第27話 此武の変化
朝、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。
もそもそと布団の中で寝返りを打とうとする恩。なんだかやけに体が重い。
体を反転させようとしてなかなかできず、小さく唸りながら目を開けると、薄群青色の髪が目に入った。
その色が昔に置いてきた誰かの髪の色に似ていた。
光沢があって、光に当たると少し色が薄まるその色に。
(……ケイ……)
寝ぼけ眼のまま、目の前の髪に触れた時、ぎゅうっと抱きしめられた。
「ん~、めぐ様ぁ~ん」
「!!?」
ばちっと意識が覚醒する。布団に横になったまま自分を抱きしめているのは、恩がよく知る人物ではなく、居候になったリヒトだった。
「……ひ、ぎゃああああああああっ!!!」
近所にも聞こえるほどの恩の悲鳴が、その日、滋生家に轟いた。
「俺の部屋に無断で入るなって言っただろ!?
特に!! 布団には!!! いつの間に入ったんだエロ吸血鬼!!」
制服に着替えながら、恩は後ろの布団で寝転がっているリヒトに怒鳴った。
その頭には大きなたんこぶ一つ。だが、彼は悪びれた様子もなくへらっと笑う。
「だーって、人肌が恋しくなっちゃったんだもん。正確にはめぐ様肌が?」
「変態か!!」
おとといから滋生家に居候の身となったリヒトは、シェーシアからの観光客で、半ば無理やり恩についてきた。
正直な話、恩は彼と一つ屋根の下で暮らすなんて嫌だ。
なぜなら、彼はあの稜雲と同じ性癖を持っているようだから。
(会長と一緒に暮らすようなものじゃないか! ちくしょう、此武の奴! 面倒だからって押しつけてー!!)
リヒトはにやにやしながら、恩の掛布団を顔にこすりつける。
「んふふ、めぐ様の匂い~」
(しかもこんな変態!! 会長よりタチ悪い!!)
朝から全身に鳥肌が立った。これは寒さのせいなんかではない。確実に。
織枝はまた家族が増えたと喜んでいたが、自分としては早くいなくなってほしい。
カーレンのそばにこんな変態がいるのも嫌だ。何より己の身の危険を感じる。
「だからさー、めぐ様。ボクは吸血鬼じゃないんだってば。
確かに人の血を吸いはするけど、それを主食にしてるわけじゃないの」
食卓についたリヒトが茶碗片手に言う。恩は箸を握りしめ、プルプル肩を震わせた。
「……それは分かった。分かったけど……食べ過ぎだお前!!」
「レンちゃん、おかわり~」
「はい」
「さらに!?」
人一倍食べているリヒトに、恩はイライラしていた。カーレンも織枝も気にしていないが、なんだこの奔放さは。
結局、リヒトがリーフェに来たのは観光目的としか分かっていない。
だが、何か隠しているのではないかと恩は疑っていた。
偶然と言えば偶然かもしれないが、靁雯が騒ぎを起こしているさなかにリヒトは現れた。
まるで注意をひきつけるかのように。目くらましのように。
(あの時、俺たちは吸血鬼を、おとぎ話に出てくるものと同じものを想像していたから、似た姿のこいつを追いかけた。
逆にいえば、あの場にこいつが現れなければ俺たちは『異形』の方を追いかけていたはず)
それによって戦力は分散されたし、新たな被害者も出してしまった。
当の『異形』だが、翌日、何者かの手によって殺されていた。
警吏庁の厳重な監視の目をすり抜けて、見事にあの『異形』だけが。
黑牙の情報が漏れるのを恐れて、組織の者もしくは靁雯自身が手を下したのかもしれない。
『異形』が死んだことで、それ以上の黑牙の手がかりはつかめなかったが、一つだけ入手できた情報がある。
黑牙の首領は、顔に傷を持つ赤い長髪の男。昨日からそのニュースでテレビも新聞ももちきりだ。
何せ数十年、一切手がかりがなかった犯罪組織の情報。しばらくは話題に上ることだろう。
(名前はバレなかったみたいだな。よかった)
赤い髪ということで各国の白凰一族に疑いの目がかかるかもしれないが、もしも靁雯が鋒家の人間だと知れたら、鋒家と黑牙が共犯なのではないかと疑われるかもしれない。そんなのは嫌だ。
(靁雯が黑牙の首領だろうとなかろうと、あいつは倒さなきゃいけない相手だ。あいつは鋒家を滅ぼそうとしているんだから)
「恩くん、さっきから手が止まっているけど、具合でも悪いの?」
食が進んでいない恩を、織枝が気遣う。恩は慌てて首を横に振った。
「あっ、違います。ちょっと考え事してて……」
「悩みがある時は食べてスッキリするといいよー。はい、めぐ様。あーん」
「するな! 自分で食べれる!」
「めぐ様、何怒ってんの~?」
リヒトの奔放さは啓也にも似ていてなんだか苦手だ。恩はさっさと食べて学校へ向かった。
夕刻。久々の高科FWでの仕事だ。だが、リヒトもいるので少々気が重い。
靁雯との繋がりが全くないという確証を得るまでは、完全に信用はできない。
「依頼は縄張り争いの助っ人、だな。大した報酬は見込めんが、奴の実力を見るにはちょうどいいだろう」
そう言って此武はリヒトを見る。この男の力は未知数だ。
人間に興味がない此武としては、力があるかも分からないものを飼うのは面倒だ。
「ボクの力試しってこと? ボク、村人だからたいしたこと出来ないんだけどなぁ」
「ふん。オレ様の目は欺けんぞ。貴様には戦闘経験がある。それも、かなりのな」
此武も気づいていたのか。
恩は実際に戦ったから分かるが、リヒトは戦い慣れしていた。
そもそも武器を持ち歩いている時点でおかしい。
リヒトは参ったと言うように両肩をすくめた。
「何かと戦ったことがあるっていうのは認めるよ。ボクの住んでる村にはよく魔獣が襲ってきたからね。
撃退するにはそれなりの力をつけないとこっちがやられちゃうから」
「なるほど。あの鎌はそのための武器ってことか。でもあれ、どこに持ってたんだ? どこからか急に出たり消えたりしたみたいだったけど」
自分の長棍も自在に出したり消したりできるのだが。それと同じ原理だろうか?
「え? あれは魔宝具だから、元の形に戻しただけだよん」
「魔宝具?」
「あ、そっか、リーフェにはないんだっけ。魔宝具っていうのはねー」
「説明は後にしろ。とっとと依頼先に行くぞ、下僕ども」
此武が不機嫌な顔で遮る。コートを羽織り、事務所を出た。
リヒトはドアを開けた先が別の異空間に繋がっていることに驚いていたものの、時空廻廊に入ると楽しそうにしていた。
「それで、魔宝具ってなんなんだ?」
「魔宝具は、シェーシアではなくてはならないものなんだよ。特殊な物質で作られた道具で、そのものに魔力や神力が宿ってる。
作り出したのは大昔の神族や魔族なんだけど、今では研究を重ねて他の種族でも量産できるようになったんだ~」
リヒトは「これがそうだよ」と自分のチョーカーを指差した。
「これが魔宝具? というかあの鎌!?」
確かによく見てみると二つの鎌のような絵が彫られているが、ただのシルバーアクセサリーに見える。
「めぐ様、そんなに見つめられたら照れちゃう」
「お前じゃなくてチョーカーを見てるんだよ!」
「信じられないなら見せてあげよっか」
リヒトがチョーカーを外し、魔力を込めると瞬時に鎌に変わった。絵と同じ、鎖で繋がった二本の鎌だ。
「うわっ、本当に鎌になった!」
「これの名前は金烏玉兎。こっちの銀色の方が玉兎で金色の方が金烏。二つで一つの双鎌なんだ」
アクセサリーが武器になるなんて。魔宝具というのはすごい道具だ。
アクセサリーになるなら荷物にならず持ち運びも便利だし。
「魔宝具なら天界でも使っていますよ」
「えっ、そうなの!?」
ふんわりと笑いながらカーレンが言う。確かに神族や魔族が作ったとリヒトが言っていたが、天界にもあるなんて。
「魔宝具はもともと神界や魔界で生み出されたものです。それを古代の神族や魔族がシェーシアの住民に授けたんでしょうね」
「いいなぁ、便利で」
「リーフェにも便利なものいっぱいあるじゃん。テレビとかエアコンとかさ。あとヴァノバ?」
「ヴァモバな」
「そうそれ。電話とも言うんでしょ? すごいよね~、遠くの人と話ができるって」
思わぬところでリヒトとカーレンの共通点を見つけてしまった。カーレンも初めて電話を使った時、すごいと言っていた。
(シェーシアって電気機器が少ないみたいだな。リーフェとは違って科学が発達していないのかも。魔宝具があるからかな?)
デジタル時計やパソコン、飛行機やマグレブなどにも感心していた。やはりシェーシアはリーフェと似ていても文明は異なるのだ。
「恩、貴様の棍も魔宝具だぞ」
「へ?」
此武の方に顔を向けたと同時に、時空廻廊を抜けた。気を抜いていたのでたたらを踏み、ふらつく。
「わわ」
「めぐ様っ」
リヒトが恩の腕をつかんで抱き寄せる。うれしそうに笑うリヒトの顔を押しのけ、恩は改めて此武に尋ねた。
「俺が使ってる長棍も魔宝具なのか?」
「そうだと言っている。貴様が使っている棍は、あの方々が授けた貴様だけの魔宝具だ。
正式名はケイオスフォズマ。棍以外の形態に変形させることができる」
「何それ、初耳なんだけど!」
「当然だ。今、初めて言ったからな」
なんだそれは。そんな重要なことは、渡してくれた時に言ってくれればよかったのに。
確かにただの根ではないと思っていた。自分の思い通りに出したりしまったりできるし、やけに体になじむ。
棍は元々、実家にいた頃の得意武器だからそのせいかと思っていたのだが。
「変形武器だったのかー。どうやって変形させるんだよ」
「貴様の精神次第だ。念じれば自在に変形させることができる。
ケイオスフォズマが棍の形態を保っているのは、それが最も貴様が使いやすい形態だからだ」
あの長棍にそんな秘密があったとは。
ケイオスフォズマ……それが武器の名前。自分だけの。
ずっと長棍としか言っていなかったから少しうれしかった。
一行が到着したのは東方の平漣州晴谷市にある森だった。
そこで待っていたのは全身が青くウサギの体に二本の馬の足がついた恠妖――青兎馬たちだった。
「お待ちしておりました、皆様方」
深々と礼をする青兎馬。見た目の割に礼儀正しい。此武が営業スマイルで青兎馬の前に立つ。
「こんにちは、僕が代表の此武=高科です。依頼の詳しい内容をお願いできますか?」
「……コノ様のあの笑顔何? ちょっと怖いんだけど」
リヒトが笑顔で言う。心なしか顔が蒼い。
「一応、相手はお客様だからな。客の前ではいつもああだよ。慣れろ」
「すぐには無理」
「だよな」
此武の営業スマイルは、自分も慣れるまで時間がかかった。
声も外見通りの高い声だし、口調もしぐさも普段とはまるで別人なので。
「ワタシたちはここから少し離れた森で暮らしています。
しかし、その森は開発のためと人間たちにどんどん減らされ、縄張りを広げようと思ったのです」
「そしてこの森にたどり着いたのですが、この森は既に別の者の縄張りでした」
「すべて譲ってほしいわけではないのです。ただ少し、私たちにも土地を分けていただきたいと申し上げたのですが……」
「反対された、というわけですね?」
「はい」
なるほど、それで自分たちだけでは手が足りないと思って高科FWに依頼をしたというわけか。
住む場所がなければ青兎馬たちも困る。恩は何とか助けてやりたいと思った。
「分かりました。引き受けましょう。まずはお相手のところに行きましょうか」
「はい。ご案内いたします。どうぞこちらへ」
一行は青兎馬たちに連れられ、森の奥へと進んでいった。
すると、森の奥から複数の殺気を感じた。
恩は前方を向いたまま、気づいていないふりをしてリヒトに小声で問いかけた。
「リヒト……気づいてるか?」
「うん。結構、数いるね。やだなぁ」
「さっそく腕前を見せてもらおうか、小僧」
此武が足を止めると、木々の間から複数の影が飛び掛かってきた。
顔を布で覆い、山伏の服装をしているが全身は赤く、腕が四本ある。
「あれは、赤行脚僧!?」
常に集団で行動し、どこにでも入り込んで食べ物などを盗むという。
闘争心が高く、邪魔なものは容赦なく排除する。
彼らに出くわした時は、去るのをじっと待つか、新鮮な食べ物を与えるといいと言われている。
「ひぃっ、どうかお助けを!」
青兎馬たちが縮こまって悲鳴を上げる。此武はリヒトを一瞥し、行けと目で命令する。
リヒトはしぶしぶ、金烏玉兎を武器化して赤行脚僧の群れを待ち構える。
「もう~、なんでこんなことしなくちゃならないかな」
赤行脚僧たちが錫杖を突き出す。リヒトは金烏玉兎を持ち上げた。
三方向から繰り出された錫杖を、いともあっさり跳ね返す。
そのまま赤行脚僧の群れの中へと突っ込み、傷つけないように鎌の柄の部分で赤行脚僧たちをなぎ倒していく。
やっぱり、あいつはできる。恩はリヒトの動きを見てそう感じた。
無駄のない動き、急所を狙い、片付けていく。
(あの数を相手に急所のみを狙うなんて、今までどんな生活してきたんだ。魔獣がどうとかって言ってたけど……。うーん、それにしても……)
青兎馬の縄張り争い相手が赤行脚僧だったとは。少しおかしい。
赤行脚僧は名前の通り、全国を行脚する恠妖である。どこかに定住することはないはずだ。だから縄張りなんてものはないと思うのだが。
(一時的に留まることはあるだろうけど、それだったら数日待てばいなくなるはずだし……どういうことだ?)
「ねえ、君たち……あれ?」
詳しい話を聞こうと後ろを振り返ったが、いつの間にか青兎馬がいない。
さっきまで自分たちの後ろに集まって震えていたのに。
「カーレン、青兎馬たちは?」
「あら? いませんね。どこへ行かれたんでしょうか」
「ふん。大方、怖気づいて逃げ出したんだろう。放っておけ」
「えーっ!? そんな無責任な!」
「そんなことより、終わったようだぞ」
リヒトの方に目をやれば、赤行脚僧たちが全員、地面に倒れている。
リヒトが金烏玉兎をチョーカーに戻してこちらへ走ってくる。
「めぐ様ーっ、終わったよーん!」
「だああっ、抱きつこうとするなバカっ」
「ええ~、頑張ったご褒美ちょうだいよー、めぐ様ぁ~」
飛びつこうとするリヒトをサッとよけ、此武を盾にする。
流石のリヒトも此武の後ろに隠れられては引き下がるしかない。つまらなそうに口を尖らせている。
「で、どうするんだよ、此武。青兎馬たちいなくなっちゃんだぞ?」
「そうだな。貴様ら、先に戻っていろ」
「え? 戻るって高科FWに? でも……」
「黙れ。つべこべ言わずに従え、下僕」
バキィッとアッパーを食らわされ、恩は涙目で「分かったよ、此武の乱暴者!」と言い捨てて時空廻廊の出入り口の方へと走っていく。
リヒトとカーレンもついていき、此武と千咲だけが残った。
「さて、そろそろ出てきたらどうだ? それとも、本当に怖気づいたか?」
素の顔と声で此武が言うと、木の陰から青兎馬たちが出てくる。
「いやいや、申し訳ございません。見事な戦いぶりでしたので見とれておりました。あなた様のお連れの方、なかなかの武力でございますね」
「猿芝居はやめろ。我が下僕どもは知らんだろうが、赤行脚僧には隠れた決まり事がある。
奴らは常に群れで行動するが、その中心には必ず一人、女の行脚僧がいる」
ぴく……と青兎馬の顔から笑みが消える。此武は腕組みをし、横柄な態度で青兎馬たちをねめつける。
「それは決して欠けてはならない。女の行脚僧は群れの中心、宝だ。だが、さっきの群れの中に女はいなかった」
青兎馬たちは押し黙り、無表情で此武を見据えている。此武はくつくつと喉の奥で笑った。
「本来、ここを縄張りにしていたのは貴様らの方で、赤行脚僧どもはただ通りがかっただけだろう。だが、なんらかの理由で女の赤行脚僧を失った」
彼らは仲間の結束力が強い。特に女の赤行脚僧は群の宝のため、『姫』としてとても大事にする。
「大事な『姫』を失った奴らに襲われ手に負えず、オレ様のところに依頼した。あたかも自分たちが被害者のようにな。
わざわざそんなことをしたのは、真実を隠したいがため。
――貴様ら、『姫』を殺しただろう」
図星をつかれた青兎馬たちが、目をそらす。中には小さく震え出す者も。
「何があったかなどどうでもいいが、赤行脚僧の『姫』への執着心はかなりのものだ。
それに、隠した理由はもう一つ。赤行脚僧は元神族だからだ」
「……っ、そうだ。末席とはいえ、奴らは神族だ。魔道に堕ちて恠妖になったとはいえ、我々とは違う!」
化けの皮がはがれた青兎馬たちは、殺気をまとった。あのまま奴らを殺して帰ってくれさえすればよかったのに。
「神族を殺めてしまったなど、他の仲間に知られるわけにいかない! 口封じに貴様らを殺す!」
一斉に襲い掛かってくる青兎馬たち。此武はすうっと目を細め、にたりと嗤った。
「あ、此武、千咲さん! おかえり」
高科FWで此武の帰りを待ちわびていた恩が二人を出迎える。
帰宅しようにも、勝手に帰ったりしたら後で何を言われるか分からないので、帰れずにいたのだ。これでやっと帰れる。
「まだいたのか、愚図め」
「お前が帰ってくるの待ってたんだろっ。勝手に帰ったりしたら怒るくせに」
ぷりぷり怒る恩。ふと、リヒトは此武から微かに漂ってくる、あるニオイに気づいた。
ぶつくさと文句を言いながら恩は帰ろうと此武の横を通り過ぎようとし、足を止めた。
「……此武? なんか、血のにおいがする」
目を丸くするリヒト。普通の人間なら気づかないような微かなニオイ気づいた恩に、リヒトは唖然とした。
血を好むため、血のニオイには敏感な自分ならまだしも、彼が気づくなんて。
「此武、さっき何かあった? 青兎馬たちはどうな……」
「やかましい。仕事は終わった。とっとと帰れ」
「でも……」
「二度も言わせるな」
ぎろりと睨みつけられ、恩はわずかにひるんだ。何かあったことは確かだ。自分たちがいない間に争ってきたのだろう。
正式な契約をして、少しは此武の心に近づけるかと思ったが何も変わっていない。
どうして青兎馬と争ったのか、その理由に思い至らなかった。
やっぱり、此武はどうあっても戦神で、人間とは相容れないのだろうか。
「……ごめん。帰るよ」
鞄の取っ手をぎゅっと握りしめ、恩はカーレンとリヒトを連れて部屋を出ていく。
此武はデスクチェアーに座り、背もたれに寄りかかった。
「あんな屑どもの血を浴びせるわけにはいかんからな」
一匹残らず、青兎馬は排除してきた。あの程度の恠妖を一掃するなど、本来の姿に戻らずとも片手間で済む。
だが、なぜかその様を恩に見せたくなかった。恩に近くにいてほしくなかった。
どうしてしまったのだろう。今まではそんなことを気にしたりしなかったのに。
分からなくてイライラする。此武は重くため息をつき、瞑目した。