番外編2 魂交換
どうしてこんなことになってしまったんだろう。
ソファーで腕と足を組み、不機嫌な様子でふんぞりがえっている恩、床に手をついてうなだれている此武。
彼はうなだれて、これまでのことを思い返した。
事の発端は一件の依頼。家の蔵整理をしていた時に出てきた箱の調査をしてほしいというもの。
札のようなもので封印してあり、いわくつきの代物なのではないか、危険なものならどうにかしてほしいと依頼人が持ってきた。
箱はサッカーボールほどの大きさ。危険かどうかは中身を確認してみなければ分からない…と思い、恩が札をはがして開けてみたところ、さまざまな大きさの水晶玉がゴロゴロと出てきた。
パチンコ玉くらいのものから手のひらサイズのものまで、どれもうっすらと色がついている。見たところなんの変哲もない水晶玉だった。
だったのだ、その時までは。
水晶玉の一つを手に取って此武に手渡した瞬間、水晶玉が光り、気付けば…
『なんで……俺がそこにいるんだよっ』
『チッ、うかつなことをしてくれたな』
『うわああっ、俺が舌打ちした! って、あれ? でも俺は今しゃべってる……のに、なんか声が違うような……』
それに、さっきまでソファーに座っていたはずなのに。恩はおそるおそる自分の手や服を見てみる。
『……この服……もしかしなくても、此武の……だよな?』
『どうやらオレ様たちの中身が入れ替わったようだな』
『!!!?』
と、今に至る。中身が入れ替わった、ということは此武の体の中に恩がいて、恩の体の中に此武がいるということか。それにつけても……
「此武! 俺の顔でそんなしかめっ面するなよ! あと足組んだりするのもやめろ!」
「ふん、どんな顔でどんな格好をするかはオレ様の勝手だろう。そんなことより、元に戻ることを考えろ、単細胞」
自分の顔と声で言われると、なんだか不気味だ。中身が違うとこうも雰囲気が変わるものなのか。
「これってやっぱり、さっきの水晶玉が原因なのかな?」
「だろうな。たいした魔力が宿っていなかったから気づかなかったが……あの水晶は手にした者同士の中身が入れ替わる呪い具だろう。もう一度同じものを手にすれば戻れるはずだ」
冷静な此武の分析に恩の顔が明るくなる。顔は此武なのでかなりの違和感があるが。さっき手にした水晶玉はテーブルの上に落ちている。
立ち上がり、歩き出した恩だが、片目なので距離感がつかめず、テーブルにつまづいた。
「うわっ、いったぁー!」
その振動で、箱に入っていた水晶玉が散らばり、どれがさっきの水晶玉か分からなくなってしまった。
沈黙が落ちる。
「……えーと……」
「この……糞下僕がぁぁっ!」
此武が恩を蹴り飛ばす。体は恩なので、今までとは威力が違って半端なく痛い。
「わざとじゃないんだから仕方ないだろーっ!? それに、片目だと見えにくいんだよっ」
「屑め。貴様が下らん真似をしたおかげで手間が増えたぞ。とっとと本物を探せ!」
「そんなこと言われたって、どれも同じに見えるんだよ。大きさなんてもう覚えてないし……」
「ほう、オレ様に口答えするのか、役立たずな下僕の分際で。言い訳をする暇があったら手を動かせ、蛆虫が!」
「うう、分かったよ」
水晶はテーブルの上やら床やらいろんなところに散らばっていた。しかし、見た目はただの透明な水晶玉。
うっすらと色がついているものの、傾けると別の色に変化するため、あてにならない。
ざっと五十個以上はありそうな水晶玉の中から、あの一つを見つけるまでには時間がかかりそうだ。
(まずは玉を全部集めよう。その後、それっぽいものを選別する!)
とはいっても、散らばった玉を全部見つけるのも一苦労だ。何せ左目が前髪で隠れているので見えにくい。
(こんな状態でよく此武は普通に歩けるなぁ。やっぱり、左目は見えていないんだ)
いつも不思議だった。左目は隠れているだけで視力はあるのか、それとも完全に見えないのか。どうやら後者だったようだ。
(でも、なんだろう、この違和感……自分の目のはずなのに、自分のじゃないみたいな……)
左目だけ、感覚が違う。それは失明しているゆえの感覚なのだろうか?
床に散らばった水晶玉を集めていると、ヴァモバが鳴った。此武がポケットから恩のヴァモバを出し、ポンと放り投げてきた。
「わっ、急に投げるなよ。と、織枝さんからメール?」
開いてみると、夕飯はどうするかという内容だった。
「夕飯? あーっ、もうこんな時間だったのか!?」
ヴァモバの時計を見ると、七時を回っている。
いつもバイトで遅くなりそうな時は、夕飯を食べるか食べないか織枝さんにメールしているのだ。すっかり忘れていた。
「あああ、どうしようっ、こんな状況じゃ帰れないし、今日は帰らないってメールするべきか……でもそんなことしたら絶対、心配させちゃうしーっ」
ヴァモバ片手に頭を抱えてうろたえる恩。ソファーで悠然と座っていた此武は、小さくため息をつき、立ち上がった。
「オレ様が行ってやる。貴様はここで水晶を探し出せ」
「へ? 行くって……どこへ?」
「オレ様は今、恩なのだからな、家に帰るのだ」
此武はめんどくさそうな顔で、恩のカバンを抱え込み、千咲に「後は任せる」と言って出て行こうとする。
「……ちょっと待って。え、いや……ダメでしょ!」
「なんの問題がある」
「大ありだろぉぉぉっ!? 見た目は俺でも、中身は此武なんだから!」
恩は反対しようと詰め寄る。少しだけ片目に慣れてきた。
身長差ゆえに、立った時はいつも見下ろしている此武を、今は見上げる形になる。此武の視点から、自分はこんな風に見えていたのか。
不思議な感覚だが、そんなものに浸っている場合ではない。恩が此武の袖をつかむと、此武はにやりと笑った。
「せいぜい、いい子の恩を演じてやる」
寒気がするほどあくどい笑みに、恩は固まった。此武は恩の手を振り払い、すたすたと出ていく。
硬直していた恩はがっくりとうなだれた。
(あの顔は楽しんでる……っ、何かやらかす気満々だぁぁぁ)
これではどっちにしろ織枝に心配させてしまう気がする。もっと強く引き止めるべきだった。
どんよりしている恩に、千咲がしずしずと歩み寄ってくる。
「恩さま、作業を続けましょう」
「え?」
「マスターは後のことは任せると命じられました。恩さまに課せられた仕事は、元に戻る方法を見つけること。その作業を続けましょう」
平坦な声で、けれど顔には笑みをたたえている千咲に、恩は少し気持ちが浮上した。
そうだ、くよくよしていても何も変わらない。早く元に戻ればいいのだ。
恩は拾い集めた水晶玉をテーブルの上に並べる。たぶんこれで全部のはずだ。
「よしっ、頑張って見つけるぞー! まずは大きさを整理しよう。小さすぎるのや大きすぎるのはよけて……と」
さっきの水晶玉は普通のビー玉より少し大きいくらいだったと思う。大きさを整理して、一つ一つ気を探るしかない。
水晶には微力ながら魔力が宿っているし、中身を入れ替えたことで自分たちの気が水晶玉に少し混ざっているはず。その気の宿った水晶を探せばいい。
(地道な作業だけど、やるしかない)
恩は精神を集中させて、水晶玉を一つ一つ手に取っていく。
恩が作業している間、千咲は何も言わず横で佇んでいる。まるでマネキンだ。
「……あの、千咲さん」
「はい」
困ったように笑いながら、恩は千咲を見上げる。
「手伝って、とは言わないですけど……その、横でじーっと立っていられると、なんか落ち着かないっていうか、集中できないんですけど……」
「傍らで見守るのが私の役目ですから」
「はあ」
千咲の表情は動かない。本当にマネキンのようにずっと同じ表情だ。瞬きくらいはするが、人形のように微笑しかしない。
(人間そっくりだけど、やっぱりゴーレムなんだな。ヒューマノイドでももう少し表情あるのに。まあ、此武が創ったものだから表情なんていらないのかな)
思えば、此武はどうして千咲を創ったのだろう。
身の回りの世話をさせるためとか聞いた気がするが、女性の姿にしたのも何か意味があるのだろうか?
(此武って、謎が多いよな。左目といい、千咲さんのことといい、それに、こんな仕事をしている理由も)
創造神様の命令らしいが、それはなんのため?
(人間嫌いの此武が、人間の役に立つことをするなんておかしい。此武に利益なんてないじゃないか。
時間が流れれば自然と宿命の刻が来る。その時だけ何かすればいい。この空間は外界とは時間の流れ方が違うから、たいした待ち時間ではないよな)
何か意味があるのだろうか。此武が人間界と繋がる異空間に留まり、人間のために何かすることに。
(創造神様は、此武に何をさせたいんだろう? それに、なんで此武だったのかな?)
たくさんいる神の中で、此武が宿命を紡ぐ者の補佐に選ばれた理由は?
疑問は尽きないが、考えても真相にはたどり着けない。
(いつか聞けるかなぁ?)
さまざまな疑問の答えを。これからの永い時の中で。
「あ、そうだ。千咲さん、此武っていつもここで何してるんですか?」
「仕事の依頼を待っています」
「それは分かってますけど……それ以外。依頼がない時とか」
「食事をしたり、眠っています」
「え! 此武も何か食べたりするんですか!?」
想像がつかない。眠る以上に。何を食べるんだろう?
「マスターはコーヒーとウインナーを摂取します」
「コーヒーと……ウインナー……」
想像してみると、さほど違和感がない。
「それから、人間界の観察です」
「観察? 此武が?」
人間の生活に興味があるのか? にわかには信じられないのだが。
千咲は此武のデスクの引出しから、鏡を持ってきた。覗いてみるが、不思議なことに何も映らない。
「何も映らないんですけど」
「見たい場所を念じるとその場所が映し出されるのです。マスターは退屈だとおっしゃると、これで恩さまを見ています」
「見たい場所が見えるって…じゃあ此武が時々、俺の行動を知ってるのはこれで俺を見てたからか!?」
これで謎が一つ解けた。此武に覗き見されていたとは。
(今まで俺が家で何してたのかとか、学校での生活とか全部見られてたってことかー!? プライバシー侵害だろ、それぇっ)
なんだかすごく恥ずかしいし、怖い。これでは監視されているも同然だ。
(これから俺はどう生活していけばぁぁぁっ!)
「マスターが気になるのであれば、マスターをご覧になってはいかがでしょう」
「! そうか、此武が俺の家に行ったならこれで見てみればいいんだ!」
恩は鏡を覗き、滋生家を思い浮かべる。すると、鏡面が揺らめいてぼんやりと何かが映り始める。
「あ! 映った! えーと、此武此武……」
鏡面が揺らめいて滋生家の中が映し出される。リビングには織枝しかいなかった。となると部屋か。
自分の部屋を覗いてみると、ちょうど此武が部屋の中に入ったところだった。
此武は恩の部屋の中をぐるりと見回すと、ふん、と鼻で笑う。そして椅子に座って足を組んだ。
「なんだよ、今の笑いは! どこかおかしいっていうのかー!?」
散らかっているわけでもないし、変な人形やぬいぐるみや本があるわけではない。しかもあの笑いはどう見てもバカにした笑いだった。
(笑われるような覚えないんだけど! 戻ったら問い詰めてやる)
此武は椅子に座って机に頬杖をつくと、目を閉じた。何かするわけでもなく、ただ座って目を閉じている。
もしかして、あれが千咲の言っていた『眠っている』なのだろうか?
と、疑問が浮かんだ時、ドアをノックする音が聞こえた。此武が目を開けて「どうぞ」と返すと、カーレンが入ってきた。
《失礼します》
「カーレンっ」
思わず身を乗り出す。外界とは時間の流れが違うせいか、もうずっと会っていなかったように感じていた。
《少しお聞きしたいことがあるのですが、いいでしょうか?》
手をそろえて微笑みながら問いかけるカーレン。自分視点ではなく、第三者の視点だからだろうか? 声も、しぐさも、表情も、すべてが愛らしく映る。
こんな風に、自分と向かい合っているカーレンを第三者の目で見るなんて、二度とない体験だろう。
(やっぱり綺麗だなぁ、カーレン……っ)
《いいよ。何?》
にっこりと笑う此武。あれは営業スマイルの時と同じだ。よかった、あれならバレなさそうだ。ほっとしたのもつかの間。
《では、あなたは誰ですか?》
(!??)
目を点にして硬直する恩。えええ、即バレ!? 此武は営業スマイルを崩さず苦笑する。
《何を言ってるの、カーレン。俺は恩だよ》
《いいえ。姿は恩さんですが、中身が違います。恩さんの魂は今、ここにはいません。本物の恩さんはもっと、やさしくて、あたたかいんです》
柔らかい笑みを浮かべたまま、けれど揺るぎない言葉に、恩はどきんとした。顔がわずかに熱を帯びる。
(カーレン……どんな姿でも、俺じゃないってことが分かるんだ。そんなに、俺のことを見てて……くれてたんだ)
うれしい。うれしくてたまらない。今すぐ、カーレンのところに行きたい。
もっと近くで、カーレンの顔が見たい。カーレンの声が聞きたい。カーレンに、触れたい。
此武はつまらなそうにため息をつき、取り繕うのをやめた。
《ああそうだ。オレ様は恩などではない。あの屑のせいで中身が入れ替わった》
《その口調は、此武様ですね? どうりで土と氷のような気配がすると思いました》
《ふん、気付いたことは誉めてやろう。だが、気付いたところで何もできんだろう。せいぜいあの女に黙っているくらいだ》
《そうですね。織枝さんには内緒にしておきましょう。恩さんはどちらに?》
《オレ様のところで解決策を探しているはずだがな、今頃サボっているのではないか? なあ、赤木偶》
此武がこちらに顔を向ける。恩はギクッと鏡から顔を離す。此武にはこちらが見えているのか?
《そこに恩さんがいるのですか?》
《いや、どうせあの鏡でオレ様たちを見ているだろうからな。どこから見ているかは分からんが》
此武のことだから実は分かっているのではなかろうか? だって思いっきりこっちを見ているし。
《恩、とっとと仕事をしろ。でなければずっとオレ様がこの娘のそばにいるぞ》
「んなっ、そんなの絶対ダメだ!」
《それは駄目だとかぬかしていそうだな。そう思うならやるべきことを果たせ、我が玩具よ》
声は届いていないようだが、見透かされている。そうだ、早く元に戻らねば。元に戻って、カーレンのところへ!
恩は鏡の映像を消し、水晶に精神を集中させた。この大量の水晶玉の中から、自分と此武の気が宿ったものを見つけ出す。
目を伏せ、気を研ぎ澄まし、感じ取るのだ。微量な気を。
どれだ。どれが、あの水晶玉なんだ。しばらく気を探っていると、ごくわずかに他のものとは違う気配を感じ取った。
これだ!! 恩はその水晶玉を手にした。
そうして二人は元の体に戻った。あの水晶玉はたいした危険はないが、ややこしいことになるのですべて粉々に砕いて処分した。
「一時はどうなることかと思ったぁ~」
高科FWのソファーの背もたれに寄りかかり、恩は脱力する。此武がデスクチェアーで頬杖をついて笑う。
「己の未熟さと愚鈍さと滑稽さを理解できてよかったではないか」
「未熟っていうのは否定しないけど、他のはなんだよ」
「そのままの意味だ、下等生物。そんなことも理解できんとは、貴様の脳みそは壊死しているのか」
「脳が壊死してたら生きてないだろ! もう体はなんともないんだし、帰るからな!」
「何を言っている。これから仕事だ」
「えええっ!?」
「とっとと行くぞ、愚図」
「うえっ、襟……っ、離し……」
此武は恩の襟をつかみ、ずんずんと歩いていく。首が締まりかけている状態の恩は、よろめきながら引っ張られていく。
カーレンはそんな二人のやり取りに、満足げに微笑みながらついて行った。