第25話 黒き翼手の浮浪者
リーフェ某国にある神殿。きらびやかとは言えないが、そこはある場所と繋がる数少ない拠点。
双子星と呼ばれるシェーシアと、このリーフェを行き来することができる、星間神殿。
この北部ゲートを含め五つあり、北東部、南東部、南部、中西部の国にそれぞれ一つずつ置かれている。
中に入ると受付カウンターがあり、そこでチケットをもらって星間ゲートを通る。
星間ゲートは各国の使者や物好きな観光客など、限られた者しか通らないので出入りは少ない。
時には大量に通る日もあるが、誰も通らない日もある。今日もここの星間ゲートを通ったのは八人だけだ。
もうすぐ十二時を回り、職員が昼食はどうしようかと考えていた時、星間ゲートが淡い光を放った。
星間ゲートは通行時に光を放つ。職員がチケット確認のためにゲートへと足を運んだ。
光の中から出てきたのは青い髪の青年。背中にはコウモリのような黒い羽がついている。
職員はその容姿に一瞬、目を瞠って戸惑ったが、青年が笑顔でチケットを差し出してくると、ためらいつつもチケットを確認する。
神殿を出ると太陽の日差しが眩しく、目の上に手をかざして、方向を確認する。
青年は楽しそうに笑うと、肩に担いだ麻袋を反対の肩に担ぎ直し、羽を広げて空へとはばたいていった。
* * *
この近辺で犯人が目撃されたということもあって、まだ二十時だというのに道には人がいない。
車道にも車の影はほとんどなく、静かだった。
カーレンと手分けして、恩は捜索する。注意深くどこから飛び出してくるか分からない。
ビルとビルの間を通って裏路地に出る。生ゴミをあさっていたノラ猫が恩に気づいて逃げて行った。
「吸血鬼、っておとぎ話だと人の姿してるんだよな。コウモリにも変身するとか……でも、特殊課の人たちが追ってたのは猿みたいな生き物だって言うし、やっぱりおとぎ話とは違うのかなぁ」
吸血鬼と呼んでいるのは、被害者が血を抜かれて死んでいたということから連想された、あくまでもたとえ話だ。
おとぎ話では、人間の生き血をすすると言われているが、あれは空想上の生き物。リーフェ上には実在しないはず。
この事件の『吸血鬼』の正体はなんなのだろう。
血を吸う恠妖がいるのだろうか? それとも、そういった能力を持った悪魔、とか?
「もう少し手掛かりがあればいいのになぁ」
そう呟いた時だった。少し離れた所から悲鳴が聞こえた。恩はすぐに悲鳴が聞こえた方へと駆け出す。
路地から出ると茶髪の青年と鉢合わせた。
さっき顔を合わせた時はサングラスをしていたが、今はサングラスを外していて緑色の目があらわになっている。
「誰かが襲われたようだ。たぶん一般人だろう!」
「はい! 急ぎましょう!」
恩は青年の後に続いた。新月のため、明かりといえば街灯くらいしかない道を、青年隊士は迷いなく走っていく。
今聞くことではないだろうが、気になったので尋ねてみる。
「あのっ、天刻隊士……でしたっけ。サングラスはかけていないんですね」
「さすがに夜だと見えにくいからね。それに、すぐに能力を使えるようにしておかないと」
「天刻隊士の能力って?」
「“魔眼”だよ。相手に幻覚を見せる」
「サングラスをしていたのは、不用意に能力を使わないためですか?」
「そうだよ、よく分かってるね。君はこういう仕事に慣れているのかな?」
走りながらだというのに、天刻も恩もほとんど呼吸が乱れていない。
警吏隊士として鍛えている天刻ならともかく、未成年で一般市民であろう恩が全速力の自分に追いついていることに、たいしたものだと感心した。
人外と気後れすることなく一緒にいる辺り、この子は人外にとても慣れているようだ。
「慣れてると言うか……異能を制御するために、道具を使っている人を見たことがあるだけですよ」
「ふむ……?」
その割には現場慣れしているような気もするが。
危険かもしれない未知の相手が近くに潜んでいるかもしれないというのに、この落ち着きと機敏さ。
何かあるとは思うのだが、今は事件の解決をすることが重要だ。天刻はそれ以上、詮索するのをやめた。
現場に駆けつけると、襲われたと見られる青年をテイラーが抱きかかえていた。
首筋から血が流れている。どうやら例の『吸血鬼』のようだ。
「天刻隊士、高天さん! まだ近くにいる恐れがあります、注意して下さい!!」
「その青年は!?」
「まだ息があります。今、救援を呼びました。……!」
テイラーが気配に気づき、暗闇の中へ顔を向けると、数十メートル先の街路樹の陰に何者かの影が見えた。
ちょうど他の隊士たちも駆けつけ、菱刈が「あいつを捕まえろ!」と指示を出す。
影は慌てた様子で駆け出し、恩も後を追いかける。
あれが犯人だろうか。新月とはいえ、道路には街灯が並んでいる。
犯人らしき影は、なぜか街灯をよけるようにして走っていく。
聞いていたのとは違い、人のように二足で逃げていく。
コートのようなものがはためき、背中に黒いものが見えた。
それにしても、今まで襲われたのは女性ばかりだったというのに、今回襲われたのは男性。
これまでがただの偶然だっただけなのだろうか?
わずかな違和感はあるが、今は追いかけることに専念する。
「逃げ足速いな、あいつ! おれも本気出してやる!」
湊はぼわんっと変化した。鎌鼬の姿に戻った湊は、猛スピードで人影との距離を縮めていく。
だが、人影の背中から羽のようなものが広がり、人影は空へと逃げていった。
雲一つない夜空。ビルとビルの間を人影が飛んでいく。その姿はさながらおとぎ話の吸血鬼。
この光景を恩は知っている。あの夢に出てきた状況と一緒だ。
(やっぱり、あの夢は関係があったんだ。なら、靁雯も…?)
人影がさらにスピードを上げた。このままではまた逃げられてしまう。天刻がそう思った時だった。
ビルの陰から長い布のようなものが飛び出し、人影を絡み取る。羽が開かなくなった人影が落下していく。
「! スターリング先輩!!」
「今のうちに!」
「はい!!」
人影は道路沿いの植え込みに落ちていた。恩たちが駆け寄ると、慌ててまた逃げ出す。
「天刻はあっちから先回り! 高天くんはそのまま追って!」
「了解!」
「分かりました!」
二人はスターリングの指示に従って追跡を続けたが、湊は人間の姿に変化し、追跡をやめた。
「湊? どうしたんだ」
「追っても意味ないでしょ」
「諦めるのか? 今度こそ捕まえないと……」
「だってあいつ、昨日のと違うもん」
「え?」
「逃げるからつい追いかけたけど、昨日のと姿違うじゃん。それに、ニオイも昨日の奴じゃない」
真剣な湊の言葉にスターリングは愕然とした。犯人は、別にいる?
風になびく白い布を頼りに追いかけたが、この辺りの土地勘がないのと、道が入り組んでいて見失ってしまった。
あの『吸血鬼』が夢に出てきたものと同じなら、靁雯と何かしら関わっているはず。なんとしても捕まえたかった。
「こっちの方に行ったと思ったんだけどな。あまり来たことないから分からないや……」
注意深く見回しながら歩いていると、視線を感じた。振り向くと、横道から『吸血鬼』が飛び出してきた。
紙を引きちぎり、鎖で繋がれた二本の鎌を構えて恩に突撃する。恩は瞬時に長棍を出して鎌を受け止めた。
「!」
「くっ……」
さらりと『吸血鬼』の長く青い髪が、肩から滑り落ちる。『吸血鬼』の鎌を渾身の力ではじくと、さっと身をかわす。
「……なかなかやるね」
「しゃべれるのか!?」
「当たり前じゃーん。ていうかさ、なんで追っかけてくるの?」
声からして自分とそう変わらない年齢の男のようだ。『吸血鬼』はまったく悪びれない様子で首を傾げた。
「何言ってるんだ。さっき、男の人を襲っただろ!?」
「襲った~? 人聞き悪いなぁ。ちょっとお腹すいたから食事しただけだよ。今日は新月だからすぐお腹すいちゃって」
犯人はやはりこいつのようだ。恩は長棍を構え直し、臨戦態勢を取った。
「これまでの連続殺人もお前の仕業なんだろ? 全身の血を抜いて殺すなんて、本当に吸血鬼みたいだな」
「なんのこと? ボクは誰も殺してないよ。さっきの人だって、ちょっと血を吸っただけで生きてるでしょ?」
「しらばっくれるのか? とにかく、おとなしく捕まれ!」
攻撃を仕掛ける恩。『吸血鬼』は恩の攻撃を紙一重でよけ続ける。
「知らないってばもう~っ。あー、動いたらまたお腹すいちゃったぁ~」
情けない声を出す『吸血鬼』。その背中に残っていた白い布が突風であおられ、恩の頬をかすめた。
今ので切れたらしく、うっすらと血がにじみ出てくる。
風に混じった血の匂いに『吸血鬼』は、くん、と鼻を動かした。
「いい匂い……君の血、おいしそう」
「はあ!?」
「ちょうどお腹すいたし……君の血、もらっちゃおうかな」
手の中の鎌が消え、『吸血鬼』はぺろりと舌をなめた。『吸血鬼』の目が妖しく光る。
恩は身の危険を感じ、その場から逃げ出した。
「逃がさないよ」
「!!」
速い。背後からがっしりと拘束された。もがくが力が強くて振りほどけない。
「はっ、放せ!!」
「おいしそう~。それじゃあ、いただきまーす」
口を開けた『吸血鬼』は、楽しそうに恩の首筋に噛みついた。
「痛ぁっ」
鋭い犬歯が首筋に突き刺さり、痛みが走る。
噛みつかれたところから血が抜かれていくのが分かる。だが、徐々に妙な悪寒が全身を駆け廻った。
「……んんっ……ふあ……や、め……」
力が抜ける。その時だった。横道から複数のつららが飛んでくる。『吸血鬼』は恩を放り出し、間一髪でよける。
「びっくりしたーっ。何々!?」
体を支えきれずに倒れかけた恩を、千咲が受け止めた。
横道から出てきたのは激しく不機嫌な顔のクロムだった。放たれる殺気に『吸血鬼』はおののいた。
「どこのどいつか知らんが、オレ様の玩具に傷をつけたのだ、死ぬ覚悟はできているな」
「えええーっ!? ちょっ、怖いんですけど何このヒトうわああああっ」
乱れ打ちされるつららから必死に逃げる『吸血鬼』。そこに陽向が現れた。
「落ち着いて下さい、クロム殿。恩くんは無事ですから」
「黙れ、貴様も殺すぞ」
「おやおや、それは困りますが、犯人を殺されても困りますからね、どうしてもと言うのであればお相手しますよ?」
すうっと陽向の目が細められる。顔は笑っているが目は本気だ。
突如『吸血鬼』の足元から炎が上がり、『吸血鬼』は火に囲まれて身動きが取れなくなった。
「きゃーっ! 何々!? なんで火が!?」
慌てる『吸血鬼』だが、羽は紙が絡まっているため広げられないので、空に逃げることもできない。
クロムと陽向が対峙する。陽向が手から炎を出す。クロムが動こうとした時、恩が呻いた。
「ダメ……だよ、クロム……」
弾かれたようにクロムが恩の方に振り向く。
千咲に支えられた恩は、血を吸われて多少白い顔をしてはいるが、他に外傷はない。
「……陽向さん、に……怒っても……意味ないだろ……」
「ふん、こいつを懲らしめるいい機会だったというのに止めおって」
そうは言うが、クロムの殺気は消えている。
陽向も内心、安心して手の中の炎を消した。戦神と一戦交えるなど、本当は冷や汗ものだった。
「俺は……大丈夫、だから……ケンカ、しないで……」
歩き出そうとしてふらついた恩を、今度はクロムが受け止める。そのままグイッと肩に担ぎ上げた。
「たわけが。そんな体で動くな。二度もオレ様の手を煩わせるとはとんだ玩具だ」
「ん……ごめん……」
体勢は苦しかったが、霞がかかったように意識が遠のいていく。恩はそのまま意識を手放した。
「貧血みたいですね。さっきの男性と同じです。少し休ませれば回復しますよ」
「少し血を抜かれたくらいで気絶するとは、人間とは脆弱な生き物だ」
自分も大量出血で一晩寝込んだというのに棚上げだ。陽向はそのことを知らないので苦笑した。
「儚く脆いからこそ、面白いんですよ。人間というのはね」
「ねえちょっとっ、ボクのこと忘れてなーい!? なんとかしてよこれ!」
炎に囲まれた『吸血鬼』が叫ぶ。すっかり忘れていた陽向は炎を消し、『吸血鬼』に近づいた。
「そうだったね、連続殺人犯を捕らえないと」
「だからなんなの、その犯人って!? ボクは誰も殺してなんかいないってば!」
「ん? そういえば……君は報告にあった犯人とは姿が違うね」
「ボクは今日リーフェに来たばかりなの! それに血をもらったのはさっきの人だけだよ!」
必死に訴える『吸血鬼』。嘘をついているようには見えない。ということは、犯人は他にいる?
陽向はしばし考えると、『吸血鬼』の羽に絡まっている紙を外してやった。
「どうやら君は人違いのようだね。リーフェに来たということは、もしやシェーシアからの観光客かい? 名前は?」
「ボクはリヒト。初日にこんなことになるなんて散々だよ、もう~」
ボサボサになった髪を整えながら、青年はむくれる。
「すまなかったね。でも、詳しいことを聞かせてもらいたいから、悪いけど一緒に来てくれるかい?」
「んー、この辺り物騒みたいだし、また犯人扱いされたくないからね。ついていくよ」
彼は事件の犯人ではなかった。ということは、真犯人は別にいる。事件はまだ終わっていない。
いったん集合場所に戻ることにした陽向たちは、恩のことを考え、歩いていくことにしたのだが、クロムは袋のように恩を肩に担いでいる。
「クロム殿、その担ぎ方では恩くんがつらいですよ」
「喧しい。こいつが苦しもうが痛みを感じようが、オレ様には関係ない」
「でも玩具なのでしょう? 大事なものは丁寧に扱わないとね」
お姫様抱っこをするフリをしながらウインクする陽向が鬱陶しかったが、仕方なく恩の体を下ろし、仰向けにして抱き直す。
恩の顔はだいぶ白くなっていた。相当な量の血を吸われたようだ。クロムは小さく舌打ちする。
「すっかり血の気が失せていますね。輸血をしないと危ないかもしれませんよ」
「ふん、あの程度の小者に後れを取るとは情けない奴だ」
「加護を受けているなら自力で回復できるはずですけれどねぇ。クロム様、もしかして“契約”をしていないんですか?」
ぴたりと足を止める。クロムは眉間にしわを寄せた。陽向は目を瞬かせてから、ぷっと吹き出した。
「おやおや、随分とお気に入りのようでしたから、私はてっきり契約済みかと……はははっ」
「腸を引き摺り出すぞ貴様」
「謹んでお断りしますよ。ふふ、そうですか……なぜ契約しないんです?」
クロムはしかめっ面のまま、また歩き出す。
「……貴様には関係ない」
「そうかもしれませんが……印をつけておかないと、どこかの誰かに横取りされてしまいますよ? 私の息子も狙っていたようですし」
「糞狐の血縁になど渡さん」
「ならばなおさら、自分だけのものだという印をつけておくべきですよ。
貴方がどれほど、自分の下僕だ玩具だと言っても、それを証明するものがない」
陽向の言うことは事実だ。プロットを作った創造神が補佐につけたとしても、それはただの役割であって、二人には実質的な繋がりはない。
補佐をするだけなら恩を下僕にする必要はない。宿命の刻にだけ手を貸せばいいのだ。依織のように。
だが、それだけでは面白くない。だから玩具として、自分のものにしておきたい。
そう。恩を下僕や玩具だと言うのなら。
自分の所有物だと言うのなら、その事実を作らねば意味がない。事実でなければそれは虚言でしかないのだ。
契約さえすれば、実質的な繋がりができる。とはいうものの、クロムは契約をしたくなかった。
契約は互いを束縛する。何かしらの制約が生まれるのだ。創造神が創った魂とはいえ、体は人間。
下等種族である人間に何かを縛られるなど、クロムの矜持が許さなかった。だからこれまで契約を結んでいなかったのだ。
クロムはそれ以降、押し黙ったままだった。