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Fate Spinner  作者: 甲斐日向
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第3話 宿命(さだめ)の歯車

「私がこの館で暮らし始めたのはひと月ほど前です」

 依頼者の小室井(こむろい)は、応接間で三人にお茶を出して、ソファーに腰掛けてから語り始めた。

「五年前に前の持ち主であった父が病死したのですが、遺品を片づけていたら私宛の古い遺言が出てきましてね。

 そこにこの館を私に託す、とあったんです。館の存在はその時初めて知りました」

「依頼には奇妙なことが起こる……とありましたね。詳しく聞かせてもらえますか?」

 出されたお茶を飲み、此武はまるで別人のような柔らかな物腰で尋ねた。

「はい。館に来たばかりはこれといって何もなかったんですが……一週間ほど経った頃、誰かが廊下を走っていくような足音がしたんです。

 この館には私一人しか住んでいないので、おや? と思いました」

「足音……ですか」

 此武はあごに手を当て、何事か考える素振りを見せる。実際には何も考えていないだろうが。

「その日はそれ以外何もなかったので、私の気のせいだと思ったんですが……次の日も同じことが起こりました。それも同じ時間に。

 足音は三日間続き、それ以外にも食器がいつの間にか割れていたり、夜中に花火が破裂するような音が聞こえたり、目の前で家具が動いたり宙に浮いたりしました。この足の怪我は、動いた家具がぶつかったんです」

 怪我をした右足に視線を落とす小室井。

「現象は毎日ですか? 日に何度も起きたりは?」

「そうですね、一日に一、二回程度ですが、毎日なので夜はろくに眠れませんし、最近では声も聞こえてくるんです」

「声?」

 小室井はうなだれて声を震わせた。

「『出ていけ』と。子供のような声で、何度も何度も」

「遺言はまぎれもなくお父さんのものだったんですか?」

「筆跡鑑定もしたので間違いありませんよ」

「では、イタズラということではありませんね。お話を聞く限り――ここにはあなた以外に見えざる住人がいるようだ」

 此武がちらっと、隣でお茶を飲んでいる恩を見た。

「恩君、気をつけた方がいいですよ」

「へ?」

 その時、恩のカップがカタカタと小刻みに震え始める。 

「!? なんだっ?」

「現れたようですね、見えざる住人が」

 此武の言葉と同時に、恩の持っていたカップが宙に飛び上がる。

 零れ落ちてきたお茶を恩は慌ててよけた。

「うわっとー!」

 一斉に家具が動き出し、すさまじい破裂音が鳴り響く。

 ライトが明滅し、どたどたと廊下を走る音、人のすすり泣くような声。今までよりひどい怪現象に、小室井は蒼い顔で頭を抱えた。

 此武たちが座っていたソファーも震え出したので、全員が部屋の隅に退避する。

「随分とお怒りのようですね、見えざる住人は」

「な、なんとかして下さい!」

「もちろん。それが我々の仕事ですからね。千咲、恩君。とりあえずこれを鎮めて下さい」

「承知しました」  

「はいはーい」

 千咲はガタガタ動くソファーに無造作に近づいていき、なんと素手でそのソファーを押さえ込んだ。完全に押さえ込まれたソファーは身動きできない。

 その間に恩がカバンから紙の札を出す。表面には墨で『祓』の文字が描かれていた。

 それをソファーに貼ると、じゅわっと蒸発するように札が消えた。同時にソファーも鎮静する。

 物質に対してはその繰り返しで鎮静させていく二人。此武は壁際に立って腕組みをし、不敵な笑みを浮かべているだけだ。

 家具やライトはすべて鎮静されたが、廊下を走る音や破裂音、すすり泣く声はいまだ聞こえてくる。

「ふむ。往生際が悪いですね」

 呟いた此武は部屋の中央まで行くと立ち止まり、瞑目すると、

「――たかが人間霊ごときがオレ様に盾突くな」

 本性に戻り、低い声で言うとその体から強い気が迸った。

〈ぎゃああああっ!〉

 音がやみ、代わりにどこからか絶叫が轟く。苦しげな子供の声。小室井は真っ青な顔で震えていた。

 千咲が仮面のような笑みを浮かべたまま此武に近寄り、恩は大音声に耳を押さえた。

「姿を見せろ。身の程知らずめ」

 双眸を開いた此武が気を強めると、空中からオーバーオールを着た、十歳くらいの子供が落ちてきた。だがその姿はうっすらと透けている。

 子供の霊は自分で自分を抱きしめるようにして、苦しそうに床にうずくまった。

「う……うう……」

「君がこれまでの怪現象を起こしていた張本人ですね?」

 にっこりと笑顔で此武は子供霊に近づく。子供霊は恨めしげに此武を見上げた。

「なぜこんなことを? 君は彼に恨みでもあるんですか?」

「……てけ……出ていけ……っ」

 此武はふう、と小さくため息をつき、肩をすくめた。

「言葉が通じないんでしょうか? 質問に、答えなさい!!」

 がつんっ、と此武が子供霊の体を蹴り飛ばす。

 霊を蹴るなど、霊能者や退魔師でなければできないが、此武には造作もないことだ。子供霊は床を転がり、呻いた。

「さあ、答えなさい。なぜ怪現象を起こしたのか」

「……出て……いけ……この館から……出て、いけ……!」

「…………。穏便に事を済まそうと思ったのに残念ですね。消えるがいい、低級霊!」

 此武が左腕を子供霊に向けた。その前に恩が立ちはだかる。此武は眉根を寄せた。

「待てよ、此武。ちゃんとこの子の話聞いてやれよ」

「聞きましたよ? でも答えなかったのはそっちです」

「そんな脅すような聞き方じゃダメだっていうの。まったく、力押ししかできないんだからなー、此武は」

 恩は子供霊に向き直る。子供霊は怯えながらも恩を睨みつけた。恩は子供霊のそばにしゃがむと優しく話しかけた。

「ねえ、君。俺たちは君の敵じゃないよ。俺たちは助けに来たんだ。この館の主を。そして君を」

「…………」

「まずは話し合おう? どうしてあの人にイタズラをしたんだ? 理由があるなら教えてほしい。ちゃんと聞くから」

 恩の柔らかい笑顔に、子供霊は少しだけ警戒心を解いた。起き上がって俯くと、小さな声で話し出す。

「……ここから、出ていってほしかったんだ。ああすれば怖がって出ていくと思ったから」

「あの人が館にいるのが嫌なのか?」

「だって、ここはぼくのうちだから。ぼくと友達の」

「友達?」

 子供霊が頷く。此武はつまらなそうに腕組みをしてそっぽを向く。ようやく落ち着きを取り戻した小室井が、おそるおそる中央に歩み寄ってきた。

「ぼくの名前は順司(じゅんじ)。生きてた頃、ここに住んでたんだ。

 ぼくが死んだあと、お父さんたちは別の家に引っ越しちゃって、この家は新しい人にもらわれることになった」

 生きていた頃の記憶はほとんど残っていない。

 ただ、病弱で家で過ごすことが多かったこと、両親が優しかったことだけは覚えている。

「新しく来た家族の中にぼくと同じくらいの歳の子供がいて、一人でいるのはさびしかったから、思い切って話しかけた。

 その子は最初は怖がってたけど、少しずつ打ち解けて、友達になった。それが弘一(ひろかず)だったんだ」

「弘一?! それは父の名前だ!」

 小室井が驚愕の声を上げた。

「父……? じゃああんたは、弘一の子供? ……そっか、外ではもうそんなに時間が経ってたんだ。なのに弘一は……“約束”を守ってくれなかったんだね」

 子供霊――順司は床に両手をついて、また涙を流した。

 恩が「約束って何?」と諭すように尋ねると、順司は拳を握りしめた。その上に涙が一雫落ちる。

「弘一と友達になって……何年か経った。弘一は大人になって、会社を作った。

 その会社のために、弘一は家を出ていくことになった。その時に……約束したんだ。いつかまた、一緒に暮らそうって」

『それまで、この家は誰にも譲らない。だから、俺が戻ってくるまでこの家を守っていてくれ。

 何年後……何十年後になるか分からない。でも、俺は会社を成功させてまたこの家に戻ってくる。その時はもう一度、一緒に暮らそう。順司』

 初めて会った時より十歳以上も年を重ねた友達。

 けれど、何十年も前にこの世から去った順司にとって、友達と呼べるのは弘一だけだった。だからその言葉はとてもうれしかった。

 その日から順司は、その約束を信じて家を守り続けた。弘一が戻ってくるまで、この家は誰にも渡さない、と。


「だから、小室井さんを追い出そうとしてたんだね? 弘一さんとの約束のために」

 恩は順二の体にそっと触れようとする。けれど、この世のものではない彼には触れることができない。

 順司に悪意はなかった。たった一人の友達との約束のために、一途な願いを貫こうとしただけだったのだ。

「でもね、それでも他人を傷つけちゃいけない。大切なものをまもるために……無力なもの相手に、強い力を使っちゃいけないよ」

 恩は自分に言い聞かせるように言った。此武がそんな恩の背中を見る。

 唖然とした顔で二人の会話を聞いていた小室井が、何かを決心したように表情を引き締めて、恩と順二に歩み寄ってきた。

「順司君、でいいかな? 私では、駄目だろうか」

 恩が小室井を見る。小室井はもう怯えてなどいなかった。決然としたまなざしで順司を見下ろしている。

「私が君の、新しい友達になろう。父の代わりに。

 父は君との約束を忘れてはいなかったよ。ただ、忙しい毎日に追われ……病魔に冒された父は、寝たきり状態になってしまったんだ」

「!!」

 順司は弾かれたように小室井を見上げる。小室井は足の痛みを堪え、膝を折って順司と視線を合わせた。

「遺言はそうなる前に書かれたものだろう。その遺言に書かれていた『順司を頼む』という言葉の意味を理解することはできなかったが、今の話でようやく理解したよ」

「…………」

 順司は困惑気味に小室井と正面から向き合う。思えば、こうするのは初めてのことだ。

 ずっと小室井を邪魔者として見てきた。姿を見せるのも、こんなに近くで話をするのも、この一カ月で初めてなのだ。

「順司君、父との約束を、私が代わりに果たそう。私と、友達になってくれないか?」

「……!」

 小室井が笑顔を見せる。こんなふうに、優しい言葉をかけられたのは、弘一と別れてから初めてだった。

「……友達……なって、くれるの?」

 小室井が首肯すると、順司の目から涙があふれ出す。

「……ふ……うわあーんっ。わああああんっ」

 ずっとひとりぼっちだった。弘一がいなくなってから、館には誰もいなくなった。

 たくさんの月日が流れても、弘一からはなんの連絡もなくて。

 さびしかった。忘れられたと思った。それでも、約束にすがるしかできなくて。

 ずっと独りで、約束を守ってた。 

 ――でも、もうひとりじゃないんだ。

 順司は泣いた。たくさんの涙を流した。弘一との別れを惜しむ涙を。新たな友達ができた喜びの涙を。



 依頼を終えた此武たちは、小室井から報酬をもらって会社へと戻る。此武が時空廻廊への扉を開き、一行は時空廻廊を歩いていた。

「よかったなぁ、今回は結構楽に終わって。あの二人、仲良くやっていけるよな」

 上機嫌の恩に、此武は半眼を向ける。

「ふん、甘いぞ、恩。今回は相手が鼻たれ小僧の霊だったから楽なものだったが、あれがもしも質の悪い悪霊だったらああはいかなかった。

 その甘ったれたヘナチョコな考えは捨てろ、ボケナス」

「なっ、へなちょことか言うなよぉ!」

「まあ、相手がどんなものだろうと、オレ様には足元にも及ばんだろうがな」

 完全に他者を見下した笑みを浮かべる此武。恩は不服そうな顔で「ちぇっ」と舌打ちした。

「いいか、恩。甘ったれた考えは早急に捨てろ。貴様は一生オレ様の玩具として、足元にひれ伏すのだからな」

「……」

「返事はどうした、下僕!」

「だわっ」

 ゲシッ、と此武が後ろから恩を蹴り飛ばす。前につんのめった恩は、ちょうど空間の出入り口を抜けて会社のメインルームに出た。床を顔面スライディングする。

 此武はどかっと回転椅子に座ると、千咲にコーヒーを入れるよう命令した。

「さて、恩。貴様はもう帰っていいぞ」

「いでで……はい?」

「貴様の耳にはウジでもわいてるのか。帰れと言ったのだ」

 椅子を回転させ、部屋に唯一ある窓に体を向ける此武。恩は立ち上がった。

「もう帰っていいのか?」

「何度も言わせるな、愚鈍なガキめ」

「はいはい、分かりました。じゃあ、帰りますよー」

 恩はソファーに置いておいた通学カバンを取って、赤いドアノブを回す。

 このドアはノブによって繋がる空間が変わる。青いノブは時空廻廊、赤いノブは高科FWの廊下と繋がっている。

 廊下に出た恩は建物を出て、最初に通ってきた裏路地に入る。そこからぴったり十三歩。空間がたわんで恩は時空を移動する。

 現実空間に戻ってきた恩は、パーキングに自分のエアバイクを取りにいって家路についた。



 高科FWのある空間は、現実空間とほぼ同じ速さで時間が流れる。あれから三時間が過ぎ、とっくに日は暮れていた。

 恩の住んでいる家は他の家より少々大きい。あの館ほどではないが、この辺りの家の中では抜きんでた大きさだ。部屋数も相当ある。

「ただいまー」

「あっ、お帰りなさーい、めぐ兄!」

 恩が家に入ると、顔に白い面をつけた子供が走り出てきた。藍鼠(あいねず)色の長い髪はツインテール、面には目に当たる部分に細長い楕円の穴が空いている。

 初めて見る人はたいてい驚くもので、恩も最初は奇妙に思ったものだ。

 この子供は天狗族(てんこうぞく)と人間の混血で、天狗族は犬の耳と尾、鳥の羽を持つ人外の種族である。

 彼らは生後一年から成体になるまでの間、面をつけて過ごし、血族や心を許した相手以外に素顔をさらすことは禁じられている。

「お仕事お疲れさま! ご飯もう食べた?」

「ううん、まだ」

「じゃあ、すぐあっためるね!」

 元気良くガッツポーズをして、子供はダイニングへ向かった。

 恩がリビングに入ると、アームチェアに座っていた婦人が笑いかけてきた。

「あら、恩くん。お帰りなさい」

「ただいま、織枝(おりえ)さん」

 四十代半ばくらいだろうか。膝にブラウンの膝掛けをかけ、木漏れ日のような優しい笑みを浮かべている。彼女は滋生(しぎょう)織枝。この家の主だ。

「ちょうどよかったわ。今、あなたの話をしていたところなのよ」

「え?」

「カーレンさん、紹介するわね。彼が恩くんよ」

 恩はそこで初めて、織枝以外にも人がいたことに気づいた。織枝の向かいに座っていた人物が立ち上がる。

「! あ……っ」

 振り向いた人物に恩は驚愕し、頬を赤らめた。

「まあ、またお会いしましたね」

 柔らかく微笑むその人物は、空から落ちてきたあの女性だったのだ。



 時空の狭間。高科FWの回転椅子に深く座った此武は窓の外を見ていた。

 組んだ足の上で絡めた両手を置き、無表情で一人ごちる。

「ついにあいつらが(めぐ)り逢ったか。ならば動き出したのだな。宿命(さだめ)の歯車が」

 遠く、永い、終焉(しゅうえん)(とき)へと。

 藍泉歴2015年。宿命(さだめ)の扉は、今開かれた。


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