第26話 神との真の契約
集合場所に着くと、当然ながら隊士たちはクロムとリヒトに驚いた。
クロムの異様な雰囲気と出で立ち。殺気を帯びているので犯人かと疑ったくらいだ。
おとぎ話の吸血鬼を思わせるような黒い羽を持つリヒトだが、陽向がみんなに事情を話すと疑いは晴れた。
その後、リヒトはパトカーで待機するように指示された。救急車も呼んだので、数分もすれば到着するだろう。
隊士たちは真犯人の捜索へ出て、陽向が現場に残った。
陽向の近くにいるのは煩わしいのか、クロムは人気の少ないビルの陰へと向かう。途中で恩がわずかに身じろいだ。
けだるそうに目を開けると、クロムが見下ろしていた。
「ん……クロム……?」
「起きたか。糞狐が輸血のために救急車だかいうものを呼んだ。それが来るまでおとなしくしていろ」
「……うん……さっきの、吸血鬼は?」
「糞狐といる。あれはただの観光客だったらしい」
恩の声はかすれていて聞き取りづらかったが、クロムにはなんの問題もなかった。
恩は朦朧とする意識をどうにか堪え、なるべくクロムの顔を見て話そうとした。
本当は目を開けるのもつらいが、クロムの顔が見たかった。
「そ、か……カーレン、はどこにいるかな……心配してない……?」
「しゃべるな。おとなしくしていろと言っただろうが」
「ごめんな……油断、した……」
「……まったくだ。そんな様で宿命を紡ぐ者が務まると思うのか、屑が」
だんだん耐え切れなくなり、ついに目を閉じた。それでも口を動かすのはやめなかった。
「……俺……最後まで……できるかな? ……だって、俺さ……このまま…死んじゃうんじゃ、ないかな……」
なぜそんな結論に至るのかクロムには分からなかった。ただ、このままだと確かに危険なのかもしれない。
宿命を紡ぐ者の宿命が終わるまで、恩は死なない。
けれど、その恐怖には直面する。死ぬ危険が目の前に迫っているから、恩はこんなことを言い出したのだろうか。
『加護を受けているなら自力で回復できるはずですけれどねぇ』
契約をし、加護があれば神力が供給されて、すぐに回復するだろう。していれば、こんな事態にはならなかったはずだ。
『もしかして“契約”をしていないんですか?』
したくない。人間に、自分が縛られるなど。
『印をつけておかないと、どこかの誰かに横取りされてしまいますよ?』
クロムは口元を引き結んだ。そうだ、印だ。
印をつけておかねば、これが自分のものだという証を作らねば、手に入れたとは言えない。
誰かのものになるなど許さない。誰かに奪われるなど許さない。
誰かに傷つけられるのは許さない。誰かに殺されるなど許さない。
手に入れたい。オレ様だけのものにしたい。
――これは、オレ様だけの玩具だ。
ポウ……とクロムの全身が淡く光り、足元に魔法陣が現れた。
「オレ様は、下等な人間など嫌いだ。愚劣で、貪欲で、浅ましく、卑劣。
貴様がそんな下等生物どもにいいようにされるのは、腸が煮えくりかえる。
恩。貴様を征服していいのは、オレ様だけだ」
恩の顔にクロムの顔が降りる。唇と唇が触れ合った瞬間、クロムを包む光が強まり、恩も光に包まれた。
視界の隅に魔法陣の光を捉え、陽向はくすりと笑った。
(ようやく契約する気になったか。まったく、後押ししないと進めないとは、クロム殿はまるで子供みたいだな)
本人が聞いたら怒り狂いそうな意見だ。
だが、これで恩は助かるだろう。もう輸血の必要はない。
陽向は救急隊員に要請取り消しの連絡を入れた。
唇に伝わる感触に重い瞼を押し上げると、クロムのバイオレットの瞳に射抜かれた。唇を通してクロムの神気が流れ込んでくる。
この光は契約の光だ。昔、見たことがある。
神族や魔族と契約を結んだ人間は、契約を結んだ相手から魔力や神力を分け与えられるのだ。
ドクン! と恩の体が強く鼓動し、額に契約の印が浮き出る。
神気が供給されたおかげか、恩の顔色がよくなり、意識も徐々にはっきりしてきた。
クロムが唇を放すと、光が収束し、魔法陣が消えて夜の闇が戻った。
恩は大きく息を吐き出すと、まだぼんやりとした意識の中、うつろな表情でクロムの顔を見つめる。
「クロム……今の……」
「名実ともに、貴様はオレ様だけの玩具だ、恩」
にやりと笑うクロム。恩はかあっと顔を赤らめ、口元を手で押さえて顔を逸らす。
「……っ、人の承諾なしに契約結ぶなよっ」
「喧しい、叩き落とすぞ」
ファーストキスに続いてセカンドキスまでも男に奪われるとは。
今回は契約行為であって、クロムに他意はないだろう。
悪魔との契約方法は様々だが、神との契約方法は口づけか互いに血を与えること。
後者ができないからの判断だろうが……何も今でなくても。
(俺を早く助けるため? そうだとしても、契約じゃなくても……っ。嫌だったわけじゃ、ないけど)
クロムと契約を結ぶことは嫌ではないし、そうなれたらいいと思っていたが、それはないだろうと思っていた。
彼は人間嫌いだし、創造神の命令とはいえ補佐をするためだけに、契約してまで傍にいてくれるとは思っていなかった。
彼のことだから、プライドが許さないと思っていたのに。
口から手を放し、恩は真剣な顔でもう一度クロムの顔を見上げた。
「――クロム。本当にいいのか?」
人間と契約なんかして。今度ははっきりと見える。
契約前までは意識が混濁していてよく見えなかった。
今なら、クロムの真意も見えるかも……
「愚問だ。これからはオレ様の真の下僕として働け」
返された言葉と腹黒い笑みに、恩は硬直する。
少しは心を開いてくれたのかという淡い期待は打ち砕かれた。
(やっぱりクロムはクロムなんだな……)
相棒として、信頼してくれることはないのだろうか?
どんなに期待しても、もう無駄なのだろうか?
小さくため息をつく恩。しかし、これで契約主であるクロムの力を使えるようになる。
それは靁雯と戦う時に力強い。
靁雯は強い。悔しいが、自分だけの力では太刀打ちできない。
格闘でも負けているし、靁雯には雷術もある。
自分は雷術を使えない。あれは恐ろしい力だ。
けれどクロムと契約した今なら、それに対抗することができる。
凍土のクロムと呼ばれる、彼の力があれば。
「あ! そうだ、事件!! 事件はどうなったんだ!? というかいつまで抱きかかえてるんだよっ!」
まさかクロムにお姫様抱っこされるなど夢にも思わなかった。
降ろしてもらうと軽く眩暈がしたが平気だ。クロムが仮の姿に戻る。
「真犯人はまだ捕まっていない。動けるなら貴様も探しに行け」
「分かった」
恩は血を吸われた首筋を撫でた。
跡がもう消えている。これも契約のおかげか。
恩は微笑むと、真犯人捜索のために駆け出した。
不穏な気配を感じたのはそのすぐ後だった。
闇の中を猿のようなものが、ビルからビルへと飛び移っていく。
警吏隊が見たのはあれだろう。
風の中に混じって血のにおいがする。どこかで人を襲ってきたのだろうか。
その後を追っている警吏隊に合流し、恩も異形を追いかける。
「君、もう大丈夫なのか? 輸血が必要だと聞いたが」
スターリングが声をかけてくる。恩が笑顔で「大丈夫です、ご心配おかけしました」と返すと、隣を走っていた菱刈がにっと笑って、パシッと恩の背中を叩いた。
「見てくれのわりに頑丈なんだな、気に入った!」
「ふぎゃっ」
急に叩かれたのでつんのめりそうになった。背中が痛い。
「班長、一般人にまで手を上げないで下さい。班長の馬鹿力で高天さんが怪我をしたらどうするんです?」
呆れ気味にテイラーが言う。「そんなに力は入れてねえぞ」と菱刈は心外そうな顔で言う。その割には結構、痛かったのだが。
異形は時々スピードを緩めたり、止まって追いついてくるのを待つ。
逃げるというよりも、自分たちをどこかにおびき寄せているかのようだった。
夢の中と似ていることに気づき、恩はもしやとビルの上を見上げた。案の定、そこに長身の人影がある。
(靁雯……っ)
足を止め、ビルの上に立つ靁雯を睨みつける。靁雯は恩の姿を認めると、面白そうに嗤った。
「くくく、またお前か。よほどオレの邪魔をするのが好きなようだな」
「あの異形を操ってるのはお前なのか!?」
「そうだ。あれはオレの駒……弱い人間どもを殺す道具だ!」
異形は靁雯のもとへ飛び移る。靁雯がその背中に立ち、地上へと降りてきた。突然現れた赤髪の男に、隊士たちがどよめく。
「なんだ、こいつ!?」
「見るからに怪しいというか……」
「味方ではないことは確かだな」
明かりが少ないため、顔はよく見えない。ただ、赤い髪だけがやけにはっきりと闇に浮かんで見えた。
「奴らを殺せ、バドワ」
静かな靁雯の命令に従い、異形が隊士たちに襲い掛かる。
応戦する隊士たちに加勢しようとした恩に、靁雯が偃月刀を片手に迫ってきた。
「お前の相手はオレだぜぇ!!」
「くっ……」
振り下ろされた偃月刀を、長棍で受け止める。
なんとか弾き返して薙ぐが、あっさりとよけられた。
瞬時に間合いに入られ、腹を殴られる。
「かはっ」
「くくく、相変わらず弱いな!」
「ハァ……うるさい! お前、まさかっ……黑牙と関係があるのか!?」
恩の問いに、靁雯はにぃ、と口元をゆがませた。
「関係あるも何も……このオレが、黑牙の首領だからな」
「!!」
「くははは! 間抜けな面をしてやがる。その顔を苦痛に歪ませてやるぜ! さあ、かかってこいよ。オレを愉しませろ!!」
多くの犠牲者を出してきた犯罪組織、黑牙。
その首領が、靁雯だったとは。
こいつのことだ。殺人を続ける理由など、わかりきっている。
こいつは人を殺すのが好きなのだ。
愉しいから、無差別に殺し続けてきた。許せない。
恩は目を細め、すうっと長棍を構えた。その眼には本気の意思が宿っている。
「くくく。少しはやる気になったか」
心から愉しそうに嗤う靁雯。恩は地を蹴った。そのスピードは今までとは違う。
肉薄し、袈裟懸けに棍を振り下ろす。靁雯が偃月刀で受け止め、反対の方向から蹴りを繰り出す。
それをよけると、恩はクロムと契約した時に受け取った力を解放する。
恩の周りの空間から、複数の土塊が出現した。
「ほぉ? その神気……あの戦神か! ははっ、貴様も契約したのか! ならば今までより少しは手応えがありそうじゃねぇか!」
まるでゲームでもしているかのように、靁雯は楽しそうだった。
恩が土塊の雨を降らす。だが、靁雯は落ちてくる土塊を粉砕すると、恩に向かって電撃を放つ。
「!!」
すぐさま土の壁を作り、ガードする。だが、すかさず回り込んできた靁雯の電撃を食らった。
「うあああああっ!!」
「くはははは! どうした、貴様の力はその程度か!?」
強い電流が全身を駆け巡り、恩は地面に片膝をついた。
哄笑する靁雯は頭上から飛んできた風の刃をサッとかわした。
途端に靁雯は顔をしかめる。
「いいところだってのに邪魔が入ったな」
風刃を放ったのは湊だ。異形を捕らえた隊士たちが靁雯を取り囲み、菱刈が怒号する。
「そこまでだ! 一連の事件の首謀者および黑牙の首領はお前だな!? おとなしくお縄につきやがれ!!」
「ふん、害虫どもが。バドワを拘束したくらいでつけあがるなよ!?」
言葉と同時に靁雯は全身から放電する。跳ねる電撃を隊士たちは慌ててよける。
「うわああっ!?」
「きゃあ!」
「! やめろ……レイ……」
「くくく、無様に逃げろ害虫ども。逃げ惑う害虫を追い詰め、嬲り殺すのが一番……」
狂気をはらんだ笑みを浮かべる靁雯の右腕を、つららがかすめた。靁雯の腕から血がぼたぼたと落ちる。
「ぐっ……誰だ!?」
「チッ、外したか」
羽織ったコートで体の位置がよくわからなかった。
つららを放った此武が、反対側の道路からこちらに渡ってくる。
「それ以上オレ様の玩具で遊ぶな、下種」
「……戦神……っ、このオレに傷をつけやがって。貴様とやり合うつもりはねぇ。この借りは必ず返すぜ!!」
闇の中を走り去る靁雯。追いかけようにも、体がしびれて動けなかった。
結局、捕まえられたのはバドワとかいうあの異形だけだった。
実際に血を吸って殺していたのはあの異形だし、犯人を逮捕できたといえばそうなのだが、黒幕である黑牙には逃げられた。
しかし、これで黑牙の情報が一つ手に入った。黑牙の首領は顔に傷のある赤い長髪の男。
「まあ、黑牙の首領が分かっただけでも良しとしようか。みんな、よく頑張ったね」
警吏庁に戻り、第三班のメンバーから報告を受けた陽向は、隊士と恩たちにねぎらいの言葉をかけた。
「三班のみんなはもう休んでいいよ。恩くんたちもお疲れ様。報酬は後で払おう」
「それでは総隊長、失礼します!」
「「失礼します!」」
隊士たちは敬礼をして総隊長室を後にし、恩たちと犯人に間違われたリヒトが残った。
恩はこの時、初めてリヒトの姿をはっきりと見た。
さっきは暗かったし、犯人だと思っていたのでまじまじと見ていなかった。
肩より長い薄群青色の髪、蜜柑色の眼、尖った耳。
シェーシアからの観光客だと陽向が言っていたからシェーシア人だろう。
何より目を引くのが、背中のコウモリのような黒い羽。
飾りではないのは分かっている。カーレンと同じで人外なのだろうか?
カーレンといえば、あの時別れてからずっと姿を見ていなかったのだが、恩と手分けして探していた時に、迷子になった野良犬の子供を見つけ、親犬を探して隣町まで行っていたらしい。
彼女らしいといえば彼女らしい。マイペースというか自由奔放というか。
リヒトは恩と目が合うと、にっこりと満面の笑みを浮かべた。
なぜか、恩はわずかに悪寒を感じた。
「で、彼のことですが。どうやら行く当てがないようなので、高科FWの方でしばらく面倒を見てあげてくれませんかね」
笑顔でさらっと告げられた陽向の言葉に、目を点にする恩。カーレンは「まあ」と頬に手を当ててきょとんとしている。
千咲は仮面のような微笑みをたたえたままで、此武はといえば、こめかみに青筋を浮かべている。
「どういう頭をしているんだ糞狐。なぜオレ様が、そんな得体のしれない小僧をそばに置かねばならんのだ。全身を引きちぎるぞ」
「おやおや、あなた方のようなお仕事には、彼はきっと役に立ちますよ」
「それなら貴様のところでもいいだろうが。特殊課とかいうのはそういう奴らの専門だろう」
「うちは短期間の入隊は認めていませんので」
とかなんとか言いながら、単に引き取るのが面倒なだけだろう。
「チッ、糞が」
「あのー、ボク、あの赤毛の子と一緒にいたいでっす」
恩を見てリヒトが言った。恩は目を点にしたまま、ぱかっと口を開ける。今なんと?
リヒトはぽっと顔を赤らめ、うっとりした。
「さっき、あの子の血を吸った時、すーっごくおいしくてぇ。ボク、ハマッちゃったー。だからあの子と一緒がいい!」
「好きにしろ。オレ様のそばに置いておくくらいなら、下僕のそばにでも置いておいてやる」
すでにどうでもよさそうに、腕組みをして言い捨てる此武。恩は我に返った。
「ちょっ、俺はいいなんて言ってな……」
「下僕が主に逆らうな。命令だ、恩。その青頭の面倒を見ろ」
「ええええっ!?」
「やったー! よろしくね、めぐ様」
がばーっと恩に抱きつくリヒト。厄介事がまた増えた。
そして滋生家に新しい居候が。これから騒がしくなりそうだ。