は闇属で、基本的に女しか生まれない種族。特徴はこの黒い羽かな」
ばさばさと羽を動かしてみせるリヒト。
コウモリのような薄い皮膜の羽。外見的に一番人間と異なると感じる部分だ。
「あと、ボクたちは血を吸って生気を蓄えることもあるんだ」
「だから吸血鬼と間違えたんだよなー」
吸血鬼事件で、現場付近にいたために犯人と誤解した。
確かに血を吸ってはいたし、自分も少し吸われたことがあったが……
「大昔の名残なんだよねー。それこそ先祖は生き血を吸って生きる種族でね。
時が経つにつれて、その本能が薄れて血を吸わなくても生きられるようになったけど、新月が近づくと本能が戻るみたい」
新月とともに訪れる生き血への渇望。種の本能。
あまり良いものではないけれど、抗えない。
「血を吸わないと、リヒトさんは死んでしまうのですか?」
「いや、そこまではないけど、すーっごくのどが渇いて渇いてしょうがなくなって、ついついチューってしたくなるんだぁ。特にめぐ様の血はたまんないね」
「矛先を向けるな!」
思い出したくないのに思い出してしまい、顔が火照る。気持ちいいような悪いような。もう嫌だ、あんな感覚。
「食べ物と同じで、血にもおいしい血とおいしくない血があるんだよねー。
めぐ様の血はいい匂いだし、後味もさっぱりで最高。あー、また吸いたくなってきた。めぐ様、吸わせてー!」
「誰が吸わせるかエロ吸血鬼!」
抱きつこうとしてきたリヒトを殴り飛ばす。
「それより! さっき言ってた闇属ってなんだよ」
「えー? 闇属は闇属だけど」
「分からないから聞いてるんだけど」
半眼で睨むと、背後から知った声が聞こえた。
「闇属ってのは、闇を司るセイルシア様に属する種のことよ」
ルカフィルが肩に、ウサギのようなものを担いで歩み寄ってくる。狩りをしてきた帰りだろうか。
「セイルシア様とライフィエ様は分かるわよね?」
一瞬、ドキッとする。総ての世界と、プロット、そして自分の魂を創った創造主。
「ああ、世界を創造した二柱の神だろ?」
「シェーシアにいるすべての種は大きく二つに分類されるの。
セイルシア様が自身の力を注いだ闇属、ライフィエ様が自身の力を注いだ光属にね」
二つの種に大きな違いはない。ただ、得意な魔法術が分かれるだけだ。
魔法術は十二の属性がある。炎、水、地、風、木、岩、雷、空、氷、鋼、光、闇だ。
「必ず当てはまるわけじゃないんだけど、光属は光、雷、炎、木、風の魔法術を得意としてて、闇属は闇、水、鋼、氷、岩、地の魔法術を得意とするの」
「魔法術って、神族や魔族が使う術だっけ?」
「リーフェの住民は使えないの?」
「異能って言う近いものはあるけどな」
しかし、異能のルーツは魔法術だと依織から聞いたことがある。
その昔、魔法界の住人はリーフェで暮らしていたが、リーフェの人間との間に戦争が起こり、魔法界に移住することになった。
一部の住人がリーフェに留まったため、その力が時代とともに変化していき、現在の異能になったんだとか。
「ルカフィルも闇属なのか?」
「ううん。あたしは光属よ」
「光属と闇属は敵対してたりはしないのか?」
名称からして、神族と魔族みたいな印象があるのだが、シェーシアではそういった対立関係はないのだろうか。
「そんなのないわよ。でもまあ、どうしても相容れない種族っていうのはいるけどね。水と油って感じで。
それもあって、昨日、異種族でも結婚はできるって言ったけど、光属同士、闇属同士じゃない場合は、種によっては難しいこともあるわ」
同属なら異種族でも問題ないが、異属であれば反対されることがなくもない。
「んー、シェーシアの友達から聞いたんだけどさ、一族特有の特徴とか特殊能力を持たない種族は仙って言うんだよな? 仙は光属と闇属どっちなんだ?」
「仙の場合は人によるわね。闇属に近い人もいれば、光属に近い人もいる。
仙はセイルシア様とライフィエ様が両方の力を使って創られたから。だから、第三の属として影属なんて呼ぶ人もいるのよ」
「そうなんだ。おもしろいなぁ、シェーシアって」
様々な種族が共存する世界。多少、種族同士の問題はあるかもしれないが、それは人間だって同じ。
異国の人間を嫌う人だっている。異国の人間だから、職場を与えたくない人、恋愛や結婚を許さない人……
それにリーフェでは人外はのけ者扱いされる。シェーシアではそんなことはないのだ。だって、人間と人外なんて区別がそもそもないのだから。
そう考えれば、シェーシアは理想的な世界かもしれない。種族の違いに囚われない、壁や境界線のない世界。
(リーフェもそんな世界だったらよかったのに。いつか来るかな?
シェーシアと同じように、人間とか人外とか、そんなことが関係のない時代が……)
それはきっと難しいこと。もしも来るとしても、長い時を有するだろう。
けれど信じたい。一部の学校や施設、会社、警吏隊の特殊課といった限られた場所だけでなく、世界中で人間と人外が共に暮らしていける時代が来ることを。
種族の違いをものともしない、リヒトやルカフィルとナハトの幸せのように。
平和で幸せな世界だ。恩の理想的な世界。
(こんなに素敵な世界なのに。……ああ、壊されたくないな。こんなに幸せな世界は、壊れてほしくない)
守ってみせる。自分にできうる力で、この村を。いや、この世界を。
恩の意志はより強固なものとなっていた。どんなことがあっても守ると、固く誓う。
この先に待ち受ける、残酷な運命と真実を知らぬまま。