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Fate Spinner  作者: 甲斐日向
35/69

第33話 シェーシア

 ざわざわと胸を駆り立てる予感。

 薄暗い森の中を一人歩いていた少年は、胸に当てた手を握りしめた。

「時が来たのか……」

 この時を待っていた。長い間、ずっと。

 ようやく出会える。少年は天を仰いで笑った。






   *   *   *






「……選んだのか」

 回転椅子に座り、背もたれにもたれかかった此武は一人ごちる。

 気配で分かる。恩がシェーシアへの旅立ちを選んだことを。

 ならば辿る道は一つ。

 恩がこれから進むであろう未来を、此武は知っている。この道を辿るのであれば、役者が足りない。

(チッ。面倒だな)

 此武は壺から紫の石を取り出した。石に神力で生成した土をかけて神力を込めると、石の霊力と反応し、人の形を成す。

 千咲はゆっくりと双眸を開き、主を見下ろす。

「マスター。ご命令を」

「……別に、オレ様は貴様などいなくても構わんのだ。だが、プロットを違えるわけにはいかんからな、オレ様のために働いてもらうぞ」

「はい。すべては貴方様の仰せのままに」

「…………」

 貼り付けたような笑みで、千咲は(こうべ)を垂れる。此武はわずかに顔をしかめ、一礼する千咲を見つめた。



 帰宅した恩は、さっそくリヒトにシェーシアに行くことを伝えた。

 リヒトは驚いたが、嬉しそうに「ありがとう」と笑った。

 織枝には、急な話だがシェーシアに旅行に行くとだけ伝えた。

 少し寂しそうだったが、必ず帰ると言うと「気をつけてね」と見送ってくれた。

「シェーシアに行くには星間神殿のゲートを通るんだよな。一番近いのは……北部のクレードルの星間神殿か」

 クレードルはリーフェ北部にある大陸で、最初の人類が生まれた地として神聖視される大陸だ。そのため、あまり渡航する者はいない。

 なんでも、クレードルには古代の種族が今も残っているとかいないとか。

「楽しみだなぁ、行ったことないんだよな、クレードル。そうだ、パスポート!」

「恩さん……」

 どこかにしまっているはずのパスポートを探そうと部屋に戻ろうとした恩に、カーレンが控えめに声をかけてきた。

「何? カーレン」

「わたしは、こちらに残ります」

「えっ!!?」

 当然のように、カーレンも一緒に行くものだと思っていたので、思いがけない言葉に、恩は目を剥く。

「織枝さんを一人にしてしまうのは心配ですから」

 確かに、心身ともに弱っている織枝には心苦しいが、カーレンとは離れたくない。

「そりゃあ俺も心配だけど、俺は行かなくちゃいけないし」

 困り顔の恩に、カーレンは今言ったことを後悔した。

 恩だって織枝のそばにいたいのは分かり切っていたことなのに。

 でも、恩がシェーシアに行くことは避けられない運命。彼は宿命を紡ぐ者(フェイトスピナー)だから。

(わたしはなんてことを。恩さんは、優しい方なのに) 

 恩のそばにいると、胸が痛む。特に、依織と一緒にいる恩を見ていると。

 彼女には役目がある。宿命を紡ぐ者を支える時空神の代理として、恩を補佐すること。

 だからシェーシアに行ったら、彼女は常に行動を共にするだろう。

(依織さんは、恩さんに触れることができます。恩さんを支えることができます。でも、わたしは)

 触れることも、支えることもできない。だから、ここで待とうと思った。

 二人がそばにいるのを見たくないから。これ以上、無力さを思い知りたくないから。

(何もできません。わたしは……恩さんのそばにいない方が)

 そう思うたび、別の痛みが胸を刺す。恩と離れるのは、寂しい。離れたくない。

(ああ、わたしはどうしてしまったのでしょう?)

 この胸の痛みは、なんなのか。分からなくて、苦しい。

 胸を押さえた時だった。

「カーレンもリクワイズに選ばれてるんだから、行かなくちゃ。そうでなくても、一緒にいてほしいんだ」

 カーレンは目を瞠った。恩は照れ臭そうに顔を逸らす。

「ですが、わたしは依織さんのように、恩さんの力にはなれません。一緒にいてもお役には……」

「そんなことないよ!」

 恩が肩を掴んでくる。顔が近い。カーレンはぽっと頬を赤らめた。

 それにつられて、恩も赤面し、慌てて離れる。

「わっ、ごめんっ」

「い、いえ……」

 異性に触れられたことで、カーレンの背中から翼が現れた。

 カーレンは気恥ずかしそうに翼を撫でる。 

「あのさ、カーレンがそばにいてくれるだけで、俺は充分だよ。依織は依織、カーレンはカーレンだから」

 カーレンが恩を見る。恩は俯いているが、顔が真っ赤なのが分かる。

「は、離れたくないんだ。カーレンと。だから、一緒に……シェーシアに行ってほしい」

 カーレンはほうっとため息をついた。

 不思議だ。胸に(こご)っていたものが解けていく。

 痛みが消えていく。その代わりに、あたたかいものに満たされていく。

 彼の言葉が、胸に沁みていく。カーレンは満面の笑みを浮かべた。

「恩さんが望んで下さるなら、わたしはついていきます」

 あなたが求めてくれるのなら、それに応えます。離れたくないのは、わたしも同じですから。



 恩たちは高科FWへ向かった。恩とカーレン、リヒトと依織が高科FWにやってくると、懐かしい顔がいた。

「あっ、千咲さん!」

 デスクチェアでふんぞりがえっている此武の傍らには、千咲が佇んでいた。千咲は微笑をたたえて無言で頭を下げる。

「よかったー、もう会えないかと思ってましたよ」

「再びマスターに命を吹き込まれました。私もお供させていただきます」

「ふん、こんな奴でもいた方が勝手がいいだろう」

 千咲を創り直したということは、千咲との件は片付いたということだろうか。

(まあ、そもそも千咲さんと何かあったかどうかも分からないんだけど)

 此武は何も話さないので、一切、情報が掴めない。千咲には聞いても無駄だろうし。

(問題なくなったんなら、俺に対するよそよそしさも消えるかなぁ?)

「これでメンバーが揃ったね~。じゃあ、シェーシアに行こっか」

 リヒトの声に、恩は我に返った。いよいよシェーシアへ旅立つ時が!

「では、僭越ながらイオが時空廻廊を開かせていただきますです」

 依織が手にしている灰色の杖を両手で掲げる。

 恩はシェーシアに行くためには星間神殿を使うのだと思って、パスポートなどの準備をしようとしていたが、時空廻廊を使えばいいと依織に言われ、手ぶらで来た。

 すべての時間と空間に繋がっている時空廻廊を通れば、星間神殿を利用しなくて済む。つまり、タダ。

時空(じくう)の扉よ、呼応せよ。時空(とき)の神ジルティリードの名において、我、今ここに、時空(じくう)の扉を開け放たん」

 双五角錐柱の水晶が青白く光り、くるくると回転する。

 一行の前に銀色の扉が現れた。時空廻廊への入り口だ。

 それは時空神(ときがみ)の神殿にあったものと同じ。あそこの物よりだいぶ小さいが。

「わーっ、これが時空の扉かぁ! 伝承通りだ!」

「リヒト、落ち着けって」

 扉が開き、一行はその中へと入っていった。

 シェーシアはほとんど未知の惑星だ。もちろん、恩は行ったことなどない。

 双子星とも呼ばれるシェーシア。同じ人間界とはいえ、交流はごく一部だけであり、旅行者も移民もわずか。

 目的が目的なので、どんなところなのか不安ではあるが、わくわくしているのも確かだ。

(リーフェとはだいぶ違うって亜橲(アズサ)が言ってたよなぁ。ビルとかないらしいし)

 時空廻廊に入り、適当に歩いていく。上下も左右も分からない異空間。

 しかしどういうわけか、きちんと目的地に着くのである。

「なあ、リヒト。シェーシアの……お前の村ってどういうところなんだ?」

 歩きながら尋ねる。考えてみれば、リヒトが何者なのか、はっきり聞かされていない。

「んー、辺境にある小さな村だよ。緑がいっぱいで、近くに山も海もあるから食料も豊富だし、村人はみんな家族みたいに仲がいいんだ」

 緑豊かな村の平和な日々。それが数か月前に突然、崩された。あの怪物によって。

「隣に別の種族の村があってね、村同士で助け合って生きてきた。でも、あいつが現れてボクの村も隣の村もめちゃくちゃにされたんだ……」

 ぬわん、と空間がたわんで、時空廻廊から出た。そこに広がる光景はリーフェとはまったく違っていた。 

 青緑色の空には、白い雲だけでなく、赤や黄色など色とりどりの雲が浮かび、いくつもの球体や島、水たまりのようなものも浮かんでいる。中にはゆっくりと動いているものもあった。

 大きな鳥や龍、獣、魚までもが飛んでいて、不思議な光景である。

 恩たちが降り立った場所はどこかの丘の上らしく、遠くの眼下に町などが見えた。

 亜橲の言っていた通り、ビルらしきものはない。大きな建物は城くらいだ。

 緑豊かで、風も澄んでいる。彼方に見える山々は、緑が生い茂る山もあれば、雪景色の山も見える。

 季節で言えば、ここは春か夏の気候のようだ。冬着なので少しばかり暑い。

「おおー、綺麗なところだなぁ」

「風が気持ちいいですー」

「ここはビルクワ国。あそこに見えるのが首都だよ。ボクの村、美守(ヒダノモリ)は丘を降りた川の向こうだから」

 リヒトが指差す。その顔はどこか沈んでいた。

 この一見、平和そうに見える国なのに、リヒトの村は脅威にさらされているのか。

 リヒトは多くを語ろうとはしなかった。詳しくは村に着いてから話す、と。恩は気を引き締めた。



 村は想像していたより綺麗だった。ところどころ家が崩れていたりするが、それ以外は普通だ。 

 襲われたというから、もっと廃村のような状態を想像していたのだが。

 村に入ると、村人らしき少女がリヒトの姿を見つけて、手にしていた野菜かごを落とした。

「!! リヒトさま!」

 その声を聞きつけて、他の村人たちも振り返った。

「え、リヒト君?」

「リヒトさんだぁ!」

「リヒトが帰ってきたわ!」

 他の村人たちも、リヒトに気づいて群がってくる。

 みんな、リヒトと同じく尖った耳に、背中には黒い羽。

 しかし気になるのは全員、女性だということ。

(な、なんで女の人ばっかり?)

 年齢はバラバラだが、子供も大人も女性しかいない。

 目を丸くする恩。リヒトは駆け寄ってくる村人たちを抱き留める。

「みんな、ただいま! 遅くなってごめんね~」

「もうー、ほんとよ。心配したんだから!」

「何かあったんじゃないかって村中、気が気じゃなかったよ。無事でよかったねぇ」

「あんまり遅いから、リクワイズ探すの忘れてるんじゃないかと思ったよね」

「リヒト兄ちゃん、あの人たちがリクワイズ?」

 幼い子供が恩たちを指差す。村人たちが恩たちに注目する。

「うん、そうだよ。時間かかったけどちゃんと見つけて……」

「リヒト―――――っ!!」

 どこからか激しい怒号が聞こえてくる。

 声に聞き覚えがあり、リヒトは村人たちの後ろを覗き込み、ぶんぶんと手を振る。

「あっ、ルカちゃーん」

 一人の女性がこちらに向かって走ってくる。

 十代後半だろうか。常盤色の短い髪、空色の眼、黄色のバンダナ、手にした長弓。

 それは別にいいのだが、肌はラベンダー色で、人間で言う耳の部分からはミントグリーンの羽が生えている。

 知らない種族だが、恩には見覚えがあった。

 そう、あの夢の中に出てきた女性――は、慌てて道を開ける村人たちの間を駆け抜け、リヒトをぶん殴った。

 突然の事態に、恩はぎょっとした。

「このバカ! 連絡ぐらいよこしなさいよ!

 さっき、やっと連絡してきたかと思えば、今帰ったよーなんてのんきなこと言って!」

 肩を怒らせて怒鳴る女性に、リヒトは頬を手で押さえつつも、へらへらっと笑う。

「いたた……だってルカちゃん、何度もしつこいっていつも言ってるじゃない」

「時と場合を考えろってのよ、バカっ!」

 女性はため息をついて、恩たちに顔を向ける。

「で、この人たち? あんたが見つけたリクワイズは」

 女性は一行をぐるりと見回し、恩に目を留めて眉をひそめた。

 しかし何も言わず、女性は踵を返した。

「まあいいわ。とにかくうちに行きましょ。ナハトが待ってるんだから」

 何か発言する前に、女性はすたすたと去っていく。

 リヒトも村人もさして気にしていない様子なので、珍しい光景ではないらしい。

「リヒトさん、大丈夫ですか?」

「ありがと、レンちゃん。大丈夫」

 ひらひらと手を振り、リヒトは恩たちを促す。

「なあ、リヒト。なんでこの村、女の人しかいないんだ?」

「ああ、ボクたちの一族はね、森羅女(シンラメ)って言って女しか生まれないんだ」

「え!? でもお前は男……だよな?」

 まさか、実は女だとかいうのでは。

「そうだよ~。男も一応生まれるんだけど、森羅女の男は滅多に生まれないから希少なんだ。ボク以外にはあと一人しかいない」

 そうなのか。よかったようなよくないような。シェーシアではそういう種族もいるんだな。

「さっきの人はリーちゃんのお友達ですか?」

 依織が尋ねると、リヒトは笑って、服のポケットから鈴を出した。

「うん、ルカフィルって言うの。大事な友達でもあり、家族だよ。離れてる時はね、いつもこれで連絡するんだ」

「鈴?」

「これは(たま)呼びの鈴っていう魔宝具(ロゼアス)でね、自分の魔力を込めて相手に渡す。

 念を込めると鳴るんだけど、少しだけなら意志も伝えられるんだ。

 どんなに遠く離れていても、相手が生きてさえいれば通じ合うことができるんだよ」

 大切な人同士で持つことが多い魔宝具(ロゼアス)。特に家族や恋人同士。

 リヒトは先を行くルカフィルの背中を見る。

「ルカちゃんとは幼馴染で、昔からよく世話になってるんだ。

 あ、ルカちゃんはこの村の住民じゃないよ。隣の村の住民。今はボクのお姉ちゃんと一緒に暮らしてるんだ」

 リヒトに姉がいたなんて初耳だ。ルカフィルが一軒の小さな家に入っていく。木製の家で二階建てだ。

「引っ越してきたのか?」

「引っ越してきたと言えばそうなんだけど、二人は……」

 続けようとして、リヒトは家から出てきた薄群青色の髪の女性を見て言葉を切った。

「リヒト~」

「お姉ちゃん!」

 リヒトが女性に向かって駆け出す。女性に抱きつき、その体を抱き上げた。

「ただいま、お姉ちゃん!」

「おかえりなさい、リヒト。元気そうでよかったわ」

 ぎゅうっと抱き合う姉弟。顔立ちはあまり似ていないが、薄群青色の髪と蜜柑色の眼はリヒトと同じだ。

「ちゃんと連れてきたよ、リクワイズ。これでもう村は大丈夫だから」

「あら、じゃあ挨拶しないと。リヒト、下ろしてちょうだい」

「ナハト、挨拶はせめて家に入ってからにしなさい。あなた、体弱いんだから」

 ルカフィルが心配そうに声をかける。ナハトはルカフィルを振り返って困ったように微笑む。

「ルカは心配性ね。大丈夫よ、最近、調子がいいもの」

「油断は禁物。そうでなくても相手はお客様なんだから、こんなところで長話するわけにはいかないでしょ」

「それもそうね。皆さん、挨拶は後ほど。中へどうぞ」

 促されて、恩たちは家の中に入る。家具はすべて木製で、家の中には鉢植えの植物がたくさん並べられていた。

 電気製品らしきものはなく、明かりは天井に浮いている球体から発せられていた。あれも魔宝具(ロゼアス)の一種かもしれない。

 椅子をすすめられ、此武と千咲以外が椅子に座った。ルカフィルが人数分のお茶を用意する。

「改めて紹介するね。ボクが見つけたリクワイズ。

 こっちがめぐ様とレンちゃんとイオちゃん。あっちがコノ様とサキちゃんだよ」

「あ、初めまして、高天 恩です」

「カーレンと申します。よろしくお願いします」

「依織です。よろしくなのです」

 三人はルカフィルたちに挨拶をするが、此武は珍しく素の方なのか、腕組みをして壁に寄りかかり、無言である。千咲は言うまでもない。

「ナハトです。この度は私たちの村のためにありがとうございます」

 深々と頭を下げるナハト。自由奔放なリヒトの姉とは思えない、落ち着きのある美女だ。

「で、ルカちゃんはお姉ちゃんの奥さんね」

「「え??」」

 恩と依織の声がハモる。今、なんて? 

「さっき、一緒に暮らしてるって言ったでしょ? あれは二人が結婚してるからなんだよ」

「「えええっ!?」」

 まさか夫婦だったとは! いや、女同士の場合はなんと言えばいいのだろうか? 

「でも女の人同士、ですよね?」

 ルカフィルはお茶を並べると、自分の席についてくつろぐ。

 お茶を飲みながら、信じられないと言う顔をしている恩を、半眼で見る。

「そうよ。リーフェでは女同士で婚姻を結ぶことはないの?」

「あ、あまり聞いたことはないです」

 同性の恋人同士はいるらしいが、結婚した人までは知らない。

 藍泉では一応、同性での結婚も認められているらしいが、少なくとも身近にはいない。

「シェーシアではどの国も、同性での婚姻や異種族との婚姻が認められているし、当たり前なの」

 どこかの村だか一族では、血族のみで婚姻を結ぶ場合もあるらしい。

「まあそういうわけで、ルカちゃんはボクの友達であり、大事な家族の一員ってわけ」

「顔合わせは済んだか」

 ここに来て初めて此武が口を開く。ルカフィルとナハトは不思議そうな顔で此武を見やった。

「オレ様たちはそこの青頭の依頼でわざわざここまでやってきた。詳しい話は村で話すと言うから黙っていたが、いい加減話せ」

 此武の言うことももっともだ。まだ詳しいいきさつを聞いていないのだ。怪物のことも。神妙な顔でリヒトが頷いた。

「そうだね……あれは一か月くらい前のことだよ」

 リヒトは目を閉じて思い返す。まだ平和だったあの頃を。



 約一か月前。村では喜ばしいニュースで持ちきりだった。

『ねぇ、聞いた? ナハトがついに結婚するって!』

『知ってる知ってる。長かったわよねー』

『あー、ルカフィルさんがとうとうナハトさんの物になっちゃうのかぁ』

 少女たちが集まっておしゃべりをしている。

 ルカフィルは隣村の住人で、ラルク族の女性だ。ナハトとは幼馴染でよく遊びに来ていた。

 弓矢の名手で、ナハトの弟であるリヒトと狩りをすることもあった。

 多少きつい物言いをするが世話焼きで、困っている人には手を貸さずにいられない性分だったので、村人たちから慕われていた。

 森羅女族は女しか生まれない種族。もちろん男性に恋をする者もいるが、女性に恋をする者が多かった。

『ところで、リヒトくんの方はどうなの? 琴音(コトネ)、家に通ってるんでしょ?』

『うーん、それがさあ、聞いた話だとまだ交わってないみたい』

『ええっ? 通い始めてからもう二週間くらいになるんじゃないの?』

『フェリシアさんと藍那(アイナ)さんもまだだって……』

『由々しき事態だよね! 鈴樹(スズキ)さん以来の男だって言うのにぃ』

 女しか生まれない森羅女にとって、男の誕生は貴重で、子孫を残すために重宝される。

 いずれはリヒトも鈴樹のようにたくさんの妻を迎えることになる、はずだが。

『このままリヒトとの間に子が作れなかったら、鈴樹さんに頑張ってもらうしかないわよね。でなきゃ、森羅女の血は絶えるわ』

 もはや純血の森羅女はこの村にしかいない。村にいる森羅女の数は50人足らず。

 鈴樹はもうだいぶ年なので、若いリヒトに期待が集まっている。

『うーん、夜這いかけちゃう?』

『あ、賛成~』

『えーっ!?』

『やだ、恥ずかしい!』

 少女たちが談笑しているところへリヒトがやってきた。ひょこっと覗き込む。

『何が恥ずかしいの~?』

『きゃーっ!?』

『リ、リヒトさん!』

 話題の相手が突然現れたので、少女たちは驚いて悲鳴を上げる。

 そのうちの一人がリヒトに指を突きつけた。 

『あ、君ねぇ、琴音さんたちとはどうなってるのよ』 

『えー? どうって言われても……なんにもないよ』

『はぁ~……リヒト君、あなたも分かってるわよね? 一族の現状は』

『……分かってるけど……』

 リヒトの表情が暗くなる。数の減った森羅女。

 子孫を残すため、森羅女の血を絶やさないために、リヒトと交わって子をなすことは一族の悲願。

 村の女たちはそれをわきまえていて、リヒトと交わることに抵抗はない。

 リヒトも幼い時から親や村長に言い聞かされてきた。

 村の女たちと子を成し、森羅女の血を守れ。

 多くの森羅女と交わり、子孫を増やすことがお前の役目である、と。

 昔は可愛がられることが素直にうれしかったし、大事にされるのも、自分の役目も当然だと思ってそのための努力はしてきた、つもりだった。

 けれどリヒトが成長するにつれて、村の女たちはリヒトと交わることだけを考えるようになっていた。

 そのために可愛がり、媚び、時には実力行使に及んでくる者も。それでふと考えた。

 自分は一族の血を絶やさないための、ただの道具でしかないのか。

 自分にはそれだけの価値しかないのだろうかと。

 貴重な『男』だから大事にされる。可愛がられて、愛される。

 それが無性に悲しくて、ひそやかな反抗としていまだに誰とも交わっていない。

『……ボクは道具じゃない』

『え?』

 聞こえるか聞こえないかくらいの、小さくか細い声で呟き、リヒトは少女たちのそばを離れようとした。その時だった。

 禍々しい魔力がどこからか近づいてくる。

 リヒトたちが辺りに視線を走らせると、轟音が鳴り響き、近くの家が破壊された。

『うわっ』

『きゃあああっ!』

 土煙の中から現れたのは巨大な魔獣。

 黒い猪のような顔、鋭い爪が光る太い四肢、棘が全身を覆い、尾の先は鉤爪のようになっている。

『な、何!?』

 魔獣は天に向かって雄たけびを上げ、リヒトたちに向かって突進してきた。


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