第24話 闇の者を誘(いざな)う新月
夢を見た。前にも見た怖い夢。
闇の中に立つ長髪の男。片手に提げている剣から滴る血。足元に転がる骸。
淡い月の光が照らし出すのは漆黒のコート、血に染まった偃月刀。
そしてその血と同じような赤い髪。
男がにやりと笑い、落とした一枚の紙切れに描かれた黒いマーク。
一筋の稲光が三日月を貫くそのマークは、ある組織の印。
場面が切り替わり、自分がどこかの街中を走っている。
夜空には雲一つなく、星が出ているのに暗い。それは月が欠けているから。
――新月。
ビルとビルの間を、何かが飛んでいる。大きな翼を持つ、人間?
そして高いビルの上に立つ、長髪の人物。
恩はその人物を見上げたところで、意識が途切れた。
* * *
新月が近い夜、数人の男女が慌ただしく街を駆けていた。
「どこに行った!?」
「こっちに消えたと思ったんだけど……」
「ちっ、見失ったか。あっちからの連絡は?」
「まだです!」
「くそ、あと一歩だったっていうのに」
取り逃がした犯人はついに見つけられなかった。
足を止めると、仲間の一人が落ち込んだ様子で頭を下げた。
「すみません! 僕がへまをしなければ……」
「あなたのせいではありません。捕獲ネットの強度が足りなかっただけですよ。班長、どうします?」
メガネをかけた女性が金髪青年の背中を軽く叩き、班長であるヒゲ面の大柄な男性を仰ぐ。
班長はガシガシと髪を掻き回し、元来た道を戻る。
「しゃーねぇ。いったん総本部に戻るぞ。何か新しい情報が入るかもしれない」
「はい!」
班長の男は腰につけた無線機で、手分けした部下に連絡を取る。
「あー、俺だ。完全に見失っちまったから総本部に戻るぞ。そっちは問題ないか?」
《えーと、それがですねぇ》
「何かあったのか?」
言い淀む青年の声。班長は眉をひそめた。
《湊君が》
ぴしっ。
その一言だけで理解した。班長は乱暴に髪を掻き回し、ため息交じりに言った。
「皆まで言うな。とにかく戻るぞ」
《はい》
通信を切ると、班長は大きく嘆息した。
神京都宝生市にある警吏庁総本部。
社会の安全と秩序を守り、犯罪の予防や捜査を行う組織・警吏隊の中心機関だ。
その中で主に現場の捜査を担当するのが刑事部。刑事部はいくつかの課に分かれており、犯罪の種類によって担当が違う。
そして様々ある課の中で異彩を放ち、警吏隊の中でも恐れられるのが、特殊課。異能者や人外の事件担当の課だ。
それだけでなぜ恐れられるのかというと、特殊課はその名の通り、特殊なヒトたちが集まる部署なのだ。
「ちきしょー、また逃げられたぜ」
班長が悔しげに頭を掻きながら、第三班と書かれたプレートが付いている隊士室に入ると、イスに腰掛けて足をデスクに乗せている動物がいた。
見た目はイタチによく似ていて、灰色の毛並み、先に向かって太くなっている前足には三本の鋭い爪、尾の先は鋭利な刃物のようになっている。
風を操る恠妖、鎌鼬だ。鎌鼬はミカンを片手に、ひらひらと前足を振った。
「おっかえり~。遅かったね」
ゴンッ。
「いった~っ」
「風磨! またお前は勝手な行動しやがって!」
班長に殴られた頭を押さえ、鎌鼬は班長を見上げる。
「だーって、どうせニオイがそっちに流れてたしー、お腹すいたんだもん」
「だからって何も言わずに帰るな!!」
「菱刈班長の言うとおりですよ、湊さん」
メガネをかけた女性が、あきれ顔で班長の後ろから進み出てくる。
湊は顔をしかめ、ひょこんと椅子から降りる。
「現場を離れる時の連絡は義務です。現場責任者への連絡を怠るなんて、仕事への熱意と自覚が足りませんよ。集団行動を乱すこと自体、許しがたい行為ですね」
「もー、うるさいなー、テイラーさんは。あんまりガミガミ言うと皺ができちゃうよ?」
「……なんですって?」
テイラーと呼ばれた女性の頭から、二本の角が伸びた。
言葉のあやではなく、本物の角だ。それを見た小柄な女性が「ストーップ!」と二人の間に割って入った。
「二人ともそこまで! グレス、落ち着いて。あなたは綺麗だし、全然大丈夫よ。
風磨くん、今のは言い過ぎね。規則を守らなかったのは君なんだから、まずは謝るべきじゃないかしら?」
母親に怒られた子供のように、湊はしゅんとなった。
「……ごめんなさい」
「ん。いい子ね」
よしよしと鎌鼬の頭を撫でる女性。班長の後ろから二人の青年が入ってくる。
茶髪でサングラスをかけた青年が感嘆の声を漏らした。
「さすが城崎さん。やんちゃ坊主の湊君も彼女には敵わないか」
「動物を手懐けるのはお手の物だね。それに比べて僕は犯人逃がしちゃうし、ダメダメだなぁ」
苦笑する金髪の青年に、茶髪の青年は眉を八の字にする。
「何言ってるんですか、スターリング先輩。先輩の“式紙”があったから、犯人をあそこまで追い詰めることができたんですよ?」
困ったように笑う金髪青年の肩を、菱刈がパシッと叩いた。
「そうだぞ、ケビン! あんまりくよくよすんな!」
「いたた。はい、班長。天刻もありがとう」
スターリングが茶髪の青年に笑いかけると、青年はサングラスの奥で笑った。
特殊課とは、異能者や人外のみで構成される部署である。特殊課に所属する物は皆、異能者か人外のどちらかなのだ。
菱刈孝造。第三班班長。異能者。影を操ることができる“影操”を持つ。
テイラー・グレイシア。人外。恠妖の鬼族。
城崎 綾。異能者。動物や植物と心を通わす“心通”を持つ。
スターリング・ケビン。異能者。紙を操ることができる“式紙”を持つ。
天刻柾周。異能者。目を合わせた相手に幻覚を見せる“魔眼”を持つ。
湊 風磨。人外。恠妖の鎌鼬。
彼らは今、世間を騒がせているとある事件の犯人を追っていた。
「「吸血鬼!?」」
「そう。今、ニュースでやってる連続殺人事件の犯人は、吸血鬼だって言われてるの!」
休日、遊びに出た恩たちはファミレスで遅めの昼食を取っていた。
その中でふと話題に上ったのは、最近、テレビなどで注目を浴びているある事件。
得意げに切り出したまひろに、恩、亜橲、幸緒、玲汰の四人は素っ頓狂な声をハモらせた。
「吸血鬼って、創作小説とかに出てくる生き血を吸う悪魔なんだな?」
「あれって創作上の生き物でしょ? なんで事件の犯人なのよ」
玲汰と幸緒がさして信じていない様子で言うと、まひろは手を組んで目を輝かせる。
「だって狙われてるのは女の人ばっかりだって言うし、体には血を吸われたような跡があるんだって! どう考えても吸血鬼でしょ!?」
「んー、それだけで犯人が吸血鬼って言うのはなぁ」
苦笑する恩。確かにニュースではそんな情報が流れていたが、悪魔が犯人というのは。
(……ありえなくもないなぁ……)
ついこの前の神隠し事件。あれの犯人は人魔で、裏で糸を引いていたのは悪魔ゾルディシュと靁雯だった。
それに、人外が犯人である事件はこれまでも少なくない。それゆえに、町を守る警吏隊には特殊課というものが存在するのだ。
「リーフェには吸血鬼なんてのがいるのかぁ。まあ、シェーシアにも血を吸う一族はいたけど」
缶コーヒーを飲みながら亜橲が言う。亜橲はシェーシア出身で、リーフェには数年前に移住してきたが、まだそれほどリーフェに詳しくはない。
「吸血鬼に血を吸われたら、全身の血がなくなって死んじゃうんだよぉ。怖いよね~。
でも、狙われるのは美女ばっかりなんだって。まひろも吸血鬼に狙われちゃったらどうしよ~っ」
楽しげに話すまひろの両手を要がそっと握りしめた。まひろの顔をじっと正面から見つめる。
「もしそんなことになったら、ぼくが吸血鬼を捕まえて、ぼくも吸血鬼に血を吸われてあげる。そうすればまひろと一緒になれるよ」
キラキラと効果音でも付きそうな、年に似合わず男前な笑みを浮かべる要に、まひろはきゅーんとする。
「要ちゃん……っ」
「まひろ……っ」
ぎゅーっと抱き合う通常運転な二人に、いつもながら一同はげんなりするのだった。
今日はバイト再開の日だ。恩は放課後、いつものように高科FWへと向かった。
中に入った瞬間、恩は「うげ!」と苦虫を噛み潰したような顔をした。
此武のデスクの前に立っている青年。セミショートのペールブラウンの髪。何よりもあれは慶星高学の制服!
恩の声に振り返った人物は、硬直した恩を見てぱあっと笑みを浮かべた。
「恩くん! やっぱり会えましたね」
「いい稜雲会長! なんでいるんだよ!?」
「なぜかと聞かれれば依頼です」
「は? 依頼?」
恩はカバンをテーブルの上に置き、「こっち座っていい?」とソファーに座っていたカーレンに確認を取り、少しだけ距離を置いて座った。
此武を見ると、殺気立った目で稜雲を睨んでいる。これは何か嫌な予感が。
「ええ。実は父から」
あいたーっ! 稜雲の父親と言えば、警吏隊総隊長だったはず。そしてなぜか此武はそのヒトを毛嫌いしているのだ。
(どうりで不機嫌な顔してるわけだ)
稜雲は気にしていないのか、笑顔で話を続ける。
「最近、ちまたで騒がれている連続殺人事件は知っていますよね? 一部では吸血鬼事件などと呼ばれているようですが」
「あー、うん。聞いた」
「その事件を特殊課が捜査しているのですが、依頼というのは彼らの捜査に協力してもらいたいんです」
「へー、事件の捜査かぁ、大変だなー……って、はぁ!? なんだそれ!?」
事件の捜査って、それは本職の仕事だろう。
特殊課が捜査しているということは、異能者か人外が事件に関わっている可能性があるということ。
自分みたいな素人ができることではないはず。なのに、なぜ?
「驚くのも無理はありません。ですが、父はどうしてもこちらの手を借りたいようなんです」
「なんでだよ。此武が戦神、だから?」
「さあ? 詳しいことは聞いていませんので」
稜雲の笑顔からは真実を読み取れそうにない。
警吏隊の手には負えない相手なのだろうか。それとも他に理由があるのか。
いずれにしろ、此武がいい顔をするとは思えない。
千咲が出してくれたあたたかいリムルティーに口をつけながら、此武の顔を窺う。
「どうですか? 此武様」
「やらんと言っている。人間どもが騒ぎたてようが、オレ様の知ったことか」
普段より二割増しの不機嫌な声。恩はなるべく刺激しないようにと、黙ってお茶を飲み続ける。
「もちろん報酬は払うつもりだと言っていましたが」
「当然だ。誰がただ働きなどするか。だがな、報酬が出ようが奴の依頼など受けんし、それは奴の仕事だろう」
「確かにそうです。でも、これはあなた方にも関係があると父は言っていました」
ピクリと此武の眉が上がる。稜雲は恩に顔を向け、
「恩くんなら……いいえ、宿命を紡ぐ者ならその片鱗を視ているかもしれない、と」
「え?」
恩はきょとんとしているが、此武は舌打ちをした。
予測はしていた。宿命を紡ぐ者の補佐をするということで、全てではないがある程度、運命の動きを感じることができる。
宿命の鍵となるフェイトパースとの接触の時と、プロットに定められた宿命の刻を。
分かってはいても、面倒なものは面倒だし、自分はあくまでも補佐であって実際に動くのは恩だ。
恩だけがそこに行けばいいのだし、わざわざ自分がついていく理由はない。
恩は稜雲の言葉に思い当たる節があった。
もしかしたら、あの夢がそうなのかもしれない。あの夢が何か関係しているのなら。
「なあ、此武。その依頼受けようよ」
「チッ」
「思いっきり舌打ちした! 舌打ちっていうか言葉に出した!」
「勝手にしろ。言っておくがオレ様は手を出さんぞ」
不機嫌そうに頬杖をついて視線を逸らす此武だが、恩は顔を明るくした。
その日の夜。恩たち一行は稜雲の案内で警吏庁総本部を訪れていた。
警吏庁に入るのは初めてなので緊張する。
建物内には赤い警吏隊士服を着た人たちがたくさんいて、せわしなく働いている。
「まずは父のところへ行きましょうか。今回は父も出動するそうですし」
「ええ!? そ、総隊長に直接会うのか!?」
「以前は恩くんと会うことができませんでしたので、いい機会だと楽しみにしていましたよ」
警吏庁は総本部、本部、支部とあって、支部はそれぞれの町にあり、本部は各州都につき一つずつ、総本部は藍泉国の王都に唯一、存在する。
総隊長は各警吏庁のトップで、警吏隊のリーダーだ。
その中でも、総本部の総隊長と言えば、警吏隊の最高司令官である総帥に並ぶ者。そんなヒトと会うなんて余計に緊張してしまう。
総隊長室に到着し、稜雲がドアをノックする。
「父上、高科FWの方たちを連れてきましたよ」
「おや、よく来たね。さあ、中へどうぞ」
ややあってドアが開かれた。出迎えた総隊長の顔を見て、恩は目を丸くした。
ココアブラウンの髪に若葉色の眼。メガネはかけていないが、稜雲に顔がよく似ている。それに若い。
このヒトが榊原陽向……稜雲の父親であり、警吏庁総本部の総隊長。
総隊長というくらいだから四十代くらいを想像していた。しかし考えてみれば、人外なのだから見た目の年齢は関係ないのか。
こっれきり入ることはないだろう総隊長室。心臓が緊張で早鐘を打っている。
「ようこそ、総隊長室へ。少し話があるから適当に座ってくつろいでくれ」
くつろげと言われても総隊長の前でくつろぐなんてできない。緊張しているのは恩だけで、此武もカーレンも千咲も平然としている。
ソファーに座ったのは恩とカーレンで、此武と千咲はその後ろに立ったままだ。陽向は此武を見てくすりと笑う。
「本当に子供の姿をしてるんですね、クロム殿」
ぴききっ。
此武のこめかみに青筋が浮かぶ。時空神と顔を合わせた時に似たオーラを背後から感じる。嫌だなぁ、この位置。
「なかなか可愛らしいじゃないですか」
「用件を言え、糞狐。串刺しにするぞ」
「おやおや、顔に似合わず空恐ろしいことを仰る。まあ、のんびりしている場合でもありませんしね。
単刀直入に言おう。今回はあの組織が裏で糸を引いている可能性がある」
陽向は上着のポケットから一枚の紙切れを取り出し、全員に見えるようにテーブルの上に置くと、恩の目が見開かれた。
横向きの黒い三日月を、黒い一筋の雷が貫いているマーク。
それは、夢で見たもの。そして、ある犯罪組織の唯一の手掛かりとされるもの。
「通称・黑牙。数十年前から活動している凶悪な犯罪集団。手口は様々だが、どれも残忍なものばかり。
犯人が複数いるということは手口の統一性のなさと、わずかな目撃証言からだが、目撃者は事件後、ことごとく殺されている。
そして奴らは必ず、現場にこの印を残す」
人数も目的も分からない謎の集団。この印だけが唯一の手掛かりで、いまだに誰一人、捕まえることができていない。
「あの……総隊長。この印が、現場に残されていたってことですか?」
紙切れに視線を落としたまま恩が尋ねると、陽向は首肯した。
「そう。世間には公にしていないが、我々はこの事件を黑牙の仕業だと考えている。ただ、今までの手口に比べて、少々残忍さに欠けている気がしなくもないんだが……」
「父上、あまり恩くんにプレッシャーを与えないで下さい。恩くん、大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ」
顔を覗き込んでくる稜雲に、恩は首を横に振った。けれど、顔は青ざめたままだ。
「え……いや、大丈夫。なんでもないから」
黑牙の印はニュースや新聞で何度も見た。
ただ、この印があの夢に出ていたことと、どちらの夢にも出てきた長髪の男。あれはたぶん靁雯だ。
(この事件には靁雯が関与している? それに、靁雯は黑牙とも何か関係があるのか?)
ここで悩んでいても解決しない。現場に行けば分かるかもしれないのだ。
もしもあの夢が予知夢だったとしたら。答えはそこにある。
話を終えた一行は、既に現場で待機していた第三班の面々と合流した。特殊課は私服許可されており、他の課の隊士と違って全員私服だ。
陽向から話は聞いているようで、誰も驚きはしなかったが不審そうな顔つきだった。
「総隊長の命だから、彼らも捜査の一員として扱いますがね……正直、使えるんですかい?」
ガシガシと髪を掻き回しながら、ヒゲ面の大柄な男が言う。あからさまに信用できないと言う顔をしている。確か班長の菱刈だと陽向が言っていた。
彼の意見はもっともだろう。何せ大半が未成年だ。外見は。素性の知れない素人が首を突っ込んでいい事件ではない。
「大丈夫だよ、孝造くん。彼らはほとんど人外だからね。詳しいことは黙秘させてもらうけれど」
「そちらの赤髪の少年は、もしや白鳳ですか?」
宿命を紡ぐ者の証服に着替えた恩に、メガネ美女が鋭い視線を向ける。テイラーと言う名前だったか。
「そういうことでいいのかな? 恩くん」
「はい。隠しても意味がないでしょうから」
でないとややこしいことになるだろうし、信用してもらえなさそうだ。
あまりいい気分ではないのだが、この際仕方がない。
「かわいー女の子が二人もいる! おれ、湊 風磨! 二人に何かあったらおれが守るから、ドーンと任せてよ!」
灰色の髪に青メッシュが入った二十代半ばくらいの青年が、人懐っこい笑顔で言う。
恩はむっとしたが、あえて何も言わなかった。
犯人を取り逃がしたのがこの周辺なので、この周辺の警戒と捜索をすることになった。
はっきりとは確認していないが、犯人は四つ足の奇妙な生き物らしい。
猿のような姿らしいが、手足が異様に長く、尾はないとのこと。
恠妖だろうか? それとも悪魔か魔獣か。
それぞれ持ち場に散っていく隊士たち。此武は本当に手を出さないようだ。この場を動こうとしない。
恩もカーレンと見回りに行こうとした時、陽向が声をかけてきた。
「恩くん。今日は来てくれてありがとう」
「えっ。そんなお礼を言われることではありませんよ! その……宿命を紡ぐ者の役目が関わってるみたいでしたし」
「ふふ、真面目ないい子だ。君のことは稜雲からよく聞いているよ。とても可愛い子だって」
にっこり笑う陽向。恩はうんざりした表情だ。陽向の前なので多少、遠慮はしたが。
「理想の高いあの子が気に入るなんてよっぽどなんだろうと思ってね、ぜひ会ってみたかったんだ。確かに実物は可愛いね」
「かわいいと言われてもうれしくないです……」
「おやおや、褒め言葉なのに。男だろうと女だろうと、魅力があるのはいいことだよ」
「はあ」
そう言われると悪い気がしないでもないが、どうせなら格好よくなりたい。兄のようなクールな男に。
そう思って兄を見習い、クールで好きなものには無関心を装ってみたりしているのだが、どうも周りにはそう見えていないようなので少し悔しい。兄と何が違うのだ。
「宿命を紡ぐ者として生きるのは永く大変なことだろうけど、私も微力ながら力を貸すよ。困ったことがあれば遠慮なく利用してくれていいからね」
「あ、ありがとうございます!」
警吏隊総隊長にして神狐の陽向にそんなことを言われるとは思っていなかった。強力な味方だ。
しかし何が気にくわなかったのか、此武が眉間に深くしわを刻み込み、げしっと恩を蹴り飛ばした。
「何するんだよ、此武っ」
「へらへらと媚びるな、貴様が媚びていいのはオレ様だけだ」
「はぁぁぁっ? 媚びてなんかいないし! わけわかんない。行こう、カーレン」
「は、はい」
カーレンは目をぱちくりさせて、不機嫌な此武に小首を傾げてから恩の後を追った。
陽向が恩の背中を見ながらおかしそうに笑った。
「まさかクロム殿に嫉妬されるとは思いませんでした」
「脳みそ腐ってるのか。嫉妬などしとらんし、するはずもない」
(おやおや、無自覚ですか)
偉そうに腕組みをしている此武を横目で見下ろし、陽向は笑いを堪えた。
変われば変わるものである。あのクロムが嫉妬という感情を覚えるとは。
さっきの言葉通り、あの子には魅力がある。ヒトを変える魅力が。それは決して悪いことではない。
この先、過酷な宿命を背負って生きていくあの子には、生き抜くために必要なもの。
陽向は雲一つない夜空を見上げた。今夜は朔の日。新月だ。