第32話 リクワイズ
「めぐ様の命、ボクにちょうだい」
リヒトの言葉と蜜柑色の眼が、恩の胸に突き刺さった。恩はグッと表情を引きしめ、戦闘態勢を取る。
「命って……やっぱりお前、靁雯の手先だったのか!?」
「手先? なんのこと?」
リヒトが不思議そうな顔をする。かあっと恩の頭に血が上る。
「とぼけるな! 初めて会った時から怪しいと思ってたんだ。油断させて殺そうって魂胆だったんだな!」
「ちょ、ちょっと待って、めぐ様」
ケイオスフォズマを構える恩に、焦った表情のリヒトが両手で制するが、恩は聞いていない。
長棍を振り上げ、リヒトに襲いかかる。
「お前が強くたって、そう簡単にはやられないからな!」
「だからめぐ様ってばぁぁぁぁっ」
ピキィィィンッ。
固い音が響き、恩の腕がケイオスフォズマと一緒に凍りつく。
「やかましい。甲高い声で喚くな」
「冷たぁっ。何するんだよ、此武!」
「青頭の話を最後まで聞け」
ぎろりと睨みつけられ、恩はおとなしくなった。涙目だったリヒトはほっと胸を撫で下ろした。
「仕方ないから話聞くよ。その前にこの氷なんとかしてくれ!」
「炎で溶かしましょう。恩さん、手を出して下さい」
カーレンが魔法術で火を出し、氷を溶かした。
詳しい話を聞くことになり、高科FWに戻ってきた一行。まだ手がジンジンしていて、恩はソファーに座ってむくれている。
「えーっと、あのね、めぐ様。きちんと話すからね、もうそんな顔しないでよ~」
「はいはい、ちゃんと聞きますよー。だから早く話して下さーい」
「拗ねちゃって……んーと、ボクはある目的でシェーシアからリーフェに来たんだけど、その目的っていうのはリクワイズを探すためなんだ。
リクワイズは僕の住んでる村の言葉で『救いをもたらす者』って意味でね、ボクの村はずっと前からある怪物に襲われている」
真面目な顔で話し始めたので、恩も表情を戻した。本当に靁雯とは関係がないらしい。
「今まではなんとか村の住民たちで退けてきたけど、死者が出るようになって手に負えなくなってきた。
他の村や国の軍に救援を求めたけど、他の村の住民は怪物を恐れて手を貸してくれないし、軍隊にも、ボクたちの村が辺境にあることで相手にされなかった」
今も村の仲間たちは怪物に怯える暮らしをしているのだろう。村の戦士が怪物を押さえてはいるだろうけれど。
「このままじゃ村は滅ぼされる。打つ手がなくて絶望していた時に、神託が下った。リーフェにてリクワイズを探し求めよ、と」
恩とカーレンが目を丸くする。リヒトはにこっと笑って続けた。
「それでリーフェのいろんな国を回って探したよ。でもこれだって思える人が見つからなくてね。で、あの夜めぐ様たちと出会ったってわけ」
探し歩くのに疲れていたのもあって、気に入ったからと適当なことを言って恩のもとに転がり込んだが、高科FWで働いていて確信した。
この人たちが神託にあったリクワイズだと。彼らとの出会いは偶然じゃなかった。
「二人と暮らしてきて、ずっと見てた。二人には強い力と絆がある。きっと、ボクたちを助けてくれるって、信じられる」
「さっきの命をちょうだい、ってのはなんだったんだよ?」
「あー、あれは命を預けてって言おうとして間違えちゃったの」
「紛らわしい間違え方するなよ!」
テヘッと笑うリヒト。おかげでとんだ早とちりをしてしまった。
「ったく……で? そのリクワイズって……俺と、カーレン?」
「あと、コノ様とサキちゃんかな。戦力は多いに越したことはないから」
ドキッとして恩がちらりと此武を横目で見る。此武は腕組みをして、デスクチェアーで仏頂面をしている。
ここのところ、ずっとあんな顔ばかりだ。千咲の姿を見なくなった日から、此武が笑ったところを見ていない。
(元々あーいう顔つきであんまり笑わないし、笑っても悪の手先みたいな笑い方だけどさ……ずっと不機嫌な顔してる)
もう一つ、気になっていることがある。些細なことかもしれないが。
(それに……あれから此武、俺のこと名前で呼んでない、気がする)
ちょうどその頃から、此武は恩のことを名前で呼ばなくなった。
下僕とか愚図とか赤木偶とか、まともな呼び方をされていない。
そうなって今更ながら気づいたが、此武は自分と千咲以外を名前で呼ぶことがないのだ。
カーレンに対しても『天帝の娘』だし、リヒトは『青頭』だし、陽向に至っては『糞狐』だ。
だから、少しだけ特別な気がしていた。名前を呼んでくれるのは、彼なりの情があるサインだと。
けれども、今はどんな時でも呼ばない。理解して、支えようと決意した矢先なのに、揺らいでしまいそうになる。
「お願い、みんな。ボクと一緒にシェーシアに行って。そしてリクワイズとして、ボクの村を救ってほしい」
リヒトが頭を下げた。いきなりそんなことを言われても困る。
力になってあげたいのはやまやまだが、織が家を出て行ってから、体を壊しがちな織枝を一人にするのは心配だし、靁雯のこともある。
此武と千咲のことも気がかりだし……そう簡単に首を縦には振れない。
「とうとう時が来たですね」
恩が躊躇していると、頭上から声が降ってきた。ふわりと空間から少女が下りてくる。
「えっ、依織!?」
「みなさん、こんにちはです」
屈託のない笑みを浮かべる依織。恩は依織がローブを着ていないことに驚いた。それに、服の色合いが自分の証服と似ているような?
「宿命の刻が来ました。時空を管理しているジルさまに代わり、しばらく一緒にいますです」
「宿命の刻って……じゃあ、これはプロットに関係しているの?」
「そうです。めーちゃんのお仕事ですよ」
杖を持った手を後ろで組んで、依織はリヒトに目を向けた。
「あなたとは初めましてですね。わたしは依織と言うです。時空神ジルティリードさまにお仕えしているですよ」
「ジルティリードに仕えてるって、神使ってこと?」
「少しちがうですけど、そういうものだと思って下さいです」
にっこり笑う依織に、リヒトは目を輝かせてソファーから立ち上がった。
「時空神って実在してたんだ! ほとんど幻に近い存在なのに! あっ、あの! 握手してもらっていいですか!?」
「イオと、ですか?」
「お願いしまっす!!」
ひゅばっ、と手を差し出すリヒト。依織は逡巡したのちに握手をする。
リヒトは興奮気味にガッツポーズをした。
リアウィス様たちの時といい、リヒトは神族に異常反応をするなぁ。
「めーちゃん、選択して下さいです。これは、めーちゃんの宿命ですから」
「う……とは言われても……」
「今すぐに結論は出さなくていいよ。そうだな、二日。あと二日だけ待つよ。居心地がよくて長居しちゃってたけど、もう帰らないと。
めぐ様がどんな結論を出すとしても、二日後にボクはシェーシアに帰るから」
しんみりとした顔でリヒトは笑みを浮かべた。
期限は二日。それまでに結論を出さなくては。恩はきゅっと唇を横に引き結んだ。
その夜、恩は夢を見た。
ほとんどがシルエット状態で、昼なのか夜なのか、景色も人もよく見えない。
リヒトが何かと戦っている。恠妖だろうか? 依織とカーレンは防御壁の中にいて、たぶん自分を見つめている。
自分と言えば、何かに対してケイオスフォズマを構えている。
その隣には変わった肌の色の女性が立っていて、自分と女性が見つめている先には、闇夜に溶ける黒髪の人影、暗闇の中で妖しく光る紅い目。
夢の中の自分が、その人物を見て愕然としている。ああ、その顔は……
「……っ!!」
布団の上でがばっと跳び起きた。この感じは覚えがある。
リヒトが来た日の夜、あの時の夢と同じ。ならばこれは宿命を紡ぐ者の予知夢か。
「あれは……シェーシアでの出来事なのかな?」
あの時は、夢とまったく同じ体験をした。もしもこの夢も、正夢になるのなら。
「てことは、俺はシェーシアに行くってこと?」
いや、周りの景色は何も分からなかった。シェーシアとは限らない。
しかし、そばにいた女性。あんな姿の女性はリーフェでは見たことはない。
助けを求められたのだから、できればリヒトに応えてやりたいが、なぜこのタイミングなのか。心配事が重なっているこの時に。
いまいち踏ん切りがつかない恩は、大きくため息をついた。
モヤモヤが晴れない恩はふと思い出して、太陽の家に行くことにした。暁緋に龍祀の日のお礼をするためだ。
今でなくてもいいかもしれないが、気分転換にもなるし、もしシェーシアに行くことになったらいつ渡せるか分からない。
カーレンと一緒に家を出ると、家の前に依織が立っていた。
「あれ? 依織!?」
「こんにちはなのです」
依織は昨日の服とは違い、セーラー服を着ていた。どこかの学校の制服だろうか?
「どうしてここに?」
「昨日言ったですよね。しばらく一緒にいるですって」
「そうだけど……それって仕事の時だけじゃないの?」
「ちがうですよ~。これからしばらく、めーちゃんの行くところにはついていくですからね?」
人差し指を立ててウインクする依織。
「それよりめーちゃん。他に何か言うことはないですか?」
「え? えーと……その服……」
後ろで手を組み、期待した目で言葉の続きを待つ依織。
カーレンも隣でじっと見つめてくるので、なんだか恥ずかしくなってきた。
「……どこの学校の制服?」
依織が目を点にする。あきらめたようにため息をつくと、依織はくるっと恩に背を向けた。
「これは制服ではないのです。こういう服なのですよっ。……もう、めーちゃんたら鈍いのです」
最後だけは小声でぽそりと呟く。依織が機嫌を損ねた理由が分からず、恩は首を傾げた。
太陽の家に来るのは久し振りだ。子供たちは元気だろうか。
門のところから庭を覗くと、子供たちが雪遊びをしている。
雪だるまを作っていた子たちが、恩に気づいた。
「あーっ、恩兄ちゃんだー!」
「えー? ほんとだ~っ」
「カーレンおねえちゃんもいるー」
「恩おにいちゃーんっ」
「知らない子もいっしょにいるよ~」
駆け寄ってくる子供たちに、恩は尋ねる。
「みんな、今、暁緋いる?」
「いるよー」
「恩おにいちゃん、また暁緋ちゃんに会いに来たの?」
「そりゃそうだよ。恩兄ちゃん、暁緋とラブラブだもんなー」
「ラブラブだもんねぇ」
無邪気な笑顔で笑う子供たち。依織が「ラブラブってどういうことですか?」と恩に尋ねる。心なしか目が据わっているような。
「ちょっと、みんな! 別にそんなんじゃ……依織、なんか怒ってる?」
「怒ってないのです。聞いてるだけなのです」
「目が笑ってないんですけどっ」
と、そこへ当の本人が出てきた。
「みんなどこに行ったのかと思えば……って高天!?」
「あ! 暁緋。こんにちは」
笑いかけると、暁緋は顔を赤くしたが、カーレンと依織の姿に気づくと、少しだけ眉をひそめた。
「カーレンも来てたんだ。そっちの子、誰?」
暁緋は近づいてくると、依織を半眼で睨んだ。依織は暁緋の視線に敵意がこもっているのを察し、満面の笑みを浮かべた。
「初めまして、皇斐依織なのです。めーちゃんとは親しいお友達なのですよ」
「……桜場暁緋よ。また女の子の知り合いなのね。高天って女の子の知り合い多いよねー」
「知り合いではなく親しいお友達です。とっても仲良し(・・・・・・・)なのですよ?」
「こっちだってねぇ、こうしてわざわざ会いに来てくれるほどの仲だから」
バチバチッと二人の間で見えない火花が散った。
恩は自分が原因だということは分かっていないが、二人が何かに対して敵意を燃やし合っているのは分かった。なんとかしなくては。
カーレンに至っては二人の空気にすら気づいていない。
「あの~、二人ともちょっと落ち着いて。暁緋、今日は龍祀の日のお礼を渡しに来たんだよ」
「龍祀の? 別にいいのに」
暁緋は照れ臭そうに視線を逸らした。恩が数枚の券を差し出す。受け取ってみると商品券だった。
「五千イェル分あるから好きに使って」
「はぁ、物よりお金? まあいいけど。これなら子供たちも使えるし。ありがと」
機嫌が直ったみたいなのでほっとする。暁緋と依織の目が合い、暁緋が少しだけ得意げな顔をして依織がむくれた。
また空気がピリリとし始めたので、恩は早々にその場を退散することにした。
帰り道、依織はずっと無言だった。聞くべきか否か。
こういった空気は初めてなので、どう対処すればいいのか分からない。
(女の子って難しいなぁ。幸緒やまひろはこういうことにはならないんだけど)
なぜこうなったのか見当もつかない。
「……めーちゃんは」
小さな声で依織がやっと口を開いた。恩が依織に目をやると、依織は拗ねた子供のような顔をしていた。
「さっきの子に、龍祀の日に何か渡したですか?」
「う、うん」
「レンちゃんももらったですか?」
「はい、いただきました」
悪気のない笑顔で返すカーレン。依織はキッ、と恩を睨みつけた。怒ってはいるが、幼い顔立ちのせいかあまり怖くない。
「レンちゃんにもあの子にも渡して……イオの分はなかったです」
「! えーと、それは……」
正直な話、忘れていた。
「ずるいのです。イオだってめーちゃんから何かもらいたかったです」
神殿から出られたのなら、自分から贈り物をしたかったけれど。
「ご、ごめん。あの時はちょっといろいろあって……」
「むぅ。しょうがないのです。次を待つことにするです」
にこっと破顔する依織。つんっと恩の頬を指でつつき、くすっと笑う。
「今度は忘れちゃ、めっ、ですよ?」
「……」
表情としぐさにやられ、恩はかぁーっと赤面する。
手で顔を半分隠し、そらした。依織ってこんないたずらっ子みたいな子だっけ?
「イオにはまだ時間があるですから。使命を終えるまで、イオはめーちゃんとずっと一緒ですからね」
はっとして恩は顔を上げた。浮かれている場合ではない。早く結論を出さなくては。
カーレンは不思議そうな表情で、恩と依織を交互に見つめていた。
なんだか以前よりも二人の距離が近いような気がして、なぜかチクリと心が痛んだ。依織が恩のそばにいるのを見ると、小さな胸の痛みを感じる。
「めーちゃん。めーちゃんは今、何を迷ってるですか?」
「え? リヒトの村の人たちを助けに行くか、その話を断るか……」
「やっぱりです。めーちゃんは間違ったことで悩んでるですよ」
「間違ったこと?」
選択しろ、というのはそういう意味ではなかったのだろうか?
依織は真剣な顔で恩と正面から向き合った。依織の妙な威圧感に、自然と背筋が伸びる。
「イオは『これはめーちゃんの宿命』と言ったです。
宿命を紡ぐ者である恩の宿命。やるべきことはもう決まっているのです」
宿命とは定められた運命。すでに決められた、変わらぬ未来だ。
「めーちゃんが今することは、助けるか助けないか、そのどちらの道を選ぶのかではなく、宿命を紡ぐ者として、この宿命へと進むか進まないか、です」
「進むか進まないか……?」
それは助けるか助けないか、とは違うのか? 恩はさっぱりわからない、といった顔で首を傾げた。
「めーちゃん、これからも勘違いしないでほしいです。宿命を紡ぐ者にはすでにやることは決まっているです。
プロットにおいて宿命を紡ぐ者がすることは、フェイトパースを宿命の刻に、宿命通りに運命を導き、終焉の刻を見届けることです」
人生は道。一人の人間につき、一本の道しかない。
しかし、フェイトパースには、本人が知り得ることはないが、数本の道が用意されている。
宿命を紡ぐ者は、そのいくつかの道から一本だけを選び、導いていくことが役目。
宿命の刻とは、この選択をする時のこと。つまり人生の分岐点だ。
「今がその、最初の宿命の刻なのです。
宿命を紡ぐ者の最初のお仕事で、この選択が今後の全てを決めるのです」
ドクン。
唐突に鼓動が高鳴る。最初の宿命の刻。この選択が、全てを決める。
宿命を紡ぐ者は恩にしかできない。恩がやらねばならないこと。
選択の余地などない。産まれた瞬間から、恩は宿命を紡ぐ者として生きることが決まっていた。
そして今、宿命を紡ぐ者として選ばなくてはいけない。
「“藍泉歴2015年の冬、シェーシアに旅立つ”こと。そのための理由はなんであれ、決定事項なのです。
ですから、“シェーシアに旅立つ”という宿命に従うか抗うか……それを選択してほしいのですよ」
「リヒトの件があってもなくても、この時期にシェーシアに行くことは決まってたってこと……?」
ごくり……と唾を飲み込む。単純なことだ。
シェーシアに行くか行かないか。たったそれだけのこと。
ん? けれど、シェーシアに旅立つことが決定事項なら、つまり選択肢は一つではないのか?
混乱している恩に、依織はにこっと笑った。
「確かに、めーちゃんがシェーシアに行くという未来は決まってます。
でも、拒否することはできるですよ。それをできるのが、宿命を紡ぐ者ですから。
普通の人間なら、あらかじめ決まっている未来に、否応なしに進みます。本人がどんなに迷っても、悩んでも、その行為すらも決められた道筋ですから」
今、恩の前に示されているのは、“シェーシアに旅立つ”という一つの選択肢。
普通の人間であれば、この選択肢しか選べないということ。
けれど、宿命を紡ぐ者である恩には第二の選択肢が与えられているわけだ。
すなわち、“シェーシアに旅立たない”という選択肢。
「ただし、そうするとプロットは永久に進まないのです。進むべき道に進むまで、同じ時間を繰り返すことになるですよ。
簡単に言えば、セーブしたゲームを最初からやり直すようなものですね」
「ええっ?」
依織は笑顔で言っているが、それはとどのつまり、シェーシアに行くしかないということでは?
(俺がシェーシアに行くことはもう決まってて、でも、俺はそれを拒否することはできて、でも拒否したらふりだしに戻って最初からやり直し?
えええ? それってさぁ)
「これ、俺に拒否権あるようでなくない?」
「そうですね」
そうですねって……この問答は果たして意味があったのか? 恩は渋い顔をした。
依織はにこにこ笑っている。さっきの妙な威圧感はなんだったのか。
プロット通りの道を選ばない限り、ループする時間。
ほとんど強制じゃないか。ため息をつく恩。
「分かった。シェーシアに行こう。リヒトにもそう言わないとな。早く帰ろう、カーレン」
「はい」
「イオもおうちにお邪魔していいですか?」
「うん」
足早に歩き出して、恩は天を仰いだ。
(依織が選択しろっていうから、いろいろ悩んだのに。初めからシェーシアに行くのが決まってたんなら、悩む必要なかったなー。
選択肢があるようでなかったわけだろ? なんで依織、わざわざ選択しろなんて言ったのかな?)
思えば、依織についてはいまだによく分からないことが多い。
いつから守人になっているのか。
なぜ宿命の刻にしか、時空神の神殿から出られないのか。
宿命を紡ぐ者の役目に関しても、自分よりもいろいろと知っているようだ。
(ジルティリード様から聞いて知ってるんだろうけど、本人である俺より知ってるなんて、まるで一度経験してるような……)
一瞬、そんな考えがよぎったが、そんなわけないかとすぐに打ち消し、それ以上は深く考えなかった。
理由はなんであれ、初めてのシェーシアだ。少しだけワクワクしていた。
彼は気づいていない。
彼女が、そう言った意味を。あえて示したその言葉の真意を。
前を行く恩の背中を、依織は泣きそうな表情で見つめていた。
(イオは、ちゃんと笑えていたでしょうか? めーちゃんは、気づいたでしょうか?)
さっきの言葉に潜ませた、この世界の真実に。
宿命を紡ぐ者の隠された宿命に。
言わなくてもいいことだった。いずれはおのずと知るかもしれないから。
でも、あえて口にしたのは。
(イオはもう、繰り返したくないのです)
あの悲劇を見たくないから。